43話 何でもない日
読んでいただきありがとうございます。
本日四話目。
レイはグレイ爺に、シオはギンに鍛錬を付けてもらいながら、月日が過ぎていく。
レイが夢を語った日から、五年もの歳月が流れた。
十六歳になったレイは、今日も今日とて鍛錬に励む。
「――っ、シオ!!」
「分かってる、よ――ッ!」
攻撃後の隙を狙われて放たれたのは、大木をも両断する風の刃。
それが通り過ぎる直前、風が到達する寸前にレイを攫うようにして滑り込んできたシオに跨ってその場を離脱すると、レイが立っていた場所に不可視の刃が切り裂いた深い跡が生まれる。あんなものを真正面から受けてしまっては、例え竜気の防御があったとしてもひとたまりもないだろう。
目で見える成長と言えば、レイの身長は五年間で約十センチ伸びた。
それも四年前に一気に伸びて以降、それ以上は全く伸びる気配がないまま十六歳になってしまった。見かけだけなら成長の早い十歳と何ら変わらないかもしれない。
そんな身長が伸び悩むレイに対してシオはまた成長を重ねて、元の大きさに戻ってしまえば誰が何と言おうとも「龍」と答えるくらい大きく成長した。成長分だけで言えば、レイの百倍は大きくなっているだろう。
「おいおい、寸止めする気ねぇぞあいつ」
「避けれるって踏んでるんでしょ、多分。……いた! 一気に決めるよ、シオ! 竜気覚醒――」
「おいっ、馬鹿っ、それは囮だッ!!」
「……え?」
レイは自慢の目で木の陰に隠れているのを見つけた途端飛び出していく。
身長の伸び悩みとは異なり、レイの能力はぐんぐんと伸びて、竜気の制御はグレイ爺やギンの数倍の量の竜気を放っても安定して戦えるようになっていた。今ではシオが昇った高高度から飛び降りても怪我一つなく着地できるくらいには頑丈になっていた。
しかし、レイとシオが相対する敵は成長した今でも敵う相手ではなく、シオの声と共にレイの視線の先にあった影は朧になって掻き消える。
「クソっ、囮の魔法だ! この距離からじゃ判別つかねぇよ! 気を付けろ、レイ――」
「そんな、こと、言われても……っ、このっ、わ、わっ、わぁああああああああっ!?」
落ちていくレイに、シオは注意を喚起することしかできない。
なぜなら、シオ目掛けて数多の風の魔法が迫って来ていたから。
もしもこれが本当に命がかかった戦場ならば、シオは間違いなく体に魔法を食らってでもレイを助けに行ったであろうが、これは鍛錬だと割り切っているシオは絶対に無理をすることは無い。魔法を放った相手はそれが理解できるからこそ、最低限の魔法のみでシオを空中に足止めする。
そしてそれは読み通り、シオはその場で身を捩って躱すにとどまり、レイとは距離が離れていく。
上空では無風だったというのに、レイが落ちていく軌道に沿って突風が吹き荒れ、空中で姿勢の制御が奪われていく。
そのままきりもみ回転のように体勢を整う余裕もないまま、地上の湖の真ん中に水しぶきを上げて落下してしまうのだった。
「いてて……!」
湖の上で大の字になって衝撃に喘ぐレイ。
あの高さから無防備に落ちても無傷で済むが、痛いものは痛いのだ。
レイが動けないでいると、広げた両腕を抑えられ、レイの体に影が差した。
『我の、勝ちだな。これで我が950勝0敗、だな』
「むぅ、全然本気じゃなかったじゃん!」
『我がこうして魔法も竜気も用いて戦うのは特別だぞ。他の魔物も人間も、どちらか片方で済んでしまうからな。その点で言えば、レイ、お前は優れていると言えよう』
「そんなこと言われたって結局は手も足も出なかったからなぁ……。千回負ける前に、絶対勝つから!」
いつしか「才能が無い」と憂いて泣いていた子が発する意気込みとは思えない言葉に、湖畔に腰を下ろしていたグレイ爺の目に涙が浮かぶ。
杖を突いてレイ達の元に近寄るグレイ爺は五年前とは打って変わって、活力が薄れた様相をしていた。まるで今にも枯れてしまいそうな程に、弱々しく。
――この五年でレイが最も衝撃を受けたのは、グレイ爺が倒れたことだった。
それも、グレイ爺が倒れたのは、つい先日の事。
何でもない日の夜に、なんの前触れも無く突然、グレイ爺は倒れた。
五年前のように薬を絶っていたわけでもなければ、無理な竜気の運用をしたわけでもない。
ただこれからも続くであろう日常の最中、グレイ爺は血を吐いて倒れたのだった。
その晩は一命をとりとめたものの、グレイ爺本人もギンも、口をそろえて「寿命だ」と言うのみ。
薬でも、魔法でも、竜術でもどうしようもない、生物としての限界。
それを前にして、レイにできることは何ひとつなかった。
『……何を泣きそうな顔をしているんじゃ。ワシはレイの笑顔が見られればそれで充分よ。それでも、まだ何か足りないというのなら、ギンに勝利するところを見せてくれんか。ワシが超えられなかったギンを超え、ヤツの勝ち逃げを防いでおくれ』
この五年間グレイ爺と手合わせし続けても、レイは一度もグレイ爺に勝利を収めることは出来なかった。
負けた数はギンよりも多く、それでも、始めたばかりの頃に右腕一本だったのに対し、直近では竜気と魔力を纏った竜魔闘法を展開するグレイ爺と互角に渡り合うようになっていた。
だと言うのに、今のグレイ爺はその時のような動きは出来ない。
図らずして勝ち逃げする形になってしまう事を、グレイ爺は申し訳なく思っていたのだ。
故に、ギンとの手合わせは一か月前から本気の勝負になっていた。
「次は、勝つから!」
『クカカ、威勢だけは良いな。そろそろ本気を見せてみろ。シオと何か画策しているのだろう? お前達が本気になれば、我も本気で相手をしてやろう』
「ぐぬぬ……!」
「まぁ落ち着けってレイ。今回はいい線行けてたと思うぜ」
「分かってるよ……。僕が突っ走らなかったらもっと上手くいけたって言うのも分かってる」
「そうじゃのう、焦っても良いことはないぞ、レイ。ワシはまだしばらくは元気じゃからの。どれ、今日も弓の練習に付き合ってやろうか?」
「いいの!? 準備してくるから待ってて!」
今回の失敗の反省点をきちんと理解しているレイは落ち込むのもそこそこに、グレイ爺の声に嬉しそうに反応を示す。
グレイ爺が倒れてから、レイはグレイ爺の前では落ち込まなくなった。
もちろん、グレイ爺が確実に死に向かっていくのは怖いし、恐ろしい。ヒジリの時と全く同じ心境に追い込まれて、気が狂いそうになる事もあった。
それでも、レイはグレイ爺に心配をかけないよう、喜んでもらえるように、たくさんの笑顔を向けるようになった。
中でも、弓矢を使った曲芸紛いの真似はグレイ爺を喜ばせ、笑顔が生まれる。
グレイ爺が笑えばレイも笑うし、レイが笑顔になればグレイ爺も笑顔を咲かせる。
その時間は、レイにとっても、グレイ爺にとっても大切な時間だった。
弓矢の鍛錬を終え、シオと明日以降の対ギンに備えての作戦会議をした頃には夜も更け、夕食の時間になる。
夕食の時間は、グレイ爺の過去の話にギンが突っ込んだり、こんなこともあったな、とレイがここに来てからの事を振り返ったり。悲しみに暮れる時間がないくらい楽しい時間が過ぎていく。
「――ギンが酔っ払って腐った果実を酒だ、って言いながら食らって腹を壊した時は、腹が捩れるくらい笑ったのう!」
「あん時は幻想種でも腹壊すのか、って驚いたもんだぜ」
「その日からしばらく、シオは食べる量減らしてたもんね」
「んげっ、気付いてたのかよ」
『ふん、グレイよ、貴様がレイを怒らした日を、我は忘れんからな』
「っぐ、あ、あれは完全にワシが悪かったからのう……!」
その日の事を思い出してか、グレイ爺がレイの方をちらちらと見てくるのを、レイはもう怒ってないから、と頬をかく。
竜気を鍛え始めてから、レイの成長速度は目を瞠るモノであり、一年も経たずしてグレイ爺とギンよりも多くの竜気を制御できるようになった。
それは褒められれば褒められるだけ頑張ってしまう性を持つレイの努力の成果であり実績でもあるそれは、グレイ爺との手合わせの際にも遺憾なく発揮された。だが、レイの力を見誤ったグレイ爺が土を付けられそうになった瞬間、レイに教えていなかった体術の奥伝の一つを使ってレイに逆転勝利をしたという事実にレイはへそを曲げてしまう。
ギンがグレイ爺への対抗馬として挙げたのは『大人げないグレイ爺の行動によって拗ねてしまったレイが三日間グレイ爺と口を利かない』と言う生活を繰り広げた思い出話。
あの時は「みっともない真似をした」と謝るグレイ爺を見てシオとギンはお腹を抱えて笑っていたものだ。その後グレイ爺からのキツイお灸が添えられたのも咥えて、夕飯時には笑顔が生まれる。
今でも申し訳なさが残るグレイ爺はその話題が出る度にレイには頭が上がらなくなる。
「その中じゃあ、俺は誕生日のケーキがまた食ってみてぇけどな」
「あー、僕はあのはちみつクッキーが美味しかったなぁ」
食いしん坊のシオは外の世界の食べ物をえらく気に入っていて、レイとシオの誕生日のためにグレイ爺が人里から持って帰ってくる食べ物が特に気に入っていた。
幻想の森では、一年の初めに同年代の子供たち全員が一つ年を取る。
しかし外の世界では皆が生まれた日に一つ年を取るものだと教えられ、レイとシオの誕生日はグレイ爺に拾われた日に変更された。
一年前、十五歳の成人を祝うためにグレイ爺が森の外から持ち帰った甘いケーキはシオと取り合いになった記憶がある。
「おやすみ、グレイ爺」
「おう、レイもしっかり寝るんじゃぞ」
そうして、長く濃密な時間を振り返りながら夕食を食べ終えると、静かな夜が訪れる。
深層での物々しく騒がしい、落ち着きのない夜を経験したからか、ヒジリのことを思い出してもレイは涙を流すことなくグッと堪えて眠りにつく。
この五年間、ヒジリの事は一時も忘れることは無く、むしろ夢を自覚して言葉にした日からヒジリとの日々を思い出すことが多くなっていた。
その度にシオを胸に抱いて眠るのだが、加えて最近はグレイ爺がいなくなる恐怖を感じて飛び起きることが増えてきた。
朝目が覚めて一番に足を運ぶのはグレイ爺の寝室。
いなくなっていないことに安堵しながら、その体がまだ温かい事を確認して、ようやく落ち着きを取り戻す。
目が覚めたら大切な人が亡くなっているなんて経験は、もう二度としたくない。
レイは毎朝、恐怖にせっつかれるようにして目を覚ますのだった。
ギンに挑んで、また負ける。
グレイ爺と弓の鍛錬に励んで笑顔を生んで。
賑やかな食卓はヒジリとの食事の時間と並ぶくらい楽しくて。
けれども夜はやってくる。
不安な朝を迎えて、グレイ爺が生きていることを確認して、また一日が始まる。
そうした日々が続いていく中で、レイは今日も今日とてギンと向かい合う。
999回の敗戦を経た、1000回目の挑戦。
「……『百の失敗、恐れるに足りず。されど、一の諦念、真に恐れるものぞ』。諦めずに来たら、あっという間に千回目だね」
「挑戦し続ける、ってのも、悪くはなかったが、今日で決めようぜ?」
「当り前じゃん。そのために、失敗して失敗して、ギンの動きを勉強してきたんだから」
使い続けて手に馴染んだ弓を手に、瞬き一つの間に竜気を迸らせ全身に纏う。
湖の上に立って挑戦的な目を向けるレイをその目に映して、獰猛な笑みを浮かべる。
『ようやく、ようやく成ったぞ、グレイよ。見てみろ』
「きっひっひ、ワシの育てたレイは強いぞ? 余所見して勝てる相手ではないわい」
『随分と老いぼれたな、グレイよ。我の本気を知るお前ならば分かっているだろう? あれではまだ我の本気には届いてはおらぬ』
「老いたのはどっちかのう? 双頭の魔物を忘れたか。当時のレイでは手も足も出ないはずだった相手を追い詰めたんじゃ。そして今はシオが横にいる……。それが何を意味するのかは、言わずともわかろう?」
『……クカカカカカカッ!!! 面白い。ならば我も、本気でいくとするか』
湖畔の倒木に腰かけ、きっひっひ、とレイの成長を喜ぶグレイ爺から視線を動かしたギンは、注意深くレイとシオを見詰める。
風の神性精霊である銀狼が注意を向ける程の力を持つレイは、ギンが竜魔闘法を発動したのを目で、肌で感じ取る。
ふぅ、と緊張する体から力を抜くと、背後のシオを振り返ることなく「勝とう」と呟き頷き合う。
森全体の風がギンに集まっていく中で、高まり続ける竜気を解放するようにレイは叫ぶ。
五年間の努力の成果。人竜一体となって発動する奥義。
「――竜気覚醒」
『ッ!?』
ギンと出会ってから初めて見せた驚きの表情に、レイとシオはしてやったり、と笑みを浮かべるのだった。




