51話 アイリーン
読んでいただきありがとうございます。
本日三話目。
「……はい、グレイ爺は、亡くなりました」
アイリーンの問いに、レイは姿勢を正して答える。
過去にグレイ爺が称えたアイリーンの瞳、黒真珠の瞳をしっかりと見据えて告げる言葉は真剣そのもの。
決して言い淀むことなく、その死を背負ってアイリーンに向き合った。
アイリーンに心配かけまいと繕っている様子も、グレイ爺の死を引きずる様子も見られない。
かと言ってグレイ爺の死を忘れたわけでは無く、しかと受け止めた上で乗り越え、その意思を受け継いでいるように、アイリーンには見えた。
アイリーンがレイと同じ年の頃、果たしてここまで冷静に大切な人の死を受け入れられていただろうか。アイリーンもまたグレイ爺同様に悲惨な過去を持つ故に、過去が頭を過るのだが、今もまだ引きずっている状況を鑑みて、目の前でしかと前を向く少年がとても眩しく見えて仕方がなかった。
だが、同時にそれが少年の未来にのしかかる負債になるのではないか……、なってしまうのではないか、と言う不安がよぎる。
「……」
過去に愛した夫、グレイが亡くなった事実はアイリーンにとって察することができない事象ではなく、アイリーンからすれば愛した男の調子くらいは見透かせるのが女というものだった。
目の前の前髪の長い少年と、排斥され絶滅したと言われている幻想種。
その特異なペアである彼らが森から出てきたと言う事は、つまりそう言う事なのだろう、というのは想像に容易いものだったためそこまでの驚きはない。
――遂にこの時が来た。
その程度の感慨深さはあれど、取り乱すほどではない。
数年前から、一年に一度決まった月の日に必ず訪れていたグレイから聞かされていたのはレイとシオの話だけでは無かった。
『ワシは、もうじき死に逝くだろう』
死期を悟ったグレイの言葉の通り、彼は死んだ。
アイリーンに何かを遺すでもなく、ぽっくり死んだ。
文句の一つや二つ言い足りなかったアイリーンだったが、話に聞く少年がやってきたことでグレイの死を悟ると同時に、グレイが少年に背負わせた意志と言う負債に腹を立てていた。
(――大人が次代を担う子に押し付けていいのは責任でもなければ負債でもない。許されるのは、夢だけなの。夢だけなのよ、グレイ。それを知っていたからこそ、この子を助けて、育てたんじゃないのかしら。……けれど、あなたが私たちにも見せなかった弱さを引き出したのがこの子なのだとしたら、それは紛れもなく、私達があなたの弱さを見て見ぬ振りをした責任。あなたを愛した妻の負債になるでしょう。だからこそこの子には、私達とは違う、自分の人生を生きてほしいと、私は願う……)
真剣な様子を横目に、シオはレイの手が止んだ隙にクッキーを頬張る。
そんな光景を視界に収めながらアイリーンはレイの傍に寄って、レイの口端に付いたままのクッキーの欠片を指で摘んで自分の口に運ぶ。
「あっ……」
「頑張ったのね。偉い、偉い」
レイがグレイ爺の意志を、負債を背負っていると言う事は、グレイ爺の妻であるアイリーンですらも引き出すことが叶わなかった弱音を、目の前の小さな少年は引き出して見せたのか、と多少の嫉妬心がアイリーンの心に芽生える。
けれども、レイの初心な反応を見るにあたって、そのような斯様な邪心は浄化され、アイリーンは自然と伸ばした手でレイの頭を優しく撫でる。
自分よりも長く、過酷な人生を生きた老人の思いを引き継ぐことはアイリーンが「負債」と称しただけあって想像以上に苦痛を伴うだろう。その苦痛はこれから先、レイの行く先で重く圧し掛かることになるからだ。
だが、それを承知で背負うことを決めた目の前の小動物のように可愛らしい少年の心の強さに、庇護欲のようなものが湧いて惹かれつつあった。その心の強さを得るに至るまでの苦労を称えるように頭を撫でるアイリーンであるが、今すぐにでも抱き締めてしまいたい欲求を必死に抑え込んでの行動だった。
初対面の女性に頭を撫でられるという状況に体を強張らせたレイだったが、その手付きはグレイ爺のように乱暴に撫で回すでもなければ、ギンのようにただ肉球を額に押し付けるでもない、慈愛に満ちた様子で自分の髪を梳くように撫でられる感覚は、ヒジリと似た温かさ、穏やかさを感じる手の平に、レイは無意識に頭を押し付ける。
「え、えへへ……」
今を生きる人間には持ちえない心の強さを褒め称えていたアイリーンだったが、突如として俯きがちに頬を染めて自分の手に身を委ねようとしてくる少年に、嫉妬心とはまた別の邪な感情が顔を出す。
(かっ、かわいい……! かわいいわ! この子……!!)
にへにへ、とヒジリとは似て非なる柔らかくて癒される時間に没頭しているレイを見て、大人の女性の余裕が瞬く間に崩れ去ったアイリーンは潤んだ瞳でレイを見つめる。そうしていると視線を感じるため視線を感じた方に目を向けると、そこには口いっぱいにクッキーを頬張ったシオの姿が。
レイの保護者として、危険な未亡人から引き離さんとしているのか!? とレイを自分の物にしようと企むアイリーンに対して、幸せそうなレイの顔とアイリーンの動揺した顔を見比べて、にやっ、と口端と目じりを吊り上げて笑う。
(可愛いだろ、うちのレイはよ――)
――なんて良い笑顔を浮かべるものだろうか。
もしもシオに腕が、手が付いていたなら、良い笑顔に加えてとびっきりのサムズアップまで加わっていたに違いない。――否、アイリーンの目にはシオの最高の笑顔に加えて、間違いなく最高のサムズアップまでが見えていたのだった。
口端を上げるシオに同調するように蕩けた笑顔で頷き返すアイリーン。
レイには見えないところで、固い絆を確かめ合うように、お互いの意識の中で固く握手を結ぶアイリーンとシオ。
知らぬ間に保護者同士が固い結束を結んでいることも知らずに、レイはアイリーンの温かな手の平を堪能するのだった。
「――それでね、グレイったらいつも急に来るんだから困っちゃうの。まぁでも、惚れた弱みって言うのかしらね。二十年近く会っていなかったからか、会ってしまえば簡単に許しちゃうのよね」
レイとシオの誕生日間近になると訪れるグレイ爺に愚痴の一つでも言ってやろう、と息巻くも、アイリーンはグレイ爺の顔を見るだけで許してしまう。
そんなレイとシオも知らないグレイ爺の話を興味深く聞いていると、突然玄関の扉が開く。
「……誰」
ドアが音を立てて閉まると同時に、竜気の高まりを肌で感じ取ったレイが椅子から腰を上げようとするも、向かいに座ったアイリーンによって止められる。
「あんたの知り合い?」
シオに向けられていた敵意も、アイリーンがレイの代わりに腰を上げたことでアイリーンにターゲットが移り変わる。アイリーンに良く似た少女の口調がどこか軽薄な問いのように聞こえたのは、レイの気のせいではなさそうだった。
アイリーンと同じ濃紺の髪は短髪で、黄土色の瞳は角度や光の加減によっては金色にも変わる輝きを秘めているのだが、今その目に宿る輝きはどこか濁っているように見える。
アイリーンよりも大きな背と長い手足は薄く日に焼けており、鼻の頭から頬にかけて散るそばかすは吊り目がちな目つきをさらに際立たせている。
無表情の中に不愉快さを滲ませる少女は、レイとシオに一瞬だけ視線を向けた後に、小さく鼻で笑ってアイリーンに食ってかかる。
「村で騒ぎになってたのはこいつらね。そんなだからあんたが魔女って呼ばれるんでしょ。あたしにも迷惑がかかるんだからいい加減にしてよね」
「彼はレイ君。グレイが、面倒を見ていた子なの」
「……あのクソジジイの、ね。――チッ」
グレイ爺の名前が出るや否や、露骨に不機嫌になる少女はもう一度レイを見やると、今度は見下したような目を向けた後に、聞こえるように舌打ちを打った。
「これ今日の分だから」
「――セリカ! 挨拶くらいしなさい!!」
投げ捨てるように革袋をテーブルに置いた少女は、アイリーンの必死の怒りも聞こえないばかりに二階へと上って行ってしまうのだった。
「はぁ……。ごめんなさいね。あの子が、私とグレイの娘。セリカって言うの」
その言葉に、こちらを睨みつけたセリカの目がグレイ爺と同じ金色の瞳をしているのを思い出す。
目の前のアイリーンとは異なる体つきに加え、僅かに感じた竜気の気配。
ほんの一瞬だけ向けられた竜気がセリカの体から放たれたものだと気付くと、グレイ爺の子だと言うのが良く分かる。
だが、アイリーンが語るアイリーンとグレイ爺、そしてセリカの関係は、家族と言う言葉で済ませられるような簡単なものでは無かった。
――セリカが生まれたのは、グレイ爺が帰らずの森に身を潜めた次の年だった。
グレイ爺は、アイリーンのお腹に新たな命が宿っていることを理解していながら森に入る。身重のアイリーンを一人にしたのだ。
今となってはそれが自分の後悔であると理解していたものの、当時のグレイ爺に後悔する余裕はなく、また、アイリーンにもグレイ爺の弱い部分を支えてやれるだけの余裕がなかった。
アイリーンはこうして農村から離れた場所に暮らしていながら、村長やジェニーと言った数少ない理解者の支えもあって、二十年もの時間をかけてたった一人でセリカを育て上げた。
だがそんなある日、セリカが十五の成人を迎えても姿を見せることは無かったグレイ爺が突然、今さらになってアイリーンに会いに来た。
当然グレイ爺はセリカの事に関して腰を曲げ、頭を下げ、額を地面に擦り付けて謝罪をした。アイリーンは頬を一発殴って怒りを収めたものの、セリカにとっては到底、許されざるものだった。
アイリーンは自身の誇りでもある魔女には関わらせず、異端ではない普通の王国民の一人として、不自由ない暮らしを娘のセリカには送らせてあげようと育ててきた。
だがそれ故にセリカは王国の人類至上主義に感化され、自分を認知せずに捨てた父を父と認めず、そんなクズを許す母もまた異端であると憎悪を募らせていった。
王国の片隅と言えども、魔女として大っぴらに活動できないアイリーンは、魔道具によって作り出した酒を売って生活費に充てている。
その酒売りに関してはセリカに一任していると同時に、売り上げの半分近くをセリカがせしめていることをアイリーンは知っていた。
「――全部わかっているのよ。もうじき、セリカが結婚して家を出ていくことを止める権利は、母親として娘の気持ちの一つも理解できなかった私には無いって言う事も。私はジェニーのように朗らかにはなれないし、セリカに寄り添うこともできないの。魔女としての誇りを失ったことは無いけれど、村人が言うように、魔女が母親の真似事一つも上手くできないんだわ……。同じこと、セリカにも言われたことがあるもの」
――魔女の母親なんて要らない、ってね。
グレイ爺との関係性、セリカとの拗れた関係も全て語ったアイリーンは、悲し気に目を伏せる。
残酷な言葉を叩きつけられた当時の記憶を蘇らせているのか、苦痛に満ちた表情を浮かべる。
だがそれも束の間、すぐに乾いた笑みを浮かべる様子を見て、レイは悔しく思う。
本当ならば、今すぐにでもセリカの部屋に乗り込んで謝罪を要求したいところだが、その想いをグッと堪えて立ち止まる。レイが何か口を挟むことで余計アイリーンとセリカの間に埋まらない溝を生んでしまう事を理解していたからこそ、歯噛みしてでも立ち止まれたのだ。
だからと言って、レイがアイリーンにかけられる言葉は生憎持ち合わせていない。
慰めになるかもわからない言葉ばかりが浮かんでくるが、そのどれもがこの状況では薄っぺらく思えて、アイリーンの心を癒すことはできないと簡単に判断できる。
これがもしグレイ爺だったならば……。
セリカの父、アイリーンの夫であったのならば、何を言えたのだろうかと思考を巡らせるも、元はと言えばアイリーンとセリカの不仲の原因はグレイ爺にあるものだと思い出す。
シオもまた同じ結論に至ったからか、同じく歯噛みして眉を寄せ合う結果に。
「……ちょっと暗い話になっちゃったね。夕飯の支度に入ろうかしら。二人は何か食べられないものとかあるかしら」
すっかり冷めてしまったティーカップの淵をつつつ、と指でなぞっていたアイリーンが作り笑顔を張り付けた顔を上げて提案する様子に、身を乗り出しそうな程に張り切って返事をする。
「なんでも食べます!!」
「そ、そう? それじゃあ、お手伝いもお願いしていいかしら。四人分も作るのなんて初めてだから緊張しちゃうわ。腕によりをかけて作らせてもらうわね」
フンス、と鼻息荒くして立ち上がり腕まくりするレイに反して「美味いモン頼むぜ」とソファに飛び込んでいくシオに目をぱちくりさせるアイリーン。
その後、レイと並んで楽し気に調理に取り組むアイリーンの様子に、先ほどまでの暗い様子は見られなかった、と観察していたシオから耳打ちされて喜ぶレイなのであった。
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