存外
皆が散会した後、勇隼の脇には管領を司る要人4人が残った。
彼らの下に、政務所、騎士所、門注所、法務所という部門があり、
これが國を作っていた。
これとは別に地方のための部門、そして祈りの民の部門。
管領は、先代から勤めているものも、勇隼が任命したものもいる。
年齢は様々だが、さすがに同年代を集めていた。
「お館様、……まさか、文献の中の話が、我らの代でやってくるとは……」
「そうだな、まさか我らの代で……。……致し方あるまい。
我らの方法で、乗り越えるしかない。まずは至宝様においでいただいて、
それからだ。何があっても、至宝様をおろそかにしてはならん」
至宝様の話が風化しないように、國主は代替わりする際に
厳しく教育されるのだ。
勇隼は、なんとしても至宝様を守り補佐する決意だった。
入念に準備して、迎えた至宝様……。
儀式の間には、ボンッという煙が晴れたかと思うと、
子供のような人が立っていた。
これはまた、なんと不思議な着物だ……!!
細くて小さい至宝様……。まるで剣士志望の童のような髪型……。
至宝様は、童であらせられるのか?!
至宝様は、自分の手元をバッと見ると、キョロキョロしたり、
目頭に手を当て、首を横に振ったり、愕然としたり……。
さすがの勇隼も緊張していたので、いささか慌てていた。
いかん、早くご挨拶を……。
「私は、翼賛の國を治めております、勇隼と申す者。
國を上げて、貴方のお越しをお待ち申し上げておりました」
全員で頭を下げると、より一層オロオロしておられる。
その様子を見て、伊吹から告げられたことを思い出した。
至宝様自身が、葛藤を乗り越えるまで、しかと皆で支えるように……。
驚き、落胆、怒り……。自分で決めてお呼びしたとはいえ、
至宝様が、あまりにも弱々しく、そして幼く見えて心が痛んだ。
非難も、怒りも、全て私が背負う……。
勇隼は、まずは悪戯に呼んだのでは無いことを、伝えたかった。
「貴方様は、影向様のお告げにより、御呼び願ったもの。
決してイタズラに御呼びたてしたわけではありませんので、ご理解いただけると
ありがたい限りです」
そう言って、真っ直ぐに至宝様を見た。
至宝様は、……おずおずと高く柔らかな声で、勇隼の想像を超える質問を寄越したのだ。
「あのっ……、これって夢ですよね……? 私、どうしたら良いですか?
夢にしても、なんだか大掛かりで……」
勇隼は、グッと息を飲み込んだ。これは……、これは、
ご理解いただいた時に、この小さな至宝様は、どのような気持ちになるのだろう……。
それでも……。勇隼は、しっかりと順を踏もうと決意したのだ。。
「我が國の至宝よ、しっかりご説明します。これは夢ではありません。
ひとまず、場を移しましょう。」
そうして、楽しそうに宴を囲んでおられた至宝様だったが、
翌日、勇隼の心配していたことが現実になった。
至宝様がの様子がおかしいと、血相を変えて桔梗と清志郎が呼びにきたのだ。
道場に行くと、千隼が一生懸命話しかけていた。
勇隼は、大きな声で呼び掛けた。
「雫様!!!」
その時、至宝様は、ゆっくりと自分を見上げたが、
顔色が真っ青だ。
「雫様!!! 私が分かりますか?!」
桔梗と自分の顔を何度も見比べていた至宝様は、突然にハッとしたように真顔になった。
これは……、夢ではない……。そのことに気がついたのだと、
勇隼にもはっきりと分かった。
「……勇隼……様……、これは……これは、……夢、ではないのですね……?」
震える声で問いかけられると、勇隼様の胸は、張り裂けそうになった。
「……はい、雫様。夢ではありません」
その一言に、涙が一粒、至宝様の頬にこぼれ落ちた。
至宝様は、自分の頬にそっと手をやった。そこには涙の通った跡がある。
そんな至宝様に、耐えきれなくなった桔梗が、至宝様を抱きしめていた。
「雫様、私が、そして皆が、貴方をお守りします。
この身に変えても。きっと、きっとお守りします」
桔梗にそう言われ、至宝様は気を失ってしまったのだ。
それからの三日間、あの時ほど時間が経つのが遅く感じられたことはない。
衝撃のあまり、言葉を発せなくなった至宝様のそばを、桔梗も千隼も離れなくなった。
少しでも、気が晴れればと道場の清志郎に頼み、様子を聞く。
「どうだ、清志郎?」
清志郎は、ふと視線を下に下げ、首を振った。
「お館様、至宝様の耳に音は届いておられないと思います。
でも、何かを懸命に考えておられている様子。
時間しか特効薬はないかと存じまする」
それでもいちるの望みをかけて、毎日道場に連れて行った。
突破口を開いたのは千隼だ。千隼は、毎日庭へ連れて行き、
ずっと側にいたらしい。日がかげると屋敷に帰ってきていた。
三日目に、突然千隼から至宝様が聞きたいことがあると連絡がきた。
急いで伊吹も呼び、至宝様の質問に答えていく。
この大人しい女性は、怒っていると言いながら、
伊吹への配慮もしていた。伊吹の答えに、ガックリと肩を落としたり、
目を丸くして驚いたり、大きなため息をついたり、それはそれは忙しそうだ。
そしてジッと考えた後、要求があると言い出したのだ。
なんでも叶えて差し上げよう……。そう腹を括っていた勇隼は、
あまりの要求に大笑いしたほどだ。
「はい、まずはこの國の仕組みを教えてください。
それから毎日清志郎様の所で稽古をさせてください。
そして、読み書きできるか試したいです。
それから、私の普段の服装を剣士様と同じにしたいのです。
それができるようになったら、街中で暮らしたいのです。
私は、1人で暮らせますし、自分のことは自分でできるようになりたい」
勇隼は、面食らった。思わず表情を隠せないほどに。
「……雫様、それは構いませんが……、本当にそれだけで良いのですか?」
あまりにも可愛らしい要求に驚いて、もっとないのか尋ねると至宝様は首を傾げた。
「他に私に足りないものがありますか?……あっ!!!そうだ!!
もう一つあります。雫様と呼ぶのをやめていただけると……。
できれば雫と呼んでいただきたいのです。敬語もやめてください。
どうにも慣れなくて……」
そう言われて勇隼は、一転、大笑いしてしまったのだ。
このかたは……。魂が善人なのだ。平和で豊かな國で育ったのだろう。
そうとしか思えない要求だった。
至宝様を、敬称なしに呼ぶなど抵抗がなかった訳ではない。
でもそれが、本当に彼女の願いだったようだ。
それからの彼女は、圧巻だった。苛烈な稽古に明け暮れ、読み書きを覚え、
皆に優しく、そして世話になっているからと礼を言う。
至宝様、……雫のためにと人選した者達が、
次々と彼女の虜になっていった。小鬼までもが雫の部屋に集まるのだ。
桔梗も華も、いつもハラハラと雫を見つめ、
いくらなんでも稽古が厳しすぎるのではと、自分に言ってくるほどだ。
千隼は唇を噛みしめ、自戒の言葉を手に入れていた。
「父上、雫様に尋ねられました。千隼様は、ある日突然、何の説明もなく私の元の世界に
1人で呼ばれて、助けに来てくれてありがとうって言われたら
どう思いますか?……と。」
「……そうか……。で、お前はどうお答えしたのだ?」
「言葉が、……言葉が、出てきませんでした。私でも腹が立つと思いますと
お答えしました。ただ、雫様を大切に思っていると、そのことだけは
分かっていただきたいとお答えしました。雫様が生き生きと生活できるよう
最善を尽くしたいと、……そうお答えしました」
その話をした千隼は、まるで使命かのように雫と同じ稽古を始めたのだ。
それから今まで、彼女は怒っていると言いながら、努力を決してやめなかった。
周りの手を借りながら、立ち上がり、歩き出す赤子のように、
毎日毎日、呆れるほど努力したのだ。
勇隼は、感謝した。怒っていると言いながら、
日々に少しの驚きや幸せを見つけ、誰にもできないほどの努力をしてくれる
この小さな女性、至宝様に。
命をかけて、お守りしよう。
そう改めて決心していたのだった。




