終わりの時間
「それで今度は孫たちを連れてくるというのじゃ。あの馬鹿娘、自分一人では説得できんと悟って卑怯にも孫を援軍にするつもりなのじゃ」
なるほど、孫が遊びにくるとあってはじいさんも落城の危機を感じざるを得ませんね。
ここはひとつ高みの見物、といきたいところですが。
「じゃあ、俺はまた出かけるようにするか。家族水入らずの邪魔しちゃわるいからな」
娘さんが来る時は、私は席を外すようにしていました。
一人娘との貴重な時間に割りこむほど野暮ではありませんでした。
でもその時のじいさんの頼み事は、意外なものでした。
「いや、一緒にいて欲しいんじゃよ」
これには面食らいました。
一緒にいれば私が声だけの存在なのが知られてしまう。
大騒ぎになってしまうかもしれない。
「いて欲しいって……ヤバイだろそれは?」
「秘密は守らせる!孫たちにも絶対に口外させんようにいっておく!だから、その……」
「……どうして、今回は」
「……正式に紹介したいだけじゃ。わしの、その……」
「わしの……何?」
「わしの…………親友」
ものすごく小さな声で、聞き取れないかというくらい小さな声でじいさんはいいました。
しばらく私は声も出ませんでした。
とても、うれしくて。
「いいよ、紹介してもらうよ」
「本当か!本当にいいんじゃな?」
「ああ、ただし……」
今度は私の方から条件を出しました。
こっちもこの条件を譲る気はありません。
「文芸大賞の発表の日、うちの親父とお袋をこの家に招待するつもりなんだ」
「おお!」
あれから私も父と再会しました。
少し老けて痩せていましたが、頑固なところは変わっておらず、私は安心しました。
未だに『おめでとう』とも『よくやった』ともいってくれない父ですが、本棚の中で少しずつ増えていく私の本が父との隙間も埋めていってくれました。
「その時は、じいさんも同席してもらうぞ」
「うむ、心得た!しからば屋根の修理を早く終えねばならんわい」
カンカンカンと、妙に気合の入った金槌の音が再び響いてきました。
今から慌てても早過ぎだとは思いましたが、クスッと笑ってから私もパソコンの画面に向かいました。
「……ちょっと通俗的すぎるな。この性格では」
ちょっとキーボードを叩くのを止めて、モニターを見ながら考え込んでいました。
「お?じいさんはもう終わったのか」
何時の間にか釘打ちの音が止んでいました。
壊れた柵の修繕や支柱作りで大工仕事も慣れていますから、意外と手際はいいのです。
「おい、じいさん。もう終わったのかい?」
声をかけてみましたが返事はありません。
もう屋根から降りてしまったのでしょうか。
「じいさん?いないのか?」
家の中に向かって呼んでみました。
でもやっぱり返事はない。
では、やっぱりまだ屋根の上なのか。
「おーい、じいさん。なんかあったのかい」
返事はやっぱりありませんでした。
そして返事の代わりにカタン、と何か硬い物が落ちるか倒れたような物音がしました。
その物体はカタカタと音をたてながら屋根の斜面を転がって落ち、庭でドスッと重い音を上げました。
言い知れぬ不安がよぎりました。
「おい、じいさん……今、何か落っことしたろ?金槌か何かを。どうして拾いに行かないんだ?」
じいさんは無言でした。
それどころかガタンともっと大きな音がしました。
そしてチャランチャランと小さな物が沢山、屋根の上を転がっていく音が聞こえました。
思い起こせばこれは、よろけたじいさんが道具箱をひっくり返し、釘をぶちまけた音だったようです。
そう、この時じいさんは倒れたのです。
左半身の麻痺が最悪の結果を招いていました。
ドサッと重い音がしました。人間が倒れたような重い音が。
「じいさん?」
倒れたあとゴト、ゴトとそれは転がっていきました。
「おい、じいさん……何をやってるんだよ」
音は加速しながら屋根の端まできました。
そこで音は途絶えました、そして。
「じいさん!じいさ……」
ドッと何かが地面に落ちた音が庭から聞こえました。
そこまできてようやく何が落ちたか、私は確信しました。
「じいさん、じいさん!」
私は叫びながら庭へ飛び出しました。
そこには……誰の姿もない、現在の庭にあるのは平和な春の風景だけです。
しかし、そうではなかった。
私の耳にはかすかではありますが、小さな息遣いが聞こえていました。
かすかで、不安定で、今にも止まりそうな息遣いがはっきりと。
「じい……」
青ざめ、叫びかけた私は口を押さえました。
ドカドカと庭に入ってきた数名の足音と話声を聞いたからでした。
「大変だ、じいさんが屋根から落ちたぞ」
「怪我はどうだ、息はあるのか」
「医者だ、早く街から医者を……」
「動かすな!大きな板持ってきて乗せるんだ」
家の外から見ていた百年前の村人が集まってきたのです。
指一本触れることのできない私と違ってテキパキと動き、じいさんを助けようとしてくれました。
「板持ってきた!ウチの物置の雨戸だッ!」
「よし、乗せろ。頭揺らすなよ」
村人の必死のレスキューでじいさんは雨戸に乗せられ、家の中へ担ぎ込まれました。
その間、私は青ざめた顔で庭にひざをついたままでした。
事情を知らない現在の村人が時折、不思議そうにのぞきこんでいきました。
しかし何が起きたか気づくこともなく(また変わり者の作家先生が何かやってるな)という表情で立ち去って行きました。




