利己的
*
翌日。
デアは鳥のさえずりで目を覚ました。いつもならアランの素敵な声で目が覚めるから、早起きしてしまったのかとも思ったが。鳥が鳴いているということは、外は明るいということだ。
支度を整え終えてもアランは現れなかった。
だがしばらく待った。きっと来ると思った。いい声で職務を遂行する真面目な男が。
けれど待てどこらせど現れない。
さすがにおかしい。
なぜ私をいい声で起こしに来ない。
職務怠慢か? これはひとこと言ってやらねば。
昨晩もこのドアの前で編み物をしたなと思いつつ、初めて侍従部屋のドアをノックした。
しかし応答はない。
物言わぬドア、静かな部屋……デアの心に嫌な予感めいたものがじわじわ広がっていく。こういった予感は大体当たるのだ。
「入るぞ」
ドアを開け、気配を探す。
部屋は静かだ。だが不在とは思わなかった。嫌な予感に突き動かされるように袖から魔植物を出した。
「ラミア、頼む」
ラミアが動き出した。やはりだ。
引っ張られるまま歩いていくと、膝のあたりに何かぶつかった。触った感触はベッドのようだ。
「ありがとう」
呟くとラミアは袖の中に消えていった。
耳を澄ますと微かな呼吸音が聞こえる。幾分早いようだ。
音の方に手を伸ばす。触れたのは肩のようだ。眠っていて体温が高いことを加味しても、熱がありそうだとすぐわかった。指は滑らかに首を通って頬に触れ、額に手のひらを置いた。思っていた通り、ここも熱い。しかも乾いた熱だ、まだ上がるだろう。
すると、手のひらから瞼が動く感触が伝わってくる。どうやら起きたらしい。
「講義……ピアノ……約束し……遅れて……」
なんと、あのいい声は一級品の乾いたガサガサ声に変わっていた。
嫌な予感は当たった、何ということだ、声が……!
とは思えど。今の声もまんざらでもない。弱々しくて脆さを感じさせる声もたまにはいい。が、どちらかというと毎日聞いていた、知的で冷静で包容力を感じるあの声がいい、あの声で起こしてほしい!
職務怠慢だと言ってやりに来たはずなのに。かけた言葉はこうだ。
「気にするな」
あの声が目覚ましなんて至福だし、
散歩中にあの声聞いていたいから黙って付き合っているわけだし、
あの声だから長い講義も苦じゃないっていう……
総じて、ピアノ講師は、あの声でなくては。
*
近衛騎士団兵舎の外が、いつになくざわついていた。
「なんだ外が落ち着かねぇな」
ぼやきながらコーヒーを飲んでいたウィルトスの元へ、兵士が駆け込んできた。
「隊長、デア様が、お一人で!」
ダンッ、とコーヒーカップを机に置いて弾かれるように飛び出していったウィルトスが見たのは、籠を片手に持ったデアだった。しかも全身に土や葉っぱを付けて、服もヨレヨレだ。
「一人か⁉ ひどい有様だな」
一人で歩くのは昨日の今日だなと思いつつ、髪に付いた葉っぱを取り、顔の土を拭ってやる。
「アランとまたなんかあったのか?」
すると、デアは凛と言った。「なにもない」と。
「じゃあどうしたってんだ、一人で来るには苦労だったろうに」
「ピアノ講師は臥せっている。数日は休むことになるだろう。それを伝えに来た」
「わざわざありがとうな。怪我してるかもしんねぇし、医務室ついでに休んでいってくれ」
「気持ちだけ受け取っておく。薬草を探さねば」
「薬草? すまないが俺は詳しくねぇな」
「詳しくなくてもいい。この辺りに草が生えている場所はないか。園芸用ではなく野生のものだ」
「野生の草か。あるにはある」
「連れて行ってくれるだけでいい、頼めるか」
何だかデアの様子が妙だった。早口だったのだ。初めは凛としていたが二言三言話すうちに落ち着かない様子を見せている。こんな様子を初めて見たウィルトスは、ははん。と髭の生えた顎をなぞった。
「野生の草なら兵舎の裏とか鍛錬場の隅っこに生えてる。こっちだ」
30分と経たないうちに数種類の草が籠に詰め込まれていた。
「見えなくて、草の種類分かんのか?」
雑草にしか見えない草の詰まった籠を、ウィルトスは覗き込む。
「香りでわかる。兵舎裏は薬草が多くて助かった」
「草むしりさぼって、結果よかったわけだな」
「私はそろそろ行く。ピアノ講師が……」
心配だ。と言おうとしたことに気が付いて、言葉が途切れた。だって、特に心配していないのだから。
(言葉が勝手に……どういうことだ)
眉をよせて首を傾げているデアへ、ウィルトスは言った。
「心配、ってか?」
「はぁ? なぜそうなる! ……いや、そうとも言い切れん……今の文脈だとその言葉がしっくりくる、なればウィルトスがそう思ったのならそうかもしれん。……ただ、ピアノ講師は部屋に越して来てから夜も遅いようだったし、無理をしていたかもしれん。わがまま言ってこき使っている私にも責任の一端はある。罪滅ぼしではないが、いつもの暮らしに早く戻れるよう、力になればと考えている」
「わがままでこき使ってるって、わかって言ってんのスゲぇよ。でもま、大事にしてんだな、なんだかんだで」
「これを大事というのか? 理由が利己的だと思うが」
「どこがだよ」
ぷっと吹き出したウィルトスに、“総じてあの声でなくては”とは言いだせなかった。
王宮の部屋の前で、ウィルトスから籠を受け取った。
「助かった。礼を言う」
「こっちのことは俺に任せて、今はゆっくり休めって、ピアノ講師に伝えてくれ」
見えないデアにパチッとウインクをかまして、ウィルトスは去っていった。
「よし、」
きれいに洗ってきた薬草をテーブル広げ、腰に手を当てた。
果ての森で行っていた製剤工程はフゥとヤァが助けてくれていたから、見えなくても困らなかったが。
「やるしかないな」




