第四章:万象調律師(※ただの便利屋)の受難に満ちた新弟子面接
1.白昼の土下座と壊れた門扉
秋の気配が深まり、冷え込み始めた王都オルランド。
王宮から下賜されたロストの広大な屋敷の正門前には、早朝から尋常ならざる人だかりができていた。
「おい、見ろよ……ありゃガイエス帝国の軍服じゃないか?」
「特務部隊の徽章をつけてるぞ。なんで帝国の大物が、あんなところで土下座なんか……?」
群衆のざわめきの中央で、冷たい石畳に深々と額を擦り付けている男がいた。
短く刈り込んだ黒髪に、刃物のように鋭い眼光。かつて帝国軍最凶と恐れられた特務強襲部隊『黒死の鉄槌』の元部隊長――オズワルドである。
背後には彼を慕って軍を脱走・退役してきた十数名の精鋭工作員たちが、直立不動で微動だにせず控えていた。
ガタガタッ、キィィィィッ。
屋敷の巨大な鉄門の小窓が開き、寝癖全開でボロい作業着を羽織ったロストが、心底嫌そうな顔を覗かせた。
「……ねえ、何やってんの? 近所迷惑だから帰ってくれない?」
「ロスト様ッ!!」
オズワルドは勢いよく顔を跳ね上げ、床に両手を突き直した。その瞳には、かつての冷酷な軍人の面影はなく、まるで聖人を見上げる修道僧のような狂信の炎が宿っている。
「ガイエス帝国を退役し、全ての軍籍と栄誉を捨て去り参上いたしました! 先日の『嘆きの黒鉄宮』における貴殿の神懸かり的な調律の御業……! 我らの周到な迎撃陣地をただの『埃』として掃き清め、兵器の熱暴走を一滴の聖水で鎮められたあの御姿が、瞼から焼き付いて離れません! どうか……どうか私を、貴殿の末席にお加えください!!」
「嫌だよ!!」
ロストは即答した。
「意味わかんないし! だいたい『黒死の鉄槌』って何!? 名前が物騒すぎるだろ! うち便利屋だよ!? 募集してんの近所の雨樋掃除のバイトくらいだよ!」
「雨樋の掃除……! なるほど、世界の排水溝たる次元の狭間に溜まった因果の澱みを清掃する修行ですな!? 喜んで拝命いたします!」
「ただの落ち葉だよ!! なんで全部ファンタジー用語に変換すんの!?」
ロストが頭を抱えて門をピシャリと閉めようとした、その時。
ギチチチチッ……バキィンッ!
「あ」
何十人もの兵士が門前でうごめいていたせいで負荷がかかったのか、屋敷の豪奢な鉄門の受け金具が、鈍い音を立ててへし折れた。
数トンはありそうな巨大な飾り鉄扉が、ぐらりと傾いてロストの頭上へ倒れかかってくる。
「ロスト様、危ないッ!」
オズワルドが身を挺して飛び込もうとしたが――ロストの反応はそれより遥かに早かった。
「うわっ、危ねえな! ちょ、待て待て、下敷きになったら潰れる!」
ロストは反射的にポケットから金属製の大型タイヤレバーを引き抜くと、倒れかける鉄門のヒンジの隙間へと滑り込ませ、全体重をかけてグイッとテコを利かせた。
ガキンッ!
「エレナ! 門柱の下のスペーサー! 歪んだやつ叩き出して新しいピン突っ込め!」
「了解。マスターの物理介入をアシストします」
背後に控えていたエレナが電光石火の速さで鋼鉄の楔を打ち込み、ロストがレバーを跳ね上げる。
倒れかけていた巨大な鉄扉は、まるで最初からそう設計されていたかのように、ミリ単位の狂いもなく垂直位置へとピタリと戻り、カチャンと軽快な音を立てて収まった。
「ふぅ……あー怖かった。油断するとすぐこれだ。貴族の屋敷って見た目ばっかり豪華で、基礎のボルトが手抜きなんだよな……」
額の冷や汗を拭うロスト。
一方、それを間近で目撃したオズワルドとその部下たちは――完全に息を呑み、硬直していた。
(な、なんという……! 数トンの質量が重力加速度を伴って崩落する瞬間、微動だにせず、ただ一本の鉄の棒で運動エネルギーの支点を完全に相殺した……!?)
オズワルドの全身に鳥肌が立った。
(『基礎の手抜き』だと……!? まさかこの門扉の修復すら、我が軍の侵入経路を封鎖する結界の再構築の儀式だというのか……! やはりこの御方は、物理法則そのものを指先一つで書き換える神域の観測者だ……ッ!!)
ドサァッ!!
オズワルドは先ほどよりもさらに深く、石畳に自らの額を打ち付けた。血が滲むほどの勢いだった。
「ロスト様……! このオズワルド、貴殿の爪の垢を煎じて飲む覚悟でございます! 門番でも、雑用でも、何でも命じてください!」
「いや、だから怪我するから頭打つのやめてって! 分かった、分かったから! 門の前に座り込まれると近所のパン屋が配達に来れないから、とりあえず中庭の草むしりしてろ! 絶対に部屋の中には入ってくるなよ!」
「ははぁっ! 『生命の繁茂の抑制(草むしり)』、全力で遂行いたします!!」
「ただの雑草抜きだからねぇぇぇっ!?」
ロストの悲鳴とともに、便利屋ロスト邸にまた一人、危険すぎる居候が追加されてしまった。
2.ギルド本部の「特級事案」
昼下がり。
中庭で元帝国特務部隊の精鋭たちが、凄まじい眼光でミリ単位の長さに雑草を刈り揃えている異様な光景を窓から見下ろしながら、ロストは深いため息をついていた。
「……胃が痛い。もう嫌だ。故郷の村に帰って畑耕したい」
「ロスト様、お茶が入りましたわよ」
シルフィが優雅にカップを差し出してくる。
隣ではガルドが大剣をピカピカに磨き、エレナがオズワルドたちの動向を監視カメラのような青い瞳でトラッキングしていた。
そこへ、玄関のチャイムがけたたましく鳴り響いた。
「ロスト殿ぉぉぉぉっ! 失礼するぞ!!」
ドタドタと音を立てて居間に飛び込んできたのは、近衛騎士長ヴァイスと、見知らぬ豪奢なローブを着た小太りの男だった。冒険者ギルド最高評議会の紋章を胸に掲げている。
「ヴァイス……頼むから入る前にノックしてくれよ。あと、今日こそ顧問辞任の手続き持ってきてくれた?」
「何を寝ぼけたことを! 緊急事態である!」
ヴァイスはロストの言葉を完全にスルーし、隣の男を引き倒すように前へ出した。
「こちらはギルド本部の評議員ドレイク殿だ! 貴殿の神託を仰ぎに馳せ参じた!」
ドレイク評議員は、ロストの煤けた作業着を見るなり、恐縮しきった様子で平伏した。
「お初にお目にかかります、偉大なる【万象調律師】ロスト様! 本日は、王都直下に広がる大地下空洞――通称『奈落の古樹』の異変について、貴殿のお力をお借りしたく……!」
「奈落の古樹?」
ロストが怪訝そうに眉をひそめる。
「はい! かつて神話時代、王都の地脈を安定させるために植えられたとされる超巨大な魔導植物なのですが……先刻より、その根が突如として異常活性化! 地下の水道管や下水路を次々と圧壊させ、地表にまで毒性の樹液を噴出させ始めているのです!」
ドレイクが広げた王都の地下水路図には、無数の赤丸がつけられていた。
「すでに商業区の三箇所で地面が隆起し、王都全体の上下水道が機能不全に陥りつつあります! ギルドの誇る特級冒険者部隊が伐採に向かいましたが、樹皮はドラゴンの鱗より硬く、刃も魔法も一切通用しません! このままではあと数時間で、王都の地下が崩落し、街ごと地中に呑み込まれてしまいます!」
「……」
ロストは地図をじっと見つめた。
地下水道。
上下水道の機能不全。
毒性の樹液。
(……え? トイレ流れないの?)
ロストの顔からサーッと血の気が引いた。
(嘘だろ!? トイレが詰まる!? 下水が逆流すんの!? いや待て、この屋敷の水回りも止まるってことか!? せっかくふかふかのトイレットペーパー買ったばっかりなのに!!)
24歳、一人暮らしの長いロストにとって、「水回りのトラブル」は世界の破滅よりも遥かにリアルで恐ろしい悪夢だった。
水が止まれば風呂に入れない。ご飯も炊けない。そして何より、トイレが使えない。
「……おい、ドレイクさん」
ロストの声が、怒りで低く沈んだ。
「は、はいっ!?」
「根っこが詰まって水が流れないって、それ……どこが詰まりの元凶なんだ?」
ドレイクは息を呑んだ。
ロストの放つ「水回りを使えなくされた恨み」に満ちた凄まじい殺気を、完全な「世界の危機に対する神の怒り」と誤認したのだ。
「こ、ここです! 王都中央広場の真下、第一浄水槽の主配管に、古樹の主根が巻き付いて完全に閉塞しております!」
「エレナ、工具箱。パイプレンチの特大と、高圧ラバーカップ(スッポン)、あと苛性ソーダ(パイプ洗浄剤)の樽を用意しろ」
「了解。マスターの殲滅兵器を選定します」
「ガルド、お前も来い。あの太い根っこ、引っこ抜くぞ」
「うおおおおおおっ! ロストさんの水路解放作戦ッ! お供します!!」
「トイレを奪われてたまるかぁぁぁぁぁぁっ!!」
ロストは鬼の形相で屋敷を飛び出していった。
ヴァイスとドレイクは、その背中を見送りながら感涙にむせんでいた。
「……おお、なんという使命感! 王都の民の生活の基盤(上下水道)を守るため、自ら最前線へ赴かれるとは……! やはりロスト殿こそ、真の救世主であられる……ッ!」
3.地下水路の決戦(※ただの配管詰まり解消です)
ドバババババッ……!
王都の地下深く、第一浄水槽。
悪臭と湿気が立ち込める巨大な地下空間は、まさに地獄絵図と化していた。
太さ数メートルにも及ぶ黒紫色の樹根が、大蛇のようにのたうち回り、石造りの水路壁を粉砕している。
根の表面からは紫色の粘液が滴り落ち、触れた石畳をジュージューと溶かしていた。
「だ、駄目だ! 根が再生する! 傷口から毒液が噴き出して近づけん!」
防護服を着たギルドの精鋭部隊が、血反吐を吐きながら後退していた。
そこへ――
バシャァンッ!
水飛沫を上げて、作業着の裾を膝まで捲り上げた青年が仁王立ちした。
手には巨大なパイプレンチ。足元にはゴム長靴。
「うわっ、くっせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ロストは鼻をつまんで叫んだ。
「油汚れとヘドロが腐った臭いじゃん! なんでこんなになるまで配管清掃サボってんだよ王都の水道局は! ズボラにも程があるだろ!!」
「ロ、ロスト様……!? 神話の古樹が放つ瘴気を、『ヘドロの臭い』と一刀両断された……!?」
倒れ伏していた特級冒険者が震え声で呟く。
「オズワルド! そこ突っ立ってないで、排水溝のゴミ除けネット(ストレーナー)のヘドロ掻き出せ! 水が引かないと作業できねえだろ!」
「ははっ! 『瘴気の濾過結界』の浄化、我が命に変えてもッ!」
中庭から勝手についてきていた元帝国特務部隊長オズワルドが、軍用ダガーを振るって猛然と排水口のゴミを掻き出し始めた。
ロストは眉間にしわを寄せ、水槽の中央でのたうつ巨大な主根を睨みつけた。
(……あー、なるほどね。完全に理解したわ)
ロストの【修繕士】の鑑定眼が、古樹の生態の「歪み」を瞬時にスキャンする。
(あいつ、別に暴走したくて暴れてるわけじゃないな。根っこの先端、鉄パイプの錆びた継ぎ手にガッチリ挟まって抜けなくなってやがるんだ。痛くてパニックになって暴れてるだけじゃん。指にトゲが刺さって暴れてる犬と一緒だ)
「エレナ! 苛性ソーダの樽持ってこい!」
「はい、マスター。高濃度アルカリ性溶解液、供給します」
ロストは樽を受け取ると、根っこが配管に挟まり、ヘドロが固着している結合部へ向けて、豪快にドバドバと流し込んだ。
ジュワワワワワワワワッ!!
強烈な泡立ちとともに、長年パイプの内側にこびりついていた有機物のヘドロと錆の固着物が、アルカリの化学反応によって一気に分解されていく。
「な……古樹の絶対障壁が、あの謎の白い液体で見る見る融解していく……!?」
周囲の冒険者たちが息を呑む。
「ガルド! パイプレンチをこの継ぎ目のボルトに掛けろ! 俺が合図したら、反時計回りに全力で回せ!」
「了解ッス!!」
ガルドが怪力で特大レンチをボルトに噛ませる。
「いくぞ……せーの、回せぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ギチチチチッ……ガキンッ!!
ボルトが緩み、鉄パイプの継ぎ目が大きく開いた。
挟まっていた主根の先端が、スポンと音を立てて配管から抜け出た。
グルルルルル……ッ……。
激痛から解放された巨大な古樹が、安堵のため息のような低周波を響かせた。
暴れ狂っていた根の動きがピタリと止まり、毒々しい紫色だった樹皮が、穏やかな深緑色へと変わっていく。
「よし、トゲは抜けたな! 仕上げだ、エレナ、水流バルブ全開にしろ! パイプの奥に溜まったヘドロを一気に押し流すぞ!」
「了解。主水門、強制開放」
ゴオオオオオオオオオオッ!!
大量の清純な水が配管を駆け抜け、詰まっていたヘドロと老廃物を一網打尽に押し流していった。
水路の水位が急速に下がり、清らかなせせらぎが地下空間に戻ってくる。
ロストは長靴の水滴を払い、額の汗を拭った。
「ふぅ……これでよし。配管の詰まりも取れたし、根っこも隙間から逃げただろ。……おい、ドレイクさん! ちゃんと月に一回は高圧洗浄機かけとけよ! 詰まってからじゃ遅いんだからな!」
ロストは説教じみた口調で言い捨てると、長靴を脱いでサンダルに履き替えた。
「あー、疲れた。長靴蒸れて気持ち悪いから帰って風呂入るわ」
背を向けて歩き去る作業着の青年。
その足元には、静かに寄り添うように、小さく縮んだ古樹の若芽が、まるで懐いた小犬のようにすり寄っていた。
静寂の中、ドレイク評議員と特級冒険者部隊は、呆然と立ち尽くしていた。
「……信じられん」
ドレイクの声が震えていた。
「何百年もの間、王都の地下で澱み続けていた地脈の狂気を……神薬で浄化し、神話の古樹を手懐けてしまわれた……。それどころか、『月に一度は調律せよ』と、我ら愚民に地脈管理の教えまで授けてくださるとは……!」
「ロスト様……ッ! やはり貴方こそが、この星の真の主だ……ッ!!」
地下水路に、男たちのむせび泣くような歓声が木霊した。
4.押し寄せる「日常の崩壊」
翌朝。
屋敷のベッドで「ようやく平和な朝が来た……」と毛布にくるまっていたロストは、けたたましいファンファーレの音で叩き起こされた。
「……何!? 今度は何なの!?」
パジャマ姿でバルコニーに飛び出したロストの目に飛び込んできたのは、屋敷を取り囲む途方もない数の群衆だった。
「ロスト様万歳ッ! 王都の命脈を救いし【水脈の調律者】万歳ッ!!」
「うちの井戸の水が美味しくなりました! ありがとうございます!」
「うちの畑のトマトが過去最大に実りました! ロスト様の奇跡です!」
民衆が野菜や果物、高級ワインの樽を門前に山のように積み上げている。
さらに、門の脇ではオズワルドが「ロスト様への献上物リスト」を軍用手帳に几帳面にメモし、エレナがそれらを整然と地下倉庫へ搬入していた。
「ロストさん! おはようございます!」
ガルドが爽やかに手を振ってくる。
「ギルドから新しい称号が届きましたよ! 『神樹を鎮めし万象の庭師』だそうです!」
「庭師!? 俺は便利屋だって言ってんだろ!!」
そこへ、優雅にトーストをかじるシルフィが、一枚の豪奢な招待状を持って現れた。
「ロスト様。お隣の『ハイランド聖王国』の教皇猊下より、親書が届いておりますわ。『我が国の聖なる鐘楼が鳴り止んでしまった。どうか万象の調律をもって、神の声を蘇らせてほしい』とのことです」
「行かない! 絶対に行かない! 鐘楼なんて高所恐怖症の俺が行けるわけないだろ!」
「ふふ、断る口実を考えなければなりませんわね。『教皇ごときが私を動かそうなど、百年早い』と返信しておきましょうか?」
「余計な火種を撒くなぁぁぁぁぁぁっ!!」
ロストの絶叫が、秋晴れの空へと吸い込まれていく。
ただトイレを詰まらせたくなかっただけなのに。
ただ長靴を履いて排水溝を掃除しただけなのに。
彼の願いである「静かな隠居生活」は、またしても遥か彼方の銀河の果てへと吹き飛んでいくのであった。




