隙間
「雫!!!」
実道様は、息を切らして慌てていた。
「実道様、すみません、小春は大丈夫ですか?」
「ええ、小春は知り合いの店に預かってもらいました。
雫の方は……?」
よっぽど心配してくれたのだろう、実道様は、まだ肩で息を切らしていた。
「実道様、大丈夫です。空に帰っていただきました」
思わず笑顔で答えると、実道様は困った様に笑った。
「良かった……。雫、本来なら1人で事を成し遂げた貴方を
ほめ倒したいのですが……。今、それはできません」
「?!?!?!」
私は、すっかり皆が喜んでくれると信じ込んでいたのよ。
ほ、ほめてもらえないの……?!
「ああ、雫。そんなに悲しそうな顔をしないでください……」
実道様は、眉をハの字に下げて申し訳なさそうな顔をしていた。
とても珍しい表情だ。
「説明しますから、屋敷に一旦帰りましょう。
小春も送っていかなければ」
小春は、小料理屋で待っていた。
「雫!!良かった。何も手伝えなくて申し訳ないわ……」
「ううん、いつも助けてもらっているんだから、
そんな事言わないで」
ホッとしてくれた小春を送り届け、急いで帰らなければと言う実道様と
船で屋敷に帰った。
着くとすぐに道場脇の建物で書類に向かっている清志郎様に
目通りを頼んだ。
……私、1人で浄化できたから浮かれちゃったんだ……。
嬉しかった気持ちも、達成感も、しなびた風船の様にしぼんでしまった。
まだ、甘いのかなぁ。何がいけなかったんだろう……。
清志郎様の部屋に通され、目の前に座った私は、
よっぽど落ち込んでいたんだろうと思う。
清志郎様は、脇に座っている実道様に目をやり
実道様から説明を求めた。
実道様が、事の経緯と、私から聞き取った話をすると、
清志郎様は、いつもの様に微笑んでいた。
「雫、1人でよく耐えた」
その一言に、思わずポロって涙がこぼれてしまったの。
まるで子供の様で恥ずかしいけど、
頑張ってきた月日が報われた様な気がして
本当に嬉しかったのよ。そう思ったら、もう耐えられなかった。
ポロポロと涙がこぼれ落ちて、耐えきれなくなってしまったの。
隣の実道様が、ギョッとして、オロオロし出した。
ごめんね、実道様。実道様に悪気はないって分かっているから、
泣くのを許してね。
実道様は、慌てて懐から手拭いを取り出し、一生懸命私の涙を拭いている。
「ああ、雫。私が悪かった。つい先走ってしまって……。
どうか、泣き止んでおくれ?すまなかった、お前は誰より精進していたのに……」
実道様は、まるで自分の幼い妹を慰めるかの様に、
私の涙を出るより先に拭き取っていく。
その表情は、本当に申し訳なさそうで、私は初めてみる表情だった。
清志郎様は、しばらく実道様が私を慰めるままにしておいた。
ようやっと落ち着いた私に、今度は真顔で質問責めにしたの。
「雫、影はどうであった?」
「いつもより影の色は濃く見えました。
日陰で見たのが初めてだったからかもしれません」
「……前よりも落ち着いて見れた様だな……。
お前は、その前に二回、影に対峙しているな?
違いはあったのか?」
「前の二回は、正直言うと影だったとしか覚えていません。
今回は、じっくり見ました。試したいこともあったので……」
「試したいこと? まあ、良い。それは後から聞くとして、
じっくり見た感想はいかがであった?」
「はい、うまく言えないんですが……、
揺らめきが何層にも見えました。だから、あれは単体ではなく
集合体だと思います」
「……そうか、集合体……な」
「清志郎様、私、とにかくあの影に触れたくないのです。
なんて言ったら良いのか……、皆さんが、
私がとても稽古に熱心だとおっしゃていただくのは、ありがたいのですが……。
あれを見ることができたら、全員が私よりも稽古すると思います。
そのくらい、触れたくないのです。
私、……私、だから1人で浄化できて嬉しくて……。
でもすみません。きっと私は、まだ浅はかなんですよね?」
そこまで言葉を紡いで、情けないことに又涙がこぼれた。
その様子に、実道様は再びギョッとして、私の涙を拭いている。
「雫、どうか泣き止んでおくれ、私が焦りすぎていた。
お前は、なんでもできると欲張ったのだ。悪かった、雫。悪かった……」
私が、やっとのことで泣き止むと実道様は、清志郎様に深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。雫を傷つけました。処分はいかようにも……」
今度は、私がギョッとする番だった。
「清志郎様、実道様は悪くありません!すみません、もう泣きません。
自分のどこが至らなかったのか分からないんです。だから、教えてください。
次から気をつけます!!」
同じ様に頭を下げる弟子に、清志郎様は何を思っただろう?
清志郎様は、静かに私たちをねぎらってくれた。
「2人とも、頭をあげよ。別に悪い事をしたわけではない。
少し落ち着くが良い」
その言葉に、おずおずと頭をあげた。
「雫。試したいことがあったと言ったな」
「はい。実は……、気の大きさで、相手の状況が分からないかなと思っていて」
「相手の大きさ?」
「はい。影は視覚や聴覚があるわけでは無さそうだと思っていたのです。
それなら、気配で相手を取り込むのですよね?
影は私が動くまで、動いたことはなかった様に思ってたんです」
「……なるほど……」
「だから……、だから私の気を少しずつ大きくしていって、
影が反応した時が、影を浄化できるちょうど良い大きさの気なのかもって……」
清志郎様は、私の話に珍しく目を見張っていた。
「雫、それは1人で考えたのか?」
「はい。まさか、こんなに早く試す機会があると思わなくて……。
黙っていてすみませんでした……」
「……そうか、次からは思いついたら何でも話しなさい。
さて、……雫」
清志郎様は、私に呼びかけると隣の実道様を見た。
「実道が、なぜお前を褒めなんだか理由は分かるか?」
それを聞かれると……。あぁ、すみません、
何も思いつかないんですよ……。
「すみません……、どこが足りなかったんでしょうか……?」
素直に尋ねると、清志郎様は、もう一度微笑んだ。
「影は、今のところお前にしか浄化できぬ。そうだな?」
「はい」
「この短期間の間、お前は誰にも負けぬほど精進した。
その結果が証明できて、師としてこれほど嬉しいことはない。
ただ……」
「ただ……?」
「雫、剣士の仕事は浄化した後が、1番危険なのだ」
そう教えられて、思わずキョトンとしてしまった。
「人相手の捕縛にせよ、浄化にせよ、強い緊張を感じて
ことにあたらねばならん。それをなし得た時、ホッとはせなんだか?」
「ホッとしました。無事に助けられたかもしれないから……」
「雫、その様子を見張っていたものは居なかったのか?」
そう問われて、私は体に雷がピシャーンと落ちたかの様になった。
見張り……?えっっっ??見張りが居たかもしれない……?
どうしよう……、そんなこと考えたこともなかった……。
そうだ……、伊吹様が言ってた……、
影を操れると思っている人がいるって……。
「すみません、まったく考えていませんでした……」
消え入りそうな声で答えると、清志郎様は、うんうんと頷いている。
「雫、実道の言うとおり、我らが、一息にお前に求めすぎている。
それも事実だ。もっと色々な側面で、お前が気がつく様にすれば良かっただけだ。
それを考えると、私の失態となる。実道は処罰せぬから安心すると良い」
「……はい」
清志郎様は、すくっと立ち上がった。
「ほら、2人ともいくぞ。菓子をもらってきてやろう。
休みも大事だ」
何事もなかったかの様に、やっぱり微笑むのだった。




