04:相談料はミニマフィン
ハルが出ていった部屋で、ステラとオーランドがほっと一息吐く。
畳の上にクッションを敷いて座れば、なんとも不思議な感覚ではないか。床に座るわけでもなく、かといってソファーや椅子とも違う。
「畳を見るのも座るのも初めてです。これは飲み物をこぼしてしまったら大変ですね」
「あぁ、拭き取るのも一苦労だ。だけど幸い水回りや浴室は普通の作りだから、珍しい程度で不便というわけでもないだろう。だがステラが嫌というなら他の部屋に変えてもらっても」
「ここはお鍋の美味しい素敵なお部屋です!」
「気に入ったみたいでなによりだ」
冗談混じりにステラが返せば、オーランドがつられて笑う。だが彼もこの部屋は気に入っているようで、数度畳を撫でると「本で読んだ通りだな」と感慨深げに呟いた。
自分の知識と現物を照らし合わせるその表情は、楽しそうでいて満足そうにも見える。
そんなオーランドを眺めつつ、ステラは感心するように吐息を漏らした。
畳すらも知っているとは、なんと博識なのだろうか。彼はオアシスの事も、バイクやらくだの事も知っていたし、セントレイア号に乗る前に食べたドラゴンフルーツだって知っていた。
今までは『物知りなぼっちゃま』と見ていたオーランドの姿が、今日はなぜだか『博識なオーランド様』と映り、ステラの頬はほんのりと赤くなっていく。
(素敵……)
そう心の中で呟く。
これは今までステラの胸にあった、弟のような存在の成長を見守る声ではない。立派な青年を前にした一人の女としての感嘆の声だ。
(優しくて頼りになって、聡明で勇ましく、そして一緒にいて誰よりも楽しくて心地良い。ぼっちゃま……いえ、オーランド様より素敵な方なんて世界中どこを探したって居るわけがないわ。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら)
なんて節穴。近すぎるあまりに気付けなかったのだろうか。
そんな事を自分に問いながらオーランドを見つめていると、視線に気付いたのか彼がひょいとこちらを向いた。黒い瞳とかち合い、ステラは自分の心臓が跳ね上がるのを感じ、その勢いのまま慌てて立ち上がった。
「わ、私、外に出てまいります!」
「どうした?」
「あの……ミニャレットさんの事が気になるんです。ですから少しお話をしてまいります!」
ポシェットを掴んで部屋を飛び出せば、背後からオーランドの「いってらしゃい」という声が聞こえてきた。ステラの挙動に疑問を抱きはしなかったのか、それともミニャレットを気にかけているゆえと勘違いしたのか、彼の声は家族に掛けるように穏やかだ。
だが今のステラにとっては、彼の穏やかな声は心音を加速させる。「いってらっしゃい」なんて、まるで家族のようなやりとりではないか。
以前であれば「いってまいります」と微笑んで返したか、もしくは「お夕飯前には必ず戻ります!」と意気込みを伝えたかもしれないが、今はただ辿々しい口調で言葉にならない返事をするのが精一杯だった。
「私、どうして今まで気付かなかったのか不思議でならないんです……」
「ミニャレットはどうして相談されているのか不思議でならないニャ」
「ぼっちゃまの事は今まで弟のように思っていたのに……。でも考えてみたら、あんなに優れた方を弟のように思う事の方が不思議なんですよね」
「ミニャレットは今この状況が不思議ニャ」
「マフィン食べますか?」
「もらうニャ」
ステラがポシェットから小さな包みに入った一口サイズのマフィンを取り出せば、ミニャレットの栗色の耳がピョコンと立った。ふかふかの同色の毛で覆われた手が嬉しそうにマフィンを受け取り、器用に包を剥いでいく。
長袖のワンピースを着ているから境目は見えないが、本人曰く手首の上あたりから栗色の毛が生え、そこから先が猫の手になっているらしい。足も同様。よいしょと靴を脱いで見せてくれた。
まるでふかふかの靴下を履いているようだ。冬に冷え性のメイド達が履いていた毛糸の靴下を思い出させる。
ちなみに現在地はミニャレットの家……とはさすがにいかず、そこから少し歩いた広場である。
公園というには遊具や囲いはないが、子供達が各々走り回って遊んでいる。楽しげな声が絶え間なく聞こえるその一角に置かれたベンチに座り、ステラはミニャレットに相談していた。
「ごめんなさい、ミニャレットさん。貴女の話を聞こうと思って来たのに一方的に話してしまって」
「謝られても、ミニャレットもわけがわからないニャ。わけが分からないうちに連れ出されてよく分からない話をされて、でもマフィンは美味しいニャ」
「それならもう一つ……。でもお夕飯が入らなくなってしまいますね、これは夕飯後のデザートにどうぞ」
「デザートなら2個欲しいニャ」
「どうぞどうぞ」
「お菓子がいっぱい出てくるポシェットニャ」
お菓子しか入ってニャいのでは……とミニャレットがジッとステラのポシェットを見つめてくる。
ステラが慌ててポシェットを背に隠したのは、事実ポシェットの中にはお菓子ばかり入っているからだ。もちろん財布やハンカチも入っているが、八割はお菓子に占められている。
これは知られたら恥ずかしい。
なにせ、数年前に同じようにオーランドにポシェットの中を知られて笑われているのだ。
『ステラのポシェットにはいつもお菓子が詰まってるな。これならどこに行っても餓死する心配は無さそうだ』
と、そう笑いながら茶化してきた彼の顔が思い出される。
女性の荷物を笑うなんてマナー違反だと、目の前で一人だけチョコレートを食べて見せつけてやったのも覚えている。――もちろんその後に彼は謝罪をし、ステラは許すと共にチョコレートを一つあげた――
あれは幾つの時だったか……。思い出そうとすれば、他の記憶まで次から次へと蘇ってくる。ポシェットにも、チョコレートにも、この一口サイズのマフィンにだって、オーランドとの思い出があるのだ。
それほどまでに一緒にいた。
いつも一緒に居て、何かあると必ず教え合い、楽しく笑い合った。
改めて共にいた時間の長さを思えば、胸の内がジンワリと温まる。……のだが、ジッとミニャレットに見つめられると途端に胸の温かさが気恥ずかしさに変わった。
今の今まであれほどオーランドとの事を相談していたのに、いざミニャレットが何か問いたそうにすると恥ずかしくなってしまう。
聞かせるのは良いが、聞かれるのは恥ずかしい、なんて自分勝手なのか。
「ミ、ミニャレットさんは、いつからこの村にいらっしゃるんですか?」
「ミニャレットの話かニャ? ミニャレットは3年前にこの村に来たニャ」
「それまではどちらに?」
「最初はママ達と一緒に居たけど、ミニャレットみたいなのは独り立ちが早いニャ。でもミニャレットはどこに行っても何もできニャくて……」
耳を伏せ、しょんぼりとミニャレットが項垂れる
曰く、彼女達のような獣人は親元を離れる年齢が早く、ミニャレットも例に漏れず幼くして親兄弟と別れたらしい。
本来ならば自立し定住の地や仕事を見つけるか、旅をするにしても生活費を稼ぐ手立てを得る。だが不器用なミニャレットは何をしてもうまくいかず、あちこちの町や村を点々としていたという。
定住の地は見つからず、さりとて旅人にもなれず。
そうして泥棒業の今に至るとは切ない話ではないか。
「働きたくても、ミニャレットはあんまり文字が読めニャいし、書けニャいニャ。勉強中だけど、人の文字は難しいニャ……」
「ミニャレットさん……」
「だからミニャレットは悪い事をするニャ。これは食べるため、仕方のニャいこと! もっとマフィンを出すニャ!」
ミニャレットのふかふかの手がステラへと伸びる。
栗色の毛にピンクの肉球が映える、なんとも可愛らしい手だ。きゅっと爪が出てくるのは脅しだろうか。
たまらずステラが脅されるままにマフィンを取り出そうとすれば、まるで割って入るように鐘の音が鳴った。
夕刻を知らせる鐘の音らしく、走り回って遊んでいた子供達が「帰らなきゃ」と次々と散っていく。中には広げた遊具を慌てて片付けている子供もいる。
もうこんな時間、とステラが見回せば、村に来た時は明るかった周囲が気付けば薄暗くなっている。
「ミニャレットも帰るニャ」
「でも、ミニャレットさんの家は……」
「ステラも夕飯の前に帰るニャ。お鍋は美味しいニャ、ミニャレットはお魚の入ったお鍋が好きニャ」
あの鍋はどうの、この鍋はどうの、でもやはり魚の入った鍋が一番。そう語りながらミニャレットが歩きだす。
ステラも置いてかれまいとその隣を歩くが、脳裏には村に到着した時に見たミニャレットの家が浮かんでいた。おかげでミニャレットの話が頭に入らず、食事の話だというのに心ここにあらずだ。
建物と建物の隙間に作った、家とはけして言えないミニャレットの家。
彼女は今からあの家に帰り一人で過ごすのだ。この長閑な村で、暖かな明かりの灯る家が並ぶ中で、それでもミニャレットは一人で……。
「ミニャレットさん、あの、もし良ければ一緒に……」
「宿に着いたニャ」
「え、あ、あら……」
ミニャレットの言葉にはたと我に返れば、いつの間にか宿の前に到着していた。
玄関先を掃除していたスズが「おかえりなさい」と迎え、夕飯の準備が出来ている事を知らせてくれた。今夜の鍋は具材が豊富で、魚も肉も入っているという。
それを聞いたミニャレットが小さく「おさかニャ」と呟いた。魚の入った鍋を想像しているのか、ふかふかの手で両頬を押さえて幸せそうだ。次いで彼女は別れの挨拶を告げて、パタパタと家の方へ……ではなく、村の奥へと駆けていった。
彼女の家の方向とは真逆だ。
いったいどこに行くのか、もしや夕飯を盗みに行くのではとステラの胸に不安がよぎるが、さすがは獣人、ステラが声を掛けようとした時には既に彼女の背は遠ざかっていた。
一緒に夕飯を、と誘いかけた手が空しく宙を掻く。
「お客さん、どうしたの?」
「いえ……。大丈夫です」
「それなら良いけど。そうだ、兄さんの話を聞かせてよ。どうせ元気に好き勝手やってるんだろうけど」
「え、えぇそうですね。ナンシー乗りさんのことですね……。ナンシー乗りさんと出会ったのは、砂漠の入口にある町でした」
「ところで、そのナンシーって何なの? 兄さんは何に乗ってるの?」
スズが怪訝な表情を浮かべる。――仕方あるまい。久方ぶりに聞いた兄の近況が『ナンシー乗り』なのだ――
そんな彼女に促されながら、ステラは宿へと入っていった。




