表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第二章 儚き夢の旅路へ
35/258

35話 全力で逃げろ

読んでいただきありがとうございます。

本日三話目。

 


 その巨体で押し潰さんとしてくるファジーベアードに、レイは思考を挟む余地なく巣穴に飛び込む。身を屈めて転がり込むことでしか、迫り来る死を回避する方法は無かったからだ。


 身を屈めた子供一人がようやく、と言った狭苦しい通路に転がり込んだ直後、巨木がグワン、と大きく揺れる。

 一瞬でも判断が遅かったならば、ファジーベアードの体と木に挟まれてレイの細身の体はぺしゃんこだっただろう。


 すぐにファジーベアードの手が届かない奥へ奥へと進んでいくが、入り口から入り込んで来ようと頭に血が昇った様子のファジーベアードは強引に体をねじ込もうと躍起になる。

 しかしその巨体では無理なのか、頭すら入れられることは出来ずに、昂ぶりの余り唾を撒き散らす口元だったり、剛腕を伸ばして藻掻く事しか出来ずに、敵であるレイの体まではすんでのところで届かない。


 もしも弓矢が手元にあれば、相手の手が届かないここから安全に矢を放てたと言うのに、残念ながら今手元にあるのはリュックの中に入った使い物にならない、文字通り荷物になるものばかりだった。


 穴の奥に進むしかないレイは、出てこい、と叫んでいるかのような悍ましい鳴き声を背にしながら奥へと進んでいく。


 身を屈めて、何度か頭をぶつけそうになりながら進んでいくと、不意に穴が大きく広がって、大量の蠟燭程度の小さな灯りに照らされる空間に出ることができた。

 その光の正体は、洞窟の水辺に生えるヒカリゴケが天井から床まで広く張り付いていて、空間を把握できるくらいには視界が良好だった。


 ただ、ヒカリゴケが生えるくらい高い湿度に若干の息苦しさを感じるも、慣れれば問題は無い。

 朝の森も霧が出れば同じようなものなので、レイは特段気になることも無く木の洞の中、恐らくはファジーベアードの巣穴であろう内部を見渡していく。


 木の実が集められ山になっている場所や、寝床、糞尿の置き場だって完備された巣穴は紛れもなくファジーベアードのもの。住居に勝手に侵入しているのはレイの方であるために、ファジーベアードの成体が怒り狂うのも納得できると言うもの。


 それでも折角侵入できたのだから、とレイは糞が寄せられた巣穴の隅に腰を下ろすと、リュックから手袋をして躊躇なくその一山を両手でさらう。

 目当ては当然、糞の山に宿るピンク色のキュートな傘をもった小さなキノコ郡。ファジーベアードの糞もまた栄養豊富な肥料になるのだが、これ以上荷物が嵩むわけにもいかないため、レイはそのキノコをヒカリゴケの微弱な光に照らして確かめる。


「間違いない。これが、アルバヒメタケモドキだ……!」


 探し求めた最後の一つ、アルバヒメタケモドキを見つけた喜びも束の間、巣穴の外から聞こえてくる叫び声に即座に採取に取り掛かる。

 怒り狂ったファジーベアードの鳴き声が聞こえてきても、時折巣穴自体が揺れているかのような衝撃に襲われても、ファジーベアードの幼体が構ってくれと邪魔をしてきても、不備なく下処理は完璧に。処理の仕方は図鑑のページに書かれてある通り正確に、そして適切に行う。処理が不十分で目的の効能が薄れてしまっては目も当てられないから。料理の下処理と何ら変わらないその行為は完璧で、グレイ爺は目を輝かせて喜んでくれることだろう。

 十分な量が取れたことを確認して、処理が完了したアルバヒメタケモドキをリュックに仕舞う。


 これで、残るは数日後に迫った満月の夜を待つのみとなり、レイはようやく一息つけるようになる。

 長かった森での生活もこれで終わりか、と言う寂寥の思いが募る暇も無いまま、レイはこの巣穴からどうやって逃げ出そうかとばかり考えていた。


 入ってきた狭い出入口はファジーベアードの成体が見張っていて出ることは出来ない。

 ならば、別の入り口が無いか、と巣穴の中を見回してみると、入ってきた穴とは正反対の位置に、外へと繋がる大きな入り口がある事に気付く。先ほどはアルバヒメタケモドキを探すことで頭がいっぱいだったが、その大きな通路は、成体も問題なく通ってこれるだけの大きさがあり、その通路こそが正しい出入口のようであった。


「お前が、作った隠し通路、ってわけか……」


 親の目を盗んで作り出した通路から、日頃から抜け出して森の中で遊んでいたのかと思うと、今まで無事だったことの方が驚きだ。

 レイの言葉に、こてん、とまるで言葉が通じているかのように惚けた様子で首を傾げる幼体。


「首を傾げたって、許されないと思うよ……。ほら、お母さんも凄い怒ってるから」


 一向に落ち着く様子も無い母熊を思い出させてやると、子熊はぷるぷると震え出してしまう。

 怒っている理由はまず間違いなくレイの存在であるため、怖がらせたことを謝って子熊の頭を撫でる。


 大人しく待っていれば怒られないぞ、なんて根拠も無く言って別れを告げると、レイは一目散に大きな出入り口から外に向かって走り出す。これだけ大きな巨木の反対側に釘付けになっている今が好機、とばかりに飛び出していくレイ。


 縄張りの外に出れてしまえば追ってはこないだろうと考えたレイは、時間を置いて後から置きっぱなしにした弓と矢は後で回収しようと考えていた。そのためにもまずは親熊の怒りを鎮めるのが優先だ。

 シオンフロップタケ、竜鳳花、アルバヒメタケモドキという三種を手に入れてしまえば、後はもう満月の夜を待つだけとなった今のレイは、どこか優越感に浸っている心地で足取りも軽やかに森の中を駆け抜けていく。


 だが、その幸せな時間も長くは続くことはなく、背後に迫った殺意むき出しの巨体が大地を揺らして迫って来ていることに気が付く。



「グモアァッ――!!」



 ファジーベアードの成体、母熊は、道を遮る枝葉も圧し折りながら、脇目もふらずに一直線にレイに向かって駆け込んでくる。

 その巨体からは信じられない程の速度でレイの後を追う母熊の前を遮るモノは何一つとして存在していない。朽ちた倒木も、生い茂る枝葉も、通りすがった魔物さえも、文字通り蹴散らして脇目もふらずにレイに向かって直進を続ける。


 本能が叫ぶ。




 ――全力で逃げろ、と。

 さもなければ、潰されてしまうぞ、と。




 一瞬でも足を止めてしまえば、超重量のタックルが一瞬の間にレイの小さな体を蹂躙することだろう。

 自分の本能に向かって「分かってるよ!」と半泣きになって叫びながら逃げる様は、追いかける側からすれば酷く不気味に見えたことだろうが、今の母熊はその程度の些末な出来事に頭のリソースを割くほど冷静では無かった。


 ――愛する我が子を連れ去り、誑かした挙句、巣穴までやってきた侵略者。


 生かしておく理由がない『敵』を前に、母熊はここ数日間溜まっていた何者かの視線によって生まれたストレスを、フラストレーションをこれでもかと燃やしてレイを追いかける。


 追いかける側として、身を隠す必要もなくなった今、ファジーベアードの特徴である水の膜を捨て去った母熊の体は普段の半分以下の軽さを得た上に、解き放たれた筋力がその身を奔る魔力の身体強化によって更に強力になった膂力でもって、森の中に道を生み出していく。


 レイは、背後から迫る環境破壊の音に身を縮こませながら、リュックを激しく揺らして逃げる。

 母熊のように障害物を破壊して進むような真似は出来ないレイにとって、森の中はとにかく不利な逃げ場だった。

 確実に母熊との距離が詰まってきている状況で、レイは必死になって考えを巡らせた。


 双頭の魔物のように餌に釣られるような魔物ではないし、そもそも匂いの強いジャーキーは既に手元にはない。迎え撃つなど当然自殺行為だし、対抗手段がない。弓も矢も、巣穴の前に転がっているのだから。あったところで、母熊相手に通用するとも思えなかったが。



 ――あそこなら、撒けるはず!!



 必死になって思考を巡らせた結果、背後に迫る巨体の足音に怯えながら導いたのは、とある一つの場所。そこへ向かって大きく曲がって進路を変更する。

 最早火を放つよりも恐ろしい森林破壊の魔物を引き連れてレイが飛び出したのは、ファジーベアードを初めて見つけることができたあの川辺。それも、最も川幅が広い箇所に母熊を案内するのだった。


「ここなら、逃げ切れるはず……!」


 川辺に出てくる直前には一熊身まで距離を詰められていたが、これで引き離す、とばかりにレイは速度を上げていく。

 川に近づいても尚、速度を緩めないレイの姿に、母熊が初めて威嚇ではない驚いた様子で鳴き声を上げる。


 それもそのはず、レイの脚は止まることなく川に入っていきそして――沈むことなく水面を地面と変わらぬ様子で駆け抜けていたのだから。



 ――これで、振り切ってから、満月草を採りに……ッ!?



 川を渡ってしまえば縄張りの外、安全圏に入れる、なんて考えが過った直後、背後に砲弾でも着弾したのかと思えるくらいの音と衝撃、水柱が立つ。


 瞬間的に肝が冷えたレイが恐る恐るといった様子で振り返ると、そこにはまるで水中を歩いているかのように泳ぐ母熊の姿が。今の音と衝撃は、母熊がただ川の中に飛び込んだだけに過ぎないものだった。


 レイは知らなかった。

 ファジーベアードが水中でも地上と変わらぬ動きができることを。


 そもそも、体毛一本一本に水の膜を留まらせる程、水への魔力干渉に長けているファジーベアードが自分の周りの水流を操作するのは造作も無い事。水の壁のごとき水飛沫を上げて迫るその姿は、間違いなく川を渡り切った程度では逃がさない、と言った恐ろしいまでの執着が見られた。


 と、そこで視線を前に戻そうとしたレイの視界に、水飛沫に紛れて小さな影が映り込む。


 親の後を追ってきたのか、それともレイを追ってきたのか、巣穴で別れたはずの子熊が今川辺に姿を見せていた。

 それも、母熊とはまるで異なる弾むような足取りで川に入り、水流の操作もできないながら必死で泳いでレイと母熊の後を追いかける。


 だがそれも母熊が起こした水流と波に飲まれてしまうも、健気に息継ぎを繰り返して緊張感の全くない楽しそうな表情を見せる。


 モアモア、とレイと母熊の後を必死で追いかけていた最中、水中から伸びる魔の手に、子熊は捉えられてしまう。その瞬間が、レイの目にははっきりと見て取れた。見えてしまったのだ。


「モァッ――」


 水中へ引きずり込まれる瞬間、レイの耳に微かに届いた悲鳴のような鳴き声。

 それを最後に、泡を残して水の中に消えていく子熊。

 今尚、母熊は背後の出来事に気付く様子は無く、レイ一人に尋常ではない執着を見せて怒りの形相で追いかけてきている。このままでは、水流にまで干渉できない子熊は間違いなく溺死するであろう状況に、レイの足は前に進むのを拒絶するかのように重みを増す。




 ――助ける義理なんて、ないはず。




 自分の足にのしかかる重みが何なのかは理解しているつもりで、それを分かっているからこそ、前に進むことも、引き返すことも出来ないでいた。


 溺れていく子熊を助ける必要は、無い。無いはずだと言うのに。


 泳ぎ方を知らなかった子熊が、水生魔物の餌食となる。それは深層だけでなく、世界中で見られる食物連鎖だ。

 弱い者は食われ、強い者が生きる。それが自然界、それが深層の森であることは重々理解しているつもりだった。

 レイもまた深層ではそうやって生きてきた。多くの魔物を狩って、食べて、生活していた。

 故に、子熊を引きずり込んだ水生魔物は何も悪くはない。ただ生きるために、子熊を狩りに来ただけなのだから。


 それこそが自然の摂理。後になって母熊が後悔しようとしなかろうと、弱者は食われていくだけなのだから。


 そうした思考を繰り返していく度に、レイの脳裏には姉の姿が過る。

 思い出される姉、ヒジリは、レイが知る中で誰よりも強い人だった。

 得体の知れない『死』という存在に最後まで抗い続けようとした、レイの尊敬してやまない最愛の姉。

 だというのに、その命は生の全てを燃やし尽くすことを許されずに、命を絶たれた。


 卑怯な連中よりも、ずっと、ずぅっと強かったヒジリが生きる権利を奪われたのは、なぜか。


 それを自然と呼ぶのであれば、レイはその自然を否定しよう。

 ヒジリは生きた意味を否定するのであれば、レイもまた否定する者を否定しよう。

 幻想師だろうが、魔物だろうが、自然の摂理でさえも、僕は否定しよう。




(――今からすることは、間違いなく自分勝手な行動。自然の摂理に背く行動。……それで誰かに責められようとも、未来の僕はきっと褒めてくれるだろうから。姉さんも、きっと褒めてくれるだろうから。僕は、後悔しない道を、選ぶ)




 グレイ爺だって、シオだってこうするだろうから。


 瞬間、レイの体の奥底に眠っていた竜気が迸り、不安定だった足場が凍り付いたかのように頑丈な地面と化す。

 その場で反転した勢いのまま川岸に向かってリュックを放り投げると、レイは迷いなく水中に飛び込んだ。


 この時、レイの体には竜気による身体強化が完璧に制御された状態で発動していることを、自覚できておらず、ただ「助けなければ」という意志のみで体を動かしていた。


 リュックが岸辺の木の枝に引っかかったことを確認するよりも早く水中に身を落としたレイは、母熊の水流操作によって歪んだ川の中を力任せに泳いで抜け出す。過去に泳ぎに自信がある、と言った実力は伊達では無かった。


 突然動きが変わったレイに驚きを見せる母熊だったが、すぐにレイの後を追って水中に潜ってくる。


 水の中で藻掻く子熊は、自分を引きずり込んだ魔物に抗うも手も足も出せずに肺の中身を全て吐き出してしまう。

 子熊の元に辿り着いたレイが魔物を引き剥がそうと試みるが、動きの鈍くなる水中では水生魔物を引き剥がすこともままならないまま、生傷だけが増えていく。


 そんな中、突如として水生魔物の手が緩んだ瞬間、水の中に激しい衝撃が走った。












『――グゴモアアァァ―ンッ!!!!!!!』












 河川自体が震えあがる程の激昂の咆哮に水生魔物は一目散に逃げ出していく中、レイは子熊を連れて水面に上がっていくのだった。



「ハァッ、ハァッ――!!」



 全身で息をしながら岸に辿り着くと、母熊がレイの手から子熊を引いて反応を示さない子熊を鼻先で突く。

 飲み込んだ水を吐き出させなければ、とレイが立ち上がろうと全身に力を入れるが、竜気の反動か、深層に入ってから感じていた疲労感が冗談に感じられるような疲労に襲われる。それはまるで全身が悲鳴を上げているかのようで、指一本動かすことが叶わない。


 今までで一番の危機感を感じて、頭を動かすと、母熊の鼻先では子熊が自力で水を吐き出して目を覚ましているのが見える。


 どうやら無事だったようで、母熊の鼻先を舐め返す子熊の様子を見て、母熊にも冷静さが取り戻される。

 この状況で襲われてはひとたまりもないが、子熊が無事だった安心感に包まれたレイは、途方もない疲労からか意識を保つことができないまま気を失うのだった。


「無事で、良かった…………」










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ