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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第三章 想いの継承、世界と人の業
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57話 歩み寄る

読んでいただきありがとうございます。

本日二話目。

 



『シオちゃんは村に行かない方がいいわ』

『――シオ、ちゃん……!?』


 一週間ほど前に見たシオの驚愕に震えた面持ちは、一週間と言う時間が経っても尚思い出して笑えて来るくらい傑作である。当然、シオを前にしては存分に思い出し笑いをすることができないため、レイは今村に一人でやって来ては、ジェニーの料理が出来上がるまでの限られた時間で堪能するのだった。


 アイリーンの言う通り、レイの傍らにシオの姿がなければ初日のように出合い頭に武器を向けられるような状況には陥らない。監視の視線は感じられるが、それ以上に手を出してくる様子はない。


 森の深層においては常に魔物からの観察する視線と殺気を浴び続けていたからか、レイにとっては力のない村人の視線など恐れるに値しない。むしろ、食堂に顔を出すたびに「ヒぇッ!?」と驚き露骨に嫌な顔をされて逃げ出される方がずっと傷つくものだった。


 出会って早々に村全体に響くような悲鳴を上げられるよりかは幾分かマシと言えど、肝の据わった母親とはまるで違う。


 調理場から娘の金切り声に軽口で応対するジェニーの声を聞きながら、初日の騒ぎの謝罪に加えて昼食の調達に向かった日の会話の内容を思い出す。


『えぇと、ジェニーさん』

『おや、覚えてくれたのかい? と言うか、自己紹介がまだだったね。あんたの言うとおり、アタシはジェニー。この村じゃ客の来ない食堂で有名なジェニーさんと呼びな。そんで、あっちで縮こまって職務放棄するのが、自称看板娘のメイラ。アタシの娘さ』


 小遣い減らすよ! とメイラに向かって叫ぶジェニーに対して、顔面を真っ青にして激しく首を左右に振らすメイラ。


『ジェニーさんは、怖くないんですか?』


 やれやれ、と肩を竦めるジェニーに対してレイは素直な疑問をぶつける。

 村人やメイラのように、関わり合いたくないと忌避し、嫌悪するのが、恐らく正しい反応。大多数の人に同調することが正しいのだと、幻想の森で嫌と言う程知っているからこそ、ジェニーの異端な立ち居振る舞いが気にかかった。


 幻想の森では、レイを――、下級区の人間を見下すのが普通、当たり前。




 ――皆が受け入れる()()()を断った。

 だから病人を、弱っているお前の姉を痛めつけてもいいんだ。




 かつて歓楽区にてレイが「どうしてこんなことをするのか」と尋ねたところ、そう返ってきたのを思い出した。その言葉に自分の意思は無く、ただ流されるがままに生きている存在に腹が立つのと同時に、過去に()()()を受け入れていたレイもまた、同じような考えをしていたことを理解する。

 歓楽区の人間も皆、それが正しい事だと疑わずにやっているのだと。その日は、正しい事が何なのか分からなくなって、ヒジリに泣きついた事を思い出す。


 ゆえに、目の前のジェニーが他の村人とは異なる、()()()()()行動をとる理由が分からなかった。こうしてレイやアイリーンと接することで、幻想の森でのヒジリやレイと同じように立場が悪くなってしまうのを理解していないようには思えないジェニーに対して、レイは不安げな視線をジェニーに向けるのだった。


 注文を聞きに来ただけのジェニーにそんな事を尋ねるものだから、ジェニーは困ったように眉根を下げたのち、穏やかに眦を下げレイの頭に手を乗せる。


『あんた、周りをよく見てるんだね。そんな小さいのに。……ま、安心しな。アタシはあんたを怖がったりしないさ。大事な客だしね。それに何より、アタシは自分より小さい相手を必要以上に怖がることも、侮った態度をとるつもりもない。レッテルも風評も、自分の目で見て確かめるのさ』


 その上であんたは良い子だからね、と頭を撫で回す柔らかくも頼もしい手の平からは、グレイ爺が口を酸っぱくして言い聞かせた、揺ぎ無き信念と言うものを初めて実感するのだった。ただ一つ、小さいのには余計じゃないのかと密かに不満を漏らした。


 アイリーンもまた、ジェニーは「この村で誰よりも大人で、見習うべき存在よ」と手放しで称賛しているくらいだ。


「――あいよ、待たせたね。熱いから気を付けるんだよ」


 回想に耽っていると、鍋に加えてサラダとパンが入った籠をレイの目の前に並べるジェニー。


「今日も美味しそうだね、ありがとう。これ、お代です」

「あいよ、ちょうどね。また感想頼むよ。……それと、この村にも騎士が来たことは知ってるかい?」


 ジェニーの言葉に、レイは同意を示す相槌を返す。

 けれども、昨日のアイリーンの様子からして、騎士には自ら好んで接近しようとは思えない存在でもあるが、無視できる、無視してもいい存在とも割り切れない。


 それもこれも、レイもシオも相手を知らないから。騎士がなんなのか知らないが故の判断であった。


 そう考えると村人もまた、レイとシオを知らないからこその遠巻きで監視するだけの判断なのだろうと思うと、今も調理場の陰から覗くメイラの姿に思わず苦笑が零れてくる。


「その様子じゃ、アイリーンの口から何も聞かされていないようだね。まぁ、アタシの口から言う事でもないけど、知りたいのなら教えてやろうかい?」

「ううん。アイリーンさんの口から聞きたいから、大丈夫です」

「ありゃ、振られちまったねぃ。今はちょうど騎士どもは出払っているから大丈夫だろうけど、くれぐれも騎士には気をつけるんだよ。……アイリーンのこと、頼んだよ」


 弾むような足取りで食堂を後にするレイの背に、今の声が聞こえたかどうかは不明だ。聞こえて無くてもいい、とは割り切れず、口に出している以上届けたい思いではあるのだが、面と向かって言える程の仲ではない。肝入りのように見えて、実は繊細であるジェニーは、自分の料理が無事に彼女の元に届くことを祈るばかりだった。


 半年に一回程、寝静まった村で二人きりの時間を設けて飲み交わす程度の関係。ここ最近はすっかりメイラもセリカも大きくなったせいか、そんな時間を取ることも無くなっていた。

 村では数少ない同じ年代の女の子の子供を育てる母親として彼女の悩みに向き合ってきたつもりだったが、結局アイリーンは心の扉をジェニーに開くことは無かった。

 友人という関係すら築けなかったジェニーは、アイリーンが自分に微かな引け目を感じているのを理解していたからこそ、踏み込んではいけなかったことを後悔していた。


 けれども、あの少年がやってきてからというもの、一か月に一度の頻度でしか食べに来なかった彼女が、少年と共に毎日料理を食べてくれる。そして、少年の口から聞かされるアイリーンの話はどれも自分の知らない一面ばかりで、少なからず少年に対して大人げなく嫉妬していた部分はあった。

 けれどもそれは決して醜いものではなく、アイリーンだけでなくジェニー本人もまた、アイリーンという一人の女性を見れていなかったことを気付かされたからだった。


 村長が感じる恩義からでもなく、ただ純粋にこの村で唯一のアイリーンの理解者となり得たかもしれない未来に嫉妬し、そんな思考が相応しくはない、と潔く頭を振って汚れを振り落とす。


「……頼んだからね」


 今はただ、アイリーンと少年を支える立場でいよう。

 溜め息を吐くように、もう一度呟く。


「騎士様方、本日は戻って来られるのかしら」

「……あんたはしばらく小遣い無しだからね。庭の掃除してきな」

「えぇ!? あたしはいつだって騎士様が戻って来られてもいいように綺麗なままじゃないと――」

「――いいから行ってきな!! ついでにアルドとメグの様子も見てくるんだよ!」

「はぁい」

「ったく、誰に似たんだか……」


 眉間を抑えて、騎士に首ったけとなった娘の背に深い深い溜め息を吐くジェニー。

 恋多き年頃とは言え、セリカとジークを見て真似するようにアルドと付き合い始めたのならば、少しは落ち着いてほしいものだと憂うと同時に、騎士がこの村に、そしてアイリーンに目を付けたことを恨むジェニーなのであった。
















 ジェニーの言う通り、騎士の影も感じることなく村を後にしたレイはアイリーンの家へと急ぐ。

 三角屋根の上で日向ぼっこをしていたシオがレイの帰還に気が付くと、手に持った鍋と腕に下げたバスケットに興味を示すが、レイの厳格な視線を前に無作法にも齧り付くような真似はしない。


 初日にアルコイリスのフライのサンドを盗み食いされた件でレイにこっぴどく叱られたため、シオは我慢を覚えたのだった。今も口端から零れる涎を舌で舐め取っている次第だが、その空腹こそが最高の調味料だと気付いてからは、レイにお預けされる瞬間もまた楽しんでいるようだった。着々と変態への道を進むシオの姿を見て、グレイ爺も草葉の陰から羨ましそうに眺めていることだろう。


 そうして始まった昼食は穏やかなもので、レイが持ち帰ったジェニーお手製の肉巻葉(ロールキャベツ)と卵ソースのかかったサラダを口に運ぶアイリーンは、昨日の暗澹とした様子とは打って変ってにこやかに食事を楽しんでいた。


「――ジェニーは、昔から変わらないわ。辺境の農村なんて、閉鎖的で排他的。余所者なんて絶対に受け入れられない環境で、ジェニーは己を貫くことで受け入れさせたわ。今思えば、まだ赤ちゃんだったメイラを育てるために必死だっただけかもしれないけれど」


 ナイフとフォークを使って丁寧に肉巻葉(ロールキャベツ)を食すアイリーンの姿は、それだけで絵になるような美しさで、レイの口から聞かされたジェニーの話に懐かしむ様子で過去を思いやる。


 その真正面では、ナイフを使って器用に食べることのできないレイがフォーク片手に野菜出汁と肉のうまみがしみ込んだ肉巻葉(ロールキャベツ)を火傷に注意しながら口に運んでおり、更にその横では、鍋に頭を突っ込んで貪るシオの姿があった。


 そんなお昼の時間が、レイが来てからの賑やかな昼食の図が、アイリーンの日常になりつつあった。


 ゆえにこそ、その日常を壊そうとする騎士の存在に、アイリーンは過去に消したはずの火種が再び燃え上がるのを自覚する。

 それでも、その感情の揺らぎをおくびにも出さずに、いつもの昼食が終わり、食後のティータイムに移る。


「騎士の事、教えてくれますか」


 ミルクを入れた紅茶で喉を潤したレイが、恐る恐ると言った様子で尋ねる。


 昼食の際も、何かを伺う視線に気付いていながらも見て見ぬ振りをして、アイリーンは穏やかに食事に専念した。

 けれども、昨日の一件が嘘のような応対をするアイリーンが無理をしているのは明白。違和感しか感じられていなかったレイは、聞かずにはいられなかったのだ。またそれと同時に、聞かねばならない、とも直感していた。


 カチャリ、と音を立ててアイリーンの手から離れたティーカップは、微かに波立っていた。

 それはアイリーンの心情を現しているようで、レイはその感情の正体が「怒り」であることも見抜いていた。

 その感情がレイではなく、騎士に向いていることも、理解していたとは言え、想像を絶する感情の波にレイは吞まれてしまいそうになる。


 けれども、ここで怖気づくわけにもいかず、レイは意を決して口を開いた。


「僕には、姉がいました。……大切な、姉がいました」

「レイ君……?」


 意を決したとは言え、その声は耳を澄ませていなければ聞こえないような掠れ声で、アイリーンの触れられたくない過去に触れるのであれば、と思わず漏れたような、そんな声だった。


 それでも、アイリーンはレイの声を耳にして即座に己を律し、感情を抑える。ぶつける相手は、違うと分かって。


 だが、長い年月を生きてきた大人とは違い、外の世界に触れて初めて生を知ったレイの精神は今も幻想の森に囚われたまま、姉の事を、ヒジリの事を口にして思い出すたびに、涙が零れて仕方がない。

 いくら強がったとて、乗り越えるべき過去の傷はその機会を失ったまま。

 在るはずなのに無い。無いはずなのに在る。

 今のレイにとってヒジリのトラウマと言うのは、そのような矛盾の塊だった。強がることで、乗り越えたように見せかけるので精一杯な現状だった。


 モウちゃんとカウちゃんと言う家族の死を超え、グレイ爺と言うかけがえのない恩人の死を受け入れてきたレイであったが、それでもやはり、命よりも大事だったヒジリの死は、命が奪われたと言う事実は、何年経とうとも払拭できない心の傷。

 それは最早、ガリウスに付けられた額の傷よりもずっと深く、大きく、けっして治すことのできない傷だからこそ、レイは今まで我慢してきた。治らないのであれば、忘れようと。感じてない振りをし続けてきた。

 だが、こうして誰かの心の傷に向かい合うためには、自分の傷を見て見ぬ振りをしたままでは、失礼に値する。自分のこの傷を不用意に踏み荒らそうとする相手を、レイは許さないだろうから。ヒジリの生きた証を否定する者に、奪われた上に尚も奪おうとする相手を、レイは絶対に許さないだろうから。


 それこそがアイリーンの感じている怒りだと言うのなら、お互いに歩み寄る術が必要。

 だが、アイリーンはレイに対しては心を開いているように見えて、その実、娘のセリカにすら心を閉ざしたまま。このままではレイにすら心を開くことは無いままで、恐らくグレイ爺にしか心を開くことができなかったのかもしれない。そうせざるを得ない過去を持つからこその自己防衛は、レイもまた似た経験を持つからこそ共感できた。


 自分の心が壊れないために、自分の体を傷付けようとした過去があるからこそ、アイリーンは自分の心に、過去に何人たりとも触れさせないし、近寄らせない。それが例え家族であったとしても。


 ならば、レイの方からアイリーンに近付いてきてもらう事しか、考えられなかったのだ。



 ――その行為が、自分で自分の傷を開く行為だとしても。



 テーブルの下では、レイが苦しい思いをし続けてきたことを知るシオがレイの手を絡み取り、何があっても離れない、という固い意志を伝えてくる。


 そんなひんやりとしたシオの体温に励まされ、テーブルの向こうから心配そうにレイを見つめるアイリーンに向かって頭を上げ、逃げることのできない過去と、正面から向き合う。


 大きな深呼吸を一つして、二つして。

 絶対に口外するつもりは無かった、誰かに打ち明けるつもりは無かった思いを、自分のため、アイリーンのためにレイは血反吐を吐く思いで言葉を絞り出した。





「――自分の命よりも大切だった姉さんを、僕は……ッ、僕が、殺したんです――」





 苦しみの果て、口にすることさえ心に極度の負荷を与えるような発言は、すました顔で絶対に動揺を悟らせないはずのアイリーンに動揺を与え、心を震わせる。

 同時に、腰を浮き上がらせるほどの衝撃を与えるのだった。




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