7. 異変
アレクシスが立ち上がり、歩き出そうとすると、彼の耳元に魔法の気配がして、薄い水の膜が発生していた。護衛が警棒を抜いたが、アレクシスが制した。水が細かく揺れた。
『殿下、後ろ、悪意』
それは先ほどまで話していた女生徒の声に似ていた。
「彼女と合流しよう」
そう言ってアレクシスは護衛を連れて小走りに進んだ。
馬車乗り場に進もうとしていたエレナは立ち止まっていた。
「馬車乗り場には行かないのか?」
エレナは左右に首を振った。
「そちらにも人影、校舎側にも人影、そして殿下の後ろからが一番たくさん、悪意が向かって来ます」
アレクシスも心を落ち着けて気配を探った。
「確かに三方から気配が近づいているな……なぜ悪意と分かる?」
「多分、強い悪意だから」
それはアレクシスが聞きたい答ではなかったが、つまり近づいて来る者達は殺意を抱いているという訳だ。
「どうする?」
アレクシスの言葉にエレナは眉を顰めた。
「殿下なら王族の魔力で排除出来るのでは?」
「ところが、私の属性は火属性なのさ。学院内で使えば、全焼してしまう」
エレナはアレクシスをしばらく睨んでいたが、溜息を吐いて一言言った。
「見なかった事にしてくださいね?」
アレクシスは微笑んだ。
「善処しよう」
すると、エレナの両手から学院の外壁の向こうに膨大な魔力が流れて行き、外壁を越えて水が流れこんで来た。
「何故、学院外から水を持って来るんだ?」
「いざと言う時に学院内の水分が足りなくなったら困りますから」
護衛達は眉を顰めた。1マイル四方もある魔法学院内の水分を使い切るなど、魔法学院の生徒どころか、騎士団魔法部隊の精鋭にも出来る事ではなかったから。
もう馬車乗り場から来る者も、校舎側から来る者もその姿を現していた。そして後方から10人余りの人影が小走りに近づいてきた。
エレナは直径4ft強の氷の塊を作り、馬車乗り場側から近づく3人に向けて魔法で打ち出した。5個の巨大アイスボールはその3人の周囲に落ち、ドスンと音を立てた直後に形を変えて氷の壁となった。四方を氷の壁で囲まれて、彼等は動けなくなった。
同様に校舎側から近づいて来る3人も、巨大アイスボールを投げつけられ、それが氷壁に変わって動けなくなった。
「エレナ!矢だ!防御できるか!?」
アレクシスが指摘したのは、10人余りの者達の中から弓矢が飛んで来たからだ。エレナは集めていた水をそちらに向け、やはり氷壁に変えて防御した。
減った水を補充するため、エレナが再び学院外から水を引き摺りこんでいる時、アレクシスが叫んだ。
「エレナ!それより誰かに連絡してくれ!さっきの方法で出来るのだろう?」
とりあえずエレナは残りの敵を氷壁で囲んだ。
「声は届いても、信じてくれる人がいるかどうか……」
「ライオネルはいないのか!?」
エレナの足元から、地表の水分と思われるものを介して魔法の波が広がって行った。
「あ、応接室で誰かと話している……ちょっとやってみます」
アレクシスの目の前で、弱い魔力を口元に漂わせながら、エレナが呟いた。
「エレナ、殿下、裏庭、襲撃」
「伝わったのか?」
「動いてくれているみたいですけど……」
一方、襲撃側は火魔法でエレナの氷壁を溶かしてこちらに向かって来ようとしていた。エレナの背後に漂っていた水がちぎれて、人の頭大の氷となって壁の穴から抜け出た男の顔面を叩いた。
既に二人が抜け出して、刀を抜いてこちらに走って来ようとした。彼等の足元に背の低いアイスウォールが生まれ、彼等は足をひっかけて転倒した。その周囲に巨大アイスボールが飛んで行き、彼等を氷壁で囲んだ。
その後ろで氷壁の穴から抜け出そうとした男の顔を、再びアイスボールが叩き、後ろにひっくり返した。その穴の直前の地面へ向けて巨大アイスボールが飛んで行き、弾んだ後に変形して氷壁の穴を塞いだ。
そうしていると、ライオネル・クィーンズベリーが走ってやって来た。
「エレナ!大丈夫か!?」
「私は大丈夫です。でも、先に殿下を心配する言葉を言った方が良かったんじゃないでしょうか?」
「殿下は同世代最高の火魔法使いだ。いざとなったら周囲を気にせず全て燃やせば良い」
アレクシスが口を挟んだ。
「ライオネル、私の事を他人の迷惑を顧みない人間の様に言うのは止めてくれないか?」
「見るからに、今、エレナに迷惑をかけている様に見えますが」
「誤解だ」
そこでエレナが口を挟んだ。
「見なかった事にしてくれる約束です」
ライオネルもアレクシスも地面を見て言った。
「これだけの人が見ているから、ちょっと……」
「私も良く見えなかったとは言い張るつもりだが……」
つまり、ライオネルは警備員を4人連れて来て、その後から10人がやって来ていた。他に教師達もやって来ていた。巨大な氷壁がそそり立つ裏庭を、見なかった事にしてくれる人が何人いるかは疑問だった。
「川は流れる」で聖女審査の最中に鹿さんがテティスに教えましたね。
「始めたら殺るまでやれ、人間なんて信用するな」と。
目撃者がいるのでエレナは致死性の魔法を使っていません。母親はもちろん、鹿さんと同じ事を娘に教えている筈です。
治安が行き届かない田舎町で、男のいない一家を暴力で何とでも出来ると思うケダモノはいくらでもいる訳で。




