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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第二章 儚き夢の旅路へ
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12話 未来に絶望するな、若人よ

読んでいただきありがとうございます。

本日二話目でございます。

 



 お風呂に入って、お腹が破裂するまでご飯を食べて、気絶するみたいに眠りについて。

 農業区では決して出来ない贅沢な暮らしの中で目が覚めたのは、また同じ夢を見たからだ。





 ――姉さんが待ってる。

 ――幻想師(ヤツら)が笑っている。

 ――姉さんが、苦しんでいる。





 幻想師の、アイツらの顔がチラつく度に、レイの心が騒がしくなって仕方がない。

 姉を痛めつけて、弱らせて、終いには、苦しませて殺した。そんな連中がのうのうと生きていることが許せない。奪われたものを奪い返せと、同じ目に逢わせてやれと、心の中で騒ぎ立てるものがうるさくなって――レイは目を覚ます。




 昨日と同じで、酷い寝汗をかいて飛び起きたレイは自分の手に付いた血の跡に気付くと、額から血が垂れる感触に、窓に映る自分を見る。

 悪夢に魘されるあまり、閉じたはずの額の傷を掻き毟ってしまったのだろう。

 幸いなことに、ベッドのシーツに血痕が落ちることは無かったが、汗の染みたシーツは洗わなければならない。


 これから先、永遠にこの夢と、この得体の知れない感情に振り回されて目を覚ますのかと思うと、レイは言いようのない不安に駆られてしまう。


 心の内の黒い感情は、そう言った得も言われぬ不安が好物なのか、頭の奥でグツグツと煮えるような感覚はやがて酷い頭痛へと移り変わり、恐怖に転じてレイは蹲って動けなくなってしまう。



「……やだ、嫌だ――」



 その感情のままに動くことは自分を捨てることのようで、レイの残った傷だらけの理性ではこうして蹲って、這いずって、小さくなって殻に籠ることでしか、理性を保つことができない。


 この感情は間違っている、正しい事ではない。そのことに気付かせてくれたグレイ爺に報いるためにも、今この場で自分自身と決着をつける。




 ――幻想師(ヤツら)が憎い。姉さんと同じ苦しみを与えてやらないと気が済まない。




 ――全身に巡る憎悪に身を委ねてしまえば、今よりもずっと楽になれる。




 けれどそれは、ヒジリが好きだといった笑顔を捨てることに他ならず、ヒジリが命を懸けて救った『レイ』を殺すことになる。最愛だった姉の命を無駄にするような行為を、どうして許容できようか。


 ぐっ、と息を飲み込むがごとく感情を押し殺して立ち上がる。




 ――自分を押し殺して生きることが正しいと思うのか。




 耳元で甘くささやくようなドス黒い感情に吐き気を催しながらも立ち上がる。

 それはまるで、自分とは異なるもう一人の自分が心に住み着いてしまったような不快感。黒い感情を抱えているだけでも吐き気がする。悪寒がする。


 黙れ、黙れ、と言い聞かせ続け、胸の不快感が消え去る頃には既に外は昼を過ぎていた。


 半日以上も寝て過ごしたというのに、レイの頭は淀んだモノでいっぱいで、微塵も清かな気持ちにはなれなかった。


 居間に出ると、外からカコン、カコン、と小気味の良い音がリズム良く聞こえてきて、グレイ爺とシオが外にいるのが分かった。ガンガンと鳴り響く頭の中を洗い流すべく、水を一杯飲み干すと僅かに気が晴れたような気がした。



「おぉレイ。良く寝たなぁ!」

「レイ、おはよう。顔色が優れないようだが……」


 庭先に出ると、丸太を木斧で叩き割る薪割りに準じるシオとグレイ爺の姿があった。


 レイが顔を出すと、見て見て、と張り切って薪を二本咥えようとするも落とすシオと、木斧を置いてレイの顔を覗くグレイ爺。その洞察力は、ただレイのように目が、視力が良いという単純なものではなく、人生経験に基づいた確かな人を見る目だった。


 昨日も、レイはグレイ爺の視線に見透かされて不快感を覚えたばかりだというのに、今日のグレイ爺の視線には打って変わって、ただならぬ安心感を感じてならなかった。

 その逞しい腕で頭を撫でられた際には、さっきまで感じていた自分ではどうしようもない不安感が薄れていった。


 シオと同様にグレイ爺の傍に腰かける。

 そのままグレイ爺は薪割りを続けるのかと見上げていると、グレイ爺は何か考え事をしたのちに自慢の髭を一撫でして、一度空を見上げると「良し」と呟いた。



「レイ、シオ。良いところに連れて行ってやろう。着いてこい」

「「えっ!?」」



 グレイ爺はそう言うと、薪割りで流れた汗もそのままに森の中へと突き進んでいく。

 置いてかれまい、と焦って走り出したレイとそれに続くシオは、グレイ爺の通った後を追うように森の中に入っていく。


 見渡してみればグレイ爺の暮らす小屋は四方八方を森で囲われていて、森に中にポツンとある小さな木組みの小屋だと気付く。

 小屋の周りには、自給自足を賄う畑に、レイが恐怖した大釜の小屋、それからいくつかの小屋が見える、それなりに広い住処であった。


「この森……、魔物の気配がビンビンしてるぜ……?」


 レイを守るように前を飛ぶシオはそう言って、視線を巡らす。

 シオの視線の先、木と木の合間からこちらを伺うのは赤い目をした魔物。姿は一つだからか、魔物は警戒するだけでレイ達に襲い掛かろうとする様子は見て取れなかった。


 しかし、それ以上にレイは気になって仕方がない事を見つけてしまい、グレイ爺の後を追う事すら集中できそうになかった。それ程までに重大な事を見落とし、聞き落としていたことに気付いてしまったのだ。











「――シオがしゃべってりゅ!?」











「――今さらかよッ!?」


 思わず立ち止まってしまう程の衝撃は先行するグレイ爺の足も止めてしまう程で、あまりの驚き様にこちらを覗いていた魔物も立ち去ってしまっている始末。


 そも、幻想種の中でも話すことができる存在は少なくはない。

 幻想の森で言えば上級区に当てられる幻想種はほとんど話すことができる。ヒジリのラナだったり、ガリウスの牡鹿であったり。しかし、逆に言ってしまえば下級の幻想種であるシオは喋ることができない。アカリの幻想種、鷲獅子のグリンだって喋れない。

 幻想種の声帯に関しては、元から備える竜気の量であったり、半身との繋がりであったりと様々なことが関係しているとも言われていたが、シオは話すことができなかったはずなのだ。


 先日まで、確かに「きゅるる」「きゅらら」と鳴き声を上げてグリンと戯れていたというのに。

 そもそも、言葉なんかなくても、下級区の人たちは連れ添った半身とは通じ合っていたし、レイとシオもまた、言葉ではなく心で通じ合う関係であった。


 それが突然、物心つく前から連れ添ったシオの口からしっとりとした大人な声が聞こえてくるのだ。それを驚かずしていつ驚くものか。



「あー……、昨日反応が薄いと思ったら、気付いてなかったのかよ……」



 口の動きと聞こえてくる言葉が全く異なるのはラナで慣れていたが、想像もしていなかった。

 レイよりも遥かに男らしい声音は、可愛らしく「きゅるらるら」と鳴いていた時とのギャップが恐ろしい。

 昨日はただ自分のことでいっぱいいっぱいだった上に、昨夜のレイはグレイ爺の優しさと口にしたこともなかった食事への感激の嵐に見舞われたせいでそこまで頭が追い付いていなかったのだ。


 レイが目覚めて一番に声をかけたというのに、一番に驚いてくれるものと張り切っていたというのに、レイは反応もしてくれなかったことにシオは少なからず傷ついていた。



「ご、ごめん……。でも、すごく、かっこいい、よ……!!」

「へ、へへ、そうかぁ?」



 鱗肌を微かに赤く染めて空中でくねくねと照れた様子を見せるシオに、グレイ爺はわずかに引きつつも、二人に先を急ぐよう声をかける。


 レイが眠っていた間、シオの喋り相手となっていたグレイ爺は、シオが少年のことを、レイのことを心から慕っていることをうるさい程に教えられていた。


 あの時も、森の深層に偶然踏み込んでいたグレイ爺の元に届いたシオの泣き叫ぶ声。





『助けてっ、誰かッ! 助けてくれ!! レイが、レイが死んじゃう!!!!」





 魔物蔓延る森の深層で、グレイ爺の元に辿り着いたのは奇跡と言えよう。

 その声には、グレイ爺が忌み嫌う打算も、裏もない。

 純粋な「レイ」と言う少年を助けたいという気持ちだけが込められていた。


 兄弟とも、家族とも違う、心や絆と言ったありきたりな言葉の表層ではないところで繋がる二人は、いつかグレイ爺が手放した未来のように見えて、輝かしくて。


 グレイ爺は魔物を遠ざける気を放ちながら、背後に続くレイとシオを見守りながら森の中を進んでいく。

 レイは興味津々と言った様子でキラキラ眩しい瞳をシオに向けて、その眩しい視線も満更ではないシオはへへへ、と笑いながら「気付いたら喋れてた」なんて声に耳を傾けながら進むペースを二人に合わせるのだった。


 緊張感の欠片もない輝かしい二人を背に、グレイ爺は普段の倍以上の時間をかけて目的の場所へと到着するのだった。













「ここじゃな」


 のんびり歩くペースで森の中を進んできたグレイ爺だったが、レイとシオにとってはキツいペース、慣れない森の中と言うのも相俟って、レイは緊張感の欠片もなかった様子から、余裕の消えた様子で息を切らしていた。


「ここ? なんかあるのか?」


 シオは時折レイの頭の上や肩の上で休憩していたからか、疲れている様子もなくグレイ爺に問いかける。


 シオの言う通り、レイも辺りを見回してもこんなにも苦労してやって来るほどのものがある場所とは思えない。あるとすればグレイ爺がポンポンと叩く立派な大樹があることくらいか。

 グレイ爺の体躯であっても抱きかかえられない大樹があちこちに群生しているのだから、そこではまるで自分たちが小さくなってしまったかのような不思議な環境だった。


「ふむ。ここからはワシが担いでってやろうかの」


 慣れない森の中を歩き回って疲労の溜まったレイは、ようやく息が整い始めた刹那、瞬く間に担ぎ上げられたかと思うと、突如として急激な浮遊感に襲われ、整ったばかりの呼吸もすぐに荒くなる。




「うひゃああああああーーーーーーーーッ!?」




 頬を撫でるは大樹の木の葉と舞い上がる清かな風。


 しかしそれもすぐに止んで、跳ね上がった心拍に注がれるのは冷たくも清らかな空気。


「ほれ、顔を上げてみぃ」


 下手したら地面よりも安心感のあるグレイ爺の逞しい腕に乗せられて、その首に抱き着いたまま耳元を過る風の音にビクビクとしながらゆっくりと顔を上げると、目の前には――世界が広がっていた。



「わぁ……!!」



 言葉を失いかねない壮大さを前に、レイは知らずの内にグレイ爺の首に抱き着いていた腕を緩めて、前のめりになってその景色に見入っていた。



「こいつはすげぇな」



 遅れて姿を見せたシオの言葉に、レイは目に映る景色にただただ圧倒されたまま、口を開けて頷きを返す。


 グレイ爺がレイを担いで登った先は、この森で一番背の高い木のてっぺん。


 同じ高さに物が、視界を遮るものが存在しない世界は、レイの視力も相俟って地平線を埋め尽くす山脈の峰までくっきりと見えていた。




「どうだ。綺麗だろう、美しいだろう、壮観だろう」




 その山脈のみならず、眼下に広がるのは色彩豊かに飾りつく森は、レイの知る色を全て並べたとしても足りないくらいたくさんの色が広がっていた。


 森だけじゃない。


 ところどころ、森に穴をあけるのは河川と湖。その湖は色だけでなく、形も様々で、それはあの湖に足を運んだとて見れるものではない、この高さから見下ろすからこそ見えた景色なのだと、驚嘆する。


 森や川だけでなく、空を飛ぶ鳥の群れや、森の遥か彼方、霊峰が聳える方向とは違う地平に見える建造物もまた、異様を放っていて、天を衝く槍のような建物がここから見えるという異常さに、建築技術に、レイは言葉を失うばかりだった。


 幻想の森でレイが目にした高層建築は、歓楽区にある三階建てのシュウの実家のみだった。



「す、すごい……!」



 どれだけ言葉を失っていたのか、レイとシオはようやく口を開いても、しばらくは同じ言葉しか捻り出せなかった。


 どんなに言葉を尽くしたとて、目の前に広がる大自然と、視界の端に引っかかる近代建築のマリアージュは表現できない。非日常に溢れた、神秘的で、どこか退廃的な美しさも兼ね備えていることを、レイはただ茫然と受け止めていた。



「――世界の美しさは、この程度じゃ収まらんぞ?」



 どこか挑発的に言葉を放つグレイ爺に、レイとシオは二人揃って興味を示す。



 幻想の森でも、黒麦が穂を張る収穫時期の畑が唯一幻想的な景色と言える。そして、レイの中でも今の今までその景色が一番だった。しかし、グレイ爺の見せたこの壮大な景色が比べるべくもなく一位に躍り出たと言うのに、この更に上があるのか!? と目を瞠って無言で訴える。




「……だがな、この美しい世界に生きながら、人はどこまでも汚く、穢れ、堕ちていく」

「汚く、穢れて、堕ちる……」

「そうだ。その被害者もまた、憎くてたまらない連中と同じ道に堕ちてしまう。堕とされてしまうのだ」



 それが誰のことを指すのかは、言われずとも理解できる。


 だが、それでも果たさねば消えない、決して癒えない心の傷が残っている。

 その傷に一生苦しめられなければならないと言うのに、当の相手は今ものうのうと生きている現実など、馬鹿げているし理不尽だ。


 ――ならばこの怒りは、憎しみは一体何で埋めろと言うのか。一生損をして生きていかねばならないのか。奪われ続ける人生に、希望はあるとでも言うのか。


 レイの選択が間違っているとしても、その選択だけが唯一の救いである限りレイの心の闇は消えることは無いし、額の傷も消えることは無い。

 この闇もまた自分の一部なのだと理解し和解することで、レイの胸は軽くなったような気持ちを抱く。心の闇が無くとも、ヒジリを奪っていながらのうのうと生きている連中を許すことなど、到底出来るはずも無いのだからこそ、初めから選択肢などなかったようなもの。


 そんな思考がレイの頭を占める。

 冷静に生きてきた結果が、今の様。

 このまま生きていくくらいならば、奪う側に回っても悔いはない。


 言葉にする力は無くとも、レイの憎しみは確実に方向性を持って思考を固めていく。この怒りは誰にも理解されることがないと悟って、レイの瞳から光が消えかかった直後、グレイ爺は思いもよらぬ言葉を発する。







「だがワシは、お前たちの復讐を肯定しよう」








「――へ……?」

「復讐をするつもりならば、ワシはお前たちに戦う術を教えてやろう、生きる術を教えてやろう。世界中を旅したワシの全てを授けてやろう」

「え、い、良いの……?」


 得意げに語り出すグレイ爺に、レイとシオは理解が追い付かない様子で口をパクパクとさせる。こちらをあまりにも見透かすもので、てっきり非難されるものかとレイは一人暗闇に堕ちかけたと言うのに、グレイ爺はきひひ、と笑いながら頷く。


「怒られると思ったか? 止められると思ったか? 残念だが、ワシはお前たちの背中を押してやるつもりだ。覚悟しておけよ?」


「「……! ん!」」


「ただし、ワシから教えるにあたって一つ、条件がある」

「条件?」


 グレイ爺は軽く「教えてやる」と口にしたが、レイがこれから歩む道のような人間を嫌っているのは本当だ。あの時の口調は本気で嫌悪している人の声音だった。

 故にこそ、一体どんな条件が付きつけられるのか、と戦々恐々としながら耳を傾ける。




「何、心配するな。簡単なことじゃ。――憎しみの代わりになるものを、見つけること、じゃな」




「憎しみの……?」「代わり……?」

「……今、レイとシオの心には、大きな穴が空いておる。そして今、それを埋めているのが、奪った相手に対しての怒りであったり、憎しみであったり。復讐を忘れろとは言わん。怒りや憎しみだけでは、乗り越えられん時が来るはずじゃ。だからこそ、お前たちの心の穴を埋める別のモノを見つけてこいと言うわけ、じゃ」


 それが見つからん限りは、教えることは無い。と言い放ったグレイ爺は、言い終えた、とばかりに立派な顎鬚を擦って景色を堪能し始めた。



「代わりを見つけろって言ったって……」

「そんなの、分かんないよ……」



「……ふぅ、しょうがないのう。ヒントくらいは示してやろうかのう」



「――え?」


 そう言ってレイを担いで立ち上がると、おもむろに枝から足を一歩踏み出す。

 幹も太ければ枝も太い大樹の上とは言え、そこから一歩踏み出すと言うことは、待ち受けるのは肝が冷えるような浮遊感で。





「――えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?!?!?」





「――未来に絶望するな、若人よ!! 絶望するのは、過去だけでいいからのう!!」





 辺りで一番高い木の上から落ちる瞬間、グレイ爺が何か口走ったのは理解できたものの、中身までは考えることができぬまま、レイはただ訪れる未来にほくそ笑んでいた信頼すべき半身たるシオの尻尾を鷲掴みにして、道連れにすることしか考えられなかった。




「レイぃぃぃぃぃぃぃぃぃイ!!! てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」




 ぐん! と引っ張られたシオは、余りの勢いに光輪の羽を広げる暇もないままレイとグレイ爺の三人揃って地面に落ちていく。


 この瞬間ばかりは、レイもシオも、怒りや憎しみも忘れて叫び声を上げたのであった。








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