怪奇!どこからともなく名曲の調べ
「んー、ここは……警備員が気配に気づいたことにするか」
キーボードを打ちかけて私の手が止まりました。
二階にある寝室でベッドの上にパソコンを置いての執筆でした。
なぜ机ではなくベッドの上でかといいますと、机のある部屋(書斎予定)の電球が切れたままだったからです。
結局、電球を買いなおすお金も時間もなかったしね。
それはさておき小説の冒頭、事件の発端となるシーンですからインパクトが必要です。
ただ『警備員が襲われました』にしたくはなかった。
「気配といっても、物音だけじゃなぁ。ただの泥棒みたいだしな」
何かもっと意外性のある、それでいて印象的なシーンにしたい。
「暗闇の中なんだから視覚的な効果は使えないな。やはり聴覚つまりは音か、しかし……」
何かないだろうか?
不気味で、それでいて詩的な……目を閉じて考え込みました。
やがて脳裏にあるメロディが浮かびました。
古い時代の懐かしい旋律でした。
現代のオーディオでは決して出せない素朴な暖かみのある音色です。
「そうだ、飾ってあった骨董の蓄音機が勝手に鳴り出したことにしよう!これなら……」
その瞬間から私の指はキーボードの上を激しく踊り始めました。
頭の中に響く蓄音機のメロディに乗って軽やかにリズミカルに。
時にゆるやかに時に激しく。
名曲を奏でるピアニストのように……とまではいきませんでしたが。
「うん、我ながらいい出来だ」
一節を書き終えて、私は実にいい気分になりました。
まだ冒頭だというのに一仕事片付いたような気になって、腰掛けたまま大きく伸びをしました。
苦しみばかりの執筆の合間に、時折やってくるこの至福の瞬間がたまらなく爽快でした。
この爽快感を得るために売れない作家業に飛び込んだような気さえしました。
「それにしてもいい曲だ、なんていうんだろう?題名は……」
書き終えた今も曲は耳の奥に流れ続けていました。
そう、聞き覚えはないけれど懐かしい時代を感じさせる……
「……あれ?」
奇妙な違和感がありました。
「確かに初めて聞く曲だ。なのに……どうして、こんなにはっきりと思い浮かぶ……」
私の戸惑いに関わらず曲は途切れることなく頭の中に響いています。
というより……
「これって本物の蓄音機の音じゃないか?」
頭の中に浮かんだのではなく、どこからか本当に聞こえてきていたのです。
しかしこの家には蓄音機なんて洒落た骨董品はない。
隣の家から、と考えましたがそれも違う。
ここは隣まで走って五分かかる村のはずれです。
こんなにはっきり聞こえるわけがない。
「じゃ、やっぱり……家の中……」
汗が流れました。
冷たい汗が背中をスゥーッと。
ゴクリと唾を呑みこんでから私は椅子から腰を浮かせて……。
足をもつれさせてあやうく転びそうになりました。
「だ、誰なんだ。俺以外の誰がいるっていうんだ?」
左手に懐中電灯、右手に手近にあったスパナを握り締めて私は廊下に出ました。
真っ暗な廊下で一歩、また一歩用心して進む、つもりが全然進んでない。
音は階下の居間のあたりから聞こえてきます。
音を出しそうな原因というと。
「居間には本を詰め込んだ箱があるだけだ。ラジカセは寝室にある。テレビは……まだ箱から出してないんだっけ」
私が持っているうちで最も高額な家財であるテレビは三年前にゴミ置き場から救出したものです。
ただしスイッチを入れたことはたった三回だけ。
恥ずかしながら電気代も払えない月が多くて。
「とにかく確かめなくちゃ、これが空耳だということを。うん、こんな薄暗いボロ屋で独りでパソコンなんか叩いてるから幻聴が聞こえたりするんだ」
右手のスパナを握り締め、ソロリソロリと階段へ近づきました。
足音を立てないように……ギシッ。
「ヒッ!」
自分で鳴らした床板の軋みに驚いて思わずその場で全身硬直しました。
叫びそうになる口を押さえて平静を取り戻した……振りをしてそっと階下を覗きこみました。
灯りのない一階は真の闇、何も見えません。
見えませんがハッキリと聞こえてきます。
この家にはないはずの蓄音機の曲が。
「誰かいるのか?一体誰が?」
自分の心臓がバクンバクンと痛いくらいに脈打っていました。
硬直した足で意を決して一歩一歩、階段を降りて行きました。
極力床を踏み鳴らさないように。
一階の床に足がつき、私は足音を忍ばせて居間のドアへと向かいました。
足を進めるたびに蓄音機の音楽が、だんだん近づいてきます。
「…………」
ドアの前で私は開けるのをためらいました。
この向こうで誰かが蓄音機を鳴らしている。
あるはずのない蓄音機が、いるはずのない誰かの手によって。
気のせいか、ドアの向こうからひそやかな息遣いが感じられるような気さえしました。
「音が止んだ……」
曲が終わり、私は静寂に包まれました。
そのまま何も起きない。
私はドアをそっと開けて、暗闇の中へ首を突っ込みました。
真っ暗な居間の中は静まりかえり、何の気配も感じられません。
壁に手を這わせ照明のスイッチを捜します。
カチリとスイッチが入り、光があふれました。
「眩しい……」
半ば暗闇に目の慣れていた私は眩しさに思わず目をおおいました。
盛んにまばたきしながら指の間から部屋の様子を確かめました。
部屋の中にはダンボールが散乱しているだけ。
家具と言えるのは元から備え付けだったでっかいテーブルくらいなものです。
このテーブルは大きな切り株を利用して手作りした物で、家が建てられた時からあったらしいとのことでした。
(ふぅ―――っ)
安堵のため息をつくと同時になんだか馬鹿馬鹿しくなってきました。
引越し疲れと執筆疲れのせいで空耳に怯え、何をしてたんだか自分でも滑稽でした。
こんなことをしている場合じゃないのに。
次回作を完成させなきゃ遠からず飢え死にが待っています。
苦笑しつつ私は居間を去ろうとしました。
カタン。
背後で音がしました、テーブルのあたりでしょうか。
椅子かなにかを動かしたような、そんな感じの音です。
驚いて振り向いた私の目に映ったものは……特に何もありません。
置きっぱなしのダンボールの間に切り株のテーブルがあるだけです。
でも……
カタン、カタン。
音はそこから聞こえてきます。
(馬鹿な……)
私は耳を疑いましたが、音はおかまいなし。
今度ははコツ、コツと足音が聞こえてきます。
足音は私の前を通りすぎ壁際へ。
カタカタと何か動かして、待つことしばし。
(だ、誰が?何がいるんだよ?)
チャーチャチャチャ。
再び蓄音機の音楽が流れ出しました、何も置いてない床の上あたりから。
「!……ッ」
ギ―ッ!
後ずさりした時にうっかりダンボールにつまずき床を鳴らしてしまいました。
とたんに!
「誰じゃ!そこにいるのは?」
目の前から男の声、自分以外は無人の居間で自分以外の誰かの声!
幽霊?
透明人間?
私は怒鳴り返しました
「お、お前こそ誰だァーッ?」
怒鳴り返したというより、悲鳴を上げたというのが正しかったんでしょうね。
これには相手も相当びっくりしたようでした。
向こう側にしても落ちついて蓄音機の音楽をのんびり楽しんでる最中に、いきなりの怪奇現象だったわけですから。




