リーリカは慌てる
「ナージャ・ノヴィコヴァ!早くソイツから距離を取れ!」
「きゃ……っ」
いきなり距離を縮めてナージャの腕を強く掴んだヴァレーラを見て、リーリカは思わずぎゃあと声を上げた。
「はあ!?ちょっ、何やってんのよヴァレーラ先輩!?お姉様に痣が出来たらどうしてくれる気!?」
「あれ、もう引き剥がすのに夢中になって聞こえてない気がしますねぇ~……」
「ヴァレーラ先輩、ちょいちょい力加減間違えてるしね。僕も前に担がれた時、ちょっとお腹に痣出来てたし」
「アウトじゃない!アウトじゃない!」
……お姉様を傷物にでもしたら攻略対象とか関係無く顔面にチョップ入れるわよ!?
もっともそう思いはするものの、出来る気はしないが。
「……騒ぎはするけど、リーリカ、ヴァレーラ先輩を一旦引き剥がして姉さんの説得、とかはしないんだね」
「あの野郎が居るのにアタシが近付けるわけ無いじゃない!アタシ戦う術とか無いのよ!?」
そう、だから無理だ。
心の中で荒っぽい事を思ったり敵意や殺意を抱いたりはしても、そもそも戦闘系でも無い一般人。どちらかというと仲良くしましょうねとか、そういう精神を前世でも今世でも教えられてきた。
戦う術を、知るはずもない。
そして護衛やってたりチンピラを伸してたりした一诺相手に、魔法が使える上に物理的にも厄介だとわかりきっている相手に、単独で立ち向かえる度胸などは無い。
ヴァレーラは魔法が使えるし、あと基本的に目の前の事しか見えていないから出来る事だろう。
……あの野郎がトラウマって言ってたけど、それでも行動し始めちゃえばヴァレーラ先輩って変な方向に吹っ切れるのよね……。
ただ問題は変な方向に吹っ切れるという部分であり、凄まじい勢いで視野が狭くなる事。
「ううう……もっとちゃんとお姉様の様子とか見なさいよぉ……!」
「……リーリカがそれ言っちゃうかあ」
「カーナ今何か言った?お姉様を助ける案でもあるの?」
「ううん」
小声過ぎてよくわからなかったので聞き返せば、カーナは何でも無いと首を振った。
「それよりも、ヴァレーラ先輩。このまま無理矢理姉さんをこっちに連れて来るって方向性で、ホントに良いの?俺は良いと思うけど」
「カーナが良いって思うんなら良いんじゃないの?」
「……うん、まあ、リーリカがそう思うんならそれで良いよ」
……どういう意味かしら?
シスコン気味、というか確実にシスコンという裏設定があるだろうカーナが慌てて止めたりしないのであれば、まだセーフという事に相違ないはず。
だって姉が大事であるなら、その辺り敏感なカーナはすぐにでも止めに入るはずなのだから。
「でもぉ……」
んん、とゴーシャが眉を顰める。
「ナージャ様、相当に嫌がってませんか~……?」
「そういえばヴァレーラ先輩って僕と同じく接触禁止令出されてたけど、家が問題な僕と違ってヴァレーラ先輩本人がナージャにトラウマ植え付けたからって事で接触禁止令出されてたような……」
「……あのぉ、それってまずいと思うんですけど~」
「…………アタシも何か、ちょっと、そう思って来たわ」
ヴァレーラがナージャの腕を掴む手に物凄い力を入れているっぽい事や、それでも動こうとしないナージャを見ていると、何だかとってもよくない気がする。
「離してください……!」
だってもう完全に絵面が誘拐犯と被害者美少女のソレ。
主人公一味どころか、傍から見ればただの犯罪者集団にしか見えない気がする。
「かといってお姉様を保護しない事には始まらないし、あの野郎が近くに居る場でしっかり説明するのは無理だし……」
……あの野郎は今でこそ動揺して動けてないけど、正気に戻られて攻撃されたらアタシ達はアウトよね。
ある程度の足止めは出来るだろうが、数秒時間が稼げるか程度だろう。
ラスボスとはそういうものであり、そのくらい強いからラスボスなのだ。
……流石に皆に言ったりはしなかったけど、幼少期からお姉様のお世話をして食事とかも用意してるって事は、一诺に依存するような薬を盛ったり洗脳したり思想に刷り込みをしたりとかも出来ちゃう……。
その懸念がある以上、何としてでも引き離したい。
距離を取らせる事でその効果が薄れるかもしれないし、一旦一诺が作った食事以外を食べさせてその毒素を抜く事でナージャがそういった依存から離れるという可能性もあるのだから。
「ああもう、どうしたら……!」
……というかヴァレーラ先輩がもう少し落ち着きあるタイプならこんな心配しなくて済んだんだけど!
担ぐとかもっとこう、方法はあっただろうに。
そう思いながらも下手に加わり手を出す事で今の拮抗が崩れれば、一诺が動くかもしれない。その可能性があると考えると、下手に動けもしない。
何せこちらはリーリカ以外魔法は扱えるっちゃ扱えるが、武闘派では無いのだ。
武闘派である一诺の近くに、つまり攻撃範囲内である近距離に行くのは悪手と言える。
……本当そう考えるとこっちはこっちであの野郎にトラウマがありながらも突撃してくれたヴァレーラ先輩はありがたいわよ?ありがたいんだけど、けど……!
「ええい!今はとにかくその怖いヤツから距離を取るのが先決だろう!お前に万が一があったらどうする!?俺はまだお前に謝罪をしていない!」
「ぃ痛…………っ!」
……お姉様を痛がらせてんじゃないわよっ!?
どうしてもそういう感情が勝ってしまう。
いやしかしこれは保護対象を傷付けるなんてという気持ちと、国宝以上のお姉様の体に痣付けようとか頭狂ってんじゃないのという気持ちと、保護した後に説明する時こんな強引な連れ去り方したら誘拐犯の虚言としか認識されないんじゃないかという懸念によるものなのでナージャに対する贔屓ではない。
途中ナージャに対する信仰心的な贔屓が漏れた気もするが、正常正常。
……でもヴァレーラ先輩の言い分もわかるっちゃわかるのよね……。
一诺から距離を取らせたいのも、このまま一週間以内にナージャの身に危険があるだろう事を思うと心配というのも、謝罪すら出来ないままナージャに万が一があったらと思うのも、わからなくはない。
リーリカだってまだナージャと作りたい思い出が沢山あるのだから、ここであの野郎を放置する事で発生するナージャのバッドエンドルートへ直行させる気は無いのだ。
というかそんな可能性全力で叩き潰す。
「ナージャ様……!」
……ゲッ……!
一诺が正気に戻ったのかナージャに手を伸ばそうとした姿を見て、リーリカはまずいと思った。
このままだとヴァレーラの腕が捻られてしまう可能性がある。補助魔法、つまりサポート系を得意とするラヴィルが居るものの、現実世界である以上回復にも限界というものがあるだろう。
いっそ近くにある重そうな物でもぶん投げて一诺の頭にヒットさせ気絶させるべきかと周囲を見回した瞬間、慣れ親しんだ香りに包まれた。
「リーリカ、動かなくて良いよ」
「はあ?」
気付けばカーナに背後から抱き締められていたが、最早いつもの事なので驚きもしない。
リーリカはその言葉はどういう意味かと問おうとし、
「……っ」
伸ばした手を中途半端な位置で止めた一诺が、視界に入った。
「……どういう事?」
「こんな自分が姉さんに触れても良いのか、っていう葛藤だと思うよ。多分だけどね」
「は!?今まであの野郎、散々お姉様にっ!」
「うん、でも、バレる前とバレた後では、変わるから」
いつも通りのテンションで、わかりきっているとばかりにカーナが言う。
「姉さんに拒絶されるのが怖いんじゃない?」
「刺客なのに……ですか?」
「ゴーシャの問いは一旦保留で、ラヴィル先輩」
「うん?」
「ラヴィル先輩の父親って、そんなにも人望厚いんですか?それも十年以上、忠誠を誓える程に」
「無理だね!」
ラヴィルは笑顔でハッキリと言い切った。
「息子として断言するけど、あれは同じような精神年齢?というか、精神構造?じゃないと無理だと思う!普通なら部下になって三日で殺意じゃないかな!」
「息子にそこまで言われるって、どんな親なんです……?」
一般家庭であり普通に家族仲は良いとファンブックにも書かれていたゴーシャは、信じられないという目でラヴィルを見ていた。前世も今世も親が居ないリーリカにはわからない感覚だ。
親が居ないからこそ色んな家庭事情を聞いたりして把握しているリーリカからすれば、家庭の分だけ親が居て、その質がピンキリだという事を知っているから。
「じゃあ」
リーリカの首に腕を回して圧し掛かるように抱き締めながら、カーナは言う。
「リーリカに聞くけど、姉さんの人心掌握力っていうか……信仰されっぷりはさ、どのくらいだと」
「神より女神」
その即答にカーナの目が胡乱げになったが、残念ながらリーリカにそれは見えなかった。
「強火過ぎて語彙力燃え尽きてない?」
「事実よ。天上の存在過ぎてアタシ達人間には到底理解も出来ない感性の神様よりも、人間らしさがありながら神のような美しさと神々しさを持つお姉様の方が、ずっとずっと、理解出来る存在じゃない。正直言って、お姉様の方が信仰対象って感じがするわ」
「あ、それは気持ちわかるよ!僕もナージャに助けられたお陰で、今の僕で居られるわけだし!」
「確かにナージャ様は、不思議と上に立つ存在だと無意識に思うだけのカリスマ性がありましたねぇ」
「……教会関係者が凄い事言ってるのに、ここまで誰もツッコミ無しかぁ……」
はぁ、とカーナは溜め息を吐く。
「それに姉さんは人間だってハッキリ言って神だ何だについてを否定したり、もしないんだもんなリーリカは……ま、それは一诺もだろうけど」
「?」
その言葉は吐息に近く、近距離に居るナージャにすら聞き取れない程の声だった。
「要するに、一诺が今まで刺客として姉さんの傍に居たっていうのは、本当に事実かって事」
「事実に決まってるじゃない。ラヴィル先輩だってそう見聞きしたのよ?」
「んー、俺としてはそのままの認識でも全然構わないんだけど……」
「……あ」
ふと、気付いたようにゴーシャが口を開く。
「そもそもラヴィルから見た父親は、普通三日で無理と判断されるような人なら~……そして無理と判断しない人はチンピラ染みた人ばかりだと言うのであれば、十年以上も従者を全う出来るだけの精神性で十年以上もその人に忠誠を誓ったりはしませんよねぇ……?」
「う。言われてみれば、確かに……」
……一诺側にも事情があるっぽいセリフはあったけど、無印版ではそれについての説明が無かったのよね。
増量版にはあるのだろうかと思った、その瞬間。
「離して、ください………………ッ!」
悲鳴のようなナージャのその声と共に、バチリという火花の音と網膜を焼こうとするような閃光が瞬いた。
「ゥ熱ッ!?」
直後、ヴァレーラがそう叫びながら飛び退いて距離を取り、触れていなかった方の手でナージャに触れていた方の手首を強く押さえた。まるで手の感覚がそこから体の方へと伝わってこないよう、感覚を殺す為に締め付けるかのように。
「ひっ……!?」
見れば、ヴァレーラのその手の平は焼け爛れて真っ赤になり、生々しい肉が覗き、血が垂れていた。
何が起きたのかと認識するよりも早く、すぐ近くの木に雷が落ち、バチバチゴゥゴゥと木が燃える。
「………………!」
ナージャは強く目を瞑っていた。目を瞑り、身を守るように背を屈め、手をぎゅうと握って耳を塞いでいる。
そしてその周囲に、雷が落ちていた。
「何コレ……」
雷雲も無い日暮れ時だというのに、周辺で雷が舞っている。それはリーリカ達を襲いはしないが、まるでナージャとの間に壁を作るかの如く落ちて来た。
雷により地面が裂け、それにより何かが引火したかと思うような勢いで炎が顔を出す。
凄まじい勢いで背を伸ばした炎はナージャとリーリカ達を隔てる壁となり、雷が炎に触れる度に炎はその勢いを増した。
「ちょ、コレどういう事!?何よコレ!?」
一诺にも事情があるんじゃないかとかそういった云々が、リーリカ達の脳裏から完全にすっぽ抜けた。
そのレベルで、凄まじい衝撃を与える光景が展開されている。
「と、とにかくまずヴァレーラ先輩の手を治さないと!治癒魔法掛けるから手を出して!」
「いやコレ、ぐ、本当に痛いというか、つっ、こう、何というか、……っ、ふぅ……っ!」
手首を押さえる手に力を込めながら、ヴァレーラは険しい顔に脂汗を滲ませる。
「痛みよりも熱による火傷感というか、じんじん来る感じが強くてな……はぁっ、が、じんじん来る中にピンポイントな激痛も居る感じで!こう!とても痛くて泣きそうだ!」
「つまり手が出せないって事!?」
「そうとも言える!というかソレだ!痛くて語彙力が死んだ!」
「オッケーわかったその状態でも良いからとにかく治すね!」
ラヴィルは膝をついてから、押さえ込まれているヴァレーラの手を取って端の方へとキスを落とした。
被害が酷くない部分は火傷が消え、皮膚が再び構築されていく。
「う…………」
しかし、
「……やっぱりこれ、中心部は相当というか……肉が大分やられてるから、そっちを治すので精いっぱいだよ。キスの効果でもこれ以上をすぐに治すのは難しいし……このまま魔法を掛け続けていれば後遺症無く治るだろうけど……」
「じゃあ、ラヴィル先輩はそのまま治癒魔法を維持してください」
「でも、ナージャが!」
「そうだ!俺の事は最低限かつ最大限やってくれたからもう大丈夫だ!痛みもさっきよりは和らいだ!それよりもナージャ・ノヴィコヴァの保護を!」
「無理だと思いますよ」
現実として見るにはあまりにも非現実的過ぎるその光景に怯えたリーリカによって強く腕を掴まれながら、まだリーリカを抱き締めた状態のカーナは冷静に告げる。
「あれ、姉さんの魔法だから。姉さん、攻撃魔法が得意なんですよね」
「そうなの!?」
……初耳よ!?
驚いたリーリカは、そういえば、とファンブックを思い出す。
ファンブックにナージャの個人情報はあまり載っておらず、攻略対象と違って得意魔法はわからないままだった。
恐らくは光魔法とかその辺りだろうと言われていたが、
……まさか攻撃魔法が得意だったなんて……。
無印版の会話こそ全回収したが、ナージャはあまり自分の事を語らない。一诺関係であればよく話してくれるものの、ナージャ自身の事は語りたがらないのだ。
故にナージャ自身の情報が凄まじく欠乏していて、アデリナやラーザリにより提供されるファン視点の情報しか情報源が無かった。
「そうだったのか!?」
リーリカ同様、ヴァレーラもまたそう驚いていた。
「……あのぉ~、ヴァレーラって確か、ナージャ様と同級生だったように思うんですけど~……?」
「同級生だが俺は留年していて三回目の三年生だ!」
「より一層、知っててもおかしくないと思うんですがぁ……」
「確かに、うちの学校の授業って魔法メインの授業も多いしね」
他校生であるゴーシャの言葉に、ラヴィルは治癒魔法を維持しながらうんうんと頷いた。
「残念ながら俺はナージャ・ノヴィコヴァに接触するのを物凄い勢いで妨害されていたせいでクラス合同の授業が無くてな!合同系の授業でもナージャ・ノヴィコヴァのクラスとだけは合同にならないよう調整されていた上に、総合成績ならともかく攻撃魔法やらの個別の成績についてはまったく教えてもらえなかった!クラスメイトにすらも!つまりナージャ・ノヴィコヴァが攻撃魔法を得意としていたとか知らん!初耳だ!」
「人望、大丈夫ですか……?」
「あだだだだだだだ」
ゴーシャの憐憫に満ちた目と心に刺さりそうな言葉は、手の平の痛みが再発したらしいヴァレーラには届かなかったらしい。
運が良いのか悪いのか。
「うう……でもお姉様が攻撃魔法を得意としてたって、あの野郎から引き剥がさない事にはまだ危険が残るわよね?」
「リーリカがそう思うなら、俺もそれに同意するよ」
「同意とかじゃなくて!どうしたら良いと思う!?炎の壁の向こう側にお姉様とあの野郎が居るのよ!?万が一何かあったら……ヴァレーラ先輩!」
「何だ!?」
最後の痛みを乗り越えた結果ラヴィルの治癒魔法により手の平の火傷が綺麗サッパリ治ったらしいヴァレーラに、リーリカは言う。
「回復して早々で悪いんだけど、ヴァレーラ先輩の炎魔法であの炎を取り込むなりして操ったり消したりとかって!」
「無理だな!」
即答だった。
「正直言って炎の勢いが強いのと、攻撃魔法を得意としているだけあって攻撃可能な魔法全般が得意なのか操作性が高い!勢い重視の火力強めなだけの俺だと逆に持って行かれる!」
「ああもう流石お姉様!でも今そのハイスペックさを発揮して欲しくなかった!」
「あと雷がヤバい!」
「雷!?」
「雷魔法はかなり上級で、そう簡単には使用不可能な魔法!大概のものは雷で粉砕出来るというのもあるから多少の炎なら雷で裂かれるし、あの炎の壁は雷を纏ってるせいで雷の特性が付与された炎という扱いになる!」
「つまり!?」
「炎の上位互換でありもう炎じゃない!」
「いや、多分今は普通の炎だね」
「「は!?」」
焦りから大声でやり取りしていたリーリカとヴァレーラは、静かに告げたカーナを見た。
「ほら」
カーナがリーリカの首に巻いていた腕の片方を外し、指先で炎の壁を示す。
そこからは既に、雷が消えていた。
「もう雷の効果で多少の事じゃ消えない炎状態、ってわけじゃなくなってるみたいだから、普通に水で消えるんじゃないかな」
「じゃあ水魔法で!」
「言っておくけど俺は闇魔法が得意ってだけで、他は微妙だから期待しないで」
「ぐ」
カーナの言葉にリーリカは言葉が詰まる。
「……アタシも魔法は使えないのよね。他、水魔法が出来るのは!?」
「俺は炎魔法を得意としているから水魔法とは相性が悪い!」
「氷なら出せるんですがぁ~……炎相手なら結果的に水になるとはいえ、あまり効果は無いかとぉ」
「僕は無理だよ!補助系だけ!水魔法が得意な人の強化ならともかく!」
「あああもう痒いところに手が届かないっていうかお姉様の才能があり過ぎて困る!」
……というかこんなイベント無印版には無かったわよね!?何!?増量版イベントって事!?
リーリカがそう思った瞬間、バケツをひっくり返したような水がピンポイントで炎に直撃した。
「おっと」
「きゃあっ!?」
「あつっ、熱つっ!?」
「ぎゃあ!」
「あわわ~」
出所不明の水によって消火がされたらしいが、それにより発生した水蒸気で何も見えない。
サウナかと思うような熱気を纏った水蒸気が周囲に蔓延し、霧のように視界を埋める。
「ちょ、どうするのよこれ!お姉様は!?無事!?」
「落ち着いて、リーリカ」
まだリーリカをホールドしているらしいカーナの声に、確かに慌ててもどうにもならないとリーリカは動きを止めた。
直に風が吹いて水蒸気が散っていくと、そこにはもうナージャも一诺も居なくなっていた。
居るのはリーリカを守るように水蒸気が発生した側にいつの間にか立っているカーナと、カーナに抱き締められているリーリカと、水蒸気の熱さに呻いたヴァレーラと、同じく熱さに悲鳴を上げたラヴィルと、氷魔法による薄いガードでそれらを回避したゴーシャのみ。
他にも何かを探すのであれば、捲られたかのような地面や雷によって黒焦げとなった木くらいだろう。
「ど…………」
カーナに抱き締められているリーリカは、強くカーナの腕を握った。
「どうすんのよ!?お姉様が!お姉様が!」
「大丈夫」
「大丈夫って、お姉様が誘拐されて!」
「されてないよ」
わかりきっているとでも言うように、カーナはハッキリと断言した。
「……何で言い切れるわけ?」
「ん」
カーナが指差した地面には、水や水蒸気によって濡れた跡があった。
同時に、濡れた誰かの足跡も。
「方向からしてうちの屋敷に向かってるし、足のサイズからして一诺に間違い無いと思う」
「じゃあ今すぐにでもお姉様を助けに!」
「うん、だから落ち着いて」
「ぐえ」
多少苦しい程度に力を籠められ軽く首が絞まったので黙るしか無い。
「あのさ、とりあえず今日はここで解散にしよう」
「そんな!」
「ヴァレーラ先輩、安静にした方が良いだろ」
「う」
……確かにアタシが巻き込んだせいで、怪我させちゃったわ……。
「僕もヴァレーラ先輩に安静にしててもらうのには賛成。治癒魔法で治しはしたけど、ゆっくり休ませないと手の平が裂けたりとかするかもしれないし」
「何だソレ怖いな」
ラヴィルの言葉にヴァレーラはうへえという顔をした。
「あと多分、このまま全員でうちに行くってなると母さん達に全部を説明するのに時間が掛かるし、騒がしいから一诺に気付かれるよ。最悪こっちが説明してる間に逃亡される可能性があるかも」
「あり得るわね……」
……あの野郎が敵だって考えれば、あり得なくはないわ。
「あれだけ騒げば人も集まってくるだろうから、一旦ここで解散しよう。母さん達には俺から言って、一诺が刺客だったって事を報告しとく」
「……確かに~……」
ゴーシャは顎に手を当て、んん、と眉を顰める。
「流石にこれだけの事が起きて目撃者無しとは思えませんからぁ、最悪の場合ラヴィルのお家にこの一部始終が伝わってる可能性がありますよねぇ~……」
「あ、そうなると僕ヤバいよ!帰れない!」
「俺の手の事もあるから、普通にラヴィルは俺の家に来れば良いだろう」
ヴァレーラはさらりとそう言った。
「あとゴーシャもだな。このまま解散になるなら、ボーン家に行ってボーン家ごと招待した方が良いか」
「僕もですか~?」
「分家はあれでも一応貴族の枠ではあるからな。一般市民であるボーン家が人質に取られるとヤバいから、先に保護しておいた方が良いだろう」
「あわわ~……」
「あ、アタシが巻き込んだせいよね?それって……」
いざこうして説明されると、やらかした事のヤバさを実感し、リーリカの背に嫌な汗が垂れる。
「リーリカは心配しなくて良いよ」
未だリーリカを抱き締めているカーナはそう言った。
「まずさっきので姉さんと一诺を引き剥がせていればまだどうにかなったかもしれないし、引き剥がせてても同じような措置を取る必要があっただろうし、この場に居なくても俺達とよく一緒に居る姿を目撃するからって理由だけで人質にされる可能性もあるかもしれないし」
「想定がハード過ぎないかしら」
「でも、寧ろそう考えると一緒に居た方がすぐに保護出来る分、良いと思うけど」
「そう言われるとぉ、話がわかっている分説明に時間が掛からないという利点もありますねぇ~」
既にいつも通りのテンションに戻っているらしいゴーシャは、ゆったりとした口調で肯定する。
「例えばリーリカの場合は教会という公的機関なので安全は保障されますがぁ、僕の場合はそうもいきませんから~……」
「つまり俺が家に連れて帰るのは、ラヴィルとボーン家か」
「俺は普通に家に帰るけど、その前にリーリカを送り届けてからかな。教会にさえ到着すれば後は安全なはずだから」
「俺達は三人で行動していればある程度は対処出来るだろう!」
安全の為にラヴィルとボーン家はマショー家にお泊まりで、リーリカはカーナの付き添いで教会に帰り、カーナは闇魔法で存在感を消せる為問題無く帰還可能、という感じで纏まった。
「リーリカ」
「?」
見上げれば、カーナは三日月を連想させる程に口角を上げ、目を弓なりにして笑っている。
「後は俺に、任せてね」
キリキリカチャカチャ。
どこかから聞こえる静かなその歯車の音は、あーあ、と溜め息を吐くような、狩られる寸前の獲物に対しての、その命を諦めるような。
そんな音を、響かせていた。




