監督
刀を打つ場所は、本来どこでも良い。打つ場所があれば
何の問題もないのだ。それでも橙子の一門は、
師匠から受け継いだ山の作業小屋で刀を打っていた。
隼……、それはこの小屋のあった辺りで生み出されたと
長年語り継がれて来ている。隼でなくとも、心身を打ち込むため
場を清め、道具の手入れを怠らず、心身も清めて仕事に臨む。
それが橙子達に伝承された、刀鍛冶としての作法だった。
まるで御伽噺のような伝承に、千年と思われる長き時代を
ただただ愚直に語り継ぎ守っていく。
それが刀を打つときに交わされた約束だったと聞いている。
では守らねば。不思議と疑問を持つこともない者が
脈々と受け継いできたのだ。なぜそれができたのか。
もちろん、この方法でなく刀を打つものは居る。
いつの時代にも居たのだ。
それでも橙子達の一門以外は、皆が廃れていった。
鍛冶職人は時を超えて、身体で、打った刀で、理解するのだ。
祈りの民にも似た、この全身全霊で挑む姿勢こそが
美しい刀を生み出す事ができる唯一の方法なのだ。
祈りの民との会合を前に、橙子達は三日前に小屋へ入った。
誰が指示する事もなく、銘々に掃除をはじめる。
小屋に風を通し、新鮮な空気を送り込む。
掃き掃除、拭き掃除、障子の組子まで綺麗いに拭きあげる。
作業場は毎朝、橙子が掃除することになっていた。
祈りの民一行は、聞いていたより早く到着した。
甥の橙矢が用意周到に、先ぶれを寄越していたので問題はない。
見慣れた一行の中に、可愛らしい少年と小鬼が一鬼……。
ほお、あれが……。
橙子は内心ほころんだ。
あれが至宝様……。
本来、街中に治政の噂話は届かない。
橙子は前もって橙矢から手紙をもらっていたので、
一行に至宝様が居ると知っていたのだ。
至宝様の名は、雫と言った。なるほど玉水の恵み……。
影向様も、粋な伝達をなさる……。
雫は、少し緊張した面持ちで、表情には幼さが残っているように見えた。
そして、雫の小鬼、蒼。驚いたことに雫が名付けたと言う。
橙子の家には、小鬼は居なかったので、密かに興味津々だった。
なるほど、愛くるしい……。
蒼は、ニコニコしているが決して雫や、実道のそばを離れなかった。
あくまでも彼らがとっさに反応できる範囲にいるのだろう。
弟子達も、皆が目を丸くして蒼の仕草を追っていた。
皆が寝静まった夜更、橙子は縁側にいた。
静かに月の光を浴びたい。そう思ったからだ。
反刻もいただろうか、ふと顔を上げると自分から離れた場所で蒼が自分を見ている。
「これは蒼どの。小屋の屋根裏はいかがでしたか?
こちらに参られるか?」
自分の隣を指し示してみたが、蒼はジッと自分を見たまま動かなかった。
「そこで月は見えますかな?」
その言葉に、蒼は空を見上げて見せた。
大丈夫と言うことか……。
「蒼殿、雫様を守っているのですね?
……それでは、しかとご覧になるが良い。我らは、我らのまま
お見せしましょうぞ」
優しく問いかけると、蒼は首を傾げニコッとした。
なるほど、それが良いらしい……。
「蒼殿、私は、もう休まねばなりません。雨戸を閉めたいのだが
よろしいかな?」
蒼は、再びニコッとした。
それを合図に、橙子はソッと雨戸を閉めて戸締りをした。
「では蒼殿。お休みなさいませ。また明朝に……」
そう言うと、蒼は廊下をトテトテとどこかへ歩いていった。
さても、不思議な生き物よ……。いや、怪しよと言うべきか?
そんなこと思いながら床についたのだ。
橙子の朝は早い。夜明けと共に、顔を洗い身支度を整えて
作業場の掃除に向かう。
いつものように引き戸を開けると、……そこにはすでに先客がいたのだ。
「これはこれは……、蒼殿。おはようござりまする」
流石に驚いて、掃除道具を床に置くと、今朝の蒼は初めからニコニコしていた。
「今日はご機嫌でいらっしゃるな。さあ、掃除の時間なのですよ。
ホコリが立ちますゆえ、外でお待ちになるか?」
そう尋ねると、蒼は辺りをキョロキョロ見出した。
何も置いていない机を見つけ、そこにジャンプして座って見せる。
見ていたいと言うことか……。
橙子は、何も言わず黙々と掃除を始めたのだ。
まずは小屋の窓を開け放ち、扉も開けてしまう。
こうすると日の光も、綺麗な風もいっぺんに作業小屋を満たしてくれる。
夜中に降り積もったほんの少しのホコリを丁寧に掃き出し、
そこら中を拭いて回る。橙子は、作業場に来るとこの掃除を欠かしたことはなかった。
全てを清めて、扉や窓を閉め、作業場を見渡すと、いつの間にか蒼は気持ちよさそうに
伸びをしていた。そして元の机に腰掛ける。
「蒼殿、私の清めの儀式は、お眼鏡にかないましたかな?」
そう少しおどけて尋ねると、蒼は橙子に初めて返事をした。
「キュッ」
ニコニコしているところを見ると、まあ合格だったのだろう。
「そうですか、良かった」
ホッとしたところに、扉がガラリと開けられ、明るいのびやかな声が聞こえた。
「橙子様……!! おはようございます。断りもなしに申し訳ありません」
そう頭を下げた雫に、橙子は、ついつい微笑んだ。
「雫様、おはようございます。良いのですよ。どうぞ入ってください。
毎朝、ここの掃除は私の仕事なのです」
そういうと、雫は、にっこりと座っている蒼を見た。
「蒼殿は私を待っていたようです。掃除の間、静かに眺めておりました」
驚いた雫が蒼をみると、蒼はニコニコしている。
「蒼……?おはよう。今朝は蒼がいなかったから探しにきて見たよ。
無事にいてくれて良かった」
その瞬間、蒼はパアァッとさらに笑顔になり、雫に抱っこをせがんだ。
「おはよう、蒼。今朝はお日様が綺麗だったね。お前も見た?
ピカピカのお日様だったよ」
雫が抱きしめながら、何気ないことを語りかけてた。
橙子は、その様子を眺めていた。
何とまあ、微笑ましい……。蒼のあの破顔した笑顔といったら……。
雫も、天真爛漫に蒼に話しかけているではないか。
「雫様、いつも蒼殿とは、そのようにお話になるのですか?」
「は、はい。こうやって何気ないことを話している時が1番癒されるんです。
私ばかりが癒されていて、ちょっと蒼が、どう思っているか心配なんです。
私ばっかり満足している気がして……」
「雫様、蒼殿をご覧なさい」
そういうと、雫はふと蒼を見た。
蒼は、ニコニコしていて瞳はキラキラしている。
雫は蒼のように首を傾げていた。
「ご覧になった蒼は、いかがでしたか?」
「……嬉しそうに、見えます……」
「ええ、私の目にも、嬉しそうに見えます。
雫様、もっと蒼を信じてもよろしいのでは?
なぜか、……なぜか貴方様は、自信を持てないでいらっしゃる。
でも、蒼殿に関しては、もっとご自分の瞳に写るものを信じて
よろしいのではないでしょうか」
その笑顔は、貴方にだけ、特別なのだから……。
そう思った橙子の問いかけが、柔らかな朝日と雫の腕の中にいる蒼を
照らし出していた。
「……はい。……はい、橙子様。
私、もっと蒼を信じてみます」
噛み締めるように言葉がこぼれ落ちた雫に、橙子様は満足げに頷いていた。
この至宝様は、謙虚で慈悲深い。
間違いない、影向様。場は整いましてございます。
ここ何ヶ月か、夢に現れていた先祖にも影向様にも、
自信をもって報告できよう……。
今日も良い日和になるだろう。登ってきた朝日を見上げ、
橙子は確信を持ったのであった。




