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百年前の同居人  作者: 境陽月
風がやむ時
33/39

百年前から、まだ見ぬ明日へ

「ハハハハハ、ハーハッハッハッ!」

「ええい、笑うな!」


じいさんがとうとう怒り出しましたが、笑いは止まりませんでした。

くたびれるまで笑って、笑い続けて涙が出るほど笑って。

一息ついたのは随分経ってからでした。


「あーあ……どうしたんだよ、この写真」

「アレがな、どーしてもというもんでな。朝早くに街の写真屋叩き起こしてな。撮影させたんじゃ」


「災難だったな、その写真屋。それに……無事だったんだな、娘さんは」

「おうよ、ピンピンしとるぞい」


「……汽車には乗ってなかったのかい?いや、そもそも事故は起きたのか?」

「ふむ……そいつはもう一枚の方を読んでみい。その方がよくわかるぞぃ」


素っ気無い、でもどかいたずらっぽい声が挑発しました。

きっと読み終わった後の私の驚きぶりを想像して悦に入ってたのでしょう。


「何か企んでるな、じいさん」

「さあて?それは見てのお楽しみじゃ」


折りたたまれた新聞の中にどんな悪だくみが隠したのでしょうか?

私は俄然興味が湧いてきました。

黄色く変色した新聞は脆くなっていて、手荒に扱うと粉々になりそうでした。


「この新聞がどうかしたのか?」


注意深く床に広げた新聞を前に私はじいさんに尋ねました。

何の変哲もない古新聞にしか見えませんが。


「左のページの上の隅っこじゃ、ヒヒヒ」

「ふうん?」


意味ありげに笑うじいさんに従ってそこを読んでみました。


「えーっと?『間一髪!お天気じいさん、汽車を救う』…………なるほど……って、えええっ!」


表題に驚いた私は、新聞に目をくっつけるようにして本文を読みました。

そこに書いてあった記事は驚くというより、あきれるほどのものでした。


……時二十分頃、豪雨の中を線路上に座りこんだ老人が運行中の汽車を停車させるという珍事件が発生した。

発見者の運転士によれば老人は激しい風雨をものともせずに線路の間に座りこみ、上着と木の枝で作った旗を振り回しながら、止まれ、止まれと絶叫していたという。

最悪の視界の中で老人に気づいた運転士は急ブレーキをかけ、老人の鼻先数センチというところで停車した。

あわや人身事故?という状況に激怒した運転士が老人を捕まえようと、下車して近づいたところ、老人の背後に大規模な土砂崩れを確認。

乗客二十八名は九死に一生を得た。

老人は近隣の村で『お天気じいさん』と異名をとる百発百中の天気予報名人。

今回の大雨も見事に予知し、土砂崩れをも察知して駆けつけたという。

…………なおこの列車には一人娘の……


記事を読んでるだけだというのに、まるで自分が事故現場にいたかのように緊張していました。

読み終えた時ようやく緊張が解けて、全身に安堵感が広がって、床の上に腰を落としました。

付け加えるようにじいさんは語りました。


「嵐で電信も不通になっての、根も葉もない噂が飛び交ったもんじゃ。『汽車が脱線して二千名が死んだ』とかな。間違った記事を載せちまった新聞も結構あったぞい。お前さんが読んだ記録を書いた奴もそんな噂を聞いたんじゃろな」

「……助かったんだな、本当に」


「ああ、助かったぞ。わしも娘も。みんな助かった。お前さんのおかげじゃ、ありがとう、本当にありがとう」

「よしてくれよ、じいさん。あんたにそういわれるとなんだか、むずがゆいぜ」


「そうか……ありがとう、ありがとう、ありがとうありがとうありがと……」

「俺に喧嘩売ってんのか!」


「いやいや……これはわしからの『ありがとう』じゃない」

「なんだよ、そりゃ?」


「娘と娘の旦那と五人の孫から、お前さんにお礼の言葉だそうじゃ」

「……なんだよ、そりゃ」


とても照れくさかったですよ、あの瞬間は。

心の底から安心すると心地よい眠気が襲ってきました。

抵抗できないくらいに優しい眠りが私を包もうとしていました。


「悪ィ、じいさん。俺、これで寝るわ。もう立ってられねぇ……」

「ああ、今日はゆっくりとお休み」


ああ、じいさんの声でさえ天使のささやきに聞こえてきます。

私はベッドにもぐりこみ、まぶたを閉じました。

眠る前に、ふとあることを思い出し、夢見心地でじいさんに告げました。


「じいさん、ひとつだけ聞いときたいんだ」

「なんじゃい、ゆうてみい」


「この家を建て増ししたのは……娘さんのためなんだろ」

「……なんのことかの」


「娘さんが結婚して子供がたくさんできても困らないように……部屋数増やしたんだ」

「はて……どうだったかな」


私の脳裏で親父の書斎の空っぽの白い本棚と空部屋ばかりのじいさんの家が重なりました。

どちらもいつか一杯になる日を夢見て作られた、まだ見ぬ未来のために。


「まあ、そうだったかもしれんの。もう忘れちまったがな」

「ふん、頑固だな。それともうひとつ……」


「ん、なんじゃ。まだ何か……」

「ごめんな。『曲名のない演奏会』録画……忘れてた……よ」


夢の中でじいさんが何か喚いていたような気がしますが、よく思い出せません。

翌日一日、じいさんの機嫌が悪かったのは確かです。

奇跡だ、勝利だ、運命は変えられるんだ!

でもそれも、すでに終わってしまったことだとしたら?

救われていた、といえるんだろうか?

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