42話 夢の話と酔っぱらい
読んでいただきありがとうございます。
本日三話目。
「いいか、レイ。人の世に、悪は起こらない。個人が抱える正義同士がぶつかり合う故に、争いが生まれる。そして、正義もまた、必ずしも正しいものとは限らない」
庭先から移動して、森の中層の中でも開けた土地でグレイ爺の講義が始まる。
あれからしばらくの休養を経て、レイは再びいつもの日常に戻っていた。
レイが世界中を見て回りたいと言ったからか、グレイ爺の講義の内容は外の世界に関するものばかりで、非常にためになる。
それもそのはず、亜人の元を転々とし、実際に世界中を見て回った男の言葉なのだ。説得力が違う。
ためになる話もあれば身の毛もよだつような話も豊富で、シオと二人で熱心に耳を傾ける。
庭先から移動したのには理由があって、庭先が少しばかり手狭になったからだった。
その原因として挙げられるのが、今もレイとシオと一緒にグレイ爺の話に耳を傾けながら佇む銀狼の存在だった。いつの間にかレイ達の日常に紛れ込んでおり、すっかり馴染んできている銀狼がそこにはいた。
銀狼一匹で庭先を埋め尽くすので仕方なく移動してきたのだが、グレイ爺とシオが送る「どうしてまだ残っているのか」という視線にも気付いていながらも答えない辺り、銀狼にはかなりの図太さが見られる。
「正義は、悪い事なの?」
「正義が正しいかどうかは、見る人の視点によって変わるんじゃ。例えば、物を盗むのは悪じゃろう? だが、貧困に喘ぐ者は、自分が生きるため、家族を生かすために物を盗む。それが物品だろうと、食物であろうと。それをせねば生きていけぬのだから。この時、泥棒を捕まえる正義と、家族を守るために動いた正義がぶつかり合う。どちらも正しいし、どちらも正しいとは言えぬ。そうであろう?」
「うん……、捕まえる人は、それが正しい事だと思っているけど、結果的にその人の家族を殺してしまうことになるかもしれないし、盗みを働いた人は家族のために動いているから家族からすれば正義なのかもしれないけど、人のものを奪おうとするのは、正義じゃ、ない……。正しく、ない」
「そうかぁ? どう考えても盗みに手を出したやつが悪いだろうに。盗む必要も無いくらい稼いでいれば問題なかったんじゃねぇの? 金を稼ぐのがどれくらい大変なのかは知らねぇけどよ、それで人の物に手を出すってのは、甘えだろ、ってぇ思うんだが……なんだよその目は」
グレイ爺と銀狼が驚いた様子でシオの方を見詰める中、レイは一人頷いて納得する。
「そっか、家族がいてもいなくても、やっていい事と悪いことは変わらないよね……。事情を知っていたせいで惑わされちゃったけど、確かにシオの言う通りかも」
「まぁでも、これも表層の問題に過ぎないと思うんだよな。実際は、もっと色々な事情が組み合わさってて、もっとずっと複雑なはず……。そうだろ爺さん?」
「あぁ、その通りじゃ。盗みを働いた男は、もしかしたら、その国では酷い差別に逢っているかもしれない。そうせざるを得ない状況にまで陥れられたのかもしれない――。屁理屈のように思えるかもしれないが、世界はこうした屁理屈と理不尽が絡まり合って、簡単には解けないくらい複雑なものになっている。正しい答えが正解になるとは限らない。故に、時には道を外れ、違う視点から物事を考えるのも必要になる。レイには世界中の人の言葉に踊らされることなく、自分の考えで、自分が思うままに生きてほしい。世界に出るということはそう言う事なんじゃ。分かったか?」
グレイ爺の言葉に、揺るがなき信念を思い浮かべる。
ヒジリの夢は、レイと一緒に世界中を見て回る事だった。
レイもまた、変わらぬ夢を抱えている。ヒジリと見て回る事、今はもう叶わないそれを掲げたのには、きちんと理由があった。
――ヒジリの墓を建てる。
そのお墓の前で、見てきたもの全てを語り尽くすのだ。シオと一緒に。それこそがレイの夢の最終目標。
そうして初めて夢が完成するのだが、墓を建てるにはヒジリとの思い出の地に向かわねばならない。
そここそが、幻想の森である以上、多少なりとも暗い影が落ちるのだが、シオはレイ自身がその暗い感情を理解し、制御できていることを確認していた。
「きっと、僕の夢も、誰かから見れば悪になる……、ってことだよね」
「あぁ、その可能性も十分にある。そして、そう言った手合いは、必ずその道を阻みに、奪いに来る。その時に対抗できるだけの力を、ワシらがレイに付けさせる」
『その通りよ。同じ種族で争い合うなど、人間が愚の骨頂である何よりもの証拠であろう。一人でも生きていける力があれば、そのような斯様な問題、無くなると言うもの。そうと決まれば、レイよ、さっさと修行を始めんか』
「人は一人では生きてはいけん。全く、これだからただ長生きしただけの獣は困るのう」
『もう一回言ってみろ、耄碌爺。レイは我が完璧に育ててやる。貴様は黙って夕餉の支度でもしておればいい』
「おうおう、聞こえなかったのなら何度だって言ってやろうか? 年を取ると耳が遠くて困った物じゃわい!!」
竜気迸る睨み合いを始める銀狼とグレイ爺。
そんな二人を放っておいて、レイとシオは二人で新しい弓矢を使って鍛錬を始めるのであった。
「がはははは!!! 分かってるじゃないかギンよ! そう、あいつらは本当に愚か! ワシらの亜人同盟に乾杯じゃぁ~!!」
『亜人はいいぞ。我がちらっと姿を見せただけで崇めるからな。ヒック、その点人間は異端を排除することしか考えていない。ついでに、ヒック。……酒の作り方も教えてもらったのだとも、ヒック。グレイよ、お前はなかなか話が分かるではないか、ヒック』
昼間あんなにも殺し合いに発展しそうな程睨み合っていた二人とは思えないくらい、仲良く肩を組んで顔を真っ赤にさせるグレイ爺と銀狼。
銀狼がどこからか持ってきた酒樽は、銀狼が自分で作ったそうで、一人酒はつまらんと言いながらグレイ爺と二人で楽しそうに愚痴を零しながら飲み交わしている。
「レイは大人になってからだな」
興味を示したものの、そう言われてレイに酒が振舞われることは無く、愉快に酔う大人たちの横でむくれていた。
器用な幻想種もいたもんだ、とシオが呆れていたのだが、そのシオもまた今現在酔い潰れて爆睡中だ。
酒が強いのか、シオが酒に弱いのかは不明だが、僅か一杯で目を蕩けさせて寝息を立て始めた時にはグレイ爺も銀狼も腹を抱えて笑っていた。
シオが酔い潰れた横でレイはと言うと、グレイ爺と銀狼が仲良く分け合って飲み合うのを恨みがましく眺めながら一人寂しく料理をつまんでいた。
「――いいか、ギン。レイはな、本当に可愛いヤツなんじゃよ。この前なんて、新しく作ってやった弓矢をな、こう持ち上げてな、きらきらした目で大事そうに両手で抱えるとな、ワシに向かってなんて言ったと思う?」
『グレイよ、その話を、ヒック、聞かされるのは五回目だぞ』
「何度聞いても良い話じゃろうて。ワシに向かってな、大事にするから、って言っての、大好き、とまで言ってくれたんじゃよ。これ以上幸せになったらワシ、嬉しすぎて死んじゃうかもしらんわ」
『ヒック。カカっ、独り身を拗らせすぎた老人は実に面倒くさいな、ヒック。そう思うだろう、レイよ』
実際にはグレイ爺が同じ話を繰り返すのは、レイが知る限りでも今夜だけでも八度目なのだが、その頃には恥ずかしさも消えて、酔っぱらいの戯言を聞き流すのにも慣れてきたレイは「ソウダネー」と返して料理の片付けに入る。
深層でのサバイバル生活を経て、素材の下処理はグレイ爺にも並ぶ勢いで上達していたレイは、料理の殆どをグレイ爺から任されるようになっていた。相変わらず魔道具は使えないため、できるのは材料を切ることと味付けくらいなのだが。
深層では決して手に入らなかった塩やソースと言った調味料のありがたみを知るのと同時に、グレイ爺がそれらの調味料をどこから入手しているのかが気になり尋ねると「たまに人里から調達しておるぞ」となんでもないように教えられた。
言われてみれば「ちょっと出てくる」と言って数日家を留守にする日があったのを思い出したレイは一人納得するも、グレイ爺の足でも往復するのに数日かかる距離を考えると、とてもじゃないがレイには厳しいものだと教えられた。
銀狼の背に乗ればあっという間だろうが、それは流石に悪い気がしてレイは頼めていない。
シオが言うには「レイが頼めば、ギンはなんだかんだ言いながら連れてってくれると思うけどな」だそうだ。
シオやグレイ爺が呼ぶこの「ギン」と言う名は、紛れも無く銀狼の新たな名前である。
銀狼の呼び名が無くて困っていたレイがつけた「ギン」は、始めこそ難色を示していたものの、数日も経てば定着し、本人もどこか気に入っている様子。
それに何よりも、今までグレイ時とシオが呼んでいた「オイ」では反応しなくなり、銀狼自ら「ギン」と呼ばせるようになっていた。
レイ相手には強く出れないのか、それとも単純に新しい名前を気に入っているのかは定かではないが「ギン」と呼ばれて嬉々としてレイを背中に乗せて森を駆けまわる姿に、グレイ爺とシオは生暖かい目線を注ぐのは日常となっていた。
グレイ爺が長年孤独を拗らせたのと同じように、ギンもまた百年単位で忘れていた人との触れ合い、それも自分を慕ってくれる子供が嬉しいのか、グレイ爺の事を言えないような顔を見せるようになっていた。
「神性精霊種がそれでいいのかよ……」
と言うのはシオのボヤキ。
ギンに言わせれば「神性竜種がそれでいいのか」となる以上、レイに関わった相手は全員こうなる運命なのであった。
「グレイ爺、シオ、ギン、起きて。風邪ひいちゃうよ」
シオは相変わらず片付け終わるまでグラスに頭を突っ込んだまま目覚めることなく潰れていた。
その横では、酒樽を空にしたグレイ爺とギンがいびきをかいて眠りこける。
昼間は温かいけれど、夜になれば冷たい夜風が森を通り過ぎていくため、幻想種の二人は置いておいても、グレイ爺だけでも家に入れてやらねばならない。どうして庭先で酒の席を設けたのか、と溜め息を吐く。
一人では運ぶのは難しいだろうと判断したレイは、弱点を晒して眠るシオ目掛けて指突を放つ。
狙う先はシオの尻尾の付け根の部分、一枚だけ逆向きになっている鱗、通称逆鱗に鋭い突きがクリーンヒットする。
「――ッッッギャアッ!?!?!?」
甲高い悲鳴を上げて飛び起きたシオは怒り心頭と言った様子で辺りを見回す。
敵襲か、と過ったのも束の間、突いた姿勢のまま頬を膨らませるレイを見て、それから寝転がったままのグレイ爺とギンを見た。
「……その起こし方は止めろよな」
「……だって、僕だけ仲間外れにするんだもん」
「悪かったって。ほら、何をすりゃあいい?」
「ギンとグレイ爺を運んでおいて。僕は残りの片付けしちゃうから」
「あいよ」
レイは酒飲みたちが暴れた後の片付けをてきぱきとこなしていく。
その間に、シオはレイに言われた通りギンとグレイ爺の重い体を巻き付けて寝床まで運んでいく。
一足早く片付けを終えたレイは、飲み物を片手に夜空を見上げる。
一か月の間、ずっとにらみ合いを続けた思い出深い突きを見上げて黄昏れていると、背後からしなだれかかるようにしてシオが身を委ねてきた。
「寝ないの?」
「誰かさんのおかげですっかり目が冴えちまってな」
口では悪態をつきながらも、怒る素振りも見せないシオに、しばらくの沈黙の後、レイはゆっくりと口を開いた。
「夢の事、勝手に決めてごめんね」
「別に、レイがやりたいって決めたんなら、俺は文句はねぇよ。俺も、レイをよろしくって、ラナに頼まれたからな。それに、世界中を回れば、美味いもんにも沢山ありつけそうだしな」
「そっちが本音でしょ~?」
自称食べる専門の大食漢シオは、きひひ、と悪戯に笑って見せる。
そうして、レイとシオの二人は眠くなるまで、どこに行こうか、何を見に行こうか、と夢を膨らませるのであった。




