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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第二章 儚き夢の旅路へ
11/258

11話 生きるのはついでだって良い

読んでいただきありがとうございます。

あけましておめでとうございます。新年の挨拶に代わりまして更新とさせていただきます。


 




 ――あぁ、これは夢だ。夢なんだ。





 目の前に浮かぶ景色が夢だと理解するのに、数秒とかからなかった。

 レイはただ黙って、心の中の虚ろと対峙する。



『レイは、お姉ちゃんみたいに強くないから、泣いてもいいの』



 もう二度とその目で見ることができない顔。聞くことのできない声。感じることのない手の温もりは、レイの記憶の中にしか存在しないが故に、夢の中でしか感じることはできないものだったから。


 だからこそ、レイの目の前に()()ヒジリの姿は、夢でしかありえなかった。



『でも、最後には笑っていてほしいの。レイには、笑顔でいてほしいの』



 だからこそレイはその夢の中のヒジリが伸ばす手に、自分を迎え入れようと広げた両腕を拒みはしない。むしろ自分からそっちへ連れて行ってくれと歩み出す。

 例えその行為が、レイの意識を永遠に夢の中に繋ぎ留めるものだとしても、レイは歩み出した足を止められはしなかった。


「ッ!?」


 しかし、愛する姉へと向かって一歩を踏み出した直後、突如として目の前のヒジリの姿が掠れていき、まばたきをした次の瞬間には別の景色が広がっていた。



 次に現れたのは、ヒジリが事切れる最期の瞬間。

 力を失くしたラナが床に落ち、忘れもしない頬の感触と、ヒジリの浮かべた慈愛に満ちた微笑み。そうして間もなく、ヒジリは力尽きて血の海に沈んでいく。


『お前の、せいだ――』

「――っ…………!」


 聞こえてくるのは、レイを非難する声。

 その声に思わず顔を上げると、家の周りを囲うようにして並び立つ幻想の森に住まう人たち。シュウやサオリおばさん、アカリに加えて、顔も名前も知らないような人たちが一様に揃ってレイを指差して罵声を浴びせ掛ける。


『お前の、せいだ――』

「やめて、やめて…………っ!!」


 それは夢だとしても考えるだけで恐ろしい、正しく悪夢であり、レイは夢の中のヒジリを抱きとめたまま目を伏せる。悪夢が見せる光景から目を逸らすように。

 やがてレイを罵倒する声が止んだかと思うと、続けて訪れたのは、最愛の姉を奪い連れ去る顔も見えない幻想師の奴ら。


 顔が分かるのは、窓の向こうから黙って視線を向けるシュウとガリウスの二人のみであったが、消えることのない憎しみを思い出すのにはそれで十分だった。


 絶え間なく蠢いていた夢の世界だったが、それは唐突に終わりを迎える。


 腕に抱いたヒジリが、止まったままの幻想師たちが、次から次へと人でなかったかのように突然どろりと溶け出し、やがてレイの足元も全て、地面が抜け落ちたかのように()が広がっていく――。








「ハッ――!?」








 自分の体が落ちていく感覚とは裏腹に、レイの意識は浮上し、飛び起きる。

 続けて襲ってくるのは、渇き。喉の渇きに加えて、水を被ったかのように濡れた汗の不快感。



「レイ! やっと起きたかー-!!」



 呼吸も整わぬまま、レイの顔面に飛び掛かるのは一匹の蛇、ならぬ幻想種。

 良かった、良かった、と泣きながらぺちん、と張り付いたレイの半身たるシオだったが、レイは大した反応を見せることなくそれを頭から引きはがして辺りを見回していく。


「痛……!」


 痛みを感じる頭に手を当てると、額には清潔な包帯が巻かれており、適切な処置がされているのだと理解する。しかしいくら見回しても、レイが質の良いベッドの上に寝かされていたことも、ここがどこなのかも分からない。


 分かることは、ただ一つだけ。




 ――姉さんを奪ったやつらに、復讐を。




 視界が赤に染まりそうな程に強烈な憤怒に思考が乗っ取られる感覚は不快……、どころか、むしろ爽快感すら覚える心に包まれながら、熱い息を吐く。レイの胸中を占めるのは轟轟と燃え盛る憎悪の炎だった。


 ぐらりと揺れる頭と視界からして本調子ではないレイは、それでも立ち上がって前に進まなければならない。怒りが突き動かすレイの表情は酷く冷たく、半身たるシオでさえも声をかけることができないでいた。


 まるでシオさえも見えていないかのように立ち上がるレイを前に、シオはごくりと息を飲む。


 食い縛った歯は憎しみを、固く握りこんだ拳には怒りを乗せて、レイが覚束ない足取りで扉まで辿り着くと同時に、ドアノブに伸ばした手は空を切る。向こう側から扉が開かれる光景に若干のデジャビュを感じた頭の中で浮かぶのは、向こうから顔を出して調子を尋ねてくるサオリおばさんの顔だった。






「ようやく起きたかお寝坊さんめ。ちょうど良いから風呂に入るぞ」






 だがしかし、現れたのは壮年のふくよかな赤毛の女性ではなく、その欠片も有していない、レイの人生の中で見たことのある最も大きな生き物である幻想馬とほぼ同じかそれ以上の体躯を誇る豊かな髭を蓄えた大きな老人だった。


 その見下ろす目は満足そうに目を細めており、過去に見下ろされた視線の中では、姉やゲンさんに次ぐ優しくて温かい眼差しだった。


 しかしその目は同時に、まるでレイの心の中まで見透かされているようで、たった今抱いているこの感情は非難されるものと思ったレイは身を屈めた。どんなに取り繕っても、この感情は綺麗なものではないし、抱いてはならないものだと、そう思えるくらいの冷静さ、理性はレイの中に僅かながら残されていた。

 そのギリギリの淵で立ち止まれたのは、ヒジリがそれを望んでいないと言う事が心の隅では分かっているからであった。


 本当ならば、それすらも考えられない程に堕ちて、堕ちて、堕ちるところまで行ってしまいたかったけれども、理性が欠片でも残されているレイにはそこまで堕ちることは許されない。

 ヒジリの声が今も耳に残って、踏み出そうとするレイの足をその場に縫い付けている状況であり、限界の心を守るための最後の砦でもあった。


 そうやって自分とのせめぎ合いの中で咄嗟に身構えたレイだったが、気づいた頃には既に老人の腕に担がれていた。




「!?」




 目にも止まらない速さの動きに、レイは瞬く間に動きを封じられ、バタバタと藻掻くことで精一杯。しかし老人の腕はびくともせず、「元気じゃのう」なんて言って笑いながら別の場所に連れて行かれる。


 そうして運び込まれた先は、母屋から離れた小さな小屋の中で、もくもくと煙を吐く大釜が置かれている場所だった。





「――!?!?」





 これから茹でられるのか!? 煮られて、食われるのか!?!? と声にならない叫び声を上げる中で、レイの内に巣食った激情はすっかり形を潜めてしまう。そんなことを考えている場合ではないから、命の危険が迫ってきているのだから。


 老人の実力は計るまでもなくレイには及びつかない程にかけ離れていることが分かっている以上、レイにできることはささやかな抵抗を示すのみ。


 それでも、老人は「きっひっひ」と引き笑いながら、風呂を嫌がる子供の面倒を甲斐甲斐しく見る。


 瞬き一つの内に老人は下着姿を晒し、レイの衣服も瞬く間に脱がされてしまう。



「ほれほれ」



 訳も分からず衣服を剥かれ、大釜の横に座らされたレイの頭に大量のお湯が被せられる。

 バケツ一杯なんかが鼻で笑えるくらいの量のお湯は火傷するほどの熱さではなく、レイの緊張が解れるような、包まれる温かさであった。


 食われる! と警戒して緊張していた様子が解れて肩の力が抜けてきたレイの頭を続けて老人がわしゃわしゃとすると、途端レイの全身を泡が包み隠すように増殖し、レイは目元以外が全て泡で包まれてしまう。

 かと言ってそれは決して不快ではなく、老人の手つきはこちらを気遣う様子すら感じさせる丁寧なものであり、レイも老人が自分に対して危害を加えるつもりは無いのだと気が付く。

 細かな傷を触れる時も、老人は痛みを最小限に抑えるよう柔らかな手付きであった。

 ……だとしても沁みるものは沁みるので、レイは時折小さな悲鳴を上げながら耐え忍んだ。


 そうして老人の柔和と乱暴の格差に油断していると、再び頭から大量のお湯が一気に浴びせられ、呼吸のタイミングでお湯を飲み込んでしまった勢いでむせ返ってしまう。



「次じゃ次じゃ」



 老人はレイがげほげほと咳き込むのを落ち着くまで待つような人では無かったようで、軽々と両脇から持ち上げられたレイは次の瞬間にはお湯の張られた大釜の中に放り込まれた。


 続けて飛び込んできた老人により大釜から大量のお湯が溢れていく中で、底に足が届かないレイは老人の膝の上で落ち着きを取り戻す。



「風呂は、初めてか?」



 あ゛ぁ゛~、と魂まで抜けていくような声を上げて肩まで浸かる老人は、レイの肩に手で掬ったお湯をかけながら問いかける。

 こんなに大量のお湯に身を沈めることなど、生まれて初めての体験に気を緩めていたレイは、僅かに瞳に光を取り戻しながら頷き返した。



「風呂は命の洗濯。心が沈んだ時は、いつでも好きに使うといい。後で使い方を教えてやるからのう」



 老人はそう言って、レイの額から汚れた包帯を取って投げ捨てると、柔らかな手付きで頭を撫でる。

 包帯が取られるまで忘れていた額の傷はすっかり塞がっていて、レイは聞き捨てならない老人の言葉に対して目をぱちくりさせ、にっこりと微笑む髭を見上げながら問いかける。



「ここに、いて、いいの?」

「おっと、お主には、ワシが傷だらけの子供を見捨てるような鬼畜生で野蛮なジジィに見えるかの?」



 そう言っていたずらに笑う老人の顔はしわくちゃで、レイは首を横に振りながらおかしくなって破顔する。そうして一度笑い出してしまうと、レイの中に淀んでいた真っ黒な感情はお湯に溶け出していくかのように薄れていき、ようやく見れた子供らしい、年相応の笑顔に老人は密かに安堵するのだった。




「ワシの名はグレイ。自慢の髭と合わせて、グレイ爺とでも呼んでくれ。お主の名前は、何と言うのかの」




 老人、グレイは水分を含んでよれよれになった長いあごひげを大釜の中から掬い上げて決め顔を見せると、レイは興味深そうにその髭に触れながら、自分の名を名乗った。



「……レイ」

「ほう、レイか。いい名前だ。精霊に好かれる名前だろう」



 名前の由来なんぞ知らぬレイだが、姉と同じことを言ってくれたグレイに対して、最早警戒する様子など露と消えてしまっていた。


「あの龍から粗方のことは聞いておる。ただ、レイの、お主の名だけは、レイの口から聞きたくての」

「全部、知ってるの……?」

「あぁ、あの龍が知っていることは全部知っている。レイが頑張ってきたことも、悔しかったことも、な。……よく頑張ったのう」


 グレイのその言葉に、レイは不思議と悪感情を抱くことは無かった。

 風呂に入れられる前のレイであれば、知った口を利くな、と怒り叫んだところだっただろうが、今は不思議とその言葉が嬉しくて。涙が出てくるほどに、嬉しくて。


 振り返ってみれば、サオリおばさんもアカリだって、レイが頑張っていることは認めてくれていた。それでも、当時のレイには、姉ヒジリを救う事、ヒジリに認められ続ける事が最優先になって、他者の評価を正しく受け止めるだけの余裕が無かった。

 それが今、言い方が悪いが、姉と言う呪縛から解放された今、レイは正しく他者からの言葉、評価を受け止めることができるようになっていた。


 その結果として、姉を亡くした悲しみが、別のナニカに置き換わろうとしていた悲しみにきちんと向き合う機会を与えられ、レイは憎しみも怒りも混ざらない、純粋な悲しみから泣くことができるようになったのだった。















 そうして一頻り泣き終えお風呂から上がったレイは、豪華な食卓に目を丸くするのであった。


「な、な、なにこれ……!?」

「腹が減っているだろうからな。好きなだけ食え。おい、龍、つまみ食いしてねぇだろうな?」

「あ、当たり前だろ!?」


 涎を流すシオが律儀に椅子の上で待っていたのも気付かない様子でレイは食欲をそそる匂いに、自分の空腹を思い出し「食べていいの!?」とグレイを見上げる。


「よし、食事にするか」


 そう言うや否や、レイは自分の腹の音がうるさく聞こえてくるようで、目の前に並べられた農業区では一生かかってもありつけない食事に手を伸ばした。


 最初に口に運んだのは、白くて、フワフワのパン。

 農業区では配給か物々交換でしか得られない固くて平たい黒パンしか口にできなかった故に、生まれて初めて口にした柔らかいパンは、スープに浸けてふやかさずとも柔らかく、口の中で弾んで溶ける食感に感激してしまう。


 しかし、レイの感動はパンだけに留まらず、貴重な牛の乳をふんだんに使ったクリームシチューは温かく、そして具材がたっぷり入っていることに口に運んでいく手が止まらない。


 屑野菜と薄味のスープしか飲めなかった農業区の生活の中で、ヒジリが上級区時代に味わった食事を空想して彩りを生み出していた時、その話の中にあったのがこのクリームシチューだった。


 夢にまで見たこのシチューに、レイは涙を流しながら頬張っていく。



「お替りもあるぞ。たぁんと食え」



「――姉さんにも、食べさせてあげたかった……!!」



 本当は、一緒に食べたかった。

 一緒に食べて、二人で美味しいね、って笑っていたかった。

 そしたらきっと、もっと美味しく感じれただろうから。


 もう二度と叶うことのない願いは、心のどこかにある想い「助かるのは姉さんだったはず」と言う確かめようのない疑問が残っていたからだった。


 既に瀕死、もしくは絶命に近かった状態のレイを救う程の奇跡の治癒術ならば、自分自身だって救えたはずだと少しでも考えてしまうと、レイは自分が姉の命を奪ったのではないかという抱えきれないほど大きな罪悪感に苛まれてしまうのだ。


 その負の感情に釣られて、小さな火種だった、風呂で鎮火させたはずの絶望という名の炎に風が送られ炎が勢いを増す。


 忘れようと、考えないように努めていたレイの手が震え、視界が涙で滲んでいく中、グレイは山盛りによそったクリームシチューをレイの目の前に置く。置いて、言葉を投げかける。




「――食え。腹が破裂するまでたくさん食うんだ。……食って、腹ぁいっぱいになるまで食って、そんでもって生きろ。生きるのはついでだって良い。腹を膨らませて、腹が捩れるまで笑え。思いっきり、笑うんだ。……レイ、お前の姉ちゃんはレイが今こうして泣く顔が見たくて生かしたのか? 違うだろ? きっと、レイの笑顔が見たいから、生命をかけた。俺はそう思うが、レイはどうなんだ?」




 それは、シオから話を聞いたから知っているのか、それとも、目の前のグレイがヒジリと同じ立場であったらそうするからか。その考えが読み取れる訳じゃないレイは、それでも、グレイの言葉に、姉の最期の瞬間を思い出していた。






『――レイ、愛しているわ。だから笑って。私の好きな、大好きな笑顔を、たくさん見せてちょうだい』






 死の瀬戸際で、レイは笑えるはずもなく、レイはヒジリの最期の願いを叶えてあげることはできていない。




 ヒジリは、レイの笑顔が好きだった。


 レイも、ヒジリの笑顔が好きだった。




 だから、レイが笑えばヒジリも笑って、ヒジリが笑えばレイも笑って。二人でいられるだけで、過ごせるだけで、レイはただそれだけで幸せだったのだ。


 そんな姉が、レイを見捨てるはずもないことは、レイ自身が分かっていることであり、レイもまた、命をかけてヒジリが救えたのなら、迷うことなく同じ手段を取っただろうから。

 ただ、農業区で生まれ育っただけのレイでは、その価値の低い自分の命程度ではヒジリを救うことは叶わなかったのだが。



「えぅ、うぐっ、ぐず……!」



 ずずず、と目頭が熱くなるまで鼻をすすってから、グレイ爺に言われた通り、腹を満たすためにシチューにパン、サラダにチーズまで全部を平らげる勢いで食べ進めていく。


 おいしい、おいしい、と涙の混じった塩気の強い水を飲み干しながら食べ進める。

 そんなレイの頭をわしわしと撫でながら「たくさん食えよ」と目を細めるグレイ爺は、自分の皿ごとレイに差し出していた。



「腹壊すまで食え。そうすりゃもっと笑えるさ。レイ、お前の姉ちゃんはきっと、今も見守ってくれているからな、見ていてくれてるからな。最高の笑顔を見せてやれよ」




「ふぁいふぉふふぇふぁふぉん!!」




「おう、最高だ」



 華麗さなど欠片もない、頬をパンパンに膨らませた無邪気さが極まったような笑顔に、グレイ爺も思わず笑みが零れる。


 一週間眠りこけていたにしては頑丈な体に、グレイ爺は驚嘆しつつその驚きを隠しながら、レイに向かってあれも食え、これも食え、と次から次へと皿を差し出し続けた。


 それからしばらくしない内に、レイの小さな体は唐突に限界を迎え、飲み干したシチューの椀に頭を突っ込んで気絶するかのように眠りについてしまう。



「……姉さん」



 食べかすを口端に付けたまま涙を流して眠るレイを抱き上げ、ベッドまで運ぶと、グレイ爺はレイの涙を拭って部屋を後にする。後片付けをしながら天井を見上げると、深いため息を吐きだした。




「これが、ワシの最後の仕事かもしれんのぅ……」




 遥か過去に捨てた夢の欠片が、視界の端で僅かに光るのを見ない振りをして後ろ手で扉を閉めると、グレイ爺は振り返ってもう一度溜め息を吐くのだった。







「お前はいつまで食っとるつもりだ」

「ふぁ?」



 一方で、病み上がりのレイ以上に健啖家が増したシオが、一人黙々と残った料理を平らげているのを見てグレイ爺は、これから先死ぬまで退屈はしないだろう、と予見するのであった。













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