276 地下室の秘密①
黒猫二人の「あ」という焦った声を聞いて、急いで扉を閉じる。
「どうしました」
小声で聞くと、オルガとカリナは当惑の表情を見せた。
「だっ、……誰かいます」
「でもでも、何か変です」
小声で訴えてくる二人が必死に鼻をすんすんさせる。
「薔薇の匂いが強すぎて微妙なんですが……中からは人の匂いがしないんです」
「でも、部屋の奥に誰かがいます」
それを聞いて、いよいよ鳥肌が立った。この場の全員が青い顔をする。
……匂いがない。
聞き耳を立てても音がない。
じゃあ中にいるのは、一体何だ?
そう泣きそうになる。
帰りたさがマックスになって、もうこの扉は閉めたままで逃げたいとも思う。
しかし、レティシア様の顔が脳裏を過ぎった。
お菓子パンがおやつに出た時の大喜びする顔。
やっと問題が分かった時に見せる充実した笑顔。
私達とパジャマパーティーしている時の、ほころんだ笑顔。
……そして今日の昼間に初めて見てしまった、酷く寂しそうな横顔。
「……」
──そんなレティシア様の抱える悩みに関する何かが、この先にある。
そう思ったら、もう扉を開けるのに戸惑いなんてなかった。
「頼もーー!!」
ドカンと扉を蹴破る勢いで開ける。
何があっても返り討ちにしてやらぁ!! という意気込みでそうしたのだが、特に何も起きなかった。
……しかし目の前に広がっていた光景は、それ以上に私に動揺をもたらした。
「……え?」
地下の部屋の中は狭く、それほど広くない。
せいぜい十メートル程度の大きさの部屋だ。
部屋の中には魔石ランプがいくつか置かれているので意外と明るい。
机やテーブル、そしてお花や本棚、ティーセットも置かれている。
しかしなにより異質なのは。
「おとこの、こ……?」
部屋の奥には、ガラスケースに入れられた人がいた。
目を閉じた男の子はガラスケースの中で手を祈りの形に組み、静かに立っている。
目を閉じているから瞳の色は分からないが、そのピンク色の髪はいつも見ているものと同じだった。
ユレーナが信じられないと言うように震えた声を出す。
「……まさか、マルク侯爵子息?」
その呟きでその場の全員がぎくりとした。
レティシア様とも、その母親のフィデル侯爵夫人とも同じ髪の色。
……しかしどうして、死者が生前そのままの姿で?
恐る恐る近づいてみると薔薇の香りがより一層強く香る。
そんな風に動揺しつつ接近する途中、マルク様らしき少年の手前に置かれた物が目に入った。
「青い、薔薇……?」
これまた小さなガラスケースに入れられた、一輪の青い薔薇だ。
青というよりは紫に近いが、この屋敷に来てから見た「青い薔薇の呪符」を思えば、これが青い薔薇として扱われていることは想像できた。
ユレーナが呟く。
「紫……いや、青い薔薇? ですね。見たところ生花のようですが」
ユレーナの見立て通り、造花と言うよりは生花のように見える。
頷き、それから恐る恐る目線を男の子に戻した。
「この子は、やはりマルク侯爵子息でしょうか」
ガラスケースにそっと触れてみる。
祈るような姿勢で納められている彼は、恐らくそうだ。
……亡くなった侯爵子息。
ピンク色の髪だけでなく、近くで見れば顔立ちまでレティシア様に似ていた。
そう確信したとき。
「ああそうだよ。その子が我がロレンス家の跡継ぎ、マルク・ロレンスだ」
「!!」
突然響いた男性の声に全員が飛び上がるほど驚き、後ろを見た。
「あっ……」
部屋の入り口に立っていたのは……寝間着にガウンを羽織った姿の、セオ・ロレンス侯爵とフィデル夫人だった。
奇妙なほど穏やかな笑みを浮かべた二人がゆっくりと室内に入ってくる。
側近組も彼らに気づかなかったらしく、激しく動揺していた。
「こっ、侯爵、それに侯爵夫人」
喉がカラカラになる。喘ぐようにそう言うが、二人はおっとりとこちらに挨拶した。
「こんばんは。……いやはや、マルクはやっぱり凄いね。眠っていてもこうして人を集め、人脈を築いてしまうんだもの」
「……?」
侯爵がにこにこしながら歩いてきて、私を通り過ぎ、マルク様を納めたガラスケースを愛おしそうに撫でる。
フィデル夫人もマルク様に慈愛の瞳向けてから、青い薔薇の納められたケースをうっとりと眺めた。
「もうご覧になりましたか、この青い薔薇。美しいでしょう」
「……そ、そうですね?」
てっきりこの隠し部屋に入ったことを怒ったり、あるいは排除しようとすると思っていたのだが。
ロレンス侯爵夫妻はむしろ嬉しそうに微笑んでいた。歓迎している感じすらある。
……それこそが鳥肌が立つほどの違和感なのだけども。
「あの、ここは一体? それにこちらの、その」
ご子息の剥製じみた遺体は、と言葉に出すのは流石に恐ろしかった。
しかし夫人が嬉しそうに説明し出す。
「ええ、マルクのことでしょう? こうして生きているなんて不思議ですよね。でも全てはケト様が起こす奇跡の範疇なのですよ」
「き……奇跡?」
「ええ。ほら、この青い薔薇がその奇跡の証拠です」
そう言って夫人が薔薇のケースを優しく撫でた。
そんな夫人の肩を、ロレンス侯爵が優しく抱く。
「薔薇は決して青くならない。どんな庭師が、魔術師が、薬師が力を尽くそうとも、青くはならないんだ。……だがそれを可能にする人が居た。それが“教会”の神、そしてケト大導師様だ」
……んん?
「ケト大導師様は、〝教会〟の総本山である“大教会”に伝わる奇跡の品を唯一分け与えられた、偉大なる方だ。ケト様はこうしてマルクの依り代も下さった」
「……奇跡の品?」
それに、依り代ってなんだ。
やばすぎる単語が沢山出てきて動揺する。
ロレンス侯爵は慈愛のほほえみを浮かべた。
「知らないのかい? “群青の薔薇”を」




