37話 VS双頭の魔物(2)
読んでいただきありがとうございます。
本日五話目。
来たる満月の夜。
天候は申し分ないくらいに晴天。
深層の魔物達が目覚め、混沌と化す夜の森。
前回の満月の夜に訪れた開けた場所の付近で、レイは息を潜めていた。
「……静かすぎる」
穏やかな夜風が草木を揺らす音に紛れて、遠くでは魔物同士が争い合う音が聞こえてくる。
そんな中で、満月草の周囲だけは夜の森だというのを感じさせない程の静けさに包まれていた。一抹の不安が残る中でも、満月は変わらず夜空に昇る。
雲一つない夜空に、満月が煌々と光り輝く。
あるところでは不吉の象徴、またあるところでは星の並びと合わせて吉兆の徴。
謂れがつくのも納得できるほどに壮大で眩い満月は、人であろうと魔物であろうと、例外なく大地を照らす。
星の光すらも霞ませる月明かりが、目の前の開けた土地に降り注ぐと、時間を置かずして満月草の花が開いていく。
「――っ」
一周期前の満月の夜に見た満月草とはまるで比べ物にならない程に幻想的な光景が目の前に広がっていく様に、レイは思わず息を飲む。
満月の夜の終わりかけに見た、閉じかけの儚さもまた乙な物ではあった。
けれどもそれ以上に、これからピークに達していこうとする満月草の美しさは、まるで大地にもう一つの満月が生まれ落ちたかのような、魔物蔓延る鬱蒼とした森には贅沢が過ぎる程に夢の景色を作り出していく。
つい数分前までは雑草で満ちていたような場所は、気が付けば一面に咲き乱れる満月草が顔を出していた。
「綺麗……!」
この光景を目にするだけでも活力が湧いてきそうなくらい満足度が高い一瞬に、レイは目を奪われて立ち尽くしていた。ヒジリにも見せてあげたい、と目に、脳裏に焼き付けながら。
風が吹けば、満月草の花びらが舞い上がり、夜の森に小さな月がいくつも浮かび上がる様を見て、レイは更なる興奮を隠し切れなかった。
満月草の花が開ききるまでの時間、レイは何物にも代えがたい貴重な時間を満喫した後に、最後の素材である『月の雫』を採取しに向かう。
満月草が花開く夜の時間にしか採ることができない貴重な花の蜜のことを『月の雫』と呼び、調剤の方法では非常に高い快癒効果を発揮するのだという。また、花の蜜としても極上で、非常に高価な値段で取引される、らしい。
図鑑のメモ書きに書かれていた情報も思い出してガラス瓶に蜜を詰めていく。
満月草一本から採れる蜜の量はそれなりに多く、花弁を開くと溢れんばかりの蜜が溜まっていた。
そのおかげか、満月草の半分も触ることなく用意された瓶は満杯になって、また次の満月でも問題なく採取できるように配慮しておく辺り、ヒジリとグレイ爺の教育は行き届いているのが分かる。
「これで完璧、っと」
栓を締めてリュックに仕舞うと、四種類の素材が集まったことに思わず笑みが零れる。
想像を遥かに超える壮絶な森での生活もこれでおしまい。
過酷で濃密で、得たものは素材以上にたくさんあった故に、レイの胸には達成感が溢れ返り思いのまま両手を天に突き上げて叫ぼうとした――刹那、全身に浴びせられる突き刺さるような視線に気付く。
「――囲まれてる……」
レイの体に、一挙手一投足に降り注ぐ視線には、無数の敵意、殺意が込められていて、満月草の畑の中心で最悪な居心地を味わうレイ。
咄嗟に弓矢を構えて周囲の警戒を強めるも時すでに遅く、満月草の生息地を囲うように、次から次へと犬型魔物が月光の下に姿を現してくる。
闇夜から浮かんでくる無数の眼光と、重なって耳障りな音を生み出す低い唸り声。
複数の犬型魔物は、満月草の幻想的な景色には相応しくない、痩せ細った体で、ギラギラとした飢餓状態を彷彿とさせる眼球でレイのことを睨みつける。
その中でも特にレイに対してねっとりと絡みつくような執着を、憎悪を向けてくる魔物が、悠然と暗闇の中から姿を現す。
それは、望んでいなかった三度目の邂逅。
一度の敗走と一度の撃退を経た、深層においてのレイの宿敵。
四つあるうちの二つの目を奪われた双頭の魔物が、徒党を組んでレイを追い詰めにやってきたのだった。
「……残念だけど、もう干し肉は無いんだよね」
リュックを指差して双頭の魔物に声をかけるが、残された二つの目がレイを捉えて離さない。
味をしめたジャーキーは、ファジーベアードを探す際に底をついた。森で採れた物を優先していたからか、双頭の魔物に散らされた数からすれば、かなり節約して過ごせたのではないかと自慢したくなるが、初めから目の前の双頭の魔物に奪われなければもっとずっと楽に過ごせたであろうことを思い出して余計腹が立つ。
そう考えると、因縁の相手である双頭の魔物を放置して深層を後にするのはどこか納得がいかなかった。
(――言うなれば、五つ目の目標が、この魔物ってところかな)
今も目移りすることなく、熱心に、一途にレイだけを睨む双頭の魔物は、これだけの数に囲まれていながらも冷静に弓矢を構えるレイの姿に苛立ったように吠えた。
その鳴き声は、周囲の犬型魔物に呼びかける号令のような役割があるのか、レイに向かって犬型魔物が揃って駆け込んでくる。
普通、魔物が他の魔物の言う事を聞くことは滅多にない。
魔物の中には、自分の親さえも殺して食らう魔物がいるくらい、目に入った動く物は敵と思い込む魔物がいる中で、シアンフログだったり暴食暴れウサギだったりファジーベアードだったり。同族、もしくは人間のように家族で徒党を組むことは少なくない。そうでもしなければ生き残れないが故に。
だが、今の双頭の魔物のように、犬型魔物と言った別の種類の魔物の言う事を聞くケースも稀に存在し、その中でも、主に近い上位種に仕える形が多くみられる。今回で言えば群れのリーダーが双頭の魔物に切り替わったと言えるだろう。
しかし、普通はそのような事態起こり得ない。起こらないように、上位種と下位の魔物では住み分け得られている。上位種の魔物が下位の魔物を従えるメリットなど無いはずなのに、双頭の魔物はこうして配下となる魔物をかき集めるくらい相当にお怒りの様子。
それはつまり、目を潰されたことに対する報復が本気である事の証明。本気でレイへの恨みを晴らしに来ているのであった。
レイは自分に向けられる感情には敏く、間違いなく双頭の魔物は自分を殺しに来ている、今までのジャーキー目当ての狩りではなく、本気で殺しにかかってくるその覚悟に僅かに怯んでしまうも、レイもまた覚悟を決める。
――何度来たって、もう二度と奪わせはしない、全力で抗うと、決めたのだから。
因縁の相手である双頭の魔物に打ち勝つために、ジャーキーではなく命を奪いに来る魔物から、何物も奪わせないために、レイは全身に竜気を纏わせる。
周囲に迫る犬型魔物の気配を感じ取る極限の一歩手前、集中状態に入り、矢を番える。
満月草が踏み荒らされ、宙に舞った花弁たちが月明かりに照らされる。
レイにとって深層での最後の戦いが今、始まる。
犬型魔物が向かってくる中、レイは双頭の魔物と睨み合いを続けていた。
この場で最も危険なのは多数で迫りくる犬型魔物ではなく、変わらずこの双頭の魔物だと直感が囁くから。
自ら駆け込んでくる犬型魔物は、レイにとっては格好の的である。
踏み込むたびに体を大きくしていく犬型魔物は、気付けば一回りどころか、二回りも体が肥大化し、この森で幾度となく見せられた味わわされた魔力による身体強化を発動させる。
「――的が大きくなっただけだね」
だが、犬型魔物の身体強化は、ファジーベアードの母熊や、双頭の魔物がやって見せたモノよりも稚拙で、力に振り切り過ぎて体が重くなっている。近付くにつれて、動きが鈍くなっているのが何よりも証拠だろう。
だが、痩せ細っていた犬型魔物が目の前でこうして巨大化されると、そのプレッシャーだけでも敵の意表をつくことができるだろう。ただレイには通用しなかったというだけの話で。
魔力も竜気も、使用する相手によって身体強化にはピンからキリまで存在しているのかと認識できると、レイは即座に矢を放つ。
振り向きざまに打ち放たれた矢は、舞い上がる花弁ごと犬型魔物の眼球に突き刺さり、背後に迫っていた犬型魔物は「ぎゃん!」と悲鳴を上げて地面を滑る。
狙いを定めたか不明な続く二射目は、その隣を走っていた犬型魔物の鼻先に深々と突き刺さり、よろけて地面を転がる。
レイの言葉通り、大きいだけの魔物はただの的。
ファジーベアードのように他を寄せ付けない巨体でも、双頭の魔物のように狡猾で俊敏な動きもない犬型魔物相手ならば、竜気も必要なくただの集中状態で十分に対処できる。
だが、今は双頭の魔物も常にレイの隙を狙っている状況。極めて死角の少ないレイにとって、常に視界の端で動こうとする双頭の魔物の存在が非常に厄介だった。
集中状態によってもたらされた加速する時間の中で、レイは双頭の魔物の動きを察知する。
目線を動かすよりも早く、リュックと弓矢を手に、二頭の魔物が転がってできた隙間に体を滑り込ませる。
「ギャバゥッ!!」
――滑り込んで反転。
満月草の茂る地面が抉れるが致し方ない。
竜気によって高まった身体能力があったからこそ逃れられた夜風のごとく不可視の一撃。
数瞬前までレイが立っていた場所には、犬型魔物の肉壁をすり抜けてやってきた双頭の魔物が爪と牙を立てて強襲してきたのだった。しかしその牙と爪に手応えを与えることなく、レイは迫り来る犬型魔物を処理していく。
手応えが無いことに苛立つ双頭の魔物が再び号令をかけ、集まった犬型魔物が再び取り囲むようにばらけてレイの元へと襲い来る。やはり、ある程度の統率は取れている。
本音を言えば、満月草のある場所を荒らすのは気が引ける。
あの幻想的な景色を汚すことは、どうしても憚れるから。
かと言って、森の中と言う木々によって視界が遮られた中で連携の取れた相手を、主に双頭の魔物を相手にできるかと言われれば、不可能と言わざるを得ない。
満月の光があるからこそ、レイはその目の力を遺憾なく発揮できているのだが、一度森の中に入ってしまえば、夜の森の中で今と同じパフォーマンスを発揮することはできない。
故に、多少荒らしてでも、ここで決着を付けねばならなかったのだ。
前方に迫る影、犬型魔物達の集団を最初に抜け出してきた一頭に眼球を狙って矢を放つも、狙いが甘く、犬型魔物の首元に迫る。
「――まずっ……!」
いつかの騙し討ちが頭を過り、咄嗟に続く二射を放つも、二本の矢は魔物の体に弾かれることなく突き刺さる。
「っ! 刺さるっ、なら……!!」
双頭の魔物のように洗練された身体強化ではない故に、レイの弓でも容易に傷がつけられると分かってから、目の前に落ちてきた犬型魔物の体を次に迫る魔物へ向けて蹴り飛ばす。
出し惜しみしていられる状況ではない、と竜気によって強化された蹴りは重量を増した犬型魔物でさえもボールのように蹴り飛ばし、迫っていた犬型魔物を盛大に転ばせる。
続いて番えた三本の矢を転がった魔物に向けて放つと、三本の矢は狙いを外すことなく魔物の後ろ脚――トモの部分を射抜き、地面に縫い付ける。動きの要である後脚部を損傷しては、いかに魔物と言えども動きは制限される。グレイ爺の狩り講座で覚えた魔物の体の仕組みを思い出し、役に立ったことを感謝する。
「こっちの方が、眼球狙うよりもずっと楽だね」
「――ワバゥッワバゥッ!!!」
後ろ脚を狙って行動不能にする旨味を覚えた直後に、双頭の魔物から再びの号令が飛ぶ。
直後、示し合わせたかのように迫る犬型魔物達の動きが変わる。
矢の射線を切るように、ジグザグに斜行して迫ってくる。
人並みの知能がある事に焦り、集中が疎かになる。
集中が疎かになれば、必然的に矢は当たらなくなり、それが焦りに変わってくる。
悪循環に陥りかけた際に、レイは自分に落ち着くよう言い聞かせる。
そして、近寄らせてもいい、確実に仕留めるんだ、と言い聞かせて失った集中力を取り戻す。
極限まで引き絞られた弓が放たれたのは、魔物が飛び掛かってくる瞬間。
番えた三本の矢は、魔物の体に命中し、その場で血を吹き出して沈んでいく。
しかし、レイに迫っていたのはその一頭だけではなく、レイの死角に入り込んだもう一頭の犬型魔物が背後から迫る。
「ッ、いつの間に!?」
――恐らく、集中が緩んだあの一瞬で、双頭の魔物が忍び込ませたのだろう。
そんな状況把握だけは冷静で、跳ねる心拍は眼前に迫る爪と牙を捉える。
矢を放った直後。
番えて放つまでの猶予は無い上に、振り向きざまに体勢の悪い状態では体術の一つも繰り出せない。
ならば、取れる選択は一つのみ、回避するしかない。
「――っクソッ!」
体を捻って回避に専念するが、避けきれずにレイは脇腹を割かれてしまう。
地面を転がった直後に、転がりながら番えた三本矢を至近距離で放ち、起き上がって再び三本矢を打ち込む。
脇腹の負傷は、確かに出血しているが、今すぐに治療しなければならないというほどの深い傷ではない。
目を瞑っていられる範囲内の負傷だ、と次の矢を番えようと矢を手にした瞬間。
――背後に膨れ上がった膨大な殺意を感じ取る。
耳鳴りがするんじゃないかと言う程強烈な殺意に、レイは振り向かざるを得ない。
振り返ってまず目に飛び込んだのは、生々しい赤黒い口腔。生え並んだ牙が自分の首に迫る。
その横には、ニタリと冷酷に、残虐に笑うもう片方の顔。
双頭の魔物によって集中力を乱され、その隙を縫って背後に犬型魔物を忍ばせ、窮地に追いやられた結果、あまつさえレイは双頭の魔物を視界から外し、双頭の魔物相手に背中を向けさせられたのだった。
まず間違いなく回避も弓も間に合わない。
竜気の身体強化をもってしても、矢を番えるのに一秒はかかる。
その一秒があれば、双頭の魔物はレイの首を食い千切り、体を貪るだろう。
――死。
完全に双頭の魔物が一枚上手だった自分に有利な状況作りに、完全敗北を認めざるを得ない。
――奪われるのか。
この状況でどうしろと言うのか。そう自問自答を繰り返すくらいには、冷静なレイ。自暴自棄と言ってもいいものだろう。
――考え続けろ、諦めるな。
グレイ爺の言葉によく似た声が自分の声で再生される。
考え続けた結果がこれだ。なら最期は、グレイ爺の言う通りに、見栄を張って不遜に笑ってやろうじゃないか。
判断を下す間もなく、首元に熱い殺気を纏わせた吐息がかかるのと同時、レイは笑みを浮かべる。
満月の夜に咲き誇る満月草。
激しい戦闘の中でも輝きを失わない満月草に、鮮血が降り注ぐ。




