101話 気味が悪くて仕方がない
読んでいただきありがとうございます。
日は傾き、茜に染まる空を背に男は、この世のものとは思えない表情で息を切らしていた。
あの後、全裸の男はレイの思惑通りに追い詰められ、気が付けば森を抜けることも出来ないままこうして洞窟の入り口付近にまで戻って来てしまっていた。
目の前には、得体の知れない少年、尋常ならざる力を秘めた宙に浮く蛇の化け物。そして、その傍らに佇むのは、男が意識を失う直前に見た鮮烈なまでに華やかな桃色の髪と美しすぎる美貌の持ち主である、街道の魔女。
男としては、その公にはできない立場上いくつかの修羅場を切り抜け乗り越えてきたものの、今この現状は他とは比べ物にならない程に切羽詰まった状況だった。自分の行く末全てが相手の手の平の上である状況を切り抜ける策など、口よりも先に手が出る性格の男にあるはずもなく、その自慢の実力も優に超える相手を目の前に、男は沈黙する事しか出来ないでいた。
「……捕まえたはいいけど、どうするの?」
「どうする、つったって、俺達の姿を見られた以上、ただで帰す訳にはいかねぇだろ」
レイとシオの会話が聞こえてくるせいか、男の肩がビクン、と跳ねる。
今現在、レイは騎士達の捜索する「怪しい少年」に大きく該当しており、なんなら本人である可能性が非常に高い以上、騎士に見つかる事態だけは絶対に避けねばならない。
騎士連中の中には、騎士に歯向かって生き残る人間が、それも年端も行かない少年だなんて、と馬鹿にする者たちもいるが、上も上、特等審問官直々の命である以上、特徴に大きく該当するレイは拘束されること間違いなしな状況。もし仮に捕まったとなれば抵抗しないわけにもいかず、そうなればさらに騒ぎが大きくなって世界中を旅して周るなんて言っていられないような状況に陥ってしまうだろう。それだけは絶対に避けねばならない事態であり「騎士に見つからない事」が何よりも優先されるべき点であった。
そんな中で、レイ達の存在を知った男をむざむざと返してしまっては、騎士に居場所がばれてしまう事は間違いない。それよりも、騎士の調査でも発覚していた街道の魔女の特徴である「桃髪の少女」が傍にいることまで知られてしまっては、騎士達も本腰を入れざるを得ない状況になってしまうだろう。何せ騎士と言う存在は、魔女と言う存在であれば、王国に危害を加えておらずとも、平穏に生活しているだけでも害と判断し容赦なく命を奪う連中だから。
幸いにも今はヒバリの存在が騎士達に知られていない。この情報のアドバンテージを生かすことが、より長く安全な潜伏生活を守る手段となることをレイとシオは知っているため、安全な今の内に騎士達を欺ける手段を手に入れることが一つの大きな目標であった。
ゆえに、男を素直に返す訳にはいかないのであり、そのためには王国の内部に伝手が必要、協力者が欠かせないのであった。
男は今もヒバリと目を合わせないよう地面を俯き固く目を閉ざしたまま震えていた。
最早、男の息の荒さは疲労故なのか、それとも恐怖故なのか判別できない。額にかいた大量の汗も拭う余裕すらない状態で、近寄る足音に――ヒュッ、と息を漏らす。
「――ねぇ」
極めて明るい様子でかけられた声にも、男は過敏に肩を揺らして反応を示す。
森の中で後ろを追いかけてきていたのは、振り返る余裕も無かったけれど見えたのは蛇の化け物の方だった。一瞬でも足を止めてしまえば、人の頭も簡単に飲み込めるくらいの大きな口と、肉食を思わせる鋭く尖った牙が自分の体を襲うと思い恐怖したものの、それ以上に恐怖を感じたのは、自分よりも遥かに小さい少年の方。
見た目も声も男の弟よりも幼いと言うのに、森の中でちらりと先回りして見えた姿は冷静沈着。身体強化もしている気配が無いと言うのに常に先回りされる状況は訳が分からず、ただひたすらに気味が悪くて仕方がなかった。
男は才能故に魔力と竜気の両方の身体強化を併用して逃げていたと言うのに、蛇の化け物はおろか、少年すらも振り切ることは出来なかった。加えて、明確に進路を阻むようにして放たれる正確無比な矢の一撃は、自分が狩りの獲物に成り下がったのかと錯覚するほどに悍ましかった。初めは狙いが定まらずに一歩先であったり、すぐ真横に矢が突き刺さったものかと思っていたが、実際には森の外に出さないための誘導に加えて無駄な体力を使わせようと言う魂胆に気付いた時には時すでに遅く、人間相手に仮の真似事をするなんて言う馬鹿げた芸当、頭のネジが一本どころでは無いくらいに狂っていなければできない芸当に、より一層気味悪さが増したのだった。
始めは街道の魔女に囚われているのかと思った男だったが、今では蛇の化け物よりも、街道の魔女よりもずっと、隣に立っているであろう少年の方が恐ろしくてたまらない。
今もその柔らかな口調が気味悪く感じてしまい、男は一度でも恐怖を感じた相手に緊張するなと言う方が無理な話。鍛え上げられ膨らんだ筋骨も今はどこか萎びているかのように、か細い返事をするので精一杯。
そんな折に、少年からは予想もしていなかった質問が投げかけられるのであった。
「お名前は?」
「…………は?」
レイには、シオのように男の命を刈り取って亡き者にする、と言うような過激な思考は持ち合わせておらず、シオと相談する振りをして脅しにかかった相手の出方を伺っていたに過ぎない。その結果、男は取り乱すことも無く冷静に自分の死を受け入れる姿を見て、男の身をどうこうする必要もないだろうと言う結果に至った。
シオから言わせてみれば、そうやって試す行為の方が悪辣的でいやらしい、という意見を貰ったのだが、ヒバリに至っては「ヒバリの愛も、試してみませんか、マスター」などとあらぬ方へと発展していきそうだったので会話を打ち切った。
もし仮に狂乱したりするようであれば、その場合は容赦なく意識を刈り取った後にヒバリに頼んで聞き出そうかと考えていたのだが、その必要も無く済むようで良かった、と胸を撫で下ろした。
やはり魅了の魔眼と言う選択肢がある以上、楽な解決法に頼りたくなってしまうのが人の性というもの。けれども、使わないで済むのであればそれが一番いい。
ゆえに男に対して怯える必要はもうないよ、と優しく声をかけるレイであったが、男が恐怖しているのは自分の生死よりもレイ個人に対する底の見えない人間離れした力と感性であることを理解するには至らなかった。
けれども、それが却って人間味を感じさせたのか、たった一言で気を抜かれ、固く閉じたままだった瞼を薄らと開いていく。
「……ブルーノだ」
参った、とばかりに両手を挙げて、ヒバリとは異なる青色、緑青の瞳にレイの姿を映して微笑んだ。
日に焼けた健康的な肌とこの辺りでは珍しくない赤茶の縮れ毛は、人好きのする笑みも相俟って明朗な印象を与える。それから乱雑に伸びた無精ひげは無頼漢のようにも見えなくはないが、男の、ブルーノの人柄がそうは見させない。
決して悪くはないイメージを与えるブルーノではあるが、何せ恰好が今も変わらず全裸のまま。
流石の幻想の森でも全裸で過ごす人は変質者であったし、その上全裸で天井に張り付いた姿が今もレイの記憶には濃く焼き付いているせいで、変態の二文字がどうしても抜けないでいた。
けれども、その男の名「ブルーノ」と言う名前にはレイもシオも記憶を浚うまでもなく思い当たる。
「ブルーノって」
「あぁ、セリカが言ってた男だろうな。にしても、知り合いも変態とはな……」
何やら感慨深い感想を持ったシオに対して、セリカの名前を出したレイとシオにブルーノは反応を示す。
「っ、君はセリカの知り合いなのか!? ……いや、知り合いだとしても俺の事を言うはずは無いか。だとすると、君が婚約者のジーク君、なのか? なるほど、君ほどの男ならば俺も納得できる……、いや、いささか若すぎる気もしないでもないが……」
「いや、僕はセリカの弟ってだけだよ」
「俺もそうだな、セリカの弟になるな」
「――弟ッ!?」
「ヒバリはマスターの婚約者です」
「――婚約者ッ!?」
「いや、違うから」
弟発言を耳にしたブルーノは、レイを見て頷いたものの、シオを見て驚愕し、続けてヒバリを、街道の魔女を見てひっくり返る。
自分には到底理解の及ばない領域の少年と蛇の化け物、それから街道の魔女を前にして、自分はもしかしたら本当に死んでしまい、ここは死後の世界なのでは無いかと思い込む、錯覚と言う名の逃避に陥る。
ちょっとした悪ふざけのつもりが、まさかここまで驚くとは思っていなかったのか、流石のシオも困った様子でレイに視線を投げてくる。
「……セリカにあなたの事を頼まれてきただけだから」
「――はっ! 頼まれた……?」
「色々あってな。ついでにセリカはお前なら俺らの力にもなってくれると言っていたが、果たしてお前はどうするよ」
「俺が、君達の力に……? ああ、なるほど。つまり、君達は町に入りたいんだな?」
話を戻して強制的に意識を取り戻させてやると、ブルーノはシオの言葉を受けて物事を判断した後、レイ達の目下の悩みを言い当てる。
先ほどまで奇声を発しながら森の中を駆け回っていた人物と本当に同一人物とは思えない程に冷静で理知的な目を見せるブルーノは、同時に自分に選択肢など与えられていないとも理解する。
シオが口では判断を委ねているように見せても、今この状況でレイ達の要望を拒否することはブルーノにはできない。拒否したとなれば、いかに目の前の少年がフレンドリーであろうとも、次の瞬間には一瞬であの世行きなのは間違いないと言うもの。
今こうして話していても、極めて理性的な蛇の化け物はおろか、少年の名前すらも分かっていない。
仮に解放されたのちに、少しでも情報を与えないようにしているのが実に恐ろしい。どうしたら少年程の年齢でそこまで冷徹な判断が下せるようになるのか、ブルーノには想像もつかない。
唯一分かっているのは、横恋慕しようとして玉砕した相手である村の娘セリカの知り合いだと言う事のみ。
彼女も彼女で特別な人間であったが、それ以上に特別の桁が違う存在を前にして、ブルーノは自身の価値観が崩れていく音を耳にしていた。
何が目的かは知らないが、あわよくば自分の力にもなってくれるようにとの思惑も含めてセリカと彼らに共通する悩みを口に出すと、少年が頷いたのを見て物事を図り進める。
深呼吸を一つした後、ブルーノは恐る恐る、けれども自信がある姿を見せながら口を開く。
「……まずは、俺たちを家に帰して欲しい」
ブルーノから出された要望は、洞窟の中で気絶したままの街道の魔女による被害者の解放だった。
当然、レイもシオも、二つ返事で許可するのであった。
ブクマ、評価等ありがとうございます。




