ナージャは拒絶する
「ナージャ・ノヴィコヴァ!早くソイツから距離を取れ!」
「きゃ……っ」
赤く長いマフラーを身につけているヴァレーラに腕を掴まれたナージャは、ぶわりと嫌悪が湧くのを感じた。
……嫌……っ!
苦手な存在に触れられる事自体、ナージャからすれば無理だった。虫が肌の上を這った時のようにぞわりとして、可能ならその部分を執拗なまでに洗ってしまいたい程に無理だった。
一诺とは違う、知らない手。大きくて熱くて、覚えの無い手。
攻略対象だったような気がするという程度ヴァレーラの事を認識していないナージャからすれば、見ず知らずの男に腕を掴まれているとしか思えない。
「離してください……!」
だから、拒絶した。
だって怖い。知らない男に腕を掴まれるのは、怖い。
急に何を言っているかもわからない事を言い出した辺り、距離を取る対象でしかないのに。
なのに、腕を掴まれた。
苦手な相手と一緒に居た知らない男。
他にも知らない男が沢山控えていて、端的に言って普通に怖い。普通の女性ですら怯えるだろう状況下で、普通よりも怯えがちなナージャが怯えない理由が無かった。
「ええい!今はとにかくその怖いヤツから距離を取るのが先決だろう!お前に万が一があったらどうする!?俺はまだお前に謝罪をしていない!」
「ぃ痛…………っ!」
一刻も早くナージャを一诺から引き剥がそうとした為か、それとも一つの事にしか集中出来ないタチだからか、ヴァレーラはナージャの腕に痣が出来るような強さで握っていた。
ナージャがそれに声を上げるも、一つの事にしか集中出来ないヴァレーラはナージャが痛がっている事に気付けない。
痣が出来る程の強さで握っている自分にも、気付かない。
「ナージャ様……!」
ナージャが嫌がり、痛がっている事に気付いた一诺は手を伸ばす。
「……っ」
けれど一诺は、ハイライトが入っていないその黒い瞳を揺らして手を止めた。
ぐらぐらと、瞳が揺れている。葛藤でもしているかのように。手を伸ばそうとして、伸ばして良いのかと葛藤して、その手は中途半端な位置で止められた。
……どうして。
手を伸ばせば届く位置なのに、その手は中途半端な位置で止められた。
……どうして誰も、私の気持ちを理解してくれないんですか……!
誰が一诺から離れたいと言った。
誰が一诺を悪だと断じた。
誰が、一诺はナージャの敵なのだと言ったのだ。
……そんなの、そんなのは、私が一诺と話し合って決めれば良い事です……!
部外者に割り込まれる謂れは無い。
苦手な相手に一诺を悪く言われる謂れも無い。知らない男に痛い程腕を掴まれる謂れも無い。
……イヤ。
どうして誰も話を聞いてくれないのだろう。
……イヤ……。
痛い。怖い。
大きな声も知らない人も強い力も誰かを悪く言う言葉も、嫌い。
……イヤ……!
たかがこの程度で今まで一诺が築き、一诺と育んできた絆が崩壊すると思われている事も。
……イヤなんです……!
どうして誰一人として、一诺ですらも、ナージャに対して、大丈夫だと信じてくれないのか。
……こんな事で壊れるのは、イヤ……ッ!
ナージャが歯を食い縛ると同時、痛みと恐怖に耐えていた涙がその瞳からぼろりと落ちた。
「離して、ください――――ッ!」
叫んだ瞬間、内側に閉じ込めていた全部が放出される。
「ゥ熱ッ!?」
直後ヴァレーラが叫び、距離を取った。
ヴァレーラはナージャに触れていた方の手首を触れていなかった方の手でギリリと強く抑え込む。ヴァレーラのその手は、ナージャに触れていた手の平は、何かに焼かれたかのように真っ赤な色に爛れていた。
……触らないで!
ナージャのその感情が外で弾ける。
結果それは、魔法となった。
バチバチと火花が散って、閃光が周囲を駆け巡る。雷光が嘶く。ナージャを中心として、全ての接触を拒絶するように雷鳴が轟いた。
……来ないで。離れて。近付かないで。
その感情に呼応するかのように、ナージャの周囲に炎が現れた。
踊るように広がるその炎は、ナージャと一诺を守るかのように囲ってゆく。ヴァレーラを始めとする、ナージャからすれば敵でしか無い者達と距離を取るように。近付けば燃やすと、そう警告するように。
……あっちに行って……!
まるで生き物のように雷があちこちへ落ち、それがまた炎の踊りを助長させる。更に発生した風により炎の勢いは増し、炎の壁に包まれた隔離空間が出来上がった。
これはナージャの魔法によるものだった。
暴走かと問われれば、三割暴走、と答えるだろう。
そう、三割だ。
流れるように魔法を発動させてしまった事やヴァレーラの手の平を焼いたのは暴走によるものだった。嫌悪からの反射的な拒絶の動きによる暴走、というのが正確だろうか。
そもそもナージャは、魔法の扱いがそれなりに得意だった。
そしてナージャがとびきり得意にしていたのは、攻撃魔法全般。
ただし得意であるが故に攻撃力が高いソレは、対人間に使うにはどうにも威力が大き過ぎる。
それがわかっているからこそ、ナージャはそれを使おうとはしなかった。
使うにしても、一诺が居ない時に誘拐されかけた時に使う程度。
もっともそれも、魔法を封じられれば使用不可能だが。
とにかくナージャは、攻撃魔法を使用するのを疎んでいた。
だってこれは、攻撃。誰かを傷付ける為のもの。身を守る時だけに使用するもの。
……私、間違ってないです。
そう、間違っていない。
ナージャは強くそう思った。
だって、怖かった。怖かったし痛かった。連れていかれそうになった。
だからナージャは、身を守る為に攻撃魔法を放ったのだ。
例えそれが、暴発に近いものだったとしても。
……さっきの人、手の平、雷でちょっと焼いちゃいましたけど、でも、私の腕だって痛かったです。
痣になるような掴み方と手の平を焼く雷が対等とは到底言えるはずもないが、それでもナージャは、それを申し訳ないとは思わなかった。
思いたくも、無かった。
「一诺……!」
ナージャは炎に覆われた壁の中、共に壁の中に居る一诺へと抱き着く。
怯えた子供のようにビクリと跳ねたその首に腕を回し、確かに一诺という存在が居るのだと確認するかのように、強く、強く、抱き締めた。
「ふ、っ、ん、ひぅ、ひん……っ」
抱き締める事でいつもの一诺だと、慣れ親しんだ体格と体温だと認識すると同時、ナージャは既に流していた涙の勢いを増して嗚咽を零した。
離すものかと言わんばかりにぎゅうと強く腕に力を籠めれば、一诺の体がまた強張る。
「……ナージャ様」
「なん、っ、です、かっ!?」
「私が刺客で、ナージャ様の敵だとは、思わないのですか?」
「一诺は私がそんな薄情者だと思ってたんですか!?」
思わず抱き着くのを止め、泣き顔のままナージャは一诺の肩を掴んでそう叫んだ。
「え、あ、いえ」
一诺は動揺しているのか、幼い子供のようにふるふると首を振る。
「良いですか、一诺」
「はい」
ナージャはグスッと鼻を鳴らし、ぼろぼろと涙を零しながら言う。
「どうして私が、彼女の言葉を信じると思うんです」
「え、いや、だって」
「あの言葉を信じる理由が私には無い事くらい、わかるでしょう!十年以上の付き合いがある一诺を信じるのが当然です!誰に何と言われたって、刺客だ何だと言われたって、そして例え本当に刺客だったとしても!」
感情に呼応してか、またも雷が炎を踊らせた。
「私は刺客じゃない、私の事をずっと気遣ってお世話してくれていた一诺しか知りません……!」
……例え本当に刺客だったとしても、私が見て来た一诺だって、本物でした。
「それを知らない人達の言葉を信じられるものですか!私はずっと一緒だった、そしてこれからも一緒に居たい存在である一诺を信じます!いつも私を守ってくれて、私を想ってくれた一诺を悪く言う人を信じられるはず、ありません!」
炎により外の音も完全に遮断された中で、ナージャは叫ぶ。
「それに、一诺も!」
「はい!?」
「どうしてあなたが彼女達の言葉を鵜呑みにするんですか!?真実がどうあれ、どうして手を伸ばしてくれなかったんですか!」
……私が彼女達の言葉を信じたと思われた事も嫌ですけど、どうして、あんなにも怯えたような、迷子になったような顔をしている一诺を疑うなんて思うんですか……!
「私が!」
ぐ、とナージャは涙をぼろぼろ零しながら息を吸う。
「私があなたに差し伸べられた手を拒絶した事が、たった一度でもありましたか……!?」
「…………それは」
「私が覚えていないだけでもしあったならごめんなさいですけど、でも、私に差し伸べた手を握ってもらえないんじゃないかなんて、思わないでください!私に向かって伸ばした手を引かないでください!」
元々叫ぶ事に慣れていない上に、泣いているのだ。
喉が痛くなってきた事を自覚しながらも、ナージャは声を抑える事無く勢いのままに一诺の手をガッと掴んだ。
優しさなど無く、ただ逃がさないという勢いだけで。
「私はこの腕がある限り、この手がある限り、この腕が!手が!無くなりでもしない限り!必ずあなたの手を取りますし、あなたの手を掴みます!」
……さっき、強く掴まれて痛かったから、強く掴むのはアレですけど、それでも。
ナージャは可能な限りの強い力で一诺の手をぎゅううと握った。
「……そう、ですか」
一诺の手や体に張っていた力が、ふっと抜けた。
見上げれば、一诺は憑き物が落ちたような優しい微笑みを浮かべている。
「太谢谢你了」
その言葉と共に、ナージャは優しく抱き締められた。
「……ナージャ様、私はあなたに、言わなければならない事があります。最悪の告白を、しなくてはなりません。今の言葉を前言撤回したくなるような事かも」
「そういうの、要らないです」
ナージャは一诺の背に手を回し、抱き締め返す。
「まずは無事に帰って、そこでゆっくり話しましょう。私がどう感じるかは、その時考えれば良い事ですから」
……それに、そんなに怯えているとわかる一诺を、一体誰が拒絶するものですか。
ナージャの背に回された一诺の手は、小刻みにカタカタと震えていた。
けれどナージャはそれを指摘せず、ぽんぽんと軽く背を叩いて離すようにとお願いする。
一旦一诺から離れたナージャは既に止まった涙を指先で拭い、一诺の顔を見上げて笑みを浮かべる。
「それじゃあ今から大量に水を出して、炎を消します」
感情が落ち着いたからか、既に雷は止んでいた。
「そしたら沢山の水蒸気が出て視界を塞ぐはずですから、その隙に私を連れてお家に帰るの、出来ますか?」
「その程度、ナージャ様の従者として当然です」
一诺は良い意味で力が抜けた笑みを浮かべ、そう返す。
「追跡魔法を応用すれば、視界が塞がれていようと周囲の状態を把握するなど容易い事ですよ」
「良かった」
手を伸ばせば、一诺は慣れたようにナージャの事を抱き上げた。
同時にナージャが魔法を発動させ、大量の水が炎へと降りかかり、炎が消化されると共に凄まじい量の水蒸気が周囲に蔓延する。
炎の壁に阻まれ続けていた特待生達が今度は水蒸気の壁に阻まれて動揺する声を聞きながら、ナージャは動き出した一诺の胸に身を預けた。
ナージャの胸には感情を吐き出した事によるスッキリ感と、そして確かな安堵があった。




