291 青い薔薇の行き着く先
明け方の屋敷の中を歩く。
一緒にいるのはレティシア様、ローリエ様、私。そして証人兼護衛としてのヴィル兄様だ。
正直言って幼女の体は限界に近い眠気を訴えているが、うちの両親が起きてくる前に事を済ませなければならない。
……レティシア様がいるお陰で、ロレンス夫妻の寝室の護衛はすんなりと私たちを通してくれた。
「まぁどうしたのレティシア、それに皆さん」
不思議そうに私たちを出迎えたのはフィデル夫人だ。もう起きて身支度を始めていたらしい。
お泊まり初日の夜に「青い薔薇を持ってこられれば話を信じる」と挑戦的な会話はしたものの、私たちに敵意があるわけではないようだ。
それに、三日と待たずに持ってくるとは思ってもみなかったろう。
「見ていただきたいものがあるのです」
──私がそう言うとフィデル夫人の顔が強張った。
「……まさか」
「はい。お話ししたものです」
夫人は顔を青ざめさせた。
しかし私たちを追い返すことはなく、部屋の中へと招き入れる。
「あなた、あなた。こちらに来て」
そう夫人に呼ばれ、続き間で着替えていたセオ侯爵もやって来た。
着替えの手伝いをしていた使用人も下がらせて、寝室は関係者だけになる。
そこで、ヴィル兄様が持っていた筒を夫妻へ静かに差し出した。
「植物学の権威であるバージル家の名にかけて、これが本物であると宣言します。どうぞお確かめください」
兄様がそう言うと、セオ侯爵が震える手で筒を受け取った。
「……本当に、名にかけるのですね」
「はい」
それに加勢する。
「ハイメ公爵家に連なるオーキュラス侯爵家の嫡子としても誓います。これは本物の、教会に伝わる〝群青の薔薇〟です」
続けてローリエ様も顔を上げてはっきりと言った。
「この国を守る辺境伯の娘として、私もその薔薇が本物であると誓います。どうか目をお覚まし下さい」
「……では、拝見しよう」
セオ侯爵が恐る恐る筒の蓋を開ける。
そして目を閉じて、もう一度瞳を開ける。
……その目から涙が零れ落ちた。
筒から取り出された青い薔薇を見た夫人も息を呑む。
「ああ……」
どちらともなくそう苦し気に呟き、そして項垂れた。
──残酷なことをしているのかもしれない、と思う。
信仰は人の苦しみを癒すためにある。
ケト様とやらのカルト宗教も、きっとこの人たちにとっては救いだったんだろう。
でも、この人たちはその場しのぎの幻想に浸っていて良い人たちではない。
「信じてくださいますか」
「……ええ」
フィデル夫人がぽろぽろと涙を零した。
その肩をセオ侯爵が抱く。
夫人は侯爵にもたれ掛かって泣き始めた。
美しい夫婦愛、息子を思う心……。
……だが、それは本当に美しいばかりだろうか。
「レティシア様の肩は、一体誰が抱いてくださるのでしょう」
明後日の方向を見ながらそう言うと、夫妻が弾かれたようにこちらを見た。
……こんな事は本来なら部外者が言うことではない。
本当に心に響く可能性は少ないからだ。
でも、それでも。この人たちは根っからの悪人には見えなかった。
勿論現実を見ず、レティシア様を軽んじたり、全く努力を認めようとしなかったことは許しがたい。
でも意図して誰かを傷つけたり殺したりするほどの悪人ではない。
なにより……レティシア様の家族はこの人たちしかいないのも、本当なのだ。
だからあえて言う。
「こんな場所に私の親友は置いておけません。レティシア様は、我がオーキュラス侯爵家で保護します。あなた方がカルトの誤った教えに耽っていたと知れば、我が両親は喜んで救いの手をレティシア様に差し伸べるでしょう」
──公になれば。
事態が明るみになればこの二人は破滅。
そして私の両親に頼めば、レティシア様を保護することは、実際に可能だろう。
レティシア様は恐れていた話に泣きそうになっている。申し訳なく思いつつも話を続けた。
「よろしいですよね。だって、マルク様が生き返ればそれでいいのでしょう? その時、意思の確認もされずに宵闇寮から金星寮へ移動させられるレティシア様が、どれほど寂しく悔しい思いをされるか……想像もしないで」
「……っ」
夫妻が絶句する。言い過ぎたかと思ったが、しかし。
「──娘を、奪わないでくれ」
がっくりと項垂れたセオ侯爵が、ぽつりと言った。
「レティシアは、私の親友の子に嫁がせるつもりだったんだ。本当に品がよくて、裕福で、良い家で。そこに嫁げば幸せになれると思っていたんだ」
フィデル夫人も夫の様子を見て、力を失ったように言った。
「……レティシアは私に似ているの。ぼんやりしていて、勉強も社交も苦手で、どんくさくて。本当ならもっと気楽な道を行けるはずだった」
どうやらロレンス夫妻も、夫妻なりにレティシア様の幸せな未来を思い描いていたらしい。
確かにレティシア様は、バリバリの女領主というよりお茶会で幸せそうに笑っている姿の方がイメージしやすい子だとは思う。
しかしマルク様が亡くなった時点で、それは叶わない夢。
……これ以上悪役ぶっても意味はないだろう。二人の話に耳をすませる。
「マルクは、マルクは。本当に賢くて良い子だった。ロレンス家を安寧に導くと信じて疑わなかった。でも、死んでしまった……」
「あの子はいつも、長女のミランダとレティシアのことを気にかけていたわね。……それって、こういうことだったのかしら」
フィデル夫人がぼんやりとそう言う。
亡くなったマルク様はこの両親の危うさを危惧していたのかもしれない。
通じるかは分からなかったが、私は言った。
「レティシア様は、いつも私のサロンの子たちに勉強を教えていらっしゃるんですよ」
「……レティシアが?」
夫妻が信じられない様に言う。それを歯がゆく思いつつ続けた。
「勉強も教えていらっしゃいますし、悩みごとがあれば率先して聞こうとなさいます。それに、入学前から侯爵家の私と辺境伯家のローリエ様と仲良しなんですよ?……社交が下手とは思えません」
そう言うとロレンス夫妻は呆然とした。
「レティシアが、人の世話を?」
「……私たちは、何も。何もかも見えていなかったのですね」
そう言って俯く夫妻へ、震える声がかかった。
「れ、レティシアは。レティシアはこれからも頑張ります。……それは見ていてもらえますか?」
そう言われた夫妻は、勢いよく顔を上げて。
そして、震える手を握って、開いて。
──そのまま泣きながら、苦しそうなほどレティシア様を抱きしめたから。
私とローリエ様、ヴィル兄様は大丈夫そうだと頷きあって、そっと部屋を出たのだった。




