13話 とことん幸せになってもらおう作戦
読んでいただきありがとうございます。
本日三話目です!
――心の穴を埋める、怒りや憎しみとは別のモノ。
今の状態で幻想の森に戻ったとて、牡鹿は疎かガリウスにも、シュウにさえも負けて殺されるのが目に見えている。
目覚めたばかりの時は、レイの心の大半、生きる目標とも言えたヒジリの存在は大きく、ヒジリのいない世界で生きるくらいなら、むしろ殺されても良かったとすら考えていた。
(姉さんのいない世界は、色褪せて見える)
そう考えていたのも昨日までだったレイは今、世界の色鮮やかさを知っていた。
知ってしまった。教えられてしまったのだった。
「ほれ、これでも食ってみろ。飛ぶぞ?」
何が飛ぶのか分からないが、差し出された水の滴る張りのある野菜にかぶりつく。
畑の中で、採れて数分もしない野菜を口いっぱいに頬張ると、口の中で弾ける瑞々しさにレイは思わず目を見開く。瑞々しくて、甘さの中に感じる仄かな酸味は、どこか癖になる美味しさだった。大食らいのシオには関係ないのか、飲み物でも飲むかのように次から次へと口に放り込んでいるのを微笑ましく眺める。
そんなレイの反応を見て満足そうに微笑んだグレイ爺は、目寄れしたタオルで汗を拭うと再び畑の手入れに戻る。
それに続いて、レイも止まっていた作業に戻っていく。
手が空くと色々と余計なネガティブな思考が頭を過ってしまうために、レイは今、グレイ爺の畑仕事であったり家事のいくつかをを手伝っていた。畑の規模は幻想の森でレイが管理していた田畑と比べれば半分以下、三分の一も無い広さだが、それでも隅から隅まで手入れが行き届いた畑には、立派な成果が実っていた。
「手慣れているな」
「ずっと、畑仕事しかやってこなかったから……」
グレイ爺が時折腰を伸ばす動作を挟む間に、レイは慣れた様子で収穫をしていく。
いつものように時間による制限がない上に、考え事もしながらのスローペースだったとしても、レイの仕事ぶりはグレイ爺の仕事量を半分以下に減らすことに成功していた。
「それで……。あれから三日経ったがどうだ、何かいいモノは見つけられたか?」
レイが加わっていつもよりずっと早い時間に休憩をする小屋の軒下。
日陰になる場所に腰を下ろして休憩するグレイ爺は、急かす素振りもなくただ普通に世間話をするかのように尋ねる。
あの日、レイの道連れによって共にシオとグロッキーになって帰ったあの日から、既に三日が経過していて、その間レイは真面目に自分自身と向き合い考え続けていた。
そんなレイに対してシオの方はと言うと、悩み続けるレイとは異なり、返ってきたその日の内に早々に見つけたらしく、今は厩舎で世話をしている唯一の家畜、モウちゃんとカウちゃんと親睦を深めている。
モウちゃんカウちゃんの二頭の牛は、捕食者の目を向けるシオとはあまり仲良くしたくないらしいが、それでもシオは諦めずに会話を試みている、というのは毎朝乳を搾りに行くグレイ爺から聞かされた話だった。
意外とグイグイ行くタイプのシオは、アカリと初めて会った時もまた同じようにグリンに構ってちゃんをしてばかりだった。グリンも最初は引いていたものの、今ではグリンの方がシオ大好きオーラを発しているくらいだった。
そんなシオは放って置いて、レイはグレイ爺の問いに自然体を装って答える。
「うん、見つけた」
「ほう。それは何か、ワシに教えてくれるか?」
外面には笑顔を張り付けて、緊張している素振りは欠片も見せない。
固く握った両の手はじっとりと汗ばんで、高鳴る鼓動の心拍音はグレイ爺に聞こえてしまうのではないかと言う程に気を張っているのを隠して語る。
はぁふぅ、と深呼吸を一つして、レイが話すまで待ってくれているグレイ爺を見上げる。
「……僕は、姉さんを奪ったやつらが憎い。それはきっとこれから先、忘れたくても忘れられないと思う」
グレイ爺は、ただ黙って話しやすいよう相槌を軽く打つだけで、レイの言葉を優先してくれる。
でも、と言葉を続けてレイが顔を上げると、いつの間にグレイ爺の肩に乗るシオの姿もあった。
「――それだけじゃ、きっと強くなれない。だから僕は、姉さんの夢を代わりに叶えてあげたい。夢を叶えるための強さが、力が欲しい。もう誰にも、何も奪われない強さが……、欲しいです……! もうっ、こんな思いは、二度とっ……、したくないから……っ!!」
いつの間にか、レイの声は潤んで、震えていて。
だが、それでも決してレイは俯かなかった。唇を噛んで、涙を流すまいと堪えながら、最後までグレイ爺を見据えて言い切った。
憎しみに変わるモノ。レイはそれを「夢」と語る。
それがいかに儚く、脆いものかを知るグレイ爺は、黙ってレイの目を見つめる。
泣くまい、と堪える目には、レイの言葉の通り忘れることのできない怒りと憎しみが渦巻いている。どんなに取り繕おうとも、目だけは常に真実を語ると言うもの。
レイが今、心の底から願っているのは、紛れもない復讐。隠し切れない憎悪の炎は、見上げる瞳に映り込んでおり、それを覗き込むグレイ爺にはレイが嘘を吐いていることは分かっていた。
それでも、確かに前を向き続けるレイの瞳は力強く、真摯なものだった。
前を向いてさえいれば、一周まわって正直なこの子が道を外れる心配は無い。肩の上でレイの成長を喜び尽くすシオが傍にいれば、問題は無いだろうと、グレイ爺は考えた。
その上で、レイの執念がいつの日か折れてしまおうとも、構わないと考えていた。
――グレイ爺は、レイの身の上を知らない。
なぜなら、レイの目が覚めるまでの間、シオから語られたレイの人生はあまりにも苦痛に満ちており、それら全てが真実だとは思えなかったから。
シオの語った内容は、あくまでもシオの主観のみで語られており、脚色がいささか大げさなものだったためグレイ爺は半分も信じていなかった。
――どうしてこの世界で、赤子の頃に孤児院もない場所に捨てられ、物心ついて間もない頃から日夜畑で働かされる世界があるものか。
厳格な子育てで有名な獅子の顔を持つ種族でさえも、子供が十になるまでは大切に育てるものだから。
――どこの世界に、子供を「死んだ方がマシ」だと思わせる目に逢わせる大人がいるものか。
――どこの世界でも、子供は大人に守られて生きていて、大人は子供を守るために生きているのに。
――もしもシオの話が脚色の一切ないノンフィクションであったなら。
それは最早、レイがここまで生きてこれたことが奇跡に他ならず、グレイ爺自身の人生と比べても幼少時代から遥かに過酷な人生を送ってきていることになる。
そんな子供を守ってやるのが大人の使命。救ってやるのが大人の責任と言うべきものではないのか。
グレイ爺の抱いていた疑念は、レイのその声、その目、その願い、その執念に触れ、初めて確信に変わる。
(辛かっただろう、悲しかっただろう、怖かっただろう)
目の前の少年が幸せになれるのであれば、目の前の傷だらけで、ボロボロで、痩せこけて、大事なものまで奪われた可哀そうな少年を幸せにできるのであれば、自分にできることは全て教えよう、そう心に誓って。
「――あぁ、教えようとも。ワシの持ちうる全てを、教えてやろうとも」
「ほ、本当に?」
「嘘を吐いているように見えるか?」
「良かったなぁ、レイ!」
「うん……、うん!!」
涙も拭ってシオと喜び合うレイの姿は非常に幼く見える。
そんなレイの頭をこれでもかと、がしがしと撫でてくるグレイ爺の手は硬くて厚い手の平で、ヒジリのような柔らかくて丁寧な手付きとは異なるものの、心地よさは変わらなかった。
はしゃぐほどに嬉しい喜びが伝わってくるようで、グレイ爺もまた可笑しくなって笑っていると、真正面にレイとシオが並び立つ。
「よろしく、お願いします」
指先と背筋を伸ばして頭を下げたレイに合わせてシオも頭を下げる姿に、礼儀を教え込んだであろう姉に会ってみたい、と鼻息を漏らすグレイ爺。
正しく、レイのために生きた人物として、誰に教え伝えられることもなく、ただレイの心に生き続けるであろう人物だ、と感銘を受けるのであった。
「あぁ、よろしく頼むとするかの。だが教える前に一つ、覚えておいてほしいことがある」
「覚えておいてほしいこと……?」
そう言って、たった今生徒になったレイとシオの二人を真っ直ぐ見つめて、生きる強さを教えていくうえで必要な物を口にする。最初の授業であった。
「――真なる強さは、肉体ではなく精神に宿る。芯無き強さは真の強さとは呼ばぬ。迷いなき覚悟、揺るぎない芯を持つ魂にこそ、真の強さが宿ると言うもの。……仮に復讐を誓ったとて、邪であろうと、必ず胸の一番奥には、揺るがぬ信念を持ち続けろ。さすれば、自ずと力は身に付くものよ」
レイの頭ほどもある握り拳が強く胸を叩く。その奥に宿る迷いなき覚悟を震わせるように。
そしてレイとシオにもまた、それを自覚するように自らの胸を見下ろす。それが復讐であっても、人の夢であっても、決して揺るがぬ、決して折れぬ柱を持ち続けるのだと自分に言い聞かせて。
「「はいッ!!」」
力強い返事に、にかっ、と笑ったグレイ爺は、鍛錬は明日からにしようと言ってレイとシオの二人を風呂に入れる。農作業の慣れた手つきとは異なり、多少覚束ない動きながらも自分で薪を運んで火を起こし風呂を沸かそうとする後姿を見ながら、グレイ爺は思う。
――復讐など、させてたまるものか。
グレイ爺の半生は、逃避と亀裂、争いと憎しみの絶えない人生だった。
その過程で、復讐に身を焦がし、苦しみの果てに復讐を成し遂げた人間も幾人も見てきたが、その誰もが、最後には同じことを口にしていた。
『……なんも、なんも無くなっちまった』
復讐を果たす者など、総じて狂った人間ばかりだ。
真っ当な人間ならば、一時の感情を数十年と抱え続ける事などできないと言うのに、復讐者は総じて頭のネジが何本も抜け落ちているような人間ばかり。
そのきっかけがあったにせよ、大人ですら一つの感情を保ち続けるのは難しい。また、同時に苦痛を伴うものと知っていながら、過酷な境遇を経て生き延びた目の前の少年に、グレイ爺が喜んで復讐の道を勧めるなど、あるはずも無かった。
そして恐らく――否、間違いなく。姉であるヒジリも、最愛の弟を修羅の道に走らせることを望んでいないはずだと分かっていた。
グレイ爺もまた、ヒジリと同じ立場になったことがあるから分かるのだ。奪われた我が子のために復讐の道に走った妻を、目の前で亡くした記憶が蘇る。
故にこそ、レイという少年には、絶望した過去を振り切ってしまえるくらい、未来に希望を持たせてやりたかった。
絶望に暮れた瞳も、家族を奪われた悲しみを怒りに変えなければ立ち上がることもできない程辛くて苦しいものだと知っている。だからこそ、グレイ爺はレイとシオの内に燻る火種、復讐心を肯定した。その火種は決して消えることのない炎で、時に強大な力にも変わる。
だがそれと同時に、その怒りの炎はやがて宿主の身も焦がす炎と化す。それは逃れようのない運命のようなもので、力の代償に身を滅ぼす炎のなんと惨き事かをグレイ爺は知っている。
感情を律することの難しさも、その炎に身を委ねたくなる気持ちも知っているからこそ、レイには復讐など忘れて世界の美しさに没頭してほしかった。
あの景色を見せた裏には、そんな意図が秘められていた。
そして、グレイ爺にはレイの内から復讐心を忘れさせる方法があった。
それこそが――。
――レイにはとことん幸せになってもらおう作戦、である。
奇しくもヒジリが願った事と全く同じ、レイに幸福感を与え、現在や未来に満足してもらおうという至極単純な作戦であった。
シオの語った内容によれば、レイは幻想の森の中で奴隷もびっくりな時間で働いており、外の世界に暮らす幸せの時間を知らないと踏んだグレイ爺は、鍛錬の合間に、この場で与えられる最大の幸せを与え続け、自然と復讐から遠ざけようと言うものだった。別名を「堕落作戦」とも言う。
――何年かかろうと、少しずつでもいい……。
目の前で煙を吸い込んで咳き込む、幼くて幸から遠ざけられた可哀そうな小さな少年を幸せにすることが、自らに与えられた最後の仕事なのかと頭の中で問いかける。
残された決して多くは無い時間を使って、レイが覆い隠せない程大きく満面の笑みを浮かべるようにすることが自分の使命なのだと、グレイ爺は自分に言い聞かせレイの元へ歩み寄るのだった。
……全てを知っていると自負するグレイ爺も知らない事があるとするならば、それは子供相手にきちんと向き合った事がない故の、「子心」だろうか。




