五話 - プロローグ⑤
混乱や怒りといった感情が嘘のように消え失せると、我が事ながら意外なほど冷静に状況が整理出来た。
これからどうするか、というのは何も決まっていない。かといって元の世界に帰れないと聞いて世を儚んでしまうほどの思い切りも持ち合わせていない。
人というのは感情を振り切ってしまうと意外と冷静になるものだ、というのを美優は経験上悟っていた。
最近で言えば帰省していた最中に祖母が目の前で心筋梗塞で倒れた時だろう。倒れたその時、美優は夜行バスの硬いシートで凝り固まった身体をほぐすため、母から教わったヨガのポーズをしていた。
祖母が命の危機に瀕している横でヨガのポーズをしている自分。内心は心臓が止まるんじゃないかってくらい気が動転していたが、そんな状態で叫び声も上げられず、焦りとか混乱というものを振り切ってしまったのだ。
とりあえず119番をして両親に連絡。無理に祖母を動かさず、インターネットで緊急時の対処法を調べるという冷静過ぎる対応をしていた。
泣き喚いたり怒鳴り散らしたりするのは簡単だが、はっきり言ってソレ相手には無駄極まる行為だ。そう思えば生産的な思考も沸いてくる。
幸いあれだけ敵意を向けても歯牙にもかけず、律儀に受け答えもしてくれるのだから。チュートリアルなしでポンと放り出されるよりずっと親切設計だが、逆にそれが腑に落ちない。
「はぁ……帰れないのは分かったっす。管理者さんは世界にとってメリットがある事しかしないんすよね」
「解答します。私は世界に対して干渉する存在ではありません。存続させる存在であってメリットを与える存在ではありません」
「そっすか。でも僕のリソースをどうこうするならこうして顔を合わせなくても何とか出来たんじゃないっすか? 本来、こんな風に現れる事自体ないっすよね」
ありがたいといえばありがたいのだが、ソレは世界の存続に対して以外は働きかけない存在だ。美優の前に姿を現したのも必要性があるはず。
「解答します。あなたへのリソースへの干渉を行うにあたって対面する必要はありません。前提として招かざる意思には容易にリソースを操り、世界を改変し得る者がいる事を理解してください。リソースへの干渉は時間を要する作業のため、被害を軽減させるよう意思に働きかけるためにコミュニケーションという手段を取ったに過ぎません」
「要は説得って事っすよね。その姿もそのために?」
「解答します。コミュニケーションを手段確保のため、意思に蓄積された記憶を読み取った結果です」
ソレが人型を取ったのも、日本語を喋っていたのも美優の記憶から引き出した結果という事だ。
思えば「あなたの語彙」や「あなたの存在した文明レベル」などに匂わせる台詞があった。初めは神様みたいなもので世界をのぞき見れる存在なのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
超常存在のくせに説得という点ではあまりに誤解を生みやすく、稚拙なやり方に盛大にため息を吐きたくなる。でなければ美優も感情的になったりしなかっただろう。
「まどろっこしいやり方っすね……。そこまで出来るなら直接的にどうこうしてもいい気がするんすけど」
「解答します。干渉以前の問題です。私は意思の持つ流動的な感情というものを理解出来ません」
「何か色々納得したっす……」
疑問に対して答えを返し続けていたソレの初めての理解不能。確かに世界の存続にとって合理的に突き進むソレにとって感情はバグでしかない。
理解出来ないというより、理解してはならない領域なのだろう。故に意思に働きかけるためにコミュニケーションという形を取ったのだろう。まともな会話になっているかどうかはともかくとして。
「管理者さんはいつまでここにいるんすか?」
「解答します。時間という概念に換算すると約9分と42秒です。あなたのリソースが安定し、世界の存続にとって影響がなくなればコミュニケーションの必要性はありません」
リソースへの干渉は時間を要する、と言っていたのでそこまで差し迫っているとは予想外だった。超常存在のソレの基準では時間が掛かっている方なのだろう。
タイムリミットが来ればソレは問答無用で目の前からいなくなる。その前に聞きたい情報をまとめて質問攻めにしておきたかった。
「この星に人間や文明は存在するんすか?」
「解答します。人間という概念に近しい存在は何種類か存在します。また、それらが築き上げた文明も存在します」
まず最も重要な問題はそこだった。
いくら地球と似た環境であっても流石に星にたった一人というのは途方に暮れるしかないだろう。その確認を得られて胸をなでおろす。
「文明レベルはどんなもんすか? 出来れば具体的に」
「解答します。あなたが存在していた文明レベルからは後退します。具体的な文明レベルは過去文明を判断し得る記憶が存在しないため答えられません」
具体的にと言われても、かつての文明を詳細に学んでいた訳ではないので美優の持っている記憶と照らし合わせても答えかねるのだろう。
少し考え込んで。
「……なら、僕のやってきたゲームではどの世界観に近いっすか?」
ゲーマーの美優はメインはPeriodheim Online一筋だったが、戦国系のVRから宇宙を舞台にした未来系のVRまで話題のゲームには手を出してきた。
「解答します。アリス・クロニクル、Periodheim Online、ニーファ・クラフト、最も近いのはこのゲームの世界観です」
ヒットしたのはいずれも中世後期の、いわゆるファンタジーの定番に沿ったタイトルだ。
(共鳴現象っていうくらいだから現代レベルの文明かと思ったらそうでもなかったっすね。僕がゲーム脳だからそっちに引きずられたんすかねー)
人がいて文明が存在すると聞いた時点で情報を元に予想を立てていたのだがハズレだった。ある意味では納得のいく結果ではあったのだが。
同時に三つのタイトルの共通点を思い返す。
「この星の文明に魔法はあるんすか?」
「解答します。類似する法則は存在します」
「という事は、僕の使ってたスキルってそのまま使えたりするんすか?」
「解答します。スキルをPeriodheim Onlineというゲームで扱われるコマンドと解釈します。あなたのキャラクターが使用可能だったものの約86パーセントが構成されていません。現象は法則が既存のものに変換されているため変質してしまっていますが、近しい結果を導き出す事は可能です」
「構成されていない? 使えるスキルと使えないスキルがあるって事っすか?」
「解答します。あなたが取捨選択した結果、スキルの一部が法則を成すには至りませんでした」
取捨選択などした覚えがないが、キャラクターが使えたものの一割弱でも美優の廃人ぶりなら三桁は近いスキルが再現されているはずだ。
本能的に使うものと使わないものを仕分けしてしまったとするなら、使用頻度が高かったり、思い入れの強い愛着のあるスキルが再現されているだろう。
(使えるスキルの目録が欲しいっす。欲しいっすけど……聞いてる時間はとてもじゃないけどないっす!)
時間が足りない! と内心で地団太を踏みつつ、覚えている限り虱潰しに試してみるしかないと自分を納得させる。
そしてそれだけスキルが再現されているとなれば――。
「アイテムは! アイテムはどれだけ構成されてるっすか!」
「解答します。アイテムをPeriodheim Onlineというゲームで扱われる所持品と解釈します。あなたのキャラクターが所持していたものの約2パーセントが構成されています」
「2パ――うあぁぁ……」
思わずうめいて頭を抱える。
異世界に飛ばされておいて今更という気はするが、苦労して集めたアイテム達をもう二度と目にする事がないと思うとショックなものなのである。
2パーセントとはいえこちらも相当数再現されているはずだ。幸いにも愛用のカドゥケウスやディリアルローブがあるが、これまで消え失せていたらしばらく立ち直れなかっただろう。
少しの間打ちひしがれていたが、はっとする。
「あっ、リソースの変換まで後どれくらいっすか?」
「解答します。時間という概念に換算すると約1分44秒です」
「も、もうっすか!? じゃあ、最後に! 僕はあっちでは死んだことになってるんすよね、せめて何か――」
ソレがメッセンジャーになってくれるはずがない事くらい、嫌というほど理解している。
それでも何か言って欲しかった。あちら側と唯一繋がりを持てるソレに未練がましく言わずにはいられなかったのだ。
「――解答します。死ではありません。世界の境界を越えた時点であなたはあちらの世界にとって観測出来ない存在です。観測出来ないものは初めから存在しないというのが世界の法則です」
言い終えると、ソレは消えた。
瞬きをする間に忽然と消え失せたのだ。別れの言葉やカウントダウンもなく、何の形跡も残さず消えたソレに夢ではなかったのだろうかと思うほどあっさりと。
「ははは、あはははは……はぁ……」
残された美優は乾いた笑いをこぼす。
最後の最後でどこまでも無情な奴だった。一縷の望みでさえ、眉すら動かさず踏みにじられた。
「ふっっざけんなぁぁぁああああああああッッッ! クソヤロォぉぉぉぉおお! 何なんだよそれぇぇぇええ!」
湧き上がるそれを叫ぶ。
叫ばないと心の何かが壊れてしまいそうだったから。もしかしたら壊れてしまったからあふれ出してしまったのかもしれない。
叫んで、叫んで、叫んで……もう言葉にならない音になるくらいまで叫んで。
「ごほっ、こほっ、はぁ、はぁぁぁ……」
叫べないくらい疲れて、しばらく肩で息をしていたがふいに力が抜けてそのまま背中から地面に倒れ込む。
見上げれば空があって太陽があって、それを眺めていたら無性に空が飛びたくなった。
リアルでも嫌な事があればPeriodheim Onlineにログインしてどこへ行くでもなく空をぶらぶら飛んでいた。
美優が《ウィッチ・ロッド》を愛用していたのは魔女のキャラ付けという一面もあるが、身一つで空を飛ぶのが好きだったからだ。
空の上にいると色んなしがらみを忘れていられた。身体で風を切ればどこまででもいける気がした。
だからだろう。
空が恋しくてたまらなかった。
「――《ウィッチ・ロッド》」
カドゥケウスに乗って空に舞い上がる。
高く、高く。どこへ行くでもなく、ただそこにいるだけで心が軽くなる。風が髪を優しく撫でて、陽光が温かく降り注ぐ。たったそれだけで。
「あー……」
黒くて重い塊が鎮座していた心が溶け出すと、ぽつり、ぽつりと気力がわいて来る。
(私って意外と単純な奴だったんすかねー)
絶望的な感情に塗りつぶされていたはずなのに、我ながらその単純さには笑ってしまう。
状況を顧みれば酷いものだ。二度と帰れず、帰る場所もなく、どことも知れない場所に放り出されている。不安なんてものじゃなく、途方に暮れるしかない。
「行くっすか」
だというのに、天気が良くて空が気持ちいいというだけで頑張ってみようと思えるのだから。
どうしようというのもなく、とりあえず足を進めようと思った。ゆっくりと、どこへともなく飛び始める。




