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百年前の同居人  作者: 境陽月
時はとまりて、
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次の季節へ

雪の季節が過ぎ去り、暖かな春の陽射しが窓越しに降り注いでいました。

部屋を吹き抜ける風が運ぶ甘い香りは、いかなる野の花の香でありましょうか。

キーボードを打つ手をしばし休めて、私は束の間、春の空気を楽しんでおりました。


「はっきり認めた方がええぞ、『またスランプでネタが出ません』ってな」

「っるさいぞ!くそジジイ」


窓の外からの無情な指摘に私は涙声で怒鳴り返しました。

現在四作目を執筆中、ではなくボツ原稿を量産中でした。

今回は登場人物が固まらないためにプロットが上手くいかず、七転八倒しておりました。


「くっそぉ、あとひとつ、あとひとつヒロインに何かが足りないんだよ、何かが、こう」


後ろにひっくり返りそうなくらい大きく伸びをして天井を見上げました。

その天井からゴトッ、ゴトッと大きな物音。

ネズミや猫のたぐいではありません、もっと大きな音でした。


「さっきから何してんだよ、じいさん」


天井に向かって私は話しかけてみました。

今朝、じいさんは畑仕事も早々に切り上げて、屋根に登って何かやっていたのです。

時折、窓からのぞきこんで、私をからかって遊んでいました。

おかげで筆がちっとも進まなくて……嘘です、もともと進んでなかったんです。


「おお、ちょいと屋根板が割れちまってたんでのぅ。修理しとるんじゃ」

「屋根板?あ、そうか。最後の大雪でミシッといったやつか」


「おう、それそれ。応急修理はあん時にやっといたが、このままじゃ百年もたんからのう」

「そんな慌てることもないだろ?百年以内に直しといてくれりゃいいよ」


こっちはいたって気楽でのんびりでした。

購入時に屋根に異常はないと確認済みでしたから、修理は問題なく終わっていたということです。


「いやいや今日できることは今日終わらせないといかんわい。わしらみたいな爺婆には時間がもったいないからな」


トントン、と金槌の音が軽快に響きました。

じいさんの左手も今日は調子いいようです。

しばらくトントントンというリズムを聞きながら、私はふとあることを思い出しました。


「じいさん、前に言ってた文芸大賞のことだけどさ」

「ん?結果はまだ先じゃなかったか?」


「発表は先だけどね、おおよそのトコは決まったらしいぜ。大賞は下馬評通りだって編集長がいってた」

「ほう、あれがねぇ。わしにゃ面白いとは思えんかったが」


その年の大賞は当時、大御所と呼ばれた作家の晩年の傑作とされた歴史小説でした。

私が朗読してじいさんに聞かせたのですが、じいさん曰く。


『主人公がカッコつけ過ぎじゃ、もうちっと押さえにゃ本物の渋さは出んわい』


「じいさんにはそうかもしれないが、なんたって大先生の本だからね。俺みたいなペーペーから見てもやっぱり上手いし」

「で、お前さんのはどうなんじゃ?せめて準優勝くらいはできそうか」


「無茶いわないでくれよ。どうやら佳作に入りそうだけどさ」

「ふん……ま、才能のカケラもない三文文士にしちゃあ頑張ったな。一応褒めといてやる」


「全ッ然、褒めてねえよ、このジジイ……」


ふてくされて窓の外を見ました。

百年前も現在もこの時間、村人は畑仕事の真っ最中。

土を掘り起こし、畝をつくり、種をまく。

時の流れを忘れたかのように百年前と同じ光景が広がっていました。


「いや、少し違うんだったな」


私は裏庭の現在の状態を思いました。

強引に伸ばした柵は冬の大雪で壊れてしまいましたが、あの葡萄の木は無事に雪害を乗り切りました。

今、私は葡萄の木を中心に雑草を刈り取り、荒地を整備して小さな畑を作っています。

じいさんから手入れを教わっていますが、何年か先には元通りの葡萄畑にしてみたいと思っています。

そう、じいさんの時代の葡萄畑を甦らせたいのです。


「ところで若造……」

「なんだい?」


じいさんの声でささやかな未来の妄想を中断しました。


「文芸大賞といえば……アイツ、どうなったんかのう?」

「あいつか……俺もあれから会ってないけど」


アイツ、嵐の夜に私は襲った犯人。

必死に書き続けても誰からも認められずに、踏み外しかけたあいつ。

あいつは歪んだ鏡に映った私の影でした。


「そんなに重い罪には問われなかったよ。取調べの時も泣いて謝るばかりだったらしい」

「刑務所行きにはならんで済んだのか」


「ああ……早いとこ、立ち直って欲しいな」


あれから彼の書いた小説を読んでみました。

私とは作風が違い、とても繊細で優しい物語でした。

書くのをやめないで欲しい、心からそう思いました。


「話しは変わるが。ちょっと頼み事があるんじゃよ」

「俺に何か用事でもあるのかい」


突然、じいさんは切り出してきました。

しかも珍しく遠慮がちな態度で。


「うむ、実はな、その……近いうちに娘をここに呼ぼうかと思っておってな」

「娘さんを?ここに?ああ、なるほど」


あれから何度か、娘さんはこの村に足を運ぶようになりました。

相変わらずじいさんに『街に引っ越して同居して欲しい』と説得しているのですが、じいさんは今だ居座り続けるつもりのようです。


「まったく、さっさと出ていってくれりゃいいのに。そうすりゃ俺の執筆もはかどるってもんだ」

「ケッ、お前を一人にしといたらサボるにきまっとろうが。それにな」


「それに?」

「それに街に行ったら『大洋に燃えろ』が聞けなくなっちまう。最終回までわしゃあ動かんぞ」


馬鹿馬鹿しいくらい子供っぽい理由にプッと吹き出しかけました。

実にじいさんらしい、説得するのは骨でしょう。

こんな暖かで穏やかな日がずっと続いてほしい。

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