01:汽車と禁断の料理
スレダリアにも汽車は通っている。
だが管理しているのは他の国で、駅こそあるがスレダリアの隅を横断する程度。国内の主な移動はもっぱら馬車がメインで、汽車に乗った事のあるものは極一部である。
砂漠地帯を抜け、汽車の発着場についたのは既に夕方に入る時刻。日がゆっくりと傾き始めている。
ステラはそんな発着場のベンチに腰かけ、チケットを買いに行ったオーランドの戻りを待っていた。二人分のトランクを傍らに置き、つい物珍しさからキョロキョロと周囲を見回してしまう。
窓からホームを覗けば今まさに汽車が到着したばかりだ。初めて見る汽車は唖然としてしまうほどに大きく、窓から見えるのでもほんの一部。
そんな汽車に続々と人が乗り込んでいるが、あれだけの人数を一度に運べるというのだから驚きである。
そのうえ、大きな発着場だけあり人の行き来が多く、猫や犬といった獣人の姿も少なくない。ふかふかの山羊の獣人がふかふかの子山羊をつれている光景を見たときには、思わず胸をときめかせて感嘆の吐息を漏らしてしまったほどだ。
珍しい物ばかりで、どこを見れば良いのか分からなくなってくる。
窓から見えるホームも気になるし、行き交う獣人も気になる。異国の装いも見たい。発着場には売店がありそれも気になる……。
だがキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しておのぼりさんと思われるのも恥ずかしい。
そんなジレンマを抱きつつステラが待っていると、発着場の向こうからオーランドが歩いてきた。
「ステラ、待たせてすまなかった」
「いえ、大丈夫です。それよりチケットの手配をお願いしてしまい申し訳ありません」
「それなんだが、一応乗車券は買えたが夕方過ぎの出発なんだ。それに客室も取れなかった。近くに喫茶店があるらしいから、そこでお茶をして待っていよう。夕飯は汽車の中で食べた方が良いかもな」
オーランドが乗車券を眺めつつあれこれと話す。どうやら汽車での移動は人気があるらしく、近い時間の出発はどれも満席状態なのだという。
それどころかオーランドが購入した時間帯も満席で、運よくキャンセルの払い戻しに立ち会ってすぐさま購入したという。タイミングが良かったとオーランドが笑う。
その話に、ステラは改めて彼に感謝を告げた。
きっと不慣れな自分は狙っていた時間が満席と聞くや「まぁ、どうしましょう」と悩み、キャンセルの払い戻しに立ち会っても直ぐには対応出来ず、次の時間も、更に次の時間も……と買い逃していただろう。
そもそも乗車券の買い方すら分からず、オーランドに一任していたのだ。
「私、メイドとして一人前と自負しておりましたが、世界はまだまだ知らないことばかりです。ぼっちゃまは以前に汽車に乗ったことがありますものね」
「あぁ、父さんの外交を手伝うために連れて行って貰った時にな。乗車券の買い方も隣で見ていたんだが、まさかこんなところで役に立つとは」
「外交を、手伝う……? おかしいですね、汽車に乗りたいと駄々をこねるぼっちゃまの姿を記憶していますが」
「出発までだいぶ時間がある、喫茶店に行こうか」
わざとらしくオーランドが話を切り替え、二人分のトランクを持つと逃げるように歩き出す。
なんとも分かりやすい誤魔化しだが、ステラはふむと一度考え込むと「切符のお礼を兼ねて、ここは騙されておきましょう」と一人ごちてオーランドを追うように歩き出した。
喫茶店でしばらく過ごし、発車の時刻が近くなるとホームへと向かった。
オーランド曰く、汽車に乗るには弁当が欠かせないのだという。それを食べつつ移動を楽しむ、これが汽車の醍醐味らしい。
その弁当が売っているのはホームの端にある小さな売店。
周辺の店から弁当を卸して一カ所で販売しており、店の規模で言うなら狭いが、弁当に特化しているだけあり種類は豊富だ。
「まぁぼっちゃま、見てください。このホットサンド、焼き目が猫と犬の顔になっています。猫の模様はサーモンで犬の模様はビーフだなんて、洒落ていますね」
「こっちは具材で絵を描いている。凄いな、人参が薄く切られて薔薇のようだ。こっちの子供向けの弁当は容器が汽車の形だな」
「こうやって飾るのはスレダリアには無い文化ですね。見ているだけで楽しくなってきます」
珍しさに、並ぶ弁当を眺めながら感想を口にし合う。
スレダリアでも料理を美しく盛り付ける習慣はあったが、あくまで食材そのままでだ。野菜の色どりを考えて配置したり、料理に合わせて皿を変えたり、ソースを螺旋状に垂らして見目を良くしたり……と、その程度である。
対して、今目の前にしている弁当は『飾る』を遥かに超えている。これはもう『描く』の領域と言えるだろう。弁当箱が一つのキャンパスだ。
だがいかに飾れどもあくまで弁当。
汽車に乗って直ぐに食べる事を前提としているため保存は効かず、汽車の椅子に座って食べるのだから簡易さも必要とされる。当然、移動中の食事なのだから価格もそこそこでなければ売れない。
となるとどの店も似通った具材や料理になり、だからこそ見た目で客の目を引こうとしているのだろう。
そんな中、ステラが一つの弁当を覗き込み……息を呑んだ。
「ぼっちゃま、これは……これは禁断の気配がします!」
「禁断って大袈裟な。……なるほど、これは確かに禁断だ」
二人揃えて真剣な表情で一つの弁当を覗き込む。
それは他に比べると飾り気は皆無といえる弁当だ。
ウィンナーはタコにもカニにも細工をされていないし、野菜も飾るようには盛られていない。申し訳程度にそえられた卵焼きとマッシュポテトは彩とも言えないだろう。
箱だって只の紙箱だ。レストランの名前が描かれてはいるものの、とりわけ目を引くデザインというわけではない。
だがそんな弁当の中央、己こそメインと言いたげにドンと構えるのが……。
目玉焼きの乗ったトースト。
一枚の食パンの上にベーコンとチーズで囲いを作り、そこに卵を落として焼いたのだろう。
焦げ目のついた食パンとベーコン、とろりと溶けてパンに染み込むチーズ。火の通った白身は輝くほどに白く、そこに浮かぶのはぷっくりと膨らんだ黄身……。
シンプルなその料理はこれでもかと視覚に魅力を訴えてくる。これはもう視覚の暴力、目で捉えた瞬間に胃を掴まれたも同然。
思わずステラが顔を背け、「なんて恐ろしい……!」と声をあげた。
「私、可愛くてお洒落なお弁当を買うと決めたんです。せっかく汽車に乗るのだから、スレダリアには無い細かな飾りのあるお弁当を……。だというのに、もう心はこのトーストに囚われています」
「あぁ、これならスレダリアに帰っても直ぐにシェフに作ってもらえる。というかスレダリアに帰らずともどこか立ち寄った宿で俺でも作れる。……はずなのに、今すぐにこれが食べたい」
「あぁ、抗えない……。目玉焼きとベーコンが私を妖艶に誘い、蕩けたチーズから目が離せない……。店主さん、この目玉焼きトーストのセットを一つください」
「俺も一つ貰おう」
先程まで心惹かれていた華やかな弁当を横目に、ステラとオーランドが目玉焼きの乗ったトーストを注文する。
可愛らしい焼き目の猫も繊細な人参の薔薇も魅力的だが、やはりこの見た目とダイレクトさには逆らえない。
このやりとりを見ていた店主が苦笑を浮かべ、どんなに華やかな弁当が並んでもこの目玉焼きトーストが売り上げ一番なのだと教えてくれた。