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百年前の同居人  作者: 境陽月
ふたつの嵐
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心配はいらん!

娘さんが今日来ると言っていたこと。

古い記録の中に鉄道事故を思わせる記述が見つかったこと。

時間的にみて事故に遭うかもしれない汽車に乗車していた可能性があること。


家の中で濡れた服を脱ぎながら、私はこれまでのいきさつを説明しました。


「本当に事故が起きたかどうか、起きたとしても被害者の中に娘さんがいたかどうか、確認はとれなかった……いや、確認するのが恐いんだ」


私はタオルで髪を拭きながら首をうなだれました。

今でもどこかの新聞社に電話して、過去の記事を調べてもらえば事実はわかるでしょう。

でも事実を知ってしまえば、もう変えることはできない。

それがいかに残酷な現実との直面であっても。


私の話をじいさんは黙って聞いていました。

最初こそ興奮して、私につかみかからんぐらいのエキサイトぶりだったのですが。

(といってもつかみかかるのは無理なわけですが)

話が進むに従い、冷静に受け止めてくれたのです。


「そうか、それでこの大嵐の中、無茶して帰ってきてくれたんじゃな?」

「嵐なんか大したことない。それより、なんとか汽車を……ゲホッ、ゲホッゲホッゲホッ」


汽車を止めなきゃ、といいかけて私は激しく咳き込みました。

頭がクラクラして吐き気もしました。

無理もない、この大雨と風の中を歩きとおして休む間もなく柵作りしたのです。

もともと体力がある方ではなく、疲労はとっくに限界を超していたのに気力だけで体を動かしてきたのです。


「なんとか……、汽車を、娘さん……を助けゲホッ、ゲハァッ……」


みっともない話ですが、床の上に胃の中身をぶちまけてしまいました。

四つん這いになり、何度も何度も腹の中が空っぽになるまで吐き続けました。

他人に見られなかったのが幸いなくらいの無様な格好でした。

じいさんは何をいうでもなく、傍らで静かに私の様子をうかがっていたようです。


「すまんかったな、若造。娘のために、いやわしら父娘のために」


耳元で聞こえたのは優しく暖かい言葉でした。

もし触れ合うことができたなら、節くれだった暖かい手が私の背をさすってくれたことでしょう。


「お前さんの命がけのメッセージ、確かに受け取ったぞい。後のことは、わしに任せてくれい」


じいさんがすっくと立つ気配、そしてスタスタと玄関に向かう気配。

私は顔を上げ、後を追おうとしたのですが、めまいがひどくて立つこともできませんでした。

なんとか声を絞り出すのがやっとです。


「じいさん?なんとかできそうか?」

「隣の駅まで線路伝いに歩いていく。なあに足腰には自信がある」


「え、ちょっと、待てよ、じいさ……ゲホッ、ゲホッ」

「どうやら左半身の感覚も戻ってきた。なんとかなるじゃろ」


この言葉に私は仰天しました。

百年前と今日のふたつの嵐、風の音、雨の音からすると規模も被害も同じ位です。

だからその中を歩いて隣駅までいくなど、実際にやってみた私にはいかに無謀かかよくわかりました。


「無茶だよ。じいさん、やめろ!そっちの時代でも電信とか連絡の方法はなにかあるだろう?」

「この村にゃあ電信なんぞというハイカラな道具はないからの。あっても間に合うかどうかわからんし」


実に気軽な様子でじいさんは外出しようとしています。

立つこともできない私は四つん這いのままじいさんの声を追いました。


「よすんだ!あんたが土砂崩れに巻きこまれるかもしれないんだぞ!」


少し間を置いて奇妙な質問が返ってきました。


「お前さんの時代に、あの葡萄の木は間違いなく健在なんじゃな?」

「……?」


質問の意図がわからず、私はぼんやりしていました。


「枯れたり折れたりはしとらんのじゃな?」

「あ?ああ、無事だった。枯れちゃいなかった」


「なら安心じゃ。少なくともわしはこの家に帰ってきたことになる」

「どういう意味……」


「あの木はな、まだ少し具合が悪くてのぅ。このままほっとくと枯れてしまいそうなんじゃよ。それが生き残っているというなら、わしが手入れを続けたということじゃ」


自信ありげに話すじいさんでしたが、私は納得できませんでした。

あの木が確実にじいさんの植えた葡萄だという確証はなかった。

少し後の時代に別の人が同じ場所に植えたのかもしれない。


「そんな、そんないい加減な根拠で!」

「いや、間違いはない。わしが丹精こめて育てた葡萄じゃ。だからこそお前さんを呼び寄せて娘の危機を伝えさせてくれたんじゃ」


返す言葉もありませんでした。

私の目の前で閉じられたままの玄関が勢いよく開け放たれる音が聞こえました。

激しい風と雨が家の中へと吹き込んでくる音が聞こえました。


「じいさん……」

「では、ちょいといってくる。なぁに、心配はいらん。青瓢箪の作家先生も吹っ飛ばせない軟弱な風じゃ、屁でもないわい」


頼もしい言葉を残して扉が閉ざされる音が響きました。

一人残された私は、ノロノロと階上へ上がり、寝室へ転がり込むとベッドに見を投げ出しました。

やがて目の前が暗くなり、音のない世界へと私は落ちていきました。


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