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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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08 主人と腹心


「遅い」


 部屋に入るなり、飛んできた鋭い言葉に、しきみは微笑みを浮かべたまま、器用に片眉を持ち上げた。遅いと言われようが、その原因を作ったのは言葉の主人——その人である。尻拭いに奔走ほんそうしていた自分を責める言葉は、さすがに聞き捨てならなくて樒は嫌味のひとつでも吐いてやろうと唇を開いた。


「自害なさろうとした花嫁御寮を止めた私に説教をする気かい?」

「……脆弱ぜいじゃくな。あれぐらいで死を選ぶなど、やはり人間は弱いな」

「彼女は人間の中でも特にか弱いだろうね。なんていったって、華族——それも四つしかない公爵家のご令嬢だもの。それで、君はしっかり見たかい?」

「なにが」

「君がつけた傷跡さ」


 真宵は舌を打つ。

 その動作から真宵はしっかり認知していることを悟った樒は深く息を吐いた。


「わざとではないのだろうけど、もう少し力加減を覚えるべきだ。このままじゃ、ねやで花嫁御寮(ごりょう)が死んでしまってもおかしくないよ」

「加減はしている」

「できていないからあれだけ酷い痣になっているんだ。それに、君のことだ。どうせ、初夜でも酷いことを言ったのだろう?」

「やけにあの娘の肩を持つのだな」

「話を逸らさないでくれないかい? 自分が勝てない時に論点をすり替えようとするのは君の欠点だ」


 自覚していた欠点を指摘されたのが不服なのか、真宵は唇を尖らせる。


「君からの問いに答えるならば、自分の子供や孫でもおかしくはない子供に優しくしてなにが悪い? かな」

「あの娘は成人している」

「していても、たかが十数年生きただけじゃないか」


 妖狐の寿命はとても長い。樒や真宵にとって、数十年は花が枯れるような一瞬にすぎない。そんな年月しか生きていない子どもが未来に悲観を抱いて自死するのを放っておくほど、樒は非情にはなれない。

 鷹司の娘を見張ることは仕事ではないが、思わず接触してしまった。


「彼女、素足で山を駆けていたよ。衣服もほとんど着ずに……」


 白い肌にいくつも浮かぶ殴打痕に似た痣、爪をたてたのかえぐれて血肉が覗く腕、足は特に酷かった。真宵の相手をしたことで極限だった身体を無理に動かして、屋敷からあの場所まで走っていたことで小さな足は爪がめくれ、小石が刺さり、流血していた。

 そんな痛みも感じないほどに心に傷を負い、さめざめと泣く幼い少女——その時の光景が脳裏をよぎり、樒はそっとまつ毛を伏せた。

 そんな樒の心中を知らない真宵は、うんざりだと言いたげに肩を持ち上げる。


「そんなに文句があるならお前が候補に名乗ればよかっただろう」

「ならば、それを玉藻たまもさまに君自身が進言しなよ。玉藻さまが命じられるのならば、私も受け入れよう」


 真宵が苦々しい表情を浮かべるのが見えて、樒は頭痛を覚えた。妖魔と人間との婚姻を提案した張本人であり、先代の長でもある真宵の母——玉藻は、長の座を譲る条件として真宵に人間の娘と番うように言ってきた。

 もし、玉藻があの娘を樒に下げ渡すと言えば、必然的に長の座も下げ渡されることになる。やっと手にした統治者という立場を手放したくないのだろう。


「——君は、本当に自分のことしか考えないな」


 言葉にせずとも、真宵の表情や雰囲気からその考えを読み取った樒は呆れから重たいため息を吐く。

 そして、気分を一転させると懐から一枚の紙を取り出した。


「花嫁御寮については、また後で。今はこれが優先だ」


 差し出された紙を受け取った真宵は盛大に顔を顰めた。


「こんな雑魚ざこを相手にせねばならぬのか」

「それが協定を結ぶ際の条件の一つだからね。人間は妖魔を国民として受け入れる。その代わりに、人間に危害を加える妖魔の討伐する。お互いに利がある条件ではないか。どんな相手でも、私たち妖狐のためにも手抜きは許されないよ」


 紙に書かれていたのは、ここより十里じゅうり(39キロメートル)離れた地で鼠と思わしき妖魔が大量発生し、人間を襲っているというもの。鼠の妖魔はどれも妖力は乏しいが、繁殖力が異様に高い。病魔を運び、広めるため人間にとっては脅威とされているが妖狐である真宵にとっては「雑魚」でしかない。


「お前に言われなくても分かっている。俺が留守にしている間、お前はあの娘を見張れ。今、死なれたら面倒だ」

「君に言われなくても勝手に見守らせてもらうよ」


 最後まで自分勝手な主人に、樒はいきどおりを覚えた。


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