教示
見知った顔かもしれない人物を取り逃したことで、私の胸の中は
モヤモヤと得体の知れない煙りが奥底で燻っているような気分だった。
スッキリしない……。
そうは言っても稽古も仕事も、朝と共にやってくる。
そんな中、稽古を休んで橙矢様の所で、朔太郎様と授業を受けるように言われたの。
なんでも最優先で覚えなきゃいけないことがあるんだって。
大急ぎで橙矢様の元へ向かうと、橙矢様は普段通りだった。
「雫、廊下はバタバタと走るものではない。周りのものが驚くだろう?」
「……はぁ〜〜い」
「そうむくれるな。そこに座りなさい。朔太郎様もどうぞ」
そう言われて机の前に座る。
そこには、大きな地図が広げてあった。
あれ?翼賛の國だけではない気がする……。
これってひょっとして……、世界地図……?
これ、海なのかな? 波が書いてあるような……。
こっちは山? 山脈は連なっているように書いてある……。
目をパチパチして橙矢様を見ると、なぜか苦笑いされた。
「雫、ちょっと事情があってな、急ぎ先に進まねばならん。
朔太郎様は、お前の勉学に補佐をしてくださる。
質問があれば、その都度お尋ねするように」
私は、何か事情が変わったのだろうと、気持ちを引き締めた。
「良いか、まずは我が國の場所だ……」
橙矢様の授業が始まったのだ。
それは……、まるで日本のようだった。
形や島の数は違っている。そう大きな大きな一つの島の周りに、
いくつもの小さな島、中位の島が点在しているの。
その島は放射状に列島になっているものもあれば、点在しているものもある。
でも島国には違いない。
そして、少しの海を隔てた所(それでも航海に半月はかかるそうだ)
そこに一つの大きな大陸があった。それは巨大な大陸。
そこの中の2つの国と、今のところ国交があるらしい。
海側の大陸の上半分を出申帝国という國、
下半分は着珠王国という國があるらしい。
その奥の大陸の國とは、まだ国交を結んでいないんだって。
……帝国と王国……。私の漢字からくるイメージが正しければ、
どちらも西洋っぽい文化だと思うんだけど……。
勝手に妄想を膨らませていると、橙矢様はスッと一冊の本を地図の上に置いた。
この國で見るのとは、全く違う表装で……。
そう、それは年代物のお洒落な海外の物語の本のように見える。
タイトルは、呼ばれし運命の子。なんだか意味深なタイトル……。
「雫、その本は出申帝国の本だ」
「へぇ〜、触ってみても良いですか?呼ばれし運命の子なんて、
なんだか壮大な題名ですねぇ」
呑気に本に手を伸ばした時、朔太郎様の眉がピクって動いたのが分かった。
あれ?なんか変な事を言ったかな……?
「雫、なぜ本の題名を知っておる?」
橙矢様が、細い目をしている……。ん?……なんで?
「え?だって、本に題名が書いてあるじゃないですか」
「……お前、それを読んだだけだと言うのか?」
「はい……。え?他国の本は読んではいけないんですか?
あれ?そんな決まりありましたっけ?私が忘れているだけ?」
目を丸くしているだろう私に、橙矢様は端的に答えた。
「雫、それは他国の言葉で書いてある。お前、なぜ読める?」
そう言われて、私は手にとった本に目を落とした。
……ん??……でも読めるよ?
ああ……これは……。
「橙矢様、そうですね。他国の言葉です。
私の元の世界では、他国の言葉を専攻します。
これは学問所に受かるために、必要な科目なんです。
私は他国の言葉が専門ではありませんでしたから
難しい言い回しはわからないと思いますが、簡単な題名くらいなら
翻訳……ええと、今使っている言葉に直せると思います」
そうか、そうなんだ。と、言うことは通訳士がこの國にもいるってこと?
橙矢様、腕を組み考えている。朔太郎様は変わらず表情は読めなかった。
「雫、皆が他国の言葉を習うのか?」
「う〜〜ん、少なくとも13,14歳までは絶対に習います。
嫌いでもテスト……、試験があります」
「そうか」
橙矢様は、ジッと私を見ていた。ごめんね、また驚かせたのかな……?
「雫、小春がその本が他国の至宝様の伝承を、になっているのではないかと
話しておるのだ」
今度は私が驚く番だった。
「この本がですか? でも、これは物語?童話……、幼い子供が読む本なのでは……?」
「小春は、その本に伝承を隠したのではないかと話している」
「……この本に、伝説を隠す……?……小春、天才……!!!
確かにありえない話ではありませんよね?あれ?っと言うことは
もし私の見た人が、元の世界から呼ばれた人だとしたら
出申帝国に呼ばれたってことですか?それって、この國にとって
良いことになりますか?」
「まあ、そう急くな。まだあくまでも仮の話なのだ。
小春は、もしその者が呼ばれたとして、
出申帝国のために動いているとは限らないと申すのだ」
「ああ、確かにそうですよね。私は運よく、この國でしたけど、
呼ばれた国を気にいるかなんて分からないですもんね。
でも神様に呼ばれているんじゃないんですか?
そうしたら、自分の道というか、やるべきことというか、
その縁を感じるんじゃないんですかね?」
思うままに答える私に、橙矢様はからかう訳でもなく
真顔のままだった。
「雫、お前はこの國に運よく来たと思っているのだな……」
「はい。まあ完璧ではないですけどね。だって橙矢様、
どうせなら、もっと威力絶大な能力も付けて欲しかったですよ……。
稽古しなくても清志郎様より強くなれるとか、気がつくと朔太郎様のように
全ての気配を消せるとか……。ああ、菊次郎様の薬の煎じ方を
習わなくても知っていたかったな……。小春みたく
なんでもスラスラ古文書を読んで見せるのも良いですよね?
どうしよう、他に……、ああ、橙矢様の能面になる方法も捨てがたいです」
欲望のままに話していると、隣の朔太郎様が堪えきれなくなったように
クスクスと笑い出し、ついには大きなこえで笑い出したのよ……。
驚いたものの、やっぱり膨れる私。
だって、私にとっては切実なんですよ?
「ああ、すみません雫様。どうにも……どうにも、堪えられませなんだ」
もう、まだクスクス笑っていらっしゃる……。
「いや、申し訳ありません。……雫様、貴方は間違いなく
我が國の至宝様ですよ。どうぞそのままでいらしてください」
ふに落ちない私に、朔太郎様は嬉しそうに微笑むのだった。




