観取
大喜びで用意した私は、船の上にいた。
昨日は歩いて行ったから、船にも乗ってみたかったの。
元の世界で私の専門は、文献や手紙、史実を記したものから一つのテーマを
深めていく方法をとっていたの。絵画も参考にしたりするんだよ。
いくつか同時に調べていたんだけど、論文のテーマは
女性の仕事についてだったのよ。
実は、昔の女性は仕事を持つことが普通だったと考えられているの。
もちろん男性優位の社会制度の中で、女性が理不尽な目に合うことも
多かったと考えられているけど。でも、その間をたくましく生き抜く女性の方が
多かったと言う事実もあったのよ。
迷っていたのは、どの時代を切り取るかと言うこと。
そのまま、女性史にするには時間が足りなすぎて、博士課程に進めたら
もっと深めても良いんじゃないかと思っていたの。
だから、色々な時代の文化史みたいな物も幅広く調べてあったのよ。
船もその一つ。西洋の技術が入ってくるまで、和船と呼ばれる造りの船を
発展させてきた。特に江戸近辺は、船の往来が発達していたの。
大阪は大きな商船もあったし、思っているより航海についての学問もあった。
色々な呼び名の船もあったりしたし、それも面白かった。
浮世絵で見たりするから、屋形船の印象が強かったりするけど、
川渡しと言って、対岸を行き来する船の方が生活に密着しているけどね。
私たちが乗った船は、本当に人を乗せて行き来するためだけに造られている
渡し舟と同じだと思う。大人数乗せるものから、数人乗せるものまで。
通勤電車みたいなものかな。
私は、よっぽど嬉しそうに船に乗っていたんだろう。
ついに橙矢様に、呆れられていた。
「雫、楽しいか?」
「はい、楽しいですよ!!あとで船の作り方を教えてください。
漕ぐための道具の説明もしてください」
勢いよく答えたら、勢い余って実道様に肩を支えられた。
「雫、静かに動きなさい。船から落ちてしまう」
おお、すみません……。
「はい、実道様。すみません」
「しかし、見るもの全てに疑問がありそうだな」
橙矢様は、苦笑していた。
「ええ、何でも珍しいです。だから楽しいですよ」
満面の笑みで答えると、船頭さんにまでクスクス笑われてしまった。
さすがに顔が真っ赤になってうつむいてしまうよね。
「旦那、随分と可愛らしいお弟子さんですね」
「そうか? たぶん随分と手がかかるぞ?」
「良いじゃありませんか。いつもより楽しそうですよ」
船頭さんは、橙矢様にそう笑いながらゆっくりと漕いでいる。
よっぽどの田舎者だと思われたんだろうな……。
ちょっと反省……。浮かれすぎた。
みんなは、いつも乗っているから何て事ない風景なんだろう。
でも、私にとっては川面を揺らしながらスイスイ進む、
通勤船は、とても新鮮だった。こっちにきてから、
動力を使う乗り物は、一切乗っていない。
だから、船はとても速く感じたし、風も心地良かった。
「橙矢様、どこに行くんですか?」
「今日は、食べ物屋が集まっているところに行く。
通貨の価値も覚えねばならんだろ?」
「おお〜〜、そうだ。買い物できるようにならないといけませんね」
「そうだ。まずは、なんでもやってみると良い」
「はい。ありがとうございます」
どうしよう、お小遣いをもらう子供のようだと思ったけど、
楽しみでしょうがない。
降りる前に、通貨を見せてもらった。
実道様が、懐から財布、札入れを取り出した。
だからと言って貨幣は紙でできているわけではない。
長財布のようなものに、硬貨を入れているらしい。
「良いですか、雫。価値の高い硬貨を持ち歩いてはいけないよ。
大金を持ち歩いていると、それだけで狙われる可能性があるからね」
実道様に教えられて、私は素直にうなずいた。
やっぱり悪い人がいないわけではないらしい。
田舎者と思われるだけで危ないのかな。
「実道様、私、狙われやすそうですか?」
そう尋ねたら、実道様は困ったように笑っていた。
「雫、約束ですよ。キョロキョロとしない事。私と橙矢様の間で歩く事」
……狙われやすそうなのね……。肝に銘じておきます。
それから船頭さんに、船の造りを聞いてみる。
やっぱり和船だった。頭領の下について、
修行して初めて船頭を任されるんだそうだ。
それまでは船着場での仕事や、船の手入れ。
お客さんとの賃金のやりとりなんかがあるんだって。
川で商売する船頭仲間は、小さな船を操る方が得意で
愛嬌も、そして秘密を守れる固さも必要なんだって。
なぜかと言ったら、例えば屋形船とか、密会や密談に使われることがあるから。
守秘義務に忠実じゃないと、船頭は勤まらないみたい。
あと本音を言えば、面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンだって
笑っていた。
なるほど、やっぱり実際に体験して、聞いてみないと分からないことだらけだ。
そう実感していたら、目的の船着場についたの。
田舎者丸出しらしい私は、大人しく橙矢様と実道様に挟まれ、
念願の街中に本格デビューしたのだった。




