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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第三章 想いの継承、世界と人の業
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68話 異変

読んでいただきありがとうございます。



 翌朝、レイは未だ寝こけるシオを小脇に抱えて寝ぼけ眼で起床する。

 昨夜の静かながらも賑わった夕食の時間を思い出して笑みを零す中、リビングに顔を出すとそこにはもう既にアイリーンの姿があった。


「うふふ、こうして私が先に起きているのは初めてかしらね。おはよう、レイ君」

「おはようございます、アイリーンさん」


 魔道具の作成や魔術の研究で朝は滅多に起きてこないはずのアイリーンが、隈一つない爽やかな微笑みでレイに朝の挨拶を投げかけ迎え入れるなど、アイリーンの言葉通りこれまで一度たりともなかった。

 それに加えて、テーブルの上にはアイリーンの機嫌が表わされているかのような豪華な朝食が並べられており、アイリーンは「作り過ぎちゃったわ」と照れ臭そうに恥じらっている。


 挨拶した時点では折りたたまれた布団のように反応を示さなかったシオも、食卓が近付くにつれて朝食の匂いで目を覚ます。


「んぉっ!?」

「挨拶が先」

「おはようさんアイリーン! これ食っていいのか?」

「えぇ、私一人じゃ食べきれないもの。一緒に食べましょう」


 目が覚めて早々に朝食に齧り付こうとしたシオを引き留めるも、食欲に正直なシオは止まる事を知らず、挨拶もほどほどに自分の椅子に向かって飛んでいく。レイもまたシオに続いて席に着く。両の手を合わせる傍ら、朝食のいくつかには既に手を付けた形跡があるのに気付いた。


「セリカも食べて行ってくれたのよ。ほんと、何年ぶりかしら。でもねあの子ったら、レイ君に顔を合わせるのは恥ずかしいみたいで起きてくる前に出て行っちゃったのよ」


 アイリーンはそう言って、心の底から嬉しそうに微笑む。

 そんな姿が見られるようになったのも、昨夜セリカがレイの手を掴んだから――否、これまでずっと差し伸べてくれていた母親の手を掴むことができたからだろうか。


 レイはただきっかけを与えたに過ぎない、と自分では思っており、セリカもまた意固地になっていた自分にきっかけを与えてくれる人物を待っていた。

 アイリーン譲りの心優しい気質とグレイ爺譲りの意志が固い気質の両方を兼ね備えるセリカは、両親を恨むと決めてからは常に自分と戦っていたのだろう。初めはただの些細な反抗期からくる喧嘩だったのが、縮まるはずだった距離が離れていく寂しさを「悪いのは向こうだ」と自分に言い聞かせ、ついには引くに引けなくなっていたのだ。それに加えて、相手を非難する理由には事欠かなかったのが、状況をさらに悪化させてしまった要因だろう。


 そうして拗れた母と娘の仲を取り持つのは本来はグレイ爺の役割のはずが、グレイ爺はそれを放棄した。自分の父親は、愛する女性よりも、その子供よりも何よりも、己を選んだと言うのに、母親は今もその男を思っている。その事実もまた、セリカの意思をより強固にするには十分な成果を発揮してしまった。


 そうして出来上がった意固地なセリカの壁はを壊すには、積み上がった不安と不満を上回るような衝撃、もしくは、正しい道に引き戻してくれる()が必要だった。

 結果的にそれを為したのは、グレイ爺の意思を継いだレイであったが、それは第三者であっても可能だった。他の誰かが、セリカに同情するでは無く、根気強く話し合うべきだと説き続けていれば、レイの役目も無かったのだ。それを、村の者も町の者たちも「かわいそうに」と同情し、ひたすらに甘やかしてしまった。アイリーンと言う謎の女性の子がゆえに、余所者を歓迎しない村では腫れ物のような扱いであった以上そうするのが妥当であったのだが、それがセリカの壁を強固にした要因の一つだったのは言うまでもないだろう。


 そうして心を砕いて迎えた昨夜の夕食。

 基本的に常にアイリーンが話しかけているだけの形ではあったが、セリカが頷いて反応を返すだけでもアイリーンはとてつもない幸福感に包まれているようだった。その間、セリカはずっと申し訳なさそうな様子でいたため、レイとシオは気を利かせて早々に夕食を切り上げ、退散することに。

 扉越しに微かに聞こえた内容は、セリカが謝罪した直後にアイリーンも重ねて謝っている声を聞いたのが最後だった。関係のない自分が盗み聞きするのはよくないだろう、と昨夜はいつもより少しだけ早く床についた。耳をそばだてるという無粋な真似をしようとするシオを抱きかかえて強制的に眠りに誘うのであった。


 途中目が覚めた時には、アイリーンの部屋からセリカとの話声が聞こえていた。それはまるで、今までの時間を取り戻しているかのようで、嬉々として語るアイリーンの声を聞いて、レイは良かった、と胸をなでおろしたのを覚えている。


 どんなことを話したのか、なんて聞くのは野暮だろう。

 今はただ、こうしてアイリーンが幸せそうに微笑んでくれればそれでよかった。




 ――もう二度と、アイリーンさんが幸せを諦めませんように。奪われませんように。




 レイがそう祈るのは、グレイ爺の意思を継ぐからでもなく、願いを叶えるからでもなく、ただ純粋に心の底からアイリーンの幸せを願い、祈るのだった。


「お。レイ食わねぇなら貰うぜ――」

「――あぁ! 僕のトースト!!」


 悪戯な物音に、祈りを中断させて音の方に視線を向けると、レイの皿に乗っていたはずの分厚いトーストがシオの口に咥えられていた。


「へへ、ボーっとしてんのが悪いんだぜ……って!?」

「そうは……っ、ふぁふぇないっ!!」


 見せびらかすようにトーストを弄んでいたシオの口からはみ出たトーストの反対側から齧り付くと、あむあむ、と咀嚼を繰り返しながらシオに迫る。噛むたびに溢れてくるしみ込んだバターの風味が鼻に抜ける感覚に幸福を感じるも、欲を言えば静かに堪能したかったと思いつつシオと競い合ってトーストを食い千切る。


 結果的に半分以上を取り戻したレイだったがそれでもやはり食べ足りない。

 それを察したのかアイリーンが「あらあら」と微笑みながら追加分を作ろうかとキッチンに立ったその時だった。







「――っ!?」







 アイリーンの息を飲む声がレイとシオの耳にも届き、何事かと反応を示すも、アイリーンは振り返ることなく庭先へと飛び出して行ってしまう。レイの目に見えたアイリーンの横顔から、こうしてトーストを奪い合っている場合じゃないと判断したレイはシオを連れてアイリーンの後を追う。


 玄関を出て右手に見えたのは、衣服が土に塗れるのも厭わずに畑に膝をつく様子。

 アイリーンの手が触れる先、それはアイリーンが手塩をかけて育てたと言う、レイも見たことがない草花……、だったものだ。


 傍に寄れば、花も咲いていないのに甘ったるい匂いがして、それがいやに気味が悪い。

 昨日までは青であったり、赤であったりと様々な色を畑にもたらしていたと言うのに、今やそれらは見る影も無い状態で黒く変色し、触れなくともわかる程に枯れ果てていた。


 それが間違いでは無いことを確認するかのように、顔を顰めさせたシオがレイに問いかける。


「……なんだ、これ。なぁレイ、昨日までは確かに葉も、実も、花もついていたよな? ……レイ?」


 シオの問いに答える気配がないレイは、匂いが特に強い井戸の中に頭を突っ込んでいた。


 アイリーン自慢の魔道具、ガーデニングホースの魔導石が取り付けられた井戸に頭を突っ込んで、レイは意識を嗅覚に集中させて空気を吸い込むと、甘いような酸っぱいような匂いと共に、腐敗した匂いが鼻を刺激する。


 喉に溜まったその匂いを吐き出すように息を吐いたのち、レイはこちらを注視するアイリーンに尋ねた。


「アイリーンさん、今朝も水やりはこの井戸から?」

「えぇ、いつもレイ君に任せてばかりだったし、今日は早起きしたから……」


 アイリーンの言葉通り、普段は鍛錬のために早起きするレイがシオの魔力を使ってガーデニングホースを使って水やりをしていた。

 畑仕事において苦痛なのが水やりなのだが、それを瞬く間に解決してみせる革新的かつ革命的な開発であるこのホースに魅了されたレイは、喜んでその仕事を請け負っていた。


 けれども、昨日までもこの井戸で水やりをしていたが、全ての植物が枯れる、なんて事態には陥ってなどいない。それはつまり……、と考え得る可能性を導き出したレイは一度川の方を見つめ、もう一度アイリーンに向き直る。


「この井戸の水は、川から引いているって話でしたよね」

「え、えぇ。ガーデニングホースの要領を使って、丘であっても複数の魔導石で道管を作るのは難しくないから」

「であるならば、この井戸、もしくは川自体が汚染された可能性が高いです」


 そう言いながらも、レイは後者である川の汚染を疑っていた。

 昨日までは井戸の水に変化がなかった以上、仕込めるのは夜の内のみ。そして夜とは言え、レイもしくはシオが井戸まで誰かが近付いてきたことに気付かない、なんてことがあるはずないと考えた上で、ならばさらにより広範囲に被害が及んでいる可能性を示唆する。


 水は人が、生き物が生きる上で絶対に欠かせないもの。

 それに手を出したと言うのは、相当に恨みを買っていなければならない。

 そのことにアイリーンが気付くと、ハッと、息を飲む。そんな禁忌に手を出す様な相手に、心当たりがあるからだ。

 だが、レイは今は犯人の事よりも、目の前の汚染をどうにかする方が優先だと判断する。


「もし川が汚染されている場合、川から水を引いているここでこれだけの毒性が出ている以上、川の恩恵を受ける村にも、被害は及んでいるかもしれないです」


 場所から見てアイリーンの家の方が上流にあるとはいえ、毒性の浸透がここまで広がっているとなるとかなり強力な汚染に違いない。それが人体に与える影響がどのようなものか、想像するだけでも恐ろしいと言うものだ。


 レイのその言葉を聞いて、アイリーンは顔を青くさせて立ち上がる。


「――村には、セリカが行ってるの……!」

「っ、水を口にするだけでも危険です、急ぎましょう!」


 セリカがアイリーンに行き先を告げただけでも喜ばしいものだが、今はその感動を分かち合う時ではない。

 もし既に水を口に含んでしまっていては、手遅れになるかもしれないのだから。

 そんなレイの思考を覗いたかのように、アイリーンは出発の準備を始めるレイに待ったをかける。


「もしかしたら、既に口にしてしまった村人がいるかもしれないわ。きっと効く薬があるはずだから、それを取って来るわ! 先に向かっててちょうだい!」


 先ほどまでの朝の優雅な気分も、浮かれ気分もなかったかのように切り替え真剣な様子のアイリーンはそう言うと家の中に戻っていき、残されたレイとシオに緊張が走る。


「……レイ、この匂いと毒、もしかして」


 神妙な表情で予想を立てるシオに、レイは答えを叩きつける。


「うん。これは間違いなくシアンフログの体表から分泌される毒、だと思う。でも、シアンフログがこんなところに出てくるわけない……」

「となると、犯人はシアンフログの毒を持ち込んだ可能性が高い、と?」


 レイがグレイ爺の薬の材料を集めに行く際に同行したことがあるため、シオはシアンフログを目にしたことがあり、飲み込みも早かった。

 けれども、実際に命がけで戦った経験を持つレイは、森の深層の魔物に関してはグレイ爺から、ギンからも知識を吸収したおかげか、博識であった。


 ――シアンフログの毒は、シアンフログ本体と言っても過言ではない。それはつまり、レイが推測した()を持ち込むのはシアンフログそのものを持ち込むと言ってもおかしくはない。加えて、シアンフログの毒腺を抽出するのは極めて難しい。全身の血管を傷一つ付けることなく引き抜くと同意なのだからその難易度は相当なものだろう。むしろ、毒腺を抽出できるのならこんな片田舎ではなく、都市にでも使用すればかなりの混乱を招ける。そちらの方がずっと得があるはずだし、川に流したとすれば一晩でここら一帯は生物が死滅した泥沼と化すはずなのに……、と考えたところで、レイは一つ思い当たるものがあった。


「騎士の荷物から零れた泥――」

「なんか、思いついたのか?」

「犯人が分かったよ。騎士達に間違いない」

「騎士、ねぇ。昨日の夕方の、あれか」

「証拠さえあればなんとかできるんだろうけど、今はそれどころじゃないかもね」


 シアンフログの毒がどれだけ恐ろしいものか知るレイとシオは静かに怒りの感情を胸に宿す。

 水生生物にとって天敵とも言える毒であると同時に、人体にも悪影響を及ぼす蛙の毒は、自然の力では元の清流に治すためには数十年、数百年という途方も無い時間がかかる事だろう。


 そこで、ガチャガチャとガラス瓶がぶつかる音を立ててアイリーンが戻ってくると、真っ先にシオを見て驚きに目を見開くのだった。


「シオちゃん、なの!?」

「アイリーンさん、乗って下さい!」

「しっかり掴まってろよ……!」


 二人跨っても問題ない大きさに戻ったシオに驚嘆し戸惑うアイリーンから荷物を受け取り、レイは自分の後ろに乗るよう声をかける。アイリーンの腕がレイの腹に回った直後、アイリーンの耳には風を切る音が断続的に続き、シオは天高く舞い上がる。


 アイリーンの背後から発言した光輪の翼も、空から見下ろす景色も堪能する暇は無く、ただ一つ、眼下の見るも無残に汚された川に視線が吸い込まれ、三人は押し黙る。



「「「……」」」



 あの騎士たちは今、この美しい世界をその手で汚した。

 それに加えて、あの川があってこそ農村として生計が立てられていた村はこれから先、立ち行かなくなる。それが分かっていて騎士はこのような真似をしたのかと思うと、増々腹立たしく思えてならない。


 村からも微かな幸福を奪おうと言うのかと思うと、騎士は到底許せない存在としてレイの脳内にインプットされるのだった。


「もう着くぜ」


 三人ともがそれぞれ顔を顰める中、シオがそう言って降下の体勢に入る。

 姿を隠すのも最低限に、今は村の安全に加え、アイリーンの愛する娘であるセリカの無事が最優先だった。


 ――けれども村には既に、阿鼻叫喚の様相が広がっているのだった。







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