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九話

   ▽   ▽   ▽




 空気が微妙だった。

 いつもの張り詰めたそれとも違う微妙な空気は、戸惑いとか不安とかそういうものすが入り混じっている。

 滅多に調子を崩さないメリアもまたその空気の中にいるのが特徴的である。


 彼等には馴染みのないアップテンポな曲を鼻歌に、楽しそうに書類仕事をしているミュウにその原因はあった。

 職場の空気改善計画。それを端的に言えば――。


「飲みに行こうぜ!」


 である。

 正確に状況を説明するなら。


『私、皆さんと親睦を深めたいので今夜お食事に行きませんか? 言葉が伝わらないので、通訳としてメリアさんも同席して頂こうと思うのですが』


 と朝から声を掛けて回ったのだ。

 後付けの言い訳で逃げられないよう、前もって予定が空いている事を確認してから切り出すのがいやらしい。


 こうなるといよいよ逃げ出すのは厳しくなってくる。

 ミュウだけならまだしも、メリアも加わってくるのだから。暇といった手前断れず、急な用事をかこつけたり、体調不良などを揃ってやろうものなら上司に「あなたとは食事には行きたくありません」とバカ正直に語っているに等しい。

 本音は逃げたい、参加したくない、であるとしても。いつもの職場の空気を顧みて、楽しく食事をする未来など誰が想像出来ようか。



 ぶっちゃけると、絶対に成功する巧妙な策なんてものはまるでない。

 本当に酒を飲みに行くだけだ。


 酒というのは人を堕落させるだとか、本性を焙り出すだとか言われるが、そういう一面はあるだろう。


 酒は人を変えてしまう。

 悪い意味だけでなく、良い意味でも。


 大人になると人と人の仲を深めていくのはめんどくさくなってくる。

 子供と違って年齢や地位の大切さが分かって来るし、体裁を保つという点でも踏み込んだ所には入らないようお互いに気を遣う。



 ただでさえめんどくさいのに、ここの空気は石というか大岩くらい重くて硬い。今更コツコツ改善していくのは骨が折れるなんてものじゃなく、粉骨砕身で全身骨折物だ。

 という訳で、酒の出番である。


 もちろん、放っておけばお通夜レベルにしんみりとした飲み会になるのは火を見るよりも明らか。

 言い出しっぺとしてフォローくらいはするつもりだ。


『で、ミュウ、どうするんです? お願いしますよ?』


 微妙な空気のままついに日が暮れてくる。

 これから同僚と食事に行くとは思えない重たい空気に、互いに顔を見合わせたり、どう声を掛けるべきか悩んで立ち往生している者ばかり。

 メリアも張り付けたポーカーフェイスが嘘のようにおろおろとミュウに耳打ちしてくる。


『まずは飲み屋っす! あ、出来ればお酒がたくさんあるところで! いやーこっちのお酒ってどうなってるか気になってたんすよねー』


「「………………」」


 周囲にも聞こえるくらい堂々と言い放った台詞にメリアだけでなく、職員達もポカンと口を開けてミュウを見ている。


『ん? 皆さんどうかしたっすか? おーい?』


「いや、あの……どうされたんですか? その口調」


『メリアさん通訳よろしくっす!』


『その口調はどうしたんですか? と』


 猫被り状態しか知らない彼等はミュウの変わり身に頭がまったくついて行っていなかった。


『僕はこれが素っすよ? ね、メリアさん? あんな堅苦しい喋り方、ずっと続けてらんないっすよ、やだなー』


 真偽を問う視線がメリアに集まり。


『……ええまぁ、残念ながら』


『というか僕の事どういう風に思ってたんすか?』


「てっきりメリア様の所に身を預けているどこかの貴族様かと……」


 ミュウに視線を向けられた男性が答え、それに他もこくこくと頷く。それをメリアが訳すとミュウは呆れながら手をパタパタさせる。


『あー……ないっすないっす。異国から事故で流されて来て運良くメリアさんに保護してもらっただけの平民なんで。堅苦しくならずに飲みましょう! 全部メリアさんのおごりでっ!』


『ちょ、ちょっと待ちなさい! 何で私のおごりなのよ!』


 食事に行くとは聞いていたが、おごりとまでは初耳だった。


『だって僕お金持ってないっす』


『あなたはしょうがないとしても全部って何よ全部って!』


『えーだってお金持ってるじゃないっすか。あんな大きなお屋敷に住んでるくらいだし』


『あれは借家よ!』


『でもお金はあるんすよね? いいじゃないっすかー』


『迷惑は掛けないとか自立するとかって宣言は何だったのよ……』


『予定は未定なんで』


『頭痛いわ……』


 ミュウに乗せられた形だが、ノリの良い会話をするメリアに周りは「あれ、メリア様ってそんなに怖くないんじゃないか?」という空気になる。


『分かった。分かったわよ。私のおごりでいいわ』


『メリアさんあざーっす!』


 冷静に提案は切り捨てられるものだとばかり思われていたため、おごりが受け入れられたのもその空気に後押しを掛ける。

 諦めの色は濃いが、それでも怒っているとか不機嫌とかそういう感じではないのは伝わってくる。


 漂っていた重苦しさに仕事の最中と変わらない表情をしていた彼等も、安堵からなのか笑みがこぼれる。


 周囲がメリアに抱いているのが嫌悪だったらミュウも諦めていたが、それはないだろうと思っていた。立場を笠に着て理不尽を押し付ける事もなく、率先して面倒事をこなす彼女だから。


(ま、後は野となれ山となれっす)


 お膳立てが済んだので後は酒にバトンタッチを決め込む。

 ムードメーカーとして見事なピエロを披露したわけだが……。


(異世界のお酒、楽しみっすねー! しかもおごり! いい響きっす!)

 

 本音を聞けば色々と台無しになっていたのは間違いない。





   ▽   ▽   ▽





 やはりというか何というか、初めは穏やかに入った飲み会も、酔いが回ればそこらの酔っ払いと大差なくなる。

 予想外だったのは。


『私だってねぇ、好きで仕事ばっかりやってるわけじゃないのよぉっ! わかるぅ? 若いってだけでなめられるんだもん、しょうがないじゃなーい!』


「分かる! 領主館に働くってだけで俺も何度近所の奴らから、いいねー若いのに稼ぎがいい奴は、って嫌味を言われたことか!」


『それ! それよ! 伝令書士なんてもう学生の頃から生意気だって言われんのよ! 同期はおっさんばっか! 若い奴に嫉妬すんなっつーの!』


「メリア様も苦労したんだなぁ!」


 メリアである。

 酒に耐性がなかったらしく、エール二杯も飲み干す頃には頬が紅潮してポーカーフェイスの欠片もなくなってしまっていた。


 目論見は成功と言えば成功なのだが、明日になってメリアが思い出して頭を抱えない事を祈るばかりである。


(むはー。異世界のお酒もいけるっすね。このお酒、果物の風味が濃くて渋みが少ないっすね。リンゴっぽい酸味も素敵っす)


 翻訳の魔法を続けているのはありがたいが、こんな状況ではまともに通訳として機能してくれないだろう。

 会話に混じれないミュウはメリアの愚痴をBGMに、端っこで酒を片っ端から吟味していた。


『伝令書士資格を取ってもさ! 協会にも若いから経験を積むようにってこーんな辺境に飛ばされてさぁ……二級伝令書士よ? 普通は都市に派遣されるのがふつーなの! でも……でもね、悪い事ばっかりじゃないの! 皆さんのおかげで何とか今日までやってこられまひたぁー! ありがとうございまーふっ!』


「俺たちこそだー! メリア様ありがとー!」


「メリア様ばんざーい!」


 もう呂律が回らなくなり始めて、顔も真っ赤。メリアはまずまず吐いて二日酔いコースだろうというのは予想出来たがあえて止めない。

 それもまた飲み会に行けば必ず経験する事だ。酒に呑まれないためにも一度は経験しておいた方がいい。


 ……という建前、この底抜けのテンションがどこまで行くのか見てみたいという面白さを求めて放置しているゲスである。

 

『あのおっさんどもは年寄りは苦労してるっていうけどねぇ、若くたって苦労してんのぉ。あーんなのの一員になると思うと、気持ちが重くなるわぁ……』


「なーに言ってんだよ、メリア様はまだ二十歳にもなってないだろ。未来に悲観的になっちゃいけないよ」


『そうね……そうよね! まだ私は二十歳前らのぉ! 明るい未来はこれかららんだからぁっ!』


『メリアさんって僕より年下だったんすね』


「「はぁっ!?」」


 傍観者でいるつもりが、ミュウも予想外にメリアが若かったのでつい口が出てしまった。

 周りは酔いが一気に素面に振るほど驚いたらしい。


 ミュウも元が小柄で童顔なのはちゃんと分かっている。行った事のないコンビニともなると酒を買うたびにわざわざ年齢確認書類を求められたりしていたのだから。

 若いと思われるのは女の子として嬉しいが、酒好きとしてあればかりは面倒だと思う。


 幼げなミュウの容姿もあるが、比較してこちらの人々は年齢が高く見える。平均身長も日本人のそれに比べると高めだ。


『ミュ、ミュウって何歳なのよ?』


『21歳っすねー』


『私より二歳も年上……? 確かに胸は……むむむ』


「「ああ」」


『おっぱいで納得しないで欲しいんすけど』


 コンプレックスなので視線を向けられると居心地が悪いというか、身の危険を感じてしまう。

 腕で隠そうとはするのだが、服の上からでも主張する豊かな双丘はいやらしい感じにひしゃげて、逆に男共はごくりと喉を鳴らしてしまう魅惑的な光景だ。

 酒で仄かに血色の良くなった頬がまるで恥ずかしがっているようで、女性ですらくらっと来てしまいそうな色っぽさを放っている。


 性格が男くさいのに、ミュウはいちいち仕草が可愛らしいのだ。

 むしろ性格が男くさいからギャップが大きいのだろう。座り方や手の添え方などの所作に限らず、ふとした瞬間に出る女の子らしさが強調される。


 天然でそれをしてしまうものだからバカ男ホイホイなどと小林や斉藤から言われてしまうのだ。


『年上、ね。見た目はともかく、ミュウってそんな雰囲気あるわ』


『そうっすかね?』


 ゲーム廃人でプライベートもクー研の男共とバカをしていたので子供っぽいと言われても、大人びていると言われた事はなかったので疑問符を浮かべる。

 メリアの前ではバカな事こそしてないものの、おどけたような態度ばかりで大人らしい行動は何一つなかったはず。


『発想や考え方が、どういったらいいのかしら? 達観っていうのもそうなんだけどー……おじいちゃんとかおばあちゃんみたい?』


『年上は年上でもそこまで行くとは思ってなかったっす』


『ああ、違うのよぉ。うまく言えないんだけど人と沢山付き合ってきたーみたいな』


 ぶすっとするミュウへのフォローの言葉に何が言いたいのかはおぼろげに伝わってきた。


 時代の遥か先を行った文明に住んでいたミュウにしてみれば人と付き合うための当たり前の事が、こちらではそうもいかない。言葉遣いが良い例だった。

 文明の積み重ねの上にあるミュウの考え方が含蓄があるように見えてしまうのは当然だろう。


『今回もお世話になっちゃったもの。おかげで皆とこーんなに仲良くなれちゃいましたっ! あはははは』


『はいはい、良かったっすねー』


 残念ながら、そこまで深く考えていた訳ではなかったらしいが。酔っ払いなのでしょうがない。


『ははははっ、何か目がま……気持ちわる――うぷっ』


『「「あ」」』


 ……ちなみにこの後すぐに飲み会はお開きになりました。

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