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紫雲の國の玉水の恵み  作者: テディ
二の巻
52/153

些細

 大祭の初日は、平穏な時の警備で充分だった。

屋敷内の人も、まだ混雑というほどではなく

それなりに、余裕のある状態だった。


それは夕暮れに街中で行われるらしい。

大祭の前祝のようなものだ。

街の広場に設けられた場所に、仮説の舞台を作り、

そこに祈りの民のお札が整然と貼り付けられ、

まるで装飾かのようになっている。

そこに街の民のありったけの想いかのように

御供物が、これでもかというほど並べられている。


工芸品から、食物、装飾品、新鮮なお魚、乾物、

街で流行っているものは、なんでもお供えされている。

そこに、街の代表が上がり、とうとうと感謝を述べる。

街中では、職種によって組合があり、年度毎に

この感謝を述べる役が決まっているらしいの。

これに当たった歳の人は、とてもラッキーな人になるらしい。


この感謝を述べる言葉が、とても感動的だった。

実体験を織り込むからなのだと思うけど、実生活に結びついていて

なんだろう……、皆が地に足をつけて、自分の生活を営んでいる。

そう思ったのよね。

この年は、織物の職人さんが、感謝の言葉を述べていいたけれど……。

織物っていうのが、いかに色々な人の手を介して出来上がるのかが

わかりすぎるほど分かる、感謝の祝詞(のりと)だった。


この状況を、祈りの民も、もちろん見届け。

当然、祝詞に意見が入る事は無い。

例え言い回しが違ったとしても、御心は伝わるだろうと思っているのだそうだ。

だだからこその御心なんだって。ハァ〜〜、奥が深い!!!


元の世界では、真剣を操るひとびとは、その行為こそ神事と

考えていた人もいる、今なら分かる、命という、掛け替えのない

灯火が、そこに控えているのだ。


やはり、歴史は奥が深い。そして人知では到達できないところもある。


私は、肉親の縁に深くはなかった。

どうしてとも思ったし、どうしようもなかった。

それは、私の理解の範疇を超えていたから。

だって、そうで無い子もいて、私のような想いを抱える子もいる、

なぜって、当然思うし、でもそうでいない子もいる。

これが自然なんだなって、思うしかなかった。

上を見ればきりが無い、下を見てもきりがない。

それが本心だったの。たぶん本能的に理解していたのだと思う。

私が、幸せだと思う正解について……。

結局、問題があっても無くても、何かに向かって努力できる自由。

それが、私にとっても自由と、生きる意義だった。

それが、全てだったんだと思うの。

その自由無くして、なぜ異世界で理不尽に(この世界の人は私を溺愛でしてるけど)

呼ばれたのかと思うのよ。


自由って難しい。自由には、責任が伴うんだもの。

その次自由を、押し通すだけの力と

他に迷惑をかけないほどの力。


結局、何が正しいのかは分からない。

それでも、……それでも、自由と思う心に感謝して進むしかない。

それが、大祭を目当たりして、民の幸せそうな笑顔に誓える、

私の本心だった。





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