向こう側から、こちら側から
「ふぅ、すげぇ雑草だな、こりゃ」
背丈よりも高い雑草に阻まれて何度も立ち往生しながら、手にした鎌で少しずつ道を切り開きながら荒れ果てた果樹園の跡地を進んでおりました。
強烈な陽射しが照りつける夏空の下、で私は鎌を片手に悪戦苦闘していました。
「この辺りに葡萄の木があったってじいさんはいうけどな。葡萄の木なんか一本も残ってないなぁ」
家の裏手に広がる雑草の群生地帯はじいさんの時代には一面、葡萄の木が植えられていたのだそうです。
その日、私はじいさんに頼まれて果樹園の跡地の様子を見に行きました。
自分が手塩にかけて育ててきた葡萄たちの行く末が気になったのだそうです。
私も自分の作品がどう読まれるのか気になるタチですから、気持ちはわかります。
だからじいさんの頼みを引きうけたのですが、これが大変でした。
十年前までこの家に住んでいた一家を最後に畑を手入れする者はいなくなり、葡萄園は荒れ果てていたのです。
「まったく十年もほったらかしにしてちゃあ、元は立派な葡萄園も、ただの荒地だな」
草刈を始めて三時間、額の汗をぬぐいつつ十メートルばかり進みました。
「見つかったのは古い根元の跡だけか」
葡萄の木があった痕跡は二つばかりの根っこの跡だけでした。
切られたのか折れたのかわかりませんが、かなり古いのは確かです。
「前の住人が、名前はなんていったけ?住んでた時はまだ少しだけ葡萄も残ってたとか言ってたが」
細やかな手入れが必要な葡萄の木を十年も放置すれば枯れてしまって当然です。
「これ以上探しても無駄かな…………おやおや?」
雑草の隙間から、少し形の違う葉が見えました。
農地と林の境目に、倒れそうな支柱に絡みついて自重を支えている小さな木が見えました。
「……驚いたね。一本だけ生き残ってるよ」
誰の世話も受けることなく。支えとなるべき支柱も折れかけていて。
それでも小さな老木は地に力強く根を張って生きていました。
窓の外は闇、今夜は月明かりはありません。
その分、星の輝きは都会では見ることができないほど明るくてあざやかです。
しばしの間、星空を堪能した私は二階の一室でパソコンの電源を入れました。
ここは雨漏りと隙間風が少ないという理由で寝室兼仕事場に決めました。
姿は見えないものの、じいさんも農具の手入れを終えて上がってきたばかりです。
昼間見てきた農園の跡地の様子を私は蛍光灯の下で語り終え、じいさんはランプの灯の側で聞き終えたところでした。
「……場所からすると、そいつぁ去年植えたばっかりのチビ助じゃろう。あんまし育ちが悪いんで、もうダメだろうと思っとったが」
感慨深そうにじいさんはぽつりぽつりと葡萄園について語り始めました。
農園自体はじいさんのそのまたひいじいさんが開いたもので、当時既に百年以上の歴史があったそうです。
「それをわしとオヤジとで三倍に広げたんじゃよ。山を開墾するとこから始めてな」
この村で作られた葡萄は村の共同醸造所でワインを作る原料になっていたそうです。
その醸造所も数年前になくなって葡萄作りをする人もいなくなりました。
「でもなんで葡萄だけなんだい?他の作物も作れば商売を広げられるんじゃなかったのかい?」
「商売……か。確かにのう。葡萄だけじゃあ不作の年にはちと生活が厳しかったのは確かじゃったなぁ」
感慨深そうにじいさんは言いました。私に向かって、というより自分自身に言い聞かせるように。
「ジャガイモや小麦粉なら村の連中から分けてもらえたからな。自分で作ろうとはオヤジもわしも思わんかった。それに生まれる前から葡萄と付き合ってようなもんじゃからな。浮気なんぞしたら葡萄の神様にバチあてられちまうわい」
「そんなもんかねぇ?」
「おかげで葡萄のことなら何でも知っとるぞい、どんな土に植えればよく育つか、水をどのくらいやれば丁度いい甘さになるとかな、ワハハハ」
なんだか楽しそうに馬鹿笑いするじいさんの声を聞きながら、私はキーボードに向かいました。
次の一文を模索しつつ指を動かそうとした時に、じいさんの一言が入りました。
「申し訳ないが。そっちはそろそろ時間じゃないかね?」
壁の時計を見上げると確かに九時近くになっていました。
「ああ、そうだな。そろそろテレビつけとくよ」
テレビのスイッチを入れると、ニュースが終わってCMに入ったところです。
もう少しすればじいさんお楽しみの音楽番組始まるが……
「もちっと、ぼりゅーむを上げてくれんかの?」
「こんなもんかい?」
パッパッパッパパァ―――!
響き渡る勇ましいトランペット独奏。画面一杯に映る水平線に沈む真っ赤な夕日。
倉庫の前に急停車する自動車、飛び降りて銃を構える緊張した男たち!
そして画面下から急上昇してくるタイトルは!
『大洋に燃えろ!』
港湾都市を舞台に凶悪犯罪と戦う刑事たちのドラマだそうです。
じいさんの一番のお気に入りです。
実のところこんなのをじいさんが気に入るとは意外でした、おかたいクラシック音楽専門と思い込んでいたので。
そもそも派手なアクションが売りの刑事ドラマの、音だけ聞いてて面白いものなんでしょうか。
「なあ、じいさん?」
「なんじゃい、喋っとるヒマがあったらさっさと『ぷろっと』とやらを書いとれ」
テレビの音を聞くのに忙しいのでしょう、面倒くさそうな声が返ってきました。
「音だけ聞いてて面白いのか?テレビってのは顔や風景が映るのが売りなんだぜ」
「フッ、若い。若いのう、お前さんは」
なんか見下したような、余裕やら貫禄やらタップリの言いぐさです。
ちょっとムッときました。
「声だけ聞こえて顔はわからん。これが醍醐味じゃろうが」
「どのへんが?」
「お前さん物書きやっとるんじゃろ?だったらわかるハズじゃ」
「…………?」
「小説に出てくる奴にゃ顔も声もないが、読み手はその表情までも思い浮かべ、声なき声も耳にする。違うかのぉ?」
「まあ、確かにそうかもな……」
ひとりうなづきながら、私は思いをめぐらせました。
いかにして読者の想像力を刺激して、虚構の世界の話に真実味を与えるか、それは小説家にとって腕の見せ所のひとつです。
「本物の役者なら声一つでも表現できるもんじゃ。わしにははっきりと見えるぞい、『ボス』の渋ーい男の姿がのう」
テレビに映る『ボス』つまり捜査課長を演じるのは誰もが知ってる往年のアクションスター。
年はとっても、その存在感は強烈な名優です。
「そんなもんかね?確かに渋くて貫禄もあるけど」
「こいつは間違いなく百年にひとりのナイスガイじゃ。わしの目に、っと耳に狂いはないわい」
「そうかもな。詳しいことは知らないけど有名な俳優らしいし」
「他の若ぇ連中の声も悪ぁねえが……ボスは別格じゃ。お前さんみたいな三文小説家じゃボスの名演技は表現できまいて、ヒヒヒ」
一言付け加えたところを見ると、テレビを聞くのを邪魔されたのを根に持っているようです。
私はふくれっつらでパソコンに向かいました。
「…………悪かったな、三文小説家で」
ボソッと囁いた独り言が聞こえたのか、テレビの中で若い刑事がドジを踏んだのが可笑しかったのか、じいさんは大声で笑っていました。




