声よ、届け!
「ここまできて……」
私は唇を噛みました。
じいさんは絶対に畑のどこかにいる。
葡萄の被害を心配して無理をして畑に出たんに違いありません。
ひょっとしたら今、すぐ隣にいるのかもしれない。
「なのにたった一言を伝えることもできないのか?」
こうなっては家に戻り、じいさんを待つしかありません。
しかし、それでは手遅れになるかもしれないのです。
「待てよ……」
諦めかけた私の脳裏にある考えが浮かびました。
こじつけか、反則技としか言いようのない、短絡的な考えが。
庭までしか声は通じない。
庭までしか……庭までならば?
「庭の柵までだったら、通じるんだよな?」
私はなんのためらいもなく、その思いつきを実行することにしました。
百年前の音が伝わるという怪現象が神様の悪戯だとするならば、神様相手に幼稚な詐欺を仕掛けようと企んだのです。
私は物置から大工道具とありったけの木材を持ち出してきました。
庭と畑の境界線となっている柵を前に鉈を手にした私は緊張しました。
何が起きるのか、それとも何も起きないのか全くわかりませんでしたから。
「いくぞ!」
私は鉈を柵に向かって振り下ろしました。
メリメリと古い木材は砕け、柵の一部が途切れました。
「よし、これで……」
わざわざ自分で壊した柵を、すぐに修理にかかりました。
新しい杭を打ち直し、板切れを打ちつけて柵は直っていきました。ただし少しだけ葡萄畑の跡地に張り出した形で。
「うまく、いってくれよ」
祈るような気持ちで最後の板を打ちつけました。
その瞬間に、ゴォッ!と倍増した嵐の音が鼓膜を震わせました。
裏庭ではなく畑の跡地の中で。
「成功だ…………ここは『庭』になった」
私は小躍りしたくなりました。
柵の形を変えて裏庭を広げ、葡萄園を侵食する。
かなり分の悪い賭けでした。
「これで望みは出てきた、あとは俺の思ったとおりの位置に、じいさんがいるかどうかだが」
柵を拡張することで庭を広げられるのはわかりました。
それでも葡萄畑全部を囲める柵を作るには時間も材料も足りません。
しかしひとつだけ思い当たる場所がありました。
「不自由な左半身を抱えても嵐の中にでなきゃいけなかった理由。じいさんがこだわらなきゃならないのは多分あそこだけだ。あそこにじいさんはきっといる!」
私は狂ったように杭を打ち、ありったけの板切れを打ちながら柵を伸ばしました。
木材が足りなくなれば物干し竿まで持ち出し、それも無くなれば、椅子や机をぶち壊して、その木片を使いました。
そうやって畑のある一点を目指して裏庭を伸ばしつづけたのです。
「もう少し、もう少しだ」
何時間過ぎたのか、それともまだ数分しか経っていないのか?
激しい雨に叩かれ、激しい風に吹き飛ばされそうになりながら、伸ばしつづけた柵はようやく、そこに達しました。
現在では一本の葡萄の老木が雨風に耐えるその場所に。
その老木を取り囲む形の柵はあと一ヶ所を打ちつけるだけでした。
家具を壊して調達した木材も机の引出し板一枚を残すのみ。
「ここだ、ここに、じいさんはいる。絶対にだ」
沢山の葡萄の木の中でじいさんがなんとしてでも守ろうとする葡萄はこの一本だけだと確信していました。
百年前の過去に生きるじいさんと、百年後の現在にいる私とをつないでいる数少ない共通点は、この葡萄以外にはありませんでした。
「今いくぞ、じいさん」
コン、コォン。
手で押さえた板の上に釘をあてて、金槌で二回打ちました。
一瞬で二倍になった風の音を確かめた後、深く呼吸を吸い込みました。
(家に戻っていないのはわかっている。だから………絶対にここにいる!)
「じいさん!」
嵐を押し返そうとするような大声で私は叫びました。
そして返事を待ちました。十秒、二十秒……反応なし。
「返事してくれ、じいさん!」
さっきの三倍はでかい声を張り上げました。
今度は?
「び、び、び……」
「じいさんか?」
「びっくりしたぁぁぁッ……若造、お前なのか、帰ってきたのか?」
嵐の轟音の中ではっきりと声は聞こえました。
探し求めていた、じいさんのしわがれ声が。
突然の私の声に驚いて腰を抜かしたんでしょう。
じいさんの声はやや斜め下、地面に近いところから聞こえてきました。
地面にへたり込んでるといったところでしょうか。
「帰ってきたんじゃな?よかっ……あ―いや、なんでもない。何の用、いやそれよりどうして、畑の真中でお前さんの声が聞こえるんじゃ?ここは庭じゃないだろうに」
「庭を広げた。そんなことより大変なんだ!」
「はん?何があったんじゃ」
ただならぬ私の声の緊張感を感じたのでしょう。
じいさんの声も緊張し、次の言葉を待っていました。
私は胸に抱え込んできた言葉を一気に吐き出しました。
「娘さんを乗せた汽車が事故に遭うかもしれないんだ!」
「なにィッ!どういうことじゃぁ!」




