58話 僕が背負う罪
読んでいただきありがとうございます。
本日三話目。ほのぼのシリアス回。
――レイが、ヒジリを殺した。
その事実は、グレイ爺も知らないレイが抱え続けてきた悩みであり、傷であり、背負うべき罪であった。
確かに、ヒジリの命を奪ったのは、幻想種マンティコアの毒薬。それを調合したマンティコアの半身たるシュウが原因であり、遠回しにそれを示唆し命令したのが幻想師のガリウス。
レイはただの被害者でしかないのだが、レイは決してそうは思えなかった。
毒薬は、体内に取り込まなければ毒になり得ない。
しかし、ヒジリの体に取り込ませたのは紛れも無くレイであり、最後にして最悪の結末を招いたのは、他ならぬレイで間違いなかった。
この事実に気付いたのは、シュウを、ガリウスを、幻想の森の全てを憎み、恨み、忌み、呪詛の全てを吐き尽くし空っぽになったその後だった。
『――僕が、最後に……』
グレイ爺は、レイが落ち着きを取り戻したのを見て、数日空けてしまった狩りに出かけており、傍には小さなシオだけがいた。
幽鬼のような足取りで台所に向かったレイがおもむろに包丁を自分の首に突き立てた瞬間を、シオは今も忘れられないでいる。その瞬間は、咄嗟に間に入ったシオが身を挺して庇ったことで事なきを得、泣き崩れるレイの話をシオは胸が締め付けられる思いで聞いた。
胸が張り裂けんばかりの罪悪感に苛まれ自死を選ぼうとしたレイに、シオはひたすらに「お前は悪くない」と語り掛け続けた。
レイが憔悴し、涙の跡を残して眠りにつく横で、シオは歯噛みした。
――レイが悪いなど、有り得るものか。
有って、たまるものか……っ!
憤怒し、レイと同様に幻想の森の全てを憎み、恨んだ。
だがそれは一足遅く、レイが自死を選択するまで追い込まれていることに気付くことができなかった。どうして気付いてやれなかったのか、その時はシオも自分を責めたものだった。
最愛の姉を奪われ、その最後の手引きをしたのが自分であったと言う事実。
加えて、復讐など果たすには限りなく非力な自分。
まるで世界の全てがレイを殺しにかかってきているような状況を前に、シオは泣き疲れて眠るレイを黙って眺めている事しか出来なかった。
その果てに、シオは自分と繋がっているレイの心の奥深くに、晴らすことのできない憎悪の塊が、極度のストレスという呪いに近いものを感じ取った。これがレイが感じ、抱えていた重荷であるかと気付くと同時に、グレイ爺の庇護下にいる限り、胸に宿る憎悪を晴らす手段がない状況に絶望する。
行き場を無くした怒りは転じて自分自身に対する怒りへと変換され、それによって生じたストレスがレイを自死へと向かわせたことを実感するも、今のシオとレイにグレイ爺の下を去ると言う選択は、この場で自死を選ぶこと以上に憚られるものだった。
グレイ爺の下で学び、生きることがどれだけ恵まれているのかは考える間もなく理解できる。けれども、胸に抱え続けるには負担が大きすぎるストレスの捌け口が無い現状、レイが再び自傷を繰り返すのか気が気でなかったシオは、頭を抱えた。
悩み続けたまま夜が明け、気付けば寝落ちていたシオが目覚めると、落ち着いた様子のレイがシオの背を撫でていた。
『……レイ』
『ごめんね、心配かけちゃったよね。これから先、僕は姉さんを奪ったやつらを許せないし、自分のことも許せないと思う……』
『レイ、お前は、悪くなんかないんだよ』
『シオならそう言ってくれると思ってたけど、これはやっぱり、姉さんにしか許されちゃいけないものだから、これは僕が背負う罪なんだよ』
何かが欠け落ちたかのようなレイの表情に、シオは何も言えなかった。
――死んだ人間がどうやって許してくれるものか。
シオがそれを口にするまでも無く、一生をかけて償い、背負っていくと決めたレイの目からは大粒の涙が零れ落ちるのだった。
「――レイ」
知らず、話している内に溢れた涙がレイの体に寄り添うシオに落ちる。
当時の暗い思いまで引きずり出してこようとするレイを包み込むかのような優しい声音で呼び止めたシオは、震えるレイの体を落ち着かせようと身を寄せる。
シオの体温を肌で感じ、荒ぶる心の内を宥めるように深呼吸を繰り返す。
外の世界を夢見たのも、自分の意思とは別に、ヒジリへの引け目が少なからずあったからだ。
激しい感情を保持し続ける事がどれだけの苦痛を伴うかを知るシオでさえ、半身でさえ止められないレイの自責の念。
レイが語った、自分自身を責めて責めて責め続ける日々。
夜になって、眠りにつく直前になって泣いていたのは、ヒジリが奪われる恐怖もあっただろう。だがしかしそれ以上に、また今日も生きてしまったというヒジリへの謝罪が要因の一つでもあった。
グレイ爺の介在しない、シオと二人だけの世界だからこそ吐き出せた自分への怒り。もしもその時間が無かったのなら、レイはずっと前に命を絶っていてもおかしくはなかっただろう。
竜気の制御に取り組むに当たって、少なからず感情の制御も出来るようになっていたが、レイの心にかかる負荷は今も変わらず激情のまま。
その行き場のない怒りに身を焦がす思いを、レイの心の傷を、アイリーンは黙って耳を傾け続けた。そこに至るまでの道のり、幻想の森を追放された話も全部、包み隠さずに語られた。
その幼い体に降りかかった苦難に息を飲み、涙を浮かべ、最後まで黙って涙を流し続けた。
――憎悪が向く相手は常に自分がゆえに、その怒りが尽きることは無い。
その日々を、苦痛を知るが故に、シオがレイの口を止めた時点で、アイリーンは椅子を後ろに倒してまで、レイに駆け寄らざるを得なかった。
「っ、ごめんなさい、レイ君……! 私が意固地になっていたせいで、とても、とても辛いことを思い出させてしまってごめんなさい……! シオちゃんの言う通り、レイ君が悪い事なんてない。悪くなんてないのよ……っ!」
レイを抱き締め「悪くない」と繰り返すアイリーンは、レイに加えて別の誰かにも言い聞かせているように思えたが、レイの胸には余計な思考を挟む余裕がないくらい、温かさを感じずにはいられなかった。
柔らかな両腕に抱かれる思いは、まるでヒジリに抱かれているのを思い出すようで、どんなに堪えても溢れてくる涙を止められない。
食後のティータイムは、涙で頬を濡らすアイリーンと、とめどなく溢れてくる涙に溺れそうになるレイの二人をシオが見守る形で時間が過ぎていった。
二人が落ち着きを取り戻すころには、テーブルに置かれた紅茶はすっかり冷めてしまっていた。
「落ち着いたわね」
場所は移って、二人がけのソファで隣に座るアイリーンから声をかけられたレイは、静かに首肯し「ごめんなさい」と口にする。
「レイ君にだけ、つらい過去を話させるのはフェアじゃないものね。私の話を、聞いてくれる? ……愚かで、無力で、無謀だった私の話を」
アイリーンが口にせずとも、それが騎士にまつわる内容だと言うのは、容易に想像できた。
どんな因縁が出てくるものかと身構えるレイだったが、その前に、とアイリーンが口を挟む。
「その前に、レイ君たちはこの王国の事、どれくらい知ってる?」
「……?」
「その様子じゃ、ほとんど何も知らないみたいね」
「人類至上主義、ってのは知ってるぜ。誰に聞いても反吐が出るって言うお墨付きの大馬鹿思想だろ?」
「そうね、村人に聞けばまた違った感想が聞けるのだろうけど、シオちゃんの言う通り、世界で最も愚かな政策なの。私のような魔女たちはそれによって迫害され、グレイはたった一人で、気に食わないから、って理由で国に立ち向かったのよ」
遠い過去を見やるアイリーンの言葉に、レイとシオは思いを馳せる。
英雄譚を語るように目を細めるアイリーンとは対照的に、レイとシオはグレイ爺の最期を思い出す。
全てを諦めた姿を知るが故に、アイリーンの語る声音と二人の反応に温度差が生まれるも、アイリーンはそれに気が付いていながら話を続けた。
――人類至上主義。
それは、何者よりも優れた人間こそが至上。
人間の上に立つ者など存在しない事実から、人間こそが万物の頂点に君臨する存在である。
それはつまり、人間こそが世界の中心。人間を中心にして、世界は動いている――。
要約すればそのような意味の主義を主張するのがこの王国なのだと、アイリーンは言った。
「人を優遇する思想……? だからって、どうして人以外を冷遇する必要があるんですか? そもそも、アイリーンさんもシオもグレイ爺もギンも、同じ生きているひとだと思うし、そこには上も下も無いんじゃないですか?」
「そう言えるのはきっと、レイだけだろうな。世界には人の数だけ考え方があって、意見がある。グレイの爺さんも言ってただろ? レイがそれを正しくないと思っても、この世界の住人の大半はそれが正しいと思って生きてる。正しさだけを振りかざしたところで、行き着く先はグレイの爺さんと同じ結末だ」
「でも……」
「レイ君がそう思っていてくれるだけで、私は救われるわ。きっとグレイもそうだったんじゃないかしら?」
人類至上主義に腹を立て、それはおかしい、と声を上げられる人間が王国にどれだけいるものか。
冷静なシオに窘められても尚納得がいかない様子のレイが口を尖らせるも、アイリーンの言葉に「本当?」と僅かに機嫌を取り戻す。
平等のためにあるはずのルールが誰かを傷付けるために設けられている、奪うために設けられているという現状を腹立たしく思いながらも、続くアイリーンの言葉に耳を傾ける。
「古くから続く自然すらも斧が手中にしようかと言う傲慢な姿勢は、周りに敵を作り続けていく。いずれ痛い目を見るはずだ、と待って待って、待ち続けてもうこんなお婆ちゃんになっちゃったわ」
「……その痛い目ってのが、王国はまだ見れていないわけだ」
向かい風を跳ね除けても尚余りある力が王国には存在しているのだと、暗に言ってのけるアイリーンに
シオは呆れた様子で鼻で笑う。
「存外、人の世は長生きしているの。嫌になる程ね」
「人以外を排除するって言うのは、どうやって判別しているんですか? 僕にはアイリーンさんもシオも同じに思えるんですが……」
レイにとって人の区別と言うのは、魔物か、それ以外かの極めて大きな括りでしかなかった。シオに言わせてみれば大雑把でしかない。何せ、憎むべき相手もまた人として認識しているのだから、困っていた。
「レイ君みたいな人がいてくれるだけでも、私たちにとっては救いなのよ。人かそうじゃないかは、王国国民かそうでないかに分かれるの。王国に認められた人が人間で、それ以外は排除の対象。そしてその判断を下すのも、また人間。根底から破綻している条件の下で、王国の国民になろうと必死になる人たちは多いのよ」
「そりゃあつまり、王国の匙加減一つで国民かそうじゃないかを分けられる可能性があるってことじゃねぇか。そんなん条件でもなんでもねぇ、ただ国に従順な人形を選別しているようなもんじゃねぇか」
「……そうね、自分たちの言う事を聞く人間だけを選んで、それ以外を敵と見做すなんて、人の中での上下関係がその時点で決まっているのもおかしな話よ。でももっとおかしくて厄介なのが、そうして人間と名乗り、人間ではない存在として扱われる人を虐げることが大好きな人間――、偽物の悦楽を享受する人間がとても多いと言う事ね」
それもそのはず、国を国足らしめるのは人である以上、王国を名乗れるだけの国力を保持するだけの国民がいなければ立ち行かない。それはつまり、人類至上主義に賛同し、その後ろを着いて歩く人間が王国たらしめる数の国民が存在していると言う事に他ならない。
酷い選民思想を耳にして、目の当たりにしても、レイはそれを冷静に受け止められた。
村人の態度を見ていたからか、荒唐無稽な話だと跳ね返ることもなく受け入れられたが、その人類至上主義は間違いなくレイとシオを排除するだろうとグレイ爺に言われていたからだろう。
グレイ爺が外の世界を知らずに生きていってほしいと願う理由が良く分かる。
レイが感じた外の世界は、笑顔を忘れてしまいそうになるくらい暗い淀みで、見捨てる方がずっと簡単で楽な道だと納得できる。
多種族、シオやギンを排除して、グレイ爺やアイリーンと言った罪のない人たちを迫害し続ける世界に、光明なんて、希望なんてない世界であれば、幻想種と共に生きる幻想の森での生活の方がよっぽどマシであるとすら思える程。それでも、姉を奪うような世界も、恩人を捨てた世界も、どちらとも不愉快であることに変わりはない。
そのどちらとも、人の意思が介入したせいで汚れているという点では一緒で、レイとシオは揃って反吐が出そうな表情をしながらも、アイリーンの話に黙って聞き及ぶのだった。
レイを抱き締めてよしよししてあげたい。




