30話 VSシアンフログ
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本日四話目。
安全が確保されたことで一息ついていたレイだったが、リュックの中身を改めて確認すると、再び焦りが生まれてくる事態に陥ってしまっていた。
深層の森二日目早朝。
双頭の魔物に目覚ましを食らうという深層の洗礼を早々に浴びせられたレイは、テントを犠牲に命からがら逃げ延びたはいいものの、犠牲になったのは寝床だけでは無かった。
「食べ物が、ほとんど無い……!」
逃げ延びた先で安全を確保した後に荷物を確認していたところ、昨夜腹が減っては眠れない、と口にした携帯食、魔物肉のジャーキーがリュックの中で散らばっていた。
あれだけ激しく動いたのだから散ら辺っているくらいは納得できるとして、数え集めた結果を見てレイは絶望の淵に立たされることになる。
二週間は余裕で持たせられるだけの量が入っていたのだが、今数えてみればそれの半分以下、五日分にも心許ない数にまで減ってしまっているのだった。
元々、レイの体は食が細く、グレイ爺の見立てで用意された携帯食の量があれば三週間は持たせられただろう。今回残された魔物肉ジャーキーもまた、抑えに抑えて一週間持たせられるかどうか、と言ったところ。
しかし、当然それは何事も無く深層で過ごせた場合の話ではあるが。
初日、及び二日目からこのようなトラブルに巻き込まれていては先が思いやられるレイは一人でいることの心細さに加えて、突然の非常事態に目の前が真っ暗になるような感覚を覚える。
「ど、どうしよう……!? い、一回戻るしか――いや、でも……。っ、やるしかない、よね……」
一度はグレイ爺とシオが待つ家の方角を向いて泣いてしまいそうな表情を見せるも、レイは即座にその考えを振り払う。
レイだって馬鹿ではないのだ。グレイ爺の突然の不調に加えて、シオがいつにも増してグレイ爺を気にかけていた事も、あからさまに用意された荷物の類も全てなんらかの意図があることは分かっていた。
自分を一人で深層までお使いに行かせるだけの理由が何かしらあるのだと気付いていた。
故に、今ここですごすごと引き返すことが間違っているという判断に至ったレイは、目の前のリュックに視線を戻して現実と向き合う。
「水筒は、無事。弓矢も、問題ない……。問題なのは、食料と寝床だけ、か」
だけ、とは言え深刻な問題な事には変わらず、深層に何日間、どれだけ滞在するかも不明な状態で食べ物も眠る場所も限られる極限状態が待っている。
「なんとかなる……。いや、なんとか、するしかない!」
満月草が花開く満月の日がいつ来るのか不明なまま、レイは覚悟を決める。
動かなければこのまま死んでいくか、シオとグレイ爺の期待を裏切って帰るしか道はなくなってしまう。
動けるときに動いて、食べられそうな魔物がいれば狩っていくしかない。解体用のナイフだってあるし、暴食暴れウサギの解体は慣れているから、その要領で行けば深層の魔物だって腹を満たしてくれるはず。
全てが終わるその時まで安息とは別れを告げ、レイは自ら過酷な道へと歩み出していく。
今頃、あの双頭の魔物はテントの中や地面に散らばったジャーキーを貪っているのだろうと考えると、どうして自分がこんなひもじい思いをしなければならないのか、と深層における安息を奪ったあの魔物に対してレイの内側からふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「絶対許してあげないんだから……! 次見つけたら、僕が食べてやる!」
許さない、と決意新たに気炎を吐くレイは、そう言いながらも双頭の魔物から遠ざかるように来た道に背を向けて歩き出していく。
それから半日ほど歩いたところで、独特な臭気を鼻が感じ取る場所までやってきていた。
道中、小さな鳥の魔物だったり、グレイ爺から教わった森に生息する植物の類を見極めたところで、今日食べる分の食料は手に入れることが出来た。
道草を食っていたせいで森を探索する脚は非常に遅かったが、遂に目的の一つ、四種類の薬草キノコの内の一つが近いことに気付いた。
独特な腐臭、それも微かに甘い臭いも混じる激臭に、レイの表情が曇る。
近付くだけでも鼻が曲がりそうな臭いがする方へ足を向けるレイ。目的のためとはいえ些か気が引けるのだが、これを乗り越えればこれ以上に臭いのキツイものは無いのだからと自分に言い聞かせて突き進む。
深層には腐肉を好む魔物も生息しているため、森の木々に影響が出るほどの腐臭を漂わせていれば襲ってくださいと言っているようなもの。けれども、今からレイが近づいていく存在は、腐肉を好む魔物ですらも近付くことを拒むような場所だった。
慎重に弓を構えながら臭いが強くなる方へ近づいていくと、歪に成長した木々を抜け、腐臭の源である沼に辿り着く。
「うぇ……、なんだこれ……」
そこは木々に覆われた森とは打って変わって、まだ昼過ぎだというのに木々が蓋をするように薄暗い湿地帯にレイは足を踏み入れた。
コポコポと泡立つような泥沼の周りは陰気に満ちており、紫色に変色した地面は柔らかく、踏み入れると僅かに沈む湿地の感触にレイの顔はどんどん引き攣っていく。
それもそのはず、レイはこう言った腐りかけの果実のような感触、ぶよぶよとした感触が大の苦手であった。畑仕事をしていても、芋虫が出てきたときは必ずシオに駆除してもらっていた程に、苦手なのであった。
そんな苦手意識を持っているのにこの沼地に近づいた理由こそが、沼のあちこちに頭を出してジッとしている紫色の蛙に用があるからであった。
紫色の肌に、斑点模様。見るからに「毒を持っていますよ」と看板を掲げているような蛙こそが、シオンフロップタケを取るために欠かせない魔物、シアンフログだった。
深層の中でも特に凶悪な環境破壊をもたらすと言われるシアンフログ。
そんな蛙達は今、沼地に潜っていたり、湿地で微動だにせずに止まっていたり。レイと言う自分たち以外の存在が目の前に現れたというのに、レイをちらりと一瞥しただけで敵対する様子もないままボーっとしていた。
シアンフログの特徴として、日の光に非常に弱いとされていて、木々が茂って日陰を作っているというのに、それでも微弱な日の光でこうして動きがかなり制限されてしまう。
森以外で出会うときは基本は洞窟の中だったりするが、深層に住まうシアンフログはこうして日の光が出ている限りは命の危険が無い限りは基本的に微動だにしない。
日の光に弱い理由こそが、シアンフログの体内に生えるシオンフロップタケを守るためだった。
なぜ体内にキノコが生えているのかと言うと、それはシアンフログの特性が関係しており、シアンフログの体表から染み出る粘液には強力な毒素が含まれているからで、その毒素を、シアンフログ本体を一度でも清流に入れようものなら、僅か一晩でその水は水生生物を殺し尽くす死の沼に変わり果てる。それと同時に、シアンフログもまたその毒によって殺されるというなんとも雑な組成がされた魔物なのであった。
しかし、今レイの目の前には平然とした様子でぬぼー、と死の沼に浸かる蛙の姿があり、それを為しているのが腹に棲まうシオンフロップタケなのであった。シオンフロップタケがもたらす解毒作用は非常に強力で、シアンフログが自分の毒で死ぬことが無くなる一助をしていた。
シアンフログは、生まれてくる子供に自身の胃から直接シオンフロップタケを食わせ、自らの毒に抵抗を得ることで生き延びてきた。
今も湿地で佇むシアンフログの腹を注視すると、呼吸をするたびに膨らむ腹から薄らとシオンフロップタケが透けて見えるのだった。
「――それを奪われたら、死んでしまう……、か」
リュックから取り出したシオンフロップタケの解説に書かれていることを読み上げても、目の前のシアンフログ達は襲い掛かってくるような気配はない。
けれども、日の光が完全に消える夜になると、シアンフログは本性を現す。レイの体長を大きく上回る巨体で跳びまわり、大木すら容易に圧し折る舌で沼地に迷い込んだ魔物を弄ぶ程に凶悪かつ獰猛な性質を持っているため、シオンフロップタケを手に入れるには日の光が出ている今がチャンスなのであった。
しかし、口に出した一文がレイの覚悟を揺さぶる。
「それでも、やらなきゃ、グレイ爺が、死んじゃうから……!!」
――奪われないために、奪う。
殺さないで済むのであればそれが一番良いのだが、あいにくレイにそんな夢のような技術はない。
故に、命を懸けて魔物と向き合う事こそが、レイにできる唯一の手向けであった。
リュックを肩から降ろして、弓矢を番える。
漂う臭気も、鼻が慣れてしまえば多少の息苦しさで誤魔化せる。問題は足場の緩さだが、水面歩きと同じ要領で歩いてみれば足場に困ることはないし、サブいぼが立つことも無い。十分に戦えると判断したレイは、奪う覚悟を決めて湿地で微動だにしていなかったシアンフログに鏃を向けた。
その瞬間、湿地で佇んでいただけの蛙の黒く塗りつぶした瞳がレイの方にぎょろりと動いたかと思うと、隠された獰猛さが殺気となってレイに襲い掛かる。
「――ッ!?」
レイの覚悟に呼応するかのように放たれた殺気に思わず竦み上がってしまうレイ。
そもそも、こうして真正面から一対一で命のやり取りを経験すること自体初めてで、普段グレイ爺の家の周りで行う狩りが遊びのようなものだったと理解ってしまう。
一方的な狩りとはまるで違う緊張感。
お互いに奪う側奪われる側に回る可能性がある命のやり取りこそが「本物」なのだと突き付けられたレイは、その場に縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。
極度の緊張からもたらされた制止は、考える事すらも放棄させる。
普段ならば、傍にいてくれるシオが発破をかけて我に返るのだが、シオが傍にいない以上支援を期待するのは無意味な事。
今この場に立っているのは、レイのみ。シオもグレイ爺も、助けてはくれないのだ。
緊迫で張り詰めた空気の中、止まった時間の中を動き出すのは、シオに言われたからではなく、レイ自身でなければならない。
それを自覚して頭を上げた瞬間、目に映るのは沼の中から伸びてくる生々しい肉の塊。
それがシアンフログの舌であることを把握できたのは、泥の上に転がって起き上がってからだった。
(気を引き締めろ、遊びじゃないんだ、しっかりしろ、僕……!!)
レイの立ち尽くしていた場所に振り下ろされたシアンフログの強靭な舌による一撃は、微かな日の光の舌でも威力は十分。レイの頭ほどもある岩を簡単に砕いて主の元へ帰っていく。帰っていく先は沼の中で、レイが殺気に当てられて呆然としている間に沼に体を沈めたのだ。
毒性の強い沼の中であれば、日の光の下、鈍重な動きでも関係はない。一気に不利に立たせられたレイだったが、その顔に笑みを浮かべる。
『虚勢だろうと、見栄だろうと何でもいい。とにかく笑え。笑って前を向き続ける限り、お前が負けることは無い』
いつかグレイ爺に贈られた言葉を思い出して、無理にでも笑って見せる。
きっと不細工で歪み引き攣った笑みだろうが、関係ない。当たってしまえば確かにひとたまりもない攻撃だろうが、戸惑いから明けたばかりの一瞬でも視認してから避けられたのだ。何も怖い事なんてない、と言い聞かせるように笑って見せると、頭の上についた真っ黒な眼球だけを沼の中から覗かせるシアンフログの目が苛立つ様子を見せる。
不思議と、鼻を衝く臭いがしなくなった世界で、再度放たれた舌を体を横に移動させて避ける。
周りにいた他のシアンフログが加勢に入ることなく離れていったのはそういう習性なのか、それとも――なんて考えながら弓を引くも、シアンフログは沼に体を沈めて矢を躱す。
沼に居られる限り厄介だな、と思いながら身構えていると、今度は全くの別の方向から舌が伸びてくる。
死角が限られているレイにとって広い視野の中で確実に捉えていたため避けるのは造作もない事だったが、それでも毎回泥の泥の沼の中に潜られるのは勘弁してもらいたい、と思いながら、局所的に集中状態に入る。
深層では危険な状況以外での使用は極力控えて、薄い集中状態を維持させようと考えていたが、この状況、時間をかければかけるだけこちらが消耗していくことを読み切ったレイはここで手札を切る。
「――見えたっ」
再び沼の中を移動してまったくの別角度から舌を放ってきたシアンフログの位置を確認すると、最低限の動きで舌の攻撃を避け、舌が地面を打ち付けるタイミングに合わせて矢を放つ。
ぬらぬらと光る舌は容易く貫通し、舌を地面に縫い付ける。
痛みからか「ヌゲェア!?」という悲鳴が上がるも、当然ながら柔らかな地面ではすぐに抜けてしまうだろう。しかし、舌を仕舞うのにシアンフログは沼の中から頭を出したままにしなければならないことを確認済みである以上、数秒でも隙が生まれたならば、レイの早がけが頭蓋を打ち抜く。
狙い定めて一射必滅。
脳天を貫かれたシアンフログは断末魔を残して力なく沼に沈んでいく――。
「――だぁもうッ、地上で倒したかったよ!!」
その亡骸が沼の底に落ちる前に、これまた用意周到にリュックに入れられていた厚手の手袋を使って文句を垂れ流しながらシアンフログの巨体を引きずり上げるのだった。
引き上げ、シアンフログの解体、シオンフロップタケの採取が終わる頃には、日が暮れ始め、沼地の主達はウォーミングアップでもするかのように合唱を始めた辺りで、レイはすたこらさっさと退散するのであった。
まずは一種類目、シオンフロップタケを手に入れることができたのであった。




