第二十一話
あくる嵐の日――四方神の一族は、神堕としを決行することとした。
激しい雨風の中、全員がドライスーツと黄色のレインウェアを着用し作業をする。
「行ったとしてもこの嵐。途中、船が転覆する恐れもあるわ」
「皆、まだ君たちは戻れる。それでも行くかい?」
夕香子と明紀兼が見渡す。そこには、ヒノ、姫子、すみれ、啓介がいた。
「行きます」
意外にも、姫子が最初に答えた。きっぱりとした返答だった。
「あのミズチは……わたしに、何か因果があるんです」
「主人に仕えるは従者のつとめ。……友人が戦うなら、あたしらも戦います」
「僕の術はかなり役に立つと思います、総領」
「ヒノは?」
「行くぜ。それが四方神一族の義務だから」
明紀兼は深くうなずいた。
「ヒノ、姫子さん、啓介君は後から来て。残りのぼくらが先行し、場を整える」
「場?」
「結界と足場を整えた、狩り場だよ。んで、そのあと君たちが来る」
四方神会が割り出した、絶好のポイントで神堕としをする。
「君たちが来る途中で、ミズチは必ず食いついてくる。捕まらないように距離を取りつつ、ミズチを狩り場まで引っぱってくるんだ」
姫子の乗った船をおとりにして、ミズチを釣る作戦だ。
「狩り場に誘いこみ、結界に閉じこめ、叩く」
「そんな単純な方法に、乗ってくるかな?」
「くるわ」
「おスミ?」
「一度つながったからなんとなくわかるのよ。あいつは来る。絶対に」
ミズチの狙いは、姫子だけ。すみれはそう感じ取ったという。
「さて……降りるなら、まだ間に合うよ?」
「行くさ」
ヒノは初めて、父親に面と向かった。
「親父は、大丈夫か?」
「大丈夫。きっとね」
明紀兼は笑った。憎らしいほど気楽に。
「ヒノ君」
明紀兼はヒノにだけ聞こえるように言った。
「守れよ」
「――うん」
父が母にしたように――ヒノが姫子を守る。
わかっている。島を救う。姫子も守る。
(両方やってのける。必ず)
姫子とともに船に乗り込み、エンジンをかける。
「姫子」
「はい」
「オレにつかまってろ」
「……はい!」
姫子は一瞬ぽかんとしたあと、不安の消えた表情でヒノに捕まった。
「出すぞ、気をつけろ!」
波が激しい。すさまじい揺れが船を襲う。
「姫子、しっかりつかまってろよ!」
「はい!」
「啓介も!」
「わかってる!」
顔をぬらす雨がうっとうしい。この水が注ぐ水面の奥で、ミズチは姫子を狙っている。
「……来ます!」
姫子が叫んだ。
黒く荒れる水を割って、ミズチが姿をあらわした。猛スピードでヒノたちの船を追いかけてくる。
あの日と同じ――初めて、ヒノと姫子が出会った日と。
船とミズチのスピードの差は、ほとんどないようだった。一瞬でも荒れた波にハンドルを取られれば、狩り場に着く前に捕まってしまう。
「もうすぐだ!」
荒れる湖に、明紀兼たちの乗った船が見える。
そして二つの船はすれ違った。
「玄武防禁術、壁岸!」
夕香子の叫びとともに、大規模な結界が展開する。雷のように光り、球状にミズチと戦士らを閉じ込める。
風雨がさえぎられ、結界の中はあっという間に凪ぐ。
ヒノはスピードをゆるめながら、ゆっくり仲間の船に近づく。
あたりは、巨大な蓮の葉が浮いている。すみれの青龍夢幻術だ。
「行くぞ!」
明紀兼が穢酒をあおり、咆吼した。
「朱雀比翼術、装身纏開!」
真紅の鎧と、剣を連ねた双翼。そして鮮やかな夕陽色に伸びた髪をひるがえし、明紀兼が飛翔した。その姿はまさしく朱雀。炎を司る、朱い鳥だった。
(これが……親父と母さんの能力!)
ヒノは直感した。この二人はこうして、全国の強大な妖怪と戦ってきたのだと。自分がいかに、両親に対して無関心だったかと。
ミズチが明紀兼を見る。水面から大きく身を立ち上がらせる。全身から黒いもやを発し、実体化させ紐状の触手をまとう。神と呼ぶには、おぞましすぎる異形の姿だった。
ミズチの触手が伸び、明紀兼に襲いかかる。無数の腕を相手に、飛鳥と化した明紀兼は、一歩もひるまなかった。全身で殴り、蹴り、切り裂く。血煙があたりに散る。
水面から立ち上がっていたミズチが、ふいに大きくバランスを崩した。水柱を上げながら沈んでいく。
「やったか!?」
「ヒノさん! 船を!」
姫子の言葉に、ヒノは反射的に船を発進させた。
次の刹那、巨大な水柱が二艘の船を襲った。ミズチが飛び上がったのだ。
ヒノの船は水浸しになっただけだったが、夕香子らの乗る船が転覆する。
「母さん! すみれ!」
「スミ姉!」
ミズチが宙で身をひねる。
それがスキになった。
「親父!」
明紀兼が翼で身を包み、回転しながら一気にミズチを狙う。
ミズチが一瞬遅れて反応する。触手を無数のトゲ状に固め、一挙に突き出す。
時が制止したような一瞬。トゲは明紀兼を貫き、朱雀の翼がミズチを貫く。
「朱雀比翼術――紅那火」
着水よりも早く、その言葉は結界内を駆け巡った。
朱雀の翼が燃え上がる。紅蓮の炎がミズチを包んだ。
『オオオオ……ン』
着水しても、火は消えない。
ミズチの鱗がはげ落ちる。ぐず、ぐず、と肉が溶ける。骨がのぞく。無数の背骨と肋骨が晒され、膨らんだ内臓がほどけて落ちる。そのすべてを灼き溶かし、炎はミズチを葬り去った。
灼けた頭骨から、がらりと落ちた物がある。
水に浮き、船までただよってくる。啓介が拾い上げる。
人の頭蓋骨だった。彼が生きながら蛇体の神に作り替えられた証だった。
「……っ、ぷは!」
「あっ、スミ姉!」
啓介が、水面に浮かぶ人影に気付いた。
蓮の葉にしがみつく、二つの影。夕香子とすみれだ。
「母さん、すみれ! 大丈夫か!?」
「ええ、何とかね」
二人を船に引き上げる。
別の葉の上に、真紅の鎧が転がっていた。明紀兼だ。
「親父、大丈夫か!?」
「ヒノ君、あー……助けに来てくれたんだ」
「……何の助けにもなってねぇよ」
明紀兼の傷は、急所から外れていた。鎧と翼で巧みにトゲをかわしたのが分かった。
「しっかりしろよ、親父。死ぬなよ!」
「大丈夫……こんな傷、いつものことさ」
「いつもって……!」
「どいて、炎夜叉君」
夕香子が明紀兼にキスする。毒を抜くための口づけだ。
明紀兼の装身が解ける。
「もう……いつも無茶ばかりして」
夕香子は両手で、明紀兼の顔をなでた。
「雨が……」
いつのまにか、嵐はおさまっていた。雨も風も静まり、空が明るくなってくる。黒かった雲がどんどん薄くなる。
「終わったかな?」
明紀兼の安堵した声が、水に吸い込まれていった。
初出:2015年乙未01月21日




