ナージャは家を出たいと思う
ナージャはしばらく寝込んだものの、無事回復して再び苦手極まりない学校へと通い始めた。
「お姉様!」
そしてリーリカは相変わらずというか、ナージャが本心の一割以下程度しか見せなかったとはいえ、一割以下であれど確かな拒絶をされておきながら毎日毎日やってくる。
いつも通りのテンションで。いつも通りの大声で。いつも通りの笑顔で。いつも通りの距離の近さで、彼女はナージャのもとへとやって来た。
拒絶したのに尚も諦めず来るリーリカに、ナージャは怯えた。
普通であれば、それでも諦めない姿勢に感銘を受けるかもしれない。そこまで慕ってくれているのかと感動するかもしれない。ほんの少しでも心が揺れ動かされ、少しずつ距離を縮め始めるかもしれない。
ただ、ナージャはそうは思えない。
……どうして拒絶したのに、来るんですか……!
それはひたすらに恐怖しか抱かせない。
ナージャからすればリーリカは、拒絶しても拒絶しても当然のように隣に座ってくるストーカーみたいなものでしかないのだ。
好意で近付いてきて、けれどナージャは苦手としていて、家まで押しかけてきて、毎日毎日話し掛けて来るというその行動の全てが、ストーカーでしかない。
当然ナージャは人を悪く思いたくないし、改めてそう認識すると無駄に心にダメージを負う為その事実には見ない振りを続けているが。
「あの、お姉様、先日の件で舞踏会とかが駄目なのはわかりました。でもそれはそれとして、せめてヴァレーラ先輩とお話を!」
「い、いや、です……」
ナージャが拒絶しても、リーリカはめげない。それはナージャにとって苦痛でしかなかった。
そっちの主張を貫こうとする癖に、ナージャの主張を一切聞き入れないものだったから。
ナージャの事をまったくもって思いやっていないその行動、言動、態度、全てがナージャの心を苛む。
リーリカはナージャを慕っていると公言しているが、ナージャからすれば到底そうは思えない動きばかりをしていた。
……寧ろ、私に敵意を持っていて、死ねば良いのにという程の悪意を抱いているのであれば……いっそ、そのくらいの方が私も強く拒絶出来るんですが……。
それが本物の好意であるという事もわかるから、完全な拒絶も出来ない。
全てが裏目に出ていてナージャの心を苛む以外の行動を取らないリーリカだが、その好意が本物である事くらいはわかるのだ。
けれど、駄目だった。無理だった。
既に苦手だとカテゴライズされていた。
「お姉様!お姉様のお家の分家の三男であるラヴィル先輩とお話とか、しませんか!?ラヴィル先輩はあの、前にお姉様に助けられた事があるらしくて、学校内であれば不可抗力扱いされるのでお話をしても!大丈夫だと!思うんです!」
「や、や、イヤ、です……!」
……何も、わかってくれてないんですね……。
ふるふる震えて涙目になりながら拒絶しつつ、ナージャはそう思った。
本音の一割以下しか吐き出さなかったとはいえ、あの時確かに言ったはずなのに。誰かと接する事が無理だと、確かに伝えたはずなのに。
……それはまあ、私も直後に高熱で気絶しちゃったから、正直に言ってあの時の記憶はかなり曖昧ですけど……。
確かに言ったと思っていたが、あれは高熱にうなされていた時の夢だったのだろうか。
・
ただでさえ学校に登校するというだけでも苦行なのに、クラスメイトが居る教室に居るだけでも苦痛なのに、リーリカが休み時間毎に猛攻を仕掛けて来るという地獄。
授業自体は興味深いものも多いので好きだが、ナージャはそれ以外がどうにも駄目だった。
「……一诺」
「はい」
帰り道。
一诺と並んで歩くナージャの顔は、酷い顔だった。顔面蒼白の具現化か何かと思う程に顔が蒼白になっている。
少しばかりふらふらしながらも、突然の襲撃があった時一诺の動きを妨げてはいけないからとナージャは一诺に縋ろうとしない。
服の裾か腕を掴みたい手を握りたいと思う、助けを求めている自分の心を殺して、ナージャは言う。
「…………私、ずっとあのお家に居るんでしょうか」
「ふむ」
ナージャの言葉に、一诺は少し首を傾げて思案する。
「それはどこかに嫁入り出来るかどうか、それとも家自体を出たいという事なのか……どちらの意味でしょうか。それにより私の返答も変わりますが」
「んん……どう、言ったら良いのか、わからないんですが……」
ふと、ナージャは空を見上げる。
当然のように電線など無い青空が広がっていて、自由がそこにある気がして、どうして飛べないのだろうと気分が沈む。人間が飛べない事など、至極当然でしかないのに。
魔法があれど人間を浮かせるというのは相当に魔力を消費する為、人間は空を飛べなどしないのだ。
「……あのお家、嫌いです」
「ナージャ様がそうハッキリと言葉にするとは、珍しいですね」
「んと、私もあんまり、こういう事、色々言うにしても、あんまり言わない方が良い事だって思ってます、けど、でも……今、私、言うのを耐えられないくらいに、あのお家が嫌いです」
「舞踏会の件が決定打になりましたか」
「……そう、ですね」
決定打。それはつまり、前から家が嫌いだったという事。事実自分を誤魔化すのも限界というレベルだったので、それは間違いではない。
どのくらい嫌いかと言えば、雨上がりのぬかるんだ泥だらけの地面によって新品の靴が汚れ、挙句近くを通った車が跳ねた泥水でおニューの服が台無しになったくらい。
……好きになれる理由、無いんですよね。
好意を向けられているから好きになれるかと言えば、それはノーだ。
もしそれが成立するなら世の中にストーカーなどは存在せず、痴情のもつれも無く、片思いで相手に振り向いてもらえないからと凶行に走る人間も居ないだろう。
それらが存在している以上、向けられた好意に同じだけの好意が返されるという絶対の法則は無い。
……嫌いになれる理由ならいくらでもあって、でも、相手に悪気は無くて、善意で、同じ生きてる人間で……。
だから害虫を見た時のように、絶対の嫌悪を敵意と殺意と拒絶を向ける事が出来ない。
いっそあのくらい駄目な存在であればナージャもまだ楽だっただろうに。善意であり好意であり、同じ種族であるとわかるからこそ拒絶し切れない。会話が出来るからこそ、相手の意見や主張を一方的に突っぱねる事など出来はしない。
例えその相手が、ナージャの主張を一切聞き入れないどころか碌に認識さえしていなくとも。
「…………一诺は」
「はい」
「もし私がお家を出るってなった時、一緒に来てくれますか?」
一诺は一瞬、きょとんとした表情でナージャを見た。
「私は例え置いていかれようとも、ナージャ様について行くつもりですよ」
それは当然のように、自然にするりと出たように聞こえる声色。
「ナージャ様が私を必要としてくれた時に、応えられるようにと。……もっともナージャ様は要領が良いので、私の助けなど無くとも平気そうな気はしますが」
「そんな、その、私、一诺が居ないと、駄目です、よ……!一人だと、私……」
……一诺が居てくれて、頼れる存在だから今の私が持っているだけなのは、わかってます。そんな一诺が居なくなって、一人になっちゃったら、私はきっと……。
きっと心が壊れてしまう。
当然一诺が一緒に来る事を望まないのであれば、無理強いをするつもりなど無かった。その時は心が壊れるという覚悟を持って、これ以上の負担が無いよう、そして一诺に負担を掛けないようにと一人で旅立つだけだ。
「もしナージャ様が私を置いて一人で出て行かれた場合、その時私はただナージャ様をつけ回すだけの男になってしまうでしょうね」
「え」
一诺は優しく目を細め、微笑む。
「置いて行かれようともついて行くと、言ったでしょう。必要とされなかったとしてもそばに居ますよ。完全にあの特待生と同じような、ストーカー状態になってしまうのは否めませんが……」
「置いて行ったりなんて絶対しません……!」
「!」
ナージャは、一诺の小指をきゅっと握った。
突然の襲撃やらを考えると、動きを制限するのは良くない。恐怖のあまり思わず強く掴み、一诺の動きを制限してしまう可能性が高いから。
けれど小指だけならと思い、強過ぎない程度にきゅっと握る。
「私、どこに行ったって、きっと一诺が居なかったら、どこであっても灰色だと思うんです。でも、一诺が居れば、そこは素敵な場所なんです。その、お家はちょっと、イヤですけど、それでも、一诺と二人きりで、お……」
お父様とお母様と言おうとして、ナージャは一瞬口ごもった。
「……あの人達の存在を忘れる事が出来る、二人きりの部屋の中は、とっても素敵な時間ですから」
最早ナージャにとって、両親は両親では無く、嫌悪の感情を抱く他人でしかない。
「あんな家の中でも、一诺が居てくれるから、安心出来る場所を確保出来てる、んです」
「そうですか」
そっけない口調ではあったが、その耳と首は赤く染まっていた。
「……それは、使用人には過ぎた言葉な気もしますが……」
「事実ですよ」
「…………谢谢」
小さく呟かれたその言葉に、ナージャは眉を下げながらもニッコリ笑う。
「………………んん、でも、これだけお話しておいて何ですけど、お家を出たくても、どう出たら良いのかわからないんですよね……」
「……今、考える事でも無いでしょう」
一诺はぽつりとそう言った。
「ただ家を出たいだけか、この町を出たいか、いっそ国を出たいか、行きたい場所があるか……具体的にどうするかを決めるより、先にそれらをハッキリさせておく方が良いかと」
「……えへ」
へにゃ、とナージャは微笑む。
「一诺、私が家を出たいって言うの、止めないんですね」
「ナージャ様の心身を想えば、その方が良いのは明白ですから。何よりナージャ様自身がその方が良いと選択するのであれば、私はただ応援し、協力するだけです」
一诺はナージャを見つめ、目を細めた。まるで眩しいものを見るかのように。
「その案に賛成する理由は無限にあれど、否定する理由などまったくもって無いのですから」
光が入っていないままであれどとても優しい色を灯したその黒い瞳に、ナージャはふわりとした笑みを浮かべていた。




