50話 最後の妻
読んでいただきありがとうございます。
本日二話目。
「――キャアァァァァ!!!!!!!!!」
「っ!?」
「んなっ、なんだいなんだい!?」
声のする方、食堂の入り口に顔を向けると、レイの方を指差して腰を抜かす少女の姿が。
テーブルの反対側に座ってシオの食べっぷりに感心していた女性の面影が残る少女の絶叫に吃驚して、椅子をひっくり返して転がった女性の元にレイは駆け寄る。
あ、あ……、とレイとシオを震えた眼で見つめる少女が地面に腰を付けたまま後退っていく中で、シオは我関せずと言った様子で今も口の中のアルコイリスフライのサンドに舌鼓を打って、堪能していた。
腰を擦って立ち上がる女性に手を貸すと、少女の悲鳴に駆け付けた村人たちがなだれ込んでくる。
何事か、と駆け込んできた男たちの手には武器として農耕具が握られており、狭い入り口を封鎖するようにあっという間に人の壁が出来上がる。
先ほどまでは村の入り口にも畑にも人影も感じなかったと言うのに、一体これだけの人数がどこにいたのだろうか、なんて武器を向けてくる村人たちに視線を向けると、集団の中から一人の村人がレイを指差して声を上げる。
「あ、あいつです! 嘘じゃないでしょう! ば、化け物を連れて――ひいぃ……!」
彼はレイとシオが村の外から声をかけた男であり、その村人はレイを指差して一歩前に出たかと思うと、目が合った途端意気込むのも程々に尻すぼみして引き下がっていく。
その声に他の村人たちは警戒を強めた様子で、腰を入れて農耕具の先端をレイに、シオに向けてくる始末。
レイは一体自分が何をしたのか心当たりがない中で、竜気を纏う準備に入る。
村人が束になって勝てるのは森の低層の魔物がやっと。そんな村人が何人束になろうとも、レイ達の敵ではない。農耕具というまともな武器でもない道具を構え、目は泳いで腰が引けた状態の村人を見てそう判断したレイは、この状況をいかにして抜け出すか、ということしか考えていなかった。
なるべく怪我はさせないように、と眉を顰めた様子のレイを警戒してか、村人の集団の中から一人の青年がレイに近付いてくる。
「お、お、お前っ、何者だ……っ!? て、抵抗するようなら、痛い目にあってもらう、ぞ!!」
土で汚れた農耕具の先端をレイに向けながら、アルコイリスフライのサンドを飲み込んで満足そうにしているシオを横目でちらちらと警戒する青年。
青年は恐怖に震えた声をしながらも、その目は同じ人に向けるようなものではなく、唾棄すべき嫌悪の塊のような目を向けてレイとシオの両方を交互に睨みつける。
その視線は、かつてレイが幻想の森で嫌と言う程浴びせられた邪悪な視線と多少の違いはあれども同じもの。侮蔑の視線が、忌避の視線に変わったようなものだった。関わりたくない、とどの村人も不幸を呪っているかのような姿に、レイは不快溜め息を吐いた。
グレイ爺とギンが良く言っていた「外の世界は良いところではない」と言う言葉が良く分かるこの状況に、レイの目からは熱が奪われていく。つい先ほどまで食べ物を前に輝かせていたとは考えられない程に冷たい目線は、村人たちに無言の圧をかける。
女性から離れたその手が肩にかけた弓に伸ばされようとしたその時、突然村人の壁が割れて、間を通って一人の女性が現れた。
「――ごめんなさい、彼は私の客人なの。騒がせたわね」
声は女性だが、その全貌は外套に包まれていて分からない。
フードも目深に被られたままで、艶っぽい唇が辛うじて見える口元は非常に若い女性のように見えた。
一瞬にしてレイとシオに集中していた視線を掻っ攫ったその女性は、レイの耳元で着いてきて、と囁く。初めて嗅ぐ薬品の香りと爽やかで大人っぽい香りが混ざり合ってレイの鼻先をふわりとくすぐったかと思うと、細くてしなやかな指がレイの手を取る。グレイ爺のごつごつとした固い手の平とは違って、ヒジリのように華奢で柔らかな感触にレイの胸は微かに高鳴る。
近付かれても体が強張ることが無かったのは、そのフードの女性にレイを害する意思、敵意がなかったからなのか、レイは村人たちの警戒も忘れて呆然とその手に引かれていく。
「ジェニーさん、お代は置いていきますね」
空いた二枚の皿を目にした女性が外套の下から巾着を取り出すと、食堂の女性の前に音も立てずに置く。
よく見れば、空になったはずのシオの口がいつの間にかパンパンに膨らんでおり、レイの皿の上にあったアルコイリスフライのサンドは付け合わせのサラダまで全てが無くなっていた。
シオの方を睨むより先に、女性に手を引かれて歩き出してしまうレイは、レイの荷物を尻尾にぶら下げたシオが後から着いてくるのを黙って眺めるしか出来なかった。
「騒がしくしてごめんなさいね。後で村長さんには私から謝りに行くから」
「は、はい……」
そう言って女性が声をかけた先は、レイに向かって一歩踏み出してきた青年。
レイに向ける目線とは異なる眼差しで女性を見上げる青年の横を通り過ぎる際、左右に広がった男たちの視線を最も集めたのは、レイの手を引く女性であった。それは断じて良い意味ではなく、レイに向けられた人でないものを見るような目をより色濃く人の悪意だけを抽出したかのような、醜悪な目線ばかりが目の前の女性には降り注がれていた。
それは、幻想の森で同じ視線を浴びたことのあるレイだからこそわかる、無自覚の悪意。
レイならば悪意をぶつけても良いと分かって見下し、石を、泥を投げる行為と何ら変わらない無言の悪意。
その目線がどれだけ痛いかを知っているからこそ、レイは周囲の村人を心の底から軽蔑する。
目の前の女性がレイを助けようと動いてくれたからではなく、感嘆に人を傷付ける行動が取れる村人たちに対して、レイは興味を失うのであった。
女性の後を着いて歩くレイの視線に気づいた村人たち数人はそそくさと目を逸らすが、それに噛みつくような真似はしない。当人が気にする様子もなく前を歩いているから。
口の周りに付いたソースを舐めて満足げに後を着いてくるシオだけは、後でしこたま文句を言ってやろうと心に決めながら、女性の後を着いていく。
向かう先は、門扉のない木組みの門。村を完全に出るまで背中に刺さるような視線を感じ続け、崩れた石畳の上を歩いていく。
「……今の村人は、気が立っているの。許してほしいとは言わないけれど、私からはありがとう、とだけ言わせてもらうわ」
「……怒った方が、いいです」
こちらが何も返してこないと思われれば、ああ言った人の悪意はどんどんと加速していく。
歓楽区の連中が、シュウを倣って暴力を振り始めたように。
(――あぁ、外に出た途端、嫌な思い出ばかりを思い出す。グレイ爺とギンが言っていたのはこう言うことだったのかな)
レイの言葉に微かに反応を示す女性だったが、レイとシオからは外套に包まれていて正確な反応を伺うことは出来ない。
それ以降の会話はないまま、手を引かれるまま街道を外れ、平原の丘、小さな林を超えて辿り着いた先は、村にも流れる大きな河川が臨める小高い丘に立つ、二階建ての家だった。
庭先に植えられた歪な木は、葉が茂るはずの季節だと言うのに枯れ木のままなのが気にかかったが、どうぞ、と招き入れられた家の中からはふわり、と薬品の香りが鼻孔をくすぐった。
「好きにかけてちょうだい。今お茶を淹れるから」
ウッドスタイルで統一された家具の配置は異なれど、デザインや趣向はどことなく見覚えがある、初めて訪れたとは思えない既視感に包まれる室内を見回していると、テーブルに備え付けられた椅子に座るよう促される。
四人掛けのテーブルに使い古された椅子は、間違いなくグレイ爺の家の家具と同じで、部屋の中には見たことのある、使ったことのある家具が並べられていることに気が付く。同じ家具を見つける事よりも、異なる家具を探す方が容易いと感じられるほどに相違ないリビングだった。当然小物類は見たことがないものが多くあったが、大まかな家具はどれも見知ったものばかりだった。
ソファと靴棚と……、と見たことのない家具を探して人の家の中をきょろきょろと見回していると、外套を脱いだ女性がレイとシオの目の前にカップを置く。
「うちで作ってる紅茶よ。良かったらどうぞ。そっちの子は、カップで大丈夫だったかしら?」
フードを外した女性は、レイとシオに素顔を晒して穏やかに微笑む。
二人を見つめる黒色の瞳は常に優しく細められていて、敵意など微塵も感じさせない。
シミ一つない若々しい肌と艶やかな唇は柔らかそうで、女性に免疫のないレイの視線は口元に吸い寄せられる。更には、腰まで伸びる濃紺の髪は背中で一つにまとめられており、それがまたミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
隣でシオが「あっち!」と火傷する様子すらも気に留めないで、見蕩れるレイの視線に気付いたのか、女性は悪戯に微笑んで口を開く。
「私の名前はアイリーン、魔女よ。あなたはグレイの子かしら。それにしては随分と若いわね。若すぎるくらい。……森に良い相手でもいたのかしら。私で最後とか言っていたくせに」
自己紹介から自問自答へと派生した女性、改めアイリーンは、テーブルから身を乗り出してレイの顔をじっと見つめてくる。その豊かな胸がテーブルに付く光景に、レイは首まで真っ赤にさせて目を白黒させるのを気にも留めずに、女性が確かめようとレイの頬に手を伸ばす。
訳も分からずに「食われるッ!!」とだけ確信したレイが体を強張らせて固く目を瞑った瞬間、レイの背から伸びてきた天色の尻尾がアイリーンの伸ばした手を叩き落とした。
「悪いな。レイはまだ異性に慣れてねぇんだ。初めてがあんたみたいないい女だと、これから先が困っちまう」
「まぁ……! グレイの血を引いてるとは思えないくらいかわいいのね。触れるのはまた今度にするわ。驚かせてごめんなさい」
「い、いえ……。ふぅ」
けたけた、と笑いながらレイの個人情報を漏らすシオと、目を丸くしたアイリーンに挟まれて、レイは恥ずかしくて茹った頭から湯気を吐きながら背もたれに体重を預けるのだった。
それから、お互いの自己紹介を果たす過程で、レイとシオは先の村で村人たちの気が立っている現状を知る。
「――だから今村は街道の魔女に頭を悩まされているのよ。村人の何人かも、被害に逢っているの。生死不明の状態で行方不明……。殺気立つなって法が無理な話かもしれないわね。そんな時にレイ君に加えてシオちゃんが現れたら、それはもちろん驚かれるものよ」
「シオちゃんって……」
「街道の魔女……。あれ、でもさっきアイリーンさんは自分のこと魔女だって」
「そうね。だから私が村人に敵視されている理由でもあるのよ。私の言う魔女は、生活を豊かにする魔道具の開発と魔術の研究の専門家。対して、村人が口にする魔女は人類の敵。村長とは昔からの付き合いだから抑えてもらっているけど、このままじゃ私もここにはいづらくなるのよね。本当、迷惑な話だわ」
魔法が最盛期を迎えてから二百年と少し。
リリアナ・マクギリスの功績を称えると同時に、彼女の意志を引き継ぎ魔術やその他魔法の地位をおぼやかす可能性のあるものを退廃させる動きが強まったのがおよそ百年ほど前。
竜術、方術、錬丹術、巫術という魔法を超える可能性を持つ技術を軒並み排除した魔法界は、ついに魔術の世界にも浸食し始める。
魔法使いたちが魔術を扱う者を「魔女」と呼び、異端の象徴と化したその日から魔術師たちの生活は一変した。
これまで魔道具を喜んで使っていた人たちが突如として手のひらを返し、魔術師たちを罵るようになったのだ。お陰で魔術師たちは世界中のどこかの片隅で身を潜めるようになり、結果として現代に魔術の形態を用いた魔道具が残ることは無く、魔法使いが生み出した簡素な魔道具ばかりが流通しているのだった。
「アイリーンさんは、良い魔女で、街道の魔女が、悪い魔女……?」
「簡単に言えばそうなるわね。ちゃんと自分の頭で考えられるレイ君は偉いわね」
当然のことを褒められても嬉しくなんてない、なんてことはなく、美しい女性から褒められて口元をもにょもにょとさせるレイをシオは半眼で睨むのだった。
同時に、悲観すべき現実を前にまるで当事者ではない、とばかりに語るアイリーンに疑問を感じたシオがその疑問を思ったまま口にする。
「それにしたって、随分と他人事みたいに言うんだな」
「……もうすぐ、娘が結婚するのよ」
「娘、さん?」
シオの質問に対する答えでは無いように思える言葉だが、それ以上に気がかりな言葉にレイとシオはお互いに目を合わせて固まる。
どう見ても娘がいるような歳には見えないアイリーンの発言に二人の反応を楽しむように微笑むアイリーンとお互いの顔の間で目線を行き来させて首を傾げるレイとシオ。
「あら、家を見回してたから気付いてると思っていたけど……。私はグレイの最後の妻なの」
「「――えぇっ!?!?」」
衝撃のカミングアウトにレイが驚いたあまり椅子から転げ落ちそうになるのをシオに支えてなんとか耐える。
うふふ、と両手を顔の横で揃えて愉快そうに微笑むアイリーンを見て、レイとシオの頭には同じ光景が浮かんでいた。
それは、あのヒゲの老人と目の前のうら若き乙女が並んでいる様子――。
さしもの二人であっても、グレイ爺の女癖の悪さには眉を顰めるしかなかった。
加えて、アイリーンには結婚寸前の娘まで居ると言うではないか。一体グレイ爺はアイリーンが幾つの時に手を出したのか!? と混乱する二人を前に、アイリーンはただ微笑むのみ。
本当は、現在魔道具で歳若いころの肉体を維持しているだけに過ぎないのだが、アイリーンがその事を伝えることは無く、グレイ爺への憧憬を失いつつある二人を見て喜ぶのであった。夫であるグレイ爺のことを理解しているつもりだが、女としては何年も放って置かれた恨みは根強いのであった。
「――毎年決まった日に顔を見せに来たと思えば、あなた達の話ばっかりしてたのよ。だからシオちゃんの事も知ってから驚いたりしなかったわ」
「い、言われてみれば、このクッキー……、グレイの爺さんがレイの誕生日に持って帰ってきたやつと同じ味だぜ……!」
「た、確かに――って、あの日はシオが全部食べちゃったんじゃん! さっきのサンドも!!」
「ちっ、思い出したか」
「食べ物の恨みは怖いって言ったのはシオだかんね!! これは僕が食べるの! さっきからお腹空いてるし!!」
「なぁっ!? それは無いだろレイ! わ、悪かったから俺にもあと一枚、いや二枚……、いや三枚と言わず四枚!」
「全部食べる気じゃん!!」
「あらあら、クッキーならいっぱいあるから喧嘩しないの。うちの子は食べてくれないから、好きなだけ食べてちょうだい」
村人の前で見せた冷たい様子とは打って変わって、シオと子供のようにはしゃぐ姿に目を丸くするアイリーン。それも束の間、手作りのクッキーをこんなにも喜んでくれる二人に、キッチンの戸棚から追加のクッキーを取り出す。
焼きたてではない、僅かに湿気ったクッキーでも「美味しい美味しい」と頬張る二人を微笑ましく眺め得ていたアイリーンだったが、二人が落ち着いた様子を見計らって尋ねる。
今までの穏やかな様子とは異なる、真剣みを帯びたトーンの下がったアイリーンの声音はレイとシオにも伝わる。
「――あなた達が来たって言う事は、あの人は……、グレイは、死んだのね?」




