浮世
伊吹様は、ゆったりとした方なんだろうと思ってはいたけど……。
見えない世界と触れ合う日常のせいか、もっとフワフワと
雲にでも浮いているかのような人物だった。
彼にとって、天や万物に感謝の祈りを捧げることは
もはや呼吸するかのようなもので、それ以上でもそれ以下でもない。
なぜ、皆には見えないのか、本当に残念そうだった。
千隼様の通訳、完璧でした……。ありがとう、千隼様……!
「雫様、全ては必然なのです。危機が来ることさえも。
そうして我らは乗り越えるのですよ、後世のために」
伊吹様は、ゆったりと微笑していた。
伊吹様の能力は、赤ちゃんの頃からはっきりと分かっていたらしい。
鬼火と会話していたんだそうな。それは、スゴイ。
この世界に来て、初めて気の光を見ている私は、
伊吹様の話を信じざるを得なかった。
だって毎日、蒼に癒してもらっているんだもの。
「伊吹様、危機が訪れるって実際にはどんな危機なのですか?」
「……小さな力だったはずのものが、大きな力に変わってしまうと。
それを操ろうとしている人物は、制御できると思っています。
でも、……そんなことがあろうはずがありません。
制御できなくなる前に、止めなくてはならないのです」
「それって、目には見えるんですか?」
「ええ、見えるそうです。禍々しいものが。
雫様は、すでにご覧になっていると思いますよ?」
「えっ?」
「影向様が、仰っておりました。1番初めに目にするのは
貴方様だと」
それって、やっぱり……あの影のことだよね……?
「伊吹様、それは伊吹様にも見えますか?」
「ええ、たぶん分かると思います。これから、見える者が増えていくでしょう」
「……それって……」
「ええ、あまり良いことではありません。雫様、大丈夫です。
まだ刻は満ちておりません。まだしばらくは、心配しなくとも良いでしょう」
「期限はありますか?」
「期限……、そうですね雫様が、何かを自在に操れるようになれば、
事態は動き出すでしょう」
それは気だろうか、それとも隼なんだろうか……。どちらにしても
私は、何かと対峙しなければならないらしい。
いつも思うのよね、物語で冒険者になったら、
対峙するときはスプラッタでしょう?
自分で食べ物をさばくことも覚えなきゃいけないし、野営もあるんだろうし。
そうならないだけ、幸せなのかしら?
……いや、あの触りたくない物が相手かと思うと、気が滅入るわ。
どっちが良いとかの問題じゃないよねぇ。
「時に雫様。小鬼に名付けをしたと伺いました」
起こっている事態とは正反対に、伊吹様は涼しげに微笑んだ。
「あ、そうなんです。2回目の危険を蒼い眼になって知らせてくれたので、
蒼と名付けました。……あの、マズかったですか?」
「……? いいえ、問題はありません。
私たちは、小鬼は別の世界から来てくれていると思っているのです。
ですから名付けると言う発想がありませんでした。
蒼が、喜んでいるのであれば何の問題もありません」
「一応、名を呼ぶとニコニコと走ってくるので、喜んではいると思います」
「では、問題はありませんね。雫様の発想は、本当に面白い」
「そうですか?部屋に沢山の小鬼が遊びに来てくれるので、
せめて蒼だけは、名付けしておこうと思って……」
「機会があれば、私も蒼に会えると思います。
実に楽しみです」
「ぜひ会ってやってください。とてもお利口なんですよ。
優しいし。小鬼は皆んな優しいですよね。
今日は髪を乾かしてくれました」
私が得意げに、蒼について話すと、隣で千隼様がガタッと動いた。
驚いて千隼様をみると、また目を丸くしている。
「あれ? 小鬼って色々できるんですよね?
皆も乾かしてもらっているんじゃないんですか?」
そんな私達を見て、伊吹様は楽しそうに私に聞いた。
「雫様、私は小鬼が髪を乾かすと言うのを聞いたことがありません。
蒼は、どのようにして髪を乾かしたのですか?」
「……いつものように首に抱きついてきて……
ギュッと抱きしめたら嬉しそうにしてたんです。そうしたら
私の髪をふう〜って吹いて……一瞬で乾きました」
「本当に雫様は面白い。素晴らしいです。確か三つ目の子でしたね?
彼も知恵を使っているのでしょう。雫様の愛情が深いのでしょうね」
「そっ、そうなんですかね……?」
「ええ、そうだと思います。こうなったら是非にでも
蒼に会ってみたくなりました。機会を待ちましょう。
その時は千隼様もいかがですか?」
「……はい、……いや、見られるのであれば
何を置いてもみたいです」
千隼様は、変わらず目を丸くしたまま答えたのだった。




