05:君と二人で
用意された『鍋』という食べ物は期待通りの……いや、期待を遥かに上回るものだった。
大きな器に具材を入れて煮る。それも、持ち運びのできる調理器具をローテーブルに設置し、その上に鍋を置いて常に煮ながら食べるのだ。
具やスープが少なくなったら足して再び煮立たせ、また掬って食べて……。
具の旨みと出汁の効いたスープが混ざり、食べているだけで心もお腹も満たされる料理。
柔らかな野菜はとろけ、人参や大根も噛めば柔らかく旨みを滲ませる。とりわけしっかりと煮られた白身魚はホロホロと身が砕けていく。
常に火にかけるため室内も暖かく、慣れぬ畳に座っているのに体が冷えることもはない。それどころか体全体が暖まっていく。
微睡みに似た時間だ。暖かくて心安らいで、なにより美味しい。
すっかり鍋料理に魅了されたステラが一口食べてうっとりとし、また一口……と食事を堪能すれば、ローテーブルの向かいに座るオーランドも満足そうに食べ進めていく。
「お鍋、これは魔性の料理ですね。ぼっちゃま、こっちのお肉も程良い頃合いですよ。是非ともスレダリアに革命を起こしましょう」
「ステラはスレダリアの革命家だな。こっちの魚もちょうど良いな。もう少し野菜を増やそうか」
「お鍋はどこで買えるんでしょうか。送るには頑丈に梱包しないと割れてしまいそうですね」
「途中で何着か服を買ったから、それに包んで送ろうか。きっとみんな用途が分からず不思議がるだろうな」
「浅い作りの花瓶と思われたらどうしましょう。スレダリアに帰ったら、お鍋にお花が飾られているかもしれません」
色とりどりの花が飾られた鍋。それがガードナー家の客間に……。
その光景を想像したのか、オーランドがふはっと吹き出して笑い出した。ステラも自分で言っておきながら笑ってしまう。
これはあえて綺麗で洒落た柄の鍋を買って、スレダリアに混乱を招いても良いかもしれない。
きっとみんな事実を知れば驚くだろう。だが鍋料理をーーもちろん花を取り除いてーー振る舞えば、すぐにみんな虜になるはずだ。
それほどまでに鍋は美味しくて暖かい。
「こうやって一緒に食べるというのも良いですね。マルミットでは日常的に家族みんなでお鍋を囲んで食べると聞きました」
「一つの鍋からよそって同じものを食べる、まさに家族団欒だな」
「えぇ、私達も……」
言い掛け、ステラの頬が赤く染まった。
自分達も家族のようだ。まるで夫婦だ。そんな言葉が口をついて出そうになったのだ。慌ててムグと口ごもれば、オーランドがどうしたのかと見つめてくる。
だが彼もステラの言い掛けた言葉を察したのか、次第にその頬が赤くなっていった。誤魔化すように料理を器によそいはじめるが、その動きは先ほどまでと一転して妙にぎこちない。
随分と不安定で、掬い上げられた人参がぽちゃんと鍋に落ちていった。
「な、なんだか少し暑いですね。常に火をつけているし、お腹もいっぱいで、体温が上がってしまって……」
「あぁ、そうだな……」
ステラが頬の熱を誤魔化そうと白々しい言い訳をする。
オーランドもまたステラの言い訳に同意しようとし……一瞬考え込むと「ステラ」と名前を呼んできた。
深く、重みのある声。
先程までの穏やかなものとは違う、真剣味を帯びた声。じっと見つめてくる黒い瞳に、ステラの心臓が跳ね上がった。
早鐘をうつとはまさにこの事。ミニャレットと聞いた夕刻を知らせる緩やかな鐘の音と違い、胸の内で響く心音は落ち着きなく忙しない。
彼の顔を見れず器に視線を落とすが、いまだけは美味しそうな鍋料理も魅了してくれない。絶品の鍋料理を前にしても心はオーランドに向いたままだ。
「こうやって二人で鍋を食べていると、まるで夫婦のようだと思わないか?」
「そ、そうでしょうか……。私は美味しいお鍋のことで頭がいっぱいで……」
「俺は思うし、そうなって欲しいとも思っている。一緒に旅をしていて何度も夫婦と間違えられただろう。訂正していたが、俺は間違えられる度に『次にこの土地にくるときは必ず』と心の中で誓っていた」
「……ぼっちゃま」
オーランドの熱意的な言葉に、ステラがゆっくりと顔を上げた。
彼はじっとこちらを見つめ……てはいるものの、ステラがもう一度オーランドを『ぼっちゃま』と呼ぶと、眉間に皺を寄せた。絶品の鍋を食べているのに、今だけは苦虫を噛み潰したような表情だ。
「ステラ、頼むから今は『ぼっちゃま』はやめてくれ。心が折れそうだ」
「まぁ、そんな。私はドキドキしっぱなしで心臓が痛いくらいなんです。あえて『ぼっちゃま』とお呼びして、なんとかお止めしたいほどですよ」
「ようやく勇み立てたんだ、勘弁してくれ。なぁステラ」
「……分かりました、オーランド様」
オーランドに頼み込まれ、ステラが渋々と彼を呼び直した。
いったい彼がなにを勇み立ったのか、なにを言おうとしているのか、そんな期待と緊張が沸き上がる。チラと俯き気味に見上げれば、オーランドが改めるようにコホンと咳払いをした。
彼の顔は随分と赤い。だがステラも自分自身の顔が赤くなっている自覚はある。顔が熱い、砂漠でだってこんな熱い思いはしなかった。
そうステラが己の熱を感じていると、オーランドが再び「ステラ」と呼んできた。
「これからも一緒に色々なものを食べよう。食べたいものがあるなら、どこにだって必ず着いていく。だから俺の隣にいてくれ」
「オーランド様……」
「ステラ、きみの事が好きだ。ずっと昔から愛していた。この旅で結婚相手を探すと言うのなら、俺を連れてスレダリアに帰ってくれ」
オーランドの言葉に、ステラが息を呑む。
なんて真っすぐで胸を焦がす言葉だろうか。
『ぼっちゃま』と呼び弟のように接していたのに、いつの間にこんな熱意的な言葉を口にするようになっていたのか。
自分が気付かぬ間に。
だがその気付かぬ間も、彼は想いを寄せてくれていた。
それを思えばステラの胸の内に愛おしさが湧く。今までの家族愛に似た親愛とはまた違った、胸を焦がす甘い愛おしさだ。
その愛おしさに背を押されるように、ステラはゆっくりと、そしてしっかりと深く頷いて返した。緊張していたオーランドの顔が一瞬にして明るくなるが、それもまた愛おしい。
「ぼっちゃま……。いえ、オーランド様。一緒にスレダリアに帰りましょう」
「あぁ、帰ろうステラ!」
気恥ずかしさからたどたどしい口調になるステラに対して、オーランドはガタと身を乗り出して返事をしてくる。彼の瞳は輝き、ローテ―ブルと鍋を挟んでいなければ今すぐにステラを抱きしめそうなほどだ。
ステラは思わず熱っぽい吐息を漏らし、鍋に引っ掛けられているお玉を取った。オーランドに「器を貸してください」と手を差し出す。
「恋人として初めての行動が、美味しい料理をよそう……。これはきっと美味しい料理に恵まれた夫婦になれますね」
「ステラらしくて縁起が良いな」
「あら、これからは『ステラらしい』だけじゃありませんよ」
「そうか、これからは『俺達らしい』だな」
嬉しそうにオーランドが訂正する。
それを見てステラも微笑み、食事の邪魔になるとローテーブルの下に置いていたポシェットに触れた。
中に入っているのは財布とハンカチ、お菓子、そして宿に戻って夕食が始まる前にしたためた手紙。
「ぼっちゃま、食事が終わりましたら、私ミニャレットさんのところに行こうと思います」
「ミニャレットのところにか?」
「はい。これからもずっとぼっちゃまと一緒に居られることが幸せに思うからこそ、ミニャレットさんを一人ぼっちで居させられないと思ったんです」
手紙の入ったポシェットをぎゅっと抱きかかえて訴えれば、オーランドが真剣な表情で見つめてきた。
彼は今までずっとそばにいてくれた。そしてこれからも一緒にいようと言ってくれた。
それを幸せだと思うからこそ、今この瞬間もミニャレットが一人でいることに胸が痛む。彼女は誰かと美味しいものを食べる幸せを知らないのだ。
「勝手な行動なのは承知しておりますが、ミニャレットさんがガードナー家のメイドになれるよう推薦状を書いたんです」
「推薦状?」
「ミニャレットさんは文字の読み書きが出来ず働けないと仰っていました。ですから、ガードナー家で働きつつ勉強をするのはどうかと思いまして」
メイドの仕事は様々だ。
来客を出迎え対応する際には教養とマナーを求められるし、主人の手伝いには読み書きは必須。とりわけそれがスレダリアいちのガードナー家ともなれば、メイドの質も相応のものが求められる。
だが掃除や洗濯といった裏方作業ならば、読み書きの出来ないミニャレットでもこなせるはずだ。なにせガードナー家の屋敷は大きく庭も広い、掃除だけでも数人掛かりである。
それにガードナー家には従業員の寮も有り、食堂では賄が出る。衣食住に盗みは必要ない。
「盗んだお弁当を一人で食べるなんてあんまりです。ミニャレットさんには、大事な人との食事がどれだけ楽しく幸せかを知る権利があります!」
「確かにそうだな。それなら俺も一緒に行こう」
「まぁ、ぼっちゃまも一緒に行ってくださるんですか?」
「実を言うと、俺もミニャレットにガードナー家で働かないか聞こうと思っていたんだ」
オーランドが穏やかに笑う。
彼も同じことを考えていた事が嬉しく、ステラはポシェットを手に安堵と共に微笑んで返した。