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百年前の同居人  作者: 境陽月
風がやむ時
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暁の訪問者

深く暗い海の底から海面を目指して、ゆっくりと浮かび上がっていくように。

私の意識はゆっくりゆっくりと現実へと戻って行きました。

上に石でも置かれたみたいに重いまぶたでしたが、何とか開けることができました。


「……明るいな」


目覚めの爽快感などありませんでした。

体は相変わらず重く、全身に疲労感が残っていました。


「眠ってしまっていたのか。今は何時なんだ?ん、え?もう朝だって!」


時計を見て驚きました。

1、2時間の浅い眠り程度に思っていたのですが、一晩過ぎてしまっていました。

慌ててベッドの上で上半身を起こしました。


「ふぅ……おっと、と?」


それだけの動作でめまいがしました。

体もだるいし、疲労感も全然とれていなかった。

それになんだか寒気がしました。


「風邪ひいちまったみたいだな、ぬかったぜ」


雨の中を二時間も歩き続け、休む間もなく嵐の中の柵作り。

シャワーも浴びずにぶっ倒れて、布団もかけずに眠りこむ。

風邪をひいても当然の結果でした。


「じいさんはまだ帰ってきていないか」


家の中のは音も声もなく、ただ外の風の音ばかりが聞こえてきます。


「とにかく、今は何か食って寝てなきゃな。このままじゃ体がもたない……」


私はベッドを出て、二階から降りようとしました。

階段の途中でめまいがひどくなって、転げ落ちそうになりました。

それでも、なんとか頑張って台所まで辿りつきました。

冷蔵庫の中からパンと牛乳を取り出し、残っていたフルーツ缶詰を開けました。

できればコーヒーに目玉焼きのひとつもつけたかったのですが、その時の体調では火を扱うのは危なかったのです。

冷たいパンを貪り食い、缶詰のフルーツを口に押し込んで牛乳で無理矢理流しこみました。


「フ―――ッ、なんとか人心地つい……ゴホッ、ゴホッ」


胃に食い物が入ったおかげで多少、体力が戻ったような気がしました。

しかし、ひいてしまった風邪をまではどうにもなりません。

何度も咳をして、食べたばかりのものまで吐きそうになりました。


「が、我慢だ!は、吐いちまったら一食分無駄になっちまう!」


みみっちいことを考えて口を押さえ、吐き気がおさまるのを待ちました。

喉までこみ上げてくるものを呑みこみ、戻さないように必死に耐えました。

やがて吐き気もおさまり、少し楽になってきた頃でした。

風の音の合間にかすかに、カタン、カタンという聞き慣れた音がしました。


「列車の音だ、現代の鉄道の方は復旧したらしいな」


おぼつかない足取りで窓際に寄り、駅を見ました。

今しもオレンジ色の客車が駅のホームへと滑りこんでいくのが見えました。


「こっちの時代の被害は大したことなかったみたいだな。でも、じいさんたちは?どうなったんだろうか」


半ば倒れるように椅子に座りこもうとして……椅子はもうないことに気づき、床に腰を下ろしました。

ちなみに今、家の中に残っている家具はベッドだけ。

後は全て壊されて柵の材料になりました。

鉄製のベッドだけは壊して使うことができなかったのです。


「やっぱり、百年前の事故を調べてもらおう。担当さんか誰かに電話して」


私はそう決心しました。

もうできることは全てやったのです。

どんな結果が出ていたとしても、私にできることは何もありませんでした。

たとえ最悪の結果を知ることになっても覚悟はできていました。

ふらつく足で台所を出て、電話のところまで行こうとしたその時、新たな音が聞こえてきました。


ポォ―――ッ

「汽車の音だ……間違いない!」


百年前の復旧作業も終わったのです。

それも音の方角からして、街からの汽車に違いありません。


「なら、もしかしてじいさんが乗ってるかもしれない。状況を詳しく聞けるかもしれない」


私は少しだけ待つことにしました。

別にじいさんの帰宅を待たなくても結果は同じでしょう。

誰かに昔の文献や記事を調べてもらった方が正確かもしれない。

でも私はじいさん本人から聞きたかった。

そうでなければ納得できなかったのです。

駅からこの村まで徒歩で二十分、そして家までは十分とかからない。

心を落ちつけて私は待ちました。

やがて玄関に人の気配がしました。


コン、コン。

「じいさん!じいさんなのか!」


私は玄関に向かって走りました。

熱のせいで頭はぼやけ、足下も危なっかしい状態で。

走るというより転がって進むような状態でしたが、なんとか玄関まで来れました。


「じいさん、じいさんなんだな!汽車はどうなった?娘さんは?」

コン、コン。


答えはなくノックの音だけ響きました。

無言の帰還に不安になった私はドアを開けました。

……この時、体調を崩していた私はまともな判断力を失っていました。

現代の人間ならインターホンを使う、呼び鈴かノックなら百年前の人物だと思い込んでいた。

そもそもじいさんなら自分の家に入るのにノックなんかするはずがなかった。

それどころか玄関前でノックの返事を待っている必要もなかったはずです。

私が開けることのできるのは現在のドア、じいさんの時代のドアはじいさんしか開けられない。

案の定、そこに立っていたのは見知らぬ男でした。

一瞬、唖然としていた私の口から出たのは間抜けな言葉でした。


「あ、あのどなたですか?」


不精髭をはやした痩せた陰気な男でした。

靴の泥を払い落としてから顔を上げると、彼は無言で憎悪のこもった目で私を睨みつけました。

気圧されて一、二歩下がったとたんに男は黙ってズカズカと玄関に入ってきました。


「ちょ、ちょっと、あんた、一体」

「うるさい!」


一声叫ぶと男は私を突き飛ばしました。

さほど強く突き飛ばされたのではありませんでしたが、なにしろ風邪をひいてフラフラの状態です。

私はたやすくあお向けにひっくり返りました。


「い、いきなり。何を……」

「黙れ……」


黙りました、男の目に異常な光を感じたのです。

狂気としかいいようのない光を。


(この目、どこかで……)

「思い出した……出版社で会った……」

「覚えていてくれたか、光栄なことだ」

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