鎮静
私は、2人に遅れを取らないように、そして足音を立てないように
急いでいた。道場でのすり足が、ようやっと慣れてきたとき、
外で普通に歩くのに困ったのだ。まず、私は隼を帯同していることが普通だから、
左手を常に帯や隼の鍔に置いておかなければならない。
隼は基本的に普通の刀のように、歩いていて刀身が抜けてしまうことがない。
それでも、私もその形態をマスターしておかないと、
周りに身分を明かして歩いているようなものだ。
これが、なかなかに歩きにくいのよ。
江戸時代の侍には作法として走らないというものがあったと思う。
ここは異世界、もちろん走っていい。そうしたちょっとした知識の差を埋めるのに
時間がかかっていたの。常に稽古しているようなものだから、
それは腹筋も割れるよね。自然に背筋が伸びてくるんだもん。
そんな感じで2人についていくと、空き地に鬼火が浮かんでいた。
……鬼火……、ううんと、元の世界では驚く所なんだけど、
ここの世界は驚くことではないの?? あ、やっぱり驚く観点が違うのね?
実道様は、鬼火の色に驚いていた。そうか、色違いがあるってことなんだ。
「実道様、赤色に見えるんですけど……」
「ああ、雫は鬼火を見るのは初めてだね。赤は怒りを現すとされているんだよ。
空に帰るときに、怒りと悲しみを、置いていってしまう御仁が居るのです。
赤は、執着が強いのであまり見かけないのですが……」
そういうと、実道様は懐から別の札入れを取り出した。
中から一枚、お札を取り出すと、私に説明してくれる。
「雫、これは祈りの民、伊吹達が作成しているものです。
鬼火は、変異しなければ、そう怖いものではありません。
誰にでも、ほんの少し後悔したり、悲しんだり、怒りがあったり、
そういうことがあるでしょう?それを、空に返してあげるのです」
実道様はそう言うと、お札を手に持ち鬼火に近づいていった。
「貴方は怒りを残してしまったのですね。そのままではお辛いだけです。
空に帰れば、少しずつ鎮まるのですよ。お手伝いしましょう」
そう言って、鬼火の前にお札をかざすと、不思議なことにお札も浮いている。
実道様は、足を大きく開き、剣を抜く構えを見せている。
低く重みの感じる、美しい構えだった。
「貴方の気持ちが鎮まりますように……」
そう言うと、美しい太刀筋でお札をサッと断ち切った。
はらはらと舞い降りるお札は、まるで桜が散るように美しく、
反対に鬼火はスゥッと一本の光となり、パンッと花火が鳴ったかのように
散り散りになり、光だけが空に昇っていく。
その鬼火が怒りを持っていたとしても、
それは美しい動画のようにしか見えなかった。
実道様は、抜いた剣を静かに納めて、お札を拾っていた。
そして切れたお札を、大切そうに再び札入れに戻したのだ。
「実道、見事であった」
橙矢様は、涼しげに実道様を褒めている。
実道様は、穏やかな笑顔に戻って頭を下げていた。
「雫、これが剣士の仕事の一つでもある。剣士の中に、何名か
鬼火を救う仕事をしているものがいる。たぶん、お前もできるだろう。
よく覚えておくと良い」
橙矢様が私に、もう一つの目標を与えた瞬間だった。
「実道様。お札をもう一度拾ったのはどうしてですか?」
私は、できるかどうか分からない技だけど、聞くだけ聞いておこうと思ったの。
「お札は、簡単に作れるものではありません。祈りを込めるからですよ。
だから、厳重に管理されているのです。誰が何種類、何枚持っているか、
何枚使ったのかを報告し、祈りの民に返却しなければなりません。
使い終わったお札は、彼らが感謝の気持ちを込めて炊き上げてくれるのです」
「……祈り……」
「そうだよ、雫。私たちは、普段、目に見えるものを対象としているね。
鬼火もそう。目には見える。
鬼火と呼んではいるけど、人の心だ。私たちは、祈りの民では無いから
気を使うのですよ。橙矢様が、貴方もできるだろうとおっしゃったのは、
そういう理由からです」
「わかりました」
「雫、焦らずに順を踏みましょう。いっぺんに何もかもできるようにならずとも
良いのです。できた時が、機であった。それで良いのです」
穏やかな表情で教えてくれる実道様の言葉に、
自分が焦っていたのかもと気がついた。早く、この國の問題を取り除いて、
自分で自活できるようになりたい。でも……、まだまだ知らないことが
山のようにありそうで、道のりは遠く感じる。
……できた時が、その時。
なんとなくストンと、何かが自分のピースにハマった気がして
楽になった。
「はい、実道様。焦らないようにします」
そう答えた私を見て、橙矢様が微かに笑った気がした。




