34話 アルバヒメタケモドキへの手がかり
読んでいただきありがとうございます。
本日二話目。
苛烈だった満月の夜を超えてから、レイは森で二十回目の朝を数える。
双頭の魔物との闘いで疲弊しきっていたレイが次に目を覚ましたのは、翌日。
ほぼ丸一日眠り続けた事実に、レイは最初目が覚めた時は数分も経過していないのかと勘違いしたほどだ。
微かに欠けた月が沈んでいく中で目が覚め、昇っていく朝日を見てようやく現実を受け入れると、気が遠くなるような空腹と喉の渇きで意識ははっきりと覚醒に至った。
今にして思えば、竜鳳花の時と同じように魔物蔓延るこの森で丸一日眠りこけて無事で済むことなど、どう考えても奇跡に違いなく、レイは「もしかしたら眠っていれば安全なのかもしれない!?」なんて勘違いをした日に眠っているところを襲われたのが遠い日の思い出のように感じられる。
竜鳳花と言えば、満月草の生える場所に目印をつけて離れた後、数日かけて竜鳳花の元に戻って無事採取することができた。
これで、シオンフロップタケ、竜鳳花の二つの目的の確保が完了し、満月草も後は次の満月を待つのみ。
レイは月の満ち欠けには詳しくはないが、月が欠けていく過程をその目に宿し、記録することで次の満月がいつ頃かを予想できるようになった。
十四から十五日で月が欠けていき、十六日目から再び満ち始めたのを確認できた夜、レイは興奮してなかなか寝付けなかった。
つまりは、残るは十日程で再び満月草が花開く、と言うわけだ。
そうなれば、レイは残る一つの薬草キノコ、アルバヒメタケモドキを見つけるだけ――。
――とは息巻いたものの、予想外にもこのキノコが最も見つけられないという事態に陥ってしまい、結局なんの成果も得られないまま時間だけが過ぎていってしまう。
アルバヒメタケモドキが生息するのは、深層のとある魔物の巣穴。図に魔物姿と共に書かれている情報をもとに森の中を彷徨い続け、遂に二週間が経過した。
その間、空っぽになった矢筒はいっぱいになり、食料も一日二日は問題なく過ごせるだけの量は確保することができた。
けれども肝心の魔物が見つからないまま探し続け、遂に満月の周期を導き出した日の翌日、レイはお目当ての魔物をその目で捉えることができたのだった。
探し続けた魔物の名は、ファジーベアード。
ファジーベアードは雑食故に、あちこちに残された痕跡や縄張りの印から、ファジーベアードの生息域を見つけることに苦労はほとんどなかった。
しかし、前述した通りの時間がかかったのには、ファジーベアードの生態が大きく関わっていた。
それこそが、ファジーベアードの体毛である。
一本一本に脂がまとわりつくファジーベアードの体毛は、川や湖の水を纏わせ魔力で固定することによって、光の屈折を利用して姿を隠すのが特徴。ただでさえ森の中で視界が悪いと言うのに、姿の見えない魔物を探し求めることがどれだけ大変か。
擬態とは異なる、同化する魔物を大量の遮蔽物に囲まれた森の中から探すのは、骨が折れるなんてものでは無い。
更に加えて朧げな大熊の獰猛な性格は、向こうから視認されれば最後、姿の見えない暗殺者としてすぐ傍まで接近され、その巨腕から繰り出される一撃によって体を圧し折られることだろう。
そう言った理由こそが、朧げな大熊を脅威たらしめるものであり、レイが難航している要因でもあった。
そして今、レイはようやくと言った思いで体毛の水を取り替えにやってきたファジーベアードの姿を捉えたのが、四日前。
こっちが探しても、向こうから見つけられては最後。気付けば真横にいて殺されてしまいました、なんていう事態だけは避けたいがために思うように動けなかったこともあって時間がかかったのであった。
「…………四日間、一度も、巣穴に帰らないし」
かと言っても結局のところ、ファジーベアードを見つけたところで自由に動けるようになるわけでは無い。
ファジーベアードの巣穴で、しかもファジーベアードの糞を菌床にして生えるアルバヒメタケモドキを採取しなければならないため、彼女が巣穴に戻るまでこうして監視を続けなければならないのであった。
四日間の監視の成果で分かったことは、シオに負けず劣らずの大食漢、個体は雌……、と言うことくらいだった。
ファジーベアードが食事を摂れば、レイもまた食事を摂る。
ファジーベアードが夜に眠れば、レイもまた眠りにつく。
四日間のストーキングによって向こうも視線に感づいているのか、時折周囲を見渡す素振りをするのだが、レイの隠密技術は特段優れて――いるわけでは無く、単純にファジーベアードが視認できない距離から監視しているだけだった。
ファジーベアードの苛立ちは日を追うごとに募っていっているようで、今日は特に荒ぶっている。アルバヒメタケモドキを採ったらさっさと退散しよう、なんて考えながらストーキングもとい観察を続けていた。
自分でも「反則」なんて思いつつある目の良さを最大限に生かしてストーキングを続けていると、突然服の裾を引っ張られる感覚にふと視線を落としてみると、今の今まで目で追っていたファジーベアードとそっくりな幼体が、餌と間違えたのか服の裾を涎でべちゃべちゃにしていた。
「ヴェアッ――――!?」
今まで出したことも無いような、言葉にならない悲鳴を上げるのを必死になって堪えると、レイは落ち着いて目の前の幼体を抱き上げる。
警戒心が欠片も無いのか、魔物にとっては敵性個体であるはずのレイに抱かれても呑気に自分の手を嘗めるなどして、非常にリラックスした様子を見せる。
「んモッ、んモッ」
幼体は鼻をひくひくさせてレイの事を見上げると、可愛らしくコテン、と首を傾げる。
その様子はアカリと出会ったばかりの頃のグリンを思い出させる愛らしさで、気の抜けたとぼけた顔をレイに見せてくる。久しく感じていなかった自分以外の体温に触れたレイは思わず自分の本来の目的を忘れたかのようにぼーっと呆けていたが、しばらくして目的を思い出す。
――成体ファジーベアードの追っかけが!!
しかし、思い出した時には時すでに遅く、先ほどまで居たはずの視線の先から四日間追いかけ続けたファジーベアードの姿は消えていて、残されたのは目の前の小さくて呑気な幼体ファジーベアードだけだった。
アルバヒメタケモドキへの手がかりを完全に見失ってしまい、この四日間の努力が水の泡となって消えたことに、レイは膝をついて項垂れるのであった。
「……お前のせいで、見失っちゃったんだからね」
小さな歩幅でとてとてと森の中を歩いていくファジーベアードの幼体の背に向かって文句を垂れるも、ファジーベアードの幼体は「ンモッ、ンモッ」と鼻息をふんふんと鳴らしながら文字通り道草を食ってそこいらの草花を食む。
肩を落とすレイからは遣る瀬無さが募って文句が口から零れるが、小さな小さな幼体に言ったところで伝わるとも思っていない。
もう一度最初から、痕跡の類からファジーベアードを探す、なんていう根気は沸いてくるはずもなく、今はただ目の前を自由気ままにおしりを振って歩く幼体が巣穴に戻ってくれることを祈るしかなかった。
成体の時と同じように遠くから見張ろうとも思ったのだが、幼体はレイに懐いてしまったようで、レイが離れようとすると泣きそうになってしまうため、今はこうしてのんびりとしたペースで幼体の後ろをぴったりと着いて歩いていた。
「本当の体毛は、ピンクなんだ……?」
成体のように魔力で水の膜を生み出し、光を屈折させるのが拙い幼体の体は薄い桃色をしていることに気が付く。けれども、この状態でも、幼体の僅かな魔力を使って水の膜が張られている状態であるため、実際には幼体の体表に流れる血潮が透けて見えている状態だった。
レイはそう言った知識は乏しいために、勘違いをしてしまう。
成体になれば、体毛も魔力も増え、同時に身に纏う水の量も多いが故に、比例するかのように成体の筋力は計り知れない程のものとなり、水の鏡鎧を剥がした際のファジーベアードの恐ろしさはあのグレイ爺でさえも躊躇する程のものであった。
そんなことは知らないレイは、ここ数日一歩間違えれば成体に襲われるという張り詰めた緊張感から解放され、のほほんとした様子で幼体が巣穴に帰るのを見守っていた。
ゆったりとした幼体の散歩コースには、ファジーベアードの縄張りであっても他の魔物も姿を見せる。
力の弱い幼体は狙われやすいのか、頻繁に遭遇するのだが、そのたびにレイが弓矢で撃退して難を逃れる。
そうして森の中を歩く事――否、彷徨うこと数時間。
やがて森には日暮れが訪れる。赤く染まっていく空を見て、幼体は初めて自分たちが同じ場所をグルグル回っていただけなのだと気付き、ゆっくりとレイの方を振り返る。
「――モアァッ! モアァッ!」
潤んだ瞳でレイの事を見上げたかと思うと、ファジーベアードの幼体は大声を上げて泣き出してしまう。
夜が近づく森の中で泣き叫ぶなど、自殺行為に等しいと、長期間深層で過ごしたレイは知っているからこそ、慌てて幼体を抱き上げる。
重た……! とよろけそうになるが、腰に乗せる形で自分の体に寄せ「大丈夫、大丈夫だよ」と、薄らと記憶に残るゲンさんの泣き止ませる姿の真似をする。
人と魔物では違うのかもしれないが、それでも、抱き寄せて揺らしてやると、幼体は段々と落ち着きを取り戻してレイの首元をぺろぺろと舐め始める。
くすぐったくて可愛らしい甘え方に、思わず眉間の辺りを指先で撫でてやると、幼体は気持ちよさそうに目を細めてレイの指を口元に運ぶ。
食われる、と思って引き離そうとしたが、幼体はレイの指を甘噛みするに留めて甘えたような声を出す。
「モっ、モっ……」
きゅ、と再びレイの首に抱き着いたかと思うと、幼体はレイの腕から抜け出し、レイの体を登っていく。
肩車のような形で幼体が頭の上にすっぽりと収まる。
幼体と言えど熊の魔物の幼体。頻繁に頭だったり肩に乗ってくるシオの重みとは桁違いな重みに「うっ」と呻くレイ。降りる気配どころか、しばらくはそこに居座るような空気を放つ幼体にしょうがないか、と溜め息を吐く。
このまま無理に引き剝がしても、また大泣きされるのが目に見えている以上、このまま好きにさせるのがいいだろう。もしも他の魔物と出会った時にはさすがに降ろさないと不味いのだが。
若干の危機感を覚えたレイを他所に、幼体は上機嫌にレイの額を叩く。それはまるで「あっちにいけ」と指図するような豪胆さで、肉球を押し付けてくる幼体の言う通りにレイは体を動かす。気分はまるで操り人形だが、昔にシオと仲直りした時にこうして遊んだ記憶が蘇る。
幼体もまた、視点が高くなったおかげで巣穴への帰り道を思い出したのか、上機嫌に頭の上で体を揺らす。
(ゆ、揺れないで……!! 肩が、肩が壊れちゃうからぁ~!!)
日が暮れていく中を、レイは幼体の言う通りに道を進めていくと、森の中でも特に巨木が集まる森に入っていく。その中の一本の大木の前で足を止めると、幼体はレイの頭から体を伝って地面に降り立ち、巨木の穴の中に入っていってしまう。
礼の一つも無しか! と呆れながら穴を観察すると、巨木にからすれば小さな穴だ。
大人一人がやっと通れるようなサイズで、奥へ行けば行くほど狭くなっているようだった。
荷物はまだしも、弓矢と矢筒は突っかかりそうだなと穴の横に立てかけるも、ここが本当にファジーベアードの巣穴なのかと疑問も残る。
レイが追っていた成体のファジーベアードの大きさは大人と比べてもずっと大きなもので、グレイ爺よりも頭一つ分大きいか、といったサイズ。この穴では決して通れはしないだろうと思い出す。
確かこれくらいだったなぁ、とちょうど良い指標が現れ頷きを繰り返した――。
「――あぁ、そうそう、僕の体がすっぽり隠れるくらい大きく、て……?」
――自分の影を覆い隠すようにして現れた指標、それは影。
タイミングよくレイの抱えていた疑問の答えを示されたかのような状況に、レイは何も考えずに後ろを振り返る。
突如として差した影の正体が後ろにいるのは当然と言えば当然、当たり前と言えば当たり前。
けれどもその正体は、紛れもなくレイが思い浮かべていた、見失ったはずの雌のファジーベアードの成体が二本足で立っていた。
……それも、見たことも無い程に腹を立てた様子で。
怒りの形相のファジーベアードに見下ろされるという貴重な経験も得たレイは、幼体に驚かされた時と同じような、けれどもそれ以上にパニックになった状態で声にならない叫び声を上げるのだった。
「――――ッ!?!?!?」
レイは、幼体の後を追って巣穴に飛び込んだ。




