無駄
*
毎晩、侍従部屋に続くドアにもたれて編み物をしている。
なぜここが落ち着くのだろう? 疑問ではあるが答えは出ない。生きていれば考えてもわからないこともよくある、そういうことだろう。と、この日のデアは思った。
毎日の散歩と講義は続いていた。
そろそろ一ヶ月経とうとしているが、デアは散歩中一言も話さなかった。アランが話すのを聞くだけである。
ピアノレッスンは準備ができるまで待つことになっていた。アランは夜遅くまで仕事をしているのを知っているデアは、ピアノ講師は色々大変なのだろうと一定の理解を示していた。
歴史の講義が行われていた、ある晴れた日のこと。
昨日に続き講義は騎士団の兵舎で行われていた。初めは手を膝に置いて聞いていたデアだったが、この日最後の講義が始まるとどこからか編み物を持ち出して、以降は聞いている様子がなかった。注意しても、「聞いているから続けろ」と言って、やめようとしない。
そこでアランは、本日の講義を口頭でテストすることを思いついた。
「プロメテウスの成り立ちを教えてくれるか」
デアは編み物の手を止めずに話し出した。
「神話の頃にさかのぼる。おおよそ5千年前からこの地域に人が暮らしていたとされている。肥沃な川のほとりにプロメテウスという名の巫女がいて、天を操り、何もないところから火を作り出したという。そのうちに人々は彼女を神と崇めるようになった。その巫女が初代の王だ。
禁欲的で子がいなかったため、彼女の死後、遺志を継いだ侍従が王位を継承。名をコルマン・アリア・チェルシィ。圧倒的な軍事力を誇り、領土を広げていった。各地で魔法を増幅させる石を掘り出し、国境に魔法障壁を作った。その頃の領土と今の領土の広さはさほど変化がないのはそのためだ。だが所詮は石、過信しないことだ。チェルシィ家は脈々と血をつないで、ソルで248代目だ。……とは言うが、魔法が使えるのは王家の者だけだ。魔法は血で受け継ぐ。初代王は魔法を使ったようだがコルマンは魔法が使えなかった。とすると、初代女王に子がいたか、もしくは初代女王とコルマンの間に子がいたのかもしれん。でなければソルが魔法を扱えることに疑問が残る。そう思わないか」
編み物をしていた手が止まり、布越しの瞳がアランに向けられた。
講義の内容からだいぶ逸れてしまっているが、デアの話は興味深かった。
「王家以外の者も魔法を使っているようだが。黒の魔法使いは魔法で魔物たちを操っていたが、それはどう説明する」
聞いていたデアは「あいつか」と苦々しく言った。
「アレは魔法使いと名乗っているだけだ。ではなぜ魔法を使ったのか、と思うだろう? 魔物を操ったのだから」
「ああ、その通りだ」
「アレの正体は呪術師だ。奴の使うのは術で、呪詛とか、まじないを唱えて発動する霊的なもの。呪文を唱えて死者の力を借りると言えばわかりやすいか。身近なもので言えばテーブルターニングがそれだ。わざわざ魔法使いと名乗ったのは、使うことのできない魔法への憧れがあったのだろう」
「呪術で世界を混乱に陥れることができた、ということか」
「魔法を使うのはこの世で自分だけで、俺は王の生まれ変わりだ、世界は自分のものだと魔女集会でいつものたまっていた。その執念深さで世界各地の精霊を探し出し、呪術を用いて精霊を操り神を甦らせ、世界を恐怖に陥れることになった。……代償はこれだ」
目元の布をピンと弾いた。ひらりと揺れた黒い布の下から、瞑った目元が一瞬見えた。
黒の魔法使いを追い詰め、神と戦い、光を失ったアランの記憶とデアのそれは違った。デアの記憶の中に自分がいない寂しさに、胸が軋んだ。
「ことが重大になる前にアレを闇に送ればよかったのかもしれない。中立を保った私の責任でもある……あぁ、話が逸れたな、国王全248代の名を言った方がいいか」
「いや、割愛しよう」
「他に質問は」
「講義で教えていないが、他国について聞きたい。プロメテウスのほかに4つの国があるが、それぞれの特徴を教えてくれ」
「東から、ヒューク。唯一の共和国で大統領制だ。第61代現大統領はキムラ・カイ。季節は四つに分かれ、稲作と林業が盛んだ。国交を閉ざしていたが、黒の魔法使いの一件で国交を開き、今は諸外国からの支援を受けて国を復興している。
次にカイヤハ。首長国連邦で、実質支配しているのはアフマン一族だ。現首長代表はアーディル・ハカム・アフマン。海はなく、国土の90パーセントは砂漠。産業は燃料の採掘。砂しかないが富豪が多い。季節はない。昼間は灼熱、夜は凍死するほど寒くなる。
それからアクオサンテ。大小300からなる島々を擁する王国で、第138代ヴィンス・ネプトゥヌス・ロサリオ王が統治している。祖先は海の神ポセイドンだという。プロメテウスに次いで歴史のある国だ。気候は温暖で湿潤。年中半袖で過ごせるそうだ。ハリケーンの通り道になっていて毎年被害が出ている。漁業が盛んだ。国民の80パーセントは漁業関係者。生で魚を食べる習慣がある。
最後にアルゼンフェルム帝国。現皇帝はネロ・アルゲントゥム・アウレリウス。影武者を使い、公に姿を見せたことはない。国土は広いが麦しか育たぬ瘦せた土地のようだ。おもな産業は鉱石の採掘と鉄鋼業。西の端にあることを考えれば乾燥していて寒冷な気候だろう。情報の少ない国だが、人型の機械を見たという噂もある。技術がかなり進んでいるのかもしれない」
言い淀むことなく答えたのだから、完璧に頭に入っているのだろう。
「いい答えだ。詳しいようだな」
「魔女の長だからな」
編み物に勤しみだしたデアを眺めて思う。編み物が気になって口頭テストをしたが結果は上々、講義を聞いていることが分かった以上、編み物をやめさせる理由はなくなってしまったのだった。
*
そんなことが続いた、ある日の講義のこと。この日の講義も騎士団の兵舎で行われていた。
一番奥のテーブルで、いつものようにアランの口頭テストが行われている時だった。ちょうどチャイムが鳴り、兵士たちが戻ってきていた。
賑やかになってきた兵舎で、聞かれたこと以上の答えを返しているデアに、アランは言った。
「デア様、もしかするとこの講義内容をご存じでしたか」
「あぁ。」
アランの方を見ようともせず、ずっと編み物をしている。しっかり聞いているし、見えないのだから手持無沙汰なのは仕方がないと思ってはいるけれど、正直、礼儀や誠実さを欠いている感じがして、あまりいい感情ではない。
しかも知っている内容とわかっていて黙っていたのだ。これを聞いたアランは小さく息をついた。
「知っていて黙っていらっしゃったのですね?」
「そうだが」
こちを見ず淡々と返され、アランの気持を逆なでするには十分だ。
「教えてくだされば余った時間を他の講義に充てることもできました。時間を無駄にしたということです」
「無駄?」
ここでようやくデアは顔を上げた。よく分かっていないと言った風に見えて、さすがのアランも講師としての堪忍袋の緒が切れた。
「無駄意外に言葉が見つかりませんっ、教えていただけたならもっと有効に時間を使えたはずだ」
溜まった騎士団の仕事も片付けられたかもしれない。そんなことが頭を過ぎって強まった語気は、休み時間でにぎわっていた兵舎を凍り付かせた。冷静沈着な副長が声を強くすることは滅多にないからだ。兵士たちは目玉をひん剥いて隅の方にいる二人を注目していた。
「怒っているのか」
デアは至って平然と。しかし編み物から手を離した。
「講義中に編み物をして話を聞いているのか定かではない。挙句知っている内容だと知らせなかった。俺は何のために講義をしているのかわかりません。こういったことが続くなら、講義は中止にさせていただきたい」
めずらしく感情を出したアランの訴えを、周りの兵士たちはひやひやして見守った。一方のデアは、そこまで言うならと、とりあえず自分のこととして考えてみた。
自分が話している時に相手が編み物をしていたら。話し終わった後に知っている内容だったと知らされたらと想像を巡らせた。そして、(……究極無礼千万、時間の無駄だし苛つくな)と答えを導き出したのだ。
「気を悪くさせたようだ、すまなかった」
見えないことに胡坐をかいて、手持無沙汰を解消していたのは事実だ。
「だが、私は聞いていたかったのだ」
「聞いて??」
アランは訝しげに首を傾げた。納得いかない声音はデアにも分かった。しかし、この言葉では伝わらないとわかっていても、“その声を聞いていたい”と言葉を足すことがどうしてもできなかった。
「……怒るのも無理はない、私の配慮が足りなかった。許してくれ。言う通り、講義はこれで終いにしてくれて構わない」
立ち上がった拍子に編み物が膝から落ちた。けれど、それにも気が付かない様子で、デアはゆらりと進みだした。
『どうしよう、副長とデア様が喧嘩を……!』
『痴話喧嘩の間に入るほど愚かなことはないが、デア様をお一人で歩かせるのは危険なのでは!』
兵士たちが固唾を飲んで見守っていたその時である。
ガンッ、と机の角にぶつかって悶絶したデアの背中に太い腕が回された。ウィルトスだった。
「こんなところ一人で歩くと、襲われちまうぞ?」
パチッとウインクしてみせるが、デアに伝わることはない。
「相当良い音させてたけど大丈夫か? 医務室で診てやるから」
と誘うウィルトスの肩をガっと掴んだのはアランだ。
兵士たちは目の前で繰り広げられるドラマに、『おぉ!』『ここで来た!』とどよめきを隠せない。
二人の視線がぶつかる。
「水差すんじゃねぇ、あっちでイラついてろよ」
「それとこれは話が別だ」
「デアを一人で帰らせようとしたやつが言うか?」
「こちらにはこちらの事情がある」
「知ったことかよ。お前に付き合ってこんなところで講義受けてるデアのこと考えたことあんのか。一週間連続朝から夜まで年頃の女の子が兵舎でつまんねぇ話聞いて、時々一人にされてぼんやりしてるだけなんて、サイコーに不愉快で詰まんねぇと思うけどな。しかも飢えた男共の視線にさらされるとくりゃ俺なら耐えらんねぇ」
そう聞いて、この一週間のことを思い返した。講義を急ぎ足で済ませて余った時間で騎士団の仕事をこなしていた。その間デアは一人きり、時間が合えば兵士たちが話しかけるくらいで、あとはぼんやり座っているだけだったのだ。講義と同じくらいの時間を待たせることもあった。編み物くらい許してやればよかったのだ。
「……そうかもしれない。仕事が立て込んでいて余裕がなかったとはいえ、デア様を一人にできないからといってここへ連れてくるのは間違っていた、大きな声を出してすまなかった」
「謝んの、俺じゃねぇだろ」
太い腕の中にいるデアに、アランは頭を下げた。
「デア様の気持ちを考えずひどいことを言いました、お許しください。講義はこれからも続けられるように調整します。申し訳ありませんでした」
相手に見えていなくても腰を折って謝るその頬に、何かが触れた。
「私も悪かった、許してくれ」
“聞きたかった”ことで、事態を悪化させてしまったこと。アランにすべての非があるわけではない。
頬に添えられていたのはデアの左手だった。布越しだが、華奢でしなやかだった。
「これからもよしなに頼む」
並んで帰っていく後ろ姿を、ウィルトスは「面白くねぇの」と笑い、兵士たちはうっとり見送るのだった。




