第一章:万象調律師(※ただの便利屋)の極めて憂鬱な朝
1.油とサビと二度寝の誘惑
王都オルランドの最下層、貧民街と職人街の境界に位置する裏路地。
軒先が重なり合って空の青さすら細い帯に切り取られるその一画に、薄汚れた木製の看板を掲げた店があった。
『便利屋ロスト』
看板の端は雨風に削られ、文字の塗料は半分剥げ落ちている。
店内には油の匂い、乾いた鉄屑の匂い、そしていつ淹れたのかも怪しい出涸らしの茶葉の香りが混ざり合って淀んでいた。壁一面には引き出しの立て付けが狂った棚が並び、足元には歪んだ歯車や折れたバネ、正体不明の金属片が無秩序に積み上がっている。
その混沌の真ん中で、くたびれた作業着に身を包んだ黒髪の青年――ロストは、長椅子に深く背を預けて派手なあくびを噛み殺していた。
「……ふわぁ。だるい。本当にだるい」
手元にあるのは、近所のパン屋のおかみから頼まれた『固くなったトースターの蓋』。
構造は単純だ。蝶番の隙間に小麦粉と油煙がこびりつき、軸のピンが摩擦でわずかに削れて斜めに噛み合っているだけ。
ロストは卓上の油差しを取り上げ、先端から黒ずんだ鉱物油をチョンと一滴だけ垂らした。細いマイナスドライバーで隙間をコンと軽く叩く。
カシャン。
小気味よい金属音とともに、蓋が滑らかに開閉するようになった。
「よし、完了。これで銀貨一枚。……いや、パンの耳一袋分くらいにはなるか。今日のノルマは終わり。寝よう」
ドライバーを放り出し、作業台に突っ伏そうとしたその瞬間――
ギィィィィィィィィッ。
耳障りな金属軋み音が、工房の分厚い扉の向こうから響いた。
扉を開けたのは、白銀の甲冑を隙間なく身に纏った長身の少女だ。
透き通るような白磁の肌に、人形じみた端正な顔立ち。感情の起伏を一切感じさせない無機質なサファイアの双眸。
――【殲滅の白銀】エレナ。かつて古代遺跡の最奥で機能停止していた神代の自律機巧兵器であり、現在はなぜかロストの工房で「家政婦兼助手」を自称して居座っている危険人物である。
「マスター。おはようございます。稼働率一〇〇パーセント、排熱機関良好。本日も貴方様の御心に従い、世界を調律する準備が整っております」
「エレナ、おはよう。……あのさ、前も言ったけど、扉開けるときは静かにしてくれ。立て付けが悪くてうるさいんだよ。あと『調律』とか物騒なこと言わないで。俺はただ寝たいだけ」
「失礼いたしました。開閉機構の摩擦係数が増大している模様。物理的破砕による全換装を具申します」
「壊すな! 油差せば直るから! 頼むから物騒なこと言わないでくれ……」
ロストは頭を抱えた。
彼女を拾った日のことを思い出すだけで胃が痛くなる。
数か月前、ガラクタ市で「変わった彫像」として二束三文で売られていた彼女を見て、ロストは「中に良質なゼンマイと銅線が入ってそうだから分解して部品取りにしよう」と買い取ったのだ。
背中のハッチを開けたら、単に動力伝達シャフトに錆びたクギが挟まっていただけだったので、プライヤーで引っこ抜いて油を吹いたら突然起動した。
以来、エレナはロストを「主」と呼び、片時も離れようとしない。
そこへ、店の外からけたたましい足音が近づいてきた。
「ロストさん! 大変です! ロストさぁぁぁん!!」
ドガン、と勢いよく扉が開かれ、転がり込んできたのは背中に大剣を背負った赤髪の青年だった。
全身傷だらけ、額に汗を滝のように流している。
冒険者ギルドで売り出し中の若手剣士、ガルドだ。
「うるさいなガルド……。だから扉を乱暴に開けるなって。蝶番が曲がったらお前の給料から引くぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃないッスよ! 『崩落の巨躯』が出たんです! 第三防衛ラインがすでに突破されて、王都の近衛騎士団が半壊……いまギルド総動員で迎撃に向かってますけど、全滅は時間の問題です!」
「……へえ、大変だねぇ」
ロストは湯呑みに冷めたぬるい茶を注ぎ、ズズズと啜った。
「他人事みたいに言わないでください! 街が壊滅するかもしれないんですよ!?」
「いや、他人事だし。俺、ただの修理屋よ? ギルド証のランク見てみろよ、『鉄』だぞ『鉄』。最底辺の生活職。巨躯だか何だか知らないけど、そんな怪獣に突っ込んだら足の小指でプチッと潰されて終わりだよ。国家予算で雇われてる騎士様たちに任せとけって」
「またそんなご冗談を……!」
ガルドは身を乗り出し、崇拝に満ちた目でロストを見つめた。
「俺は知ってます! 以前、俺が持っていたナマクラをロストさんが研いでくれたあの日から……俺には分かってるんです! この『無摩擦の聖剣』の真の力を!」
ガルドが背中から引き抜いた大剣は、ロストが先週「研ぎ賃として銀貨五枚」を受け取って適当にグラインダーをかけただけの代物だった。
研ぎ汁を落とすのが面倒で、工房の隅にあった廃棄用の特殊潤滑オイルをドバドバと塗りたくって拭き取っただけなのだが、なぜかその油が金属の分子構造に異常定着してしまい、あらゆる空気抵抗と摩擦をゼロにして装甲を紙のように切り裂く魔剣へと変貌してしまっていた。
(……いや、あれは単に油の拭き取りをサボっただけなんだが……)
ロストの内心の冷や汗をよそに、ガルドの熱弁は止まらない。
「あの日、ロストさんは言いましたよね。『角を削って油塗っといたから、引っかかりはなくなったはずだ』と! あれは『物理法則の摩擦概念を切除した』という意味だったんですね!?」
「言ってない。絶対そんな大層な意味で言ってない」
「謙遜は不要です! そして今、この王都の危機に……ロストさんが動かないはずがない!」
「動かないよ。眠いもん」
ロストが心底嫌そうに顔を背けたその時、部屋の空気がフッと凍りついた。
空間が歪み、紫煙とともに一人の女性が姿を現す。
漆黒のローブを纏い、背丈ほどもある宝玉の杖を携えた美女――【原初の魔女】シルフィ。かつて魔力暴走を起こして廃人寸前だったところを、ロストに「肩こりのツボ」を適当に指圧された結果、詰まっていた魔力経路が奇跡的に開通して完全復活した伝説級の大魔道士だ。
「ふふ……騒がしいわね、ガルド。ロスト様のお手を煩わせるなど、身の程を弁えなさい」
「シルフィさん! でも、相手は神話時代の自律兵器ですよ!?」
シルフィは妖艶な笑みを浮かべ、恭しくロストの前で膝をついた。
「ロスト様。愚かな大衆が、貴方様の平穏を脅かそうとしております。いかがなさいますか? あの粗大ゴミ、私が王都ごと灰燼に帰して差し上げましょうか?」
「極端すぎるだろ! 街を燃やすな!」
ロストは深くため息をつき、頭を抱えた。
なぜ自分の周りには、こうも話が通じない物騒な連中ばかりが集まるのか。
外からは、地響きのような重低音と、遠くで逃げ惑う人々の悲鳴が風に乗って聞こえてきていた。
2.万象の歪み、あるいはただのサビ
ズゥゥゥゥゥン……!
地響きとともに、工房の天井からパラパラと土埃が落ちてくる。
「うわっ、汚ねえな! おい、作業台に埃被るだろ!」
ロストは慌てて机の上の修理道具を手で覆った。
窓の外を見やると、街の防壁の向こうに、山のように巨大な影がそびえ立っていた。
古代遺跡から目覚めたとされる自律攻城兵器『崩落の巨躯』。
黒曜石のような装甲に覆われ、四本の剛腕を備えたその巨人は、一歩歩くごとに大地を揺らし、防衛部隊の放つ火球や矢の嵐を蚊が止まった程度にしか意に介さず前進していた。
「……デカすぎだろ、あれ。絶対うちの屋根潰れるじゃん」
ロストは心底うんざりした表情で呟いた。
せっかく先週、雨漏りを直したばかりなのだ。あんな質量兵器が街の中に倒れ込んできたら、このバラック小屋など一瞬で粉微塵である。引っ越しをする金もない。
「エレナ、状況分析を」
シルフィが冷徹な声で促すと、エレナの瞳に青い光の紋章が明滅した。
「照合完了。神話大戦末期に投入された拠点破壊用魔導巨兵『ギガント・ゴーレム』の亜種。動力源は高密度重力炉。装甲は古代精錬のミスリル複合装甲。現在の王都騎士団の火力では貫通確率〇・〇四パーセント。推定接触限界まで残り七分」
「だそうですわ、ロスト様。……どう思われますか?」
三対の真剣な眼差しが、一斉にロストへと注がれる。
ロストは窓から身を乗り出し、眉根を寄せて巨人をじっと見つめた。
(……うわ、歩き方ぎこちねえな、あいつ)
ロストの目覚ましい唯一の特技――【修繕士】としての極小の鑑定眼と、骨の髄まで染み付いた道具への観察眼が、無意識に巨人の挙動をトレースする。
(右の膝のところ、装甲がひん曲がって内側に食い込んでるじゃん。何百年放置されてたか知らないけど、関節の油が完全に干からびて焼き付いてるな。あれじゃ足を踏み出すたびに負荷が逃げ場を失って、左の腰の軸に全部偏ってる。……あー、見ててイライラする! なんであんな無理な動かし方するんだよ!)
職人としての生理的な不快感が、恐怖よりも先にロストの口をついて出た。
「……ひどい建て付けだな」
ピク、とエレナの耳が跳ねた。
「ひどい……建て付け、ですか?」
「見ろよ、あの右足。完全に油が切れてキーキー鳴ってやがる。あんなの、右膝の隙間に油でもぶっかけて無理やり曲げてやりゃ、勝手にバランス崩してすっ転ぶぞ。ほら、ちょうどあいつの進行方向の左手、昔の採石場の崖(谷底)だろ? あそこに落ちりゃ一発で動けなくなるのに、なんで誰も足元狙わねえのかなあ」
ロストは心底呆れたように吐き捨て、工房の棚から「廃棄予定の粘性タール油」がたっぷり入った金属缶を掴んで、エレナの胸元に押し付けた。
「ほらエレナ、これやるから。その辺の隙間にでも撒いて、足元滑らせて崖の下に落っことしといてくれ。あんなデカいのが店の上に倒れてきたらたまらん。あとガルド、お前も行って手伝え。あいつの右膝の曲がった装甲、邪魔だから外側から引っ叩いて外してやれ。そうすりゃ勝手に自分の体重で崩れるから」
「……ロスト様」
ガルドの声が震えていた。
「俺に……その大役を?」
「大役も何も、ただの粗大ゴミの片付けだろ。いいからさっさと行ってこい。俺は埃が入らないように窓閉めて寝るから」
バタン。
ロストは窓をピシャリと閉め、カーテンを引いて作業台へ戻っていった。
残された三人は、暗がりの中で顔を見合わせ――その瞳に、狂気にも似た畏怖の光を宿していた。
3.神算鬼謀の調律
工房の外に出た瞬間、シルフィが息を呑んで呟いた。
「……恐ろしい御方」
「はい」と、エレナが無表情ながらも内部機関を高回転させながら頷く。
「マスターの演算能力は、神代の演算宝珠すら凌駕しています。敵の魔導障壁も、神話級の複合装甲も、マスターにとっては『建て付けが悪い』の一言で片付く脆弱性に過ぎない」
「右膝の装甲の歪み……そこが、あの怪物の唯一にして最大の魔力循環の淀みだったんだ……!」
ガルドは大剣の柄を握り締め、武者震いに全身を震わせていた。
「俺たちには無敵の巨神に見えていたものが、ロストさんには『ただ油の切れた壊れかけの玩具』に見えていたんだ! しかも、この特殊な油……!」
エレナが抱える金属缶から漂うのは、鼻を突く異臭。
しかしシルフィの研ぎ澄まされた魔力感知には、それが全く別のものに見えていた。
「これは……ロスト様が日々の調律によって抽出した、超高密度の因果希釈液……! あらゆる事象の結合を融解させる神薬よ! これを右膝の魔力結節点へ注ぎ込めば、巨人の体内魔力は行き場を失い自壊する……!」
(※実際はただの、酸化してドロドロになった安物の廃機械油である)
「エレナ、突撃の露払いは私がするわ。空間転移で貴女を右膝の上空へ送る!」
「了解。マスターの命に従い、粗大ゴミの解体シークエンスを開始します」
「俺が装甲を叩き割るッ! ロストさんの安眠を邪魔する奴は、神話の怪物だろうが許さねええええええッ!!」
三つの影が、爆音とともに地を蹴った。
王都防衛線、第三障壁前。
騎士団長ヴァイスは、血反吐を吐きながら膝をついていた。
周囲には折れた槍、粉砕された魔導砲、そして力尽きた部下たちが倒れ伏している。
「くそっ……ここまでなのか……! 我ら王都騎士団の全力をもってしても、傷一つつけられんとは……!」
眼前に迫る黒曜石の巨人。その巨大な拳が振り上げられ、ヴァイスの頭上に絶望的な影を落とす。
万事休すかと思われたその刹那――
「天蓋を裂け――【虚空転移】ッ!!」
天空から響いた凛冽な声とともに、紫の魔法陣が巨人の右膝の真横に展開された。
「なっ……空間魔法!? 宮廷魔道士ですら失われたはずの古代秘奥を、誰が……!?」
転移門から現れたのは、白銀の戦乙女――エレナ。
彼女は空中で身を翻すと、ロストから託された金属缶のフタを躊躇なく引き抜いた。
「マスター・ロストの神意を執行。『油差し』を開始します」
ドバシャァァァァッ!
黒褐色の廃油が、巨人の右膝――長年の風化で装甲が歪み、魔力回路が剥き出しになっていた関節の隙間へと正確無比に注ぎ込まれた。
その瞬間、超高圧で循環していた巨人の魔力流が、異物の混入によって急激なキャビテーション(空洞現象)を引き起こす。
ギギギギギギギギギッ!?
巨人が生まれて初めて、苦悶のような駆動音を響かせて静止した。
「今だ、ガルドッ!!」
上空からシルフィの鋭い指示が飛ぶ。
地上を音速で疾走してきたガルドが、大剣を一閃させた。
「ロストさん直伝――【フリクション・ゼロ(無摩擦切断)】ッッ!!」
ギィンッ!
摩擦係数を無視された刃は、音すら置き去りにして巨人の右膝の固定ピンを滑るように両断した。
支えを失った数千トンの自重。
右膝が完全に内側へ折れ曲がり、巨人の巨躯が大きく傾ぐ。
ズゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
「な……足元が崩れるぞ!?」
ヴァイス団長が目を見張る。
巨人が倒れ込んだ先――そこはロストが指摘した通り、かつて王都建設の際に掘削され、今は使われていない断崖絶壁の採石場跡だった。
ガラガラガラッ、ドゴォォォォォォォォンッ!!
自らの質量を支えきれなくなった古代の巨兵は、派手な土煙を巻き上げながら、なす術もなく谷底へと転落していった。
深さ数百メートルの谷底で、核となる重力炉が自重の衝撃で圧壊し、青白い魔力の光を散らして完全停止する。
静寂が、戦場を支配した。
「……う、嘘だろ……?」
ヴァイス団長は呆然と谷底を見下ろし、それから目の前に着地した三人の男女を見つめた。
傷一つない白銀の人形。底知れぬ魔力を漂わせる魔女。そして、息一つ乱れていない若き剣士。
「貴公らは……一体何者だ? 国の存亡を揺るがす神話級の厄災を、たった三手で……それも、地形を利用して無傷で完封するなど……!」
ガルドは大剣を背中に収めると、誇らしげに胸を張って言い放った。
「勘違いしないでください。俺たちはただ、言われた通りに動いただけです」
「言われた通り……? 誰にだ!?」
「決まっているでしょう」
シルフィが冷ややかに、しかし狂信的な熱を瞳に宿して微笑んだ。
「世界の歪みを観測し、ただ一滴の雫をもって理を正す御方。……裏路地の『万象調律師』、ロスト様よ」
「ろ……ロスト……!? あの、失われた神代の技術を操るという伝説の……!?」
ヴァイス団長の顔が驚愕に染まる。
その名は瞬く間に、救援に駆けつけた冒険者や騎士たちの間に電乱のように広まっていった。
4.平和な朝の終わり
正午過ぎ。
心地よい日差しが差し込む工房で、ロストはむにゃむにゃと口を動かしながら目を覚ました。
「……んあー、よく寝た。静かになったな。結局あのデカブツ、どっか行ったのか?」
欠伸をしながら作業台から体を起こし、伸びをする。
外の騒音も収まり、街はすっかり平和を取り戻したようだ。
これでまた、壊れた鍋や時計の修理といった、平和で地味な日常に戻れる。
「エレナ、腹減ったんだけど。なんか食べるもの――」
ガラパゴスッ!!
「ひゃいっ!?」
工房の扉が、凄まじい勢いで蹴破られた。
入ってきたのはエレナでもガルドでもない。豪奢な白銀のマントを羽織り、胸に王家の紋章を佩いた厳めしい壮年の騎士――近衛騎士団長ヴァイスと、その後ろに控える十数名の完全武装の騎士たちだった。
(な、なんだ!? 借金!? 俺、なんか違法なゴミでも捨てたっけ!?)
怯えて固まるロストの前に、騎士団長ヴァイスが歩み寄る。
そして――
ドサッ!!
膝を突き、深々と頭を垂れた。後ろの騎士たちも一斉に床に平伏する。
「お初にお目にかかります、偉大なる調律師、ロスト殿! この度の未曾有の国難において、貴殿の神算鬼謀たる策により、王都と十万の民が救われましたこと、騎士団を代表して心より感謝申し上げます!!」
「……は?」
ロストの口から気の抜けた声が漏れる。
「貴殿の弟子たる三人の英雄からすべて聞き及んでおります! 敵の弱点を一目で見抜き、神代の秘薬をもって因果を解き、地形すら盤上の駒として操るその御業……! まさに伝説の【万象調律師】の再来と、ギルド本部および国王陛下も激震しております!」
「え? いや、俺はただ油をだな……」
「これをお納めください!」
ヴァイスがパンと手を叩くと、部下が恭しく巨大な木箱を運び込んできた。
蓋が開けられると、中には目を眩むばかりの白金貨と宝石がぎっしりと詰まっていた。
「国王陛下よりの報奨金、白金貨三百枚! そして、陛下より直々の勅命状でございます!」
ヴァイスが恭しく差し出してきた羊皮紙には、豪奢な金泥でこう記されていた。
『特級危険事案専任最高顧問 ロスト殿』
「……こ、こもん?」
「はい! 今後、王国内で発生するあらゆる古代遺物、神話級魔獣、未踏迷宮の変異事案において、貴殿に最高決定権と調査の全権を委ねる名誉職にございます! さあ、支度を! 陛下が王宮でお待ちです!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
ロストの絶叫が、狭い工房に木霊した。
顧問!? 全権!? そんなの命がいくつあっても足りない!
俺はただ、雨漏りしない部屋で出涸らしのお茶を飲みながら、一日中寝て暮らしたいだけのしがない便利屋なのに!
「エレナァァァッ! シルフィッ! ガルドォォォッ! お前ら一体何を吹き込んだんだぁぁぁぁぁぁっ!!」
頭を抱えて床を転がるロストの姿を見て、ヴァイス団長はさらに深く平伏し、感涙にむせんだ。
(……おお、なんという無欲! あれほどの巨万の富と至高の名誉を前にして、狂おしいほどに煩悶し、身を隠そうとなされるとは……! 真の英雄とは、己の功績を誇らぬものというが、これほどまでに孤高の御方であったとは……ッ!)
「ロスト殿、案ずることはございません! 貴殿の平穏を乱さぬよう、王室総力を挙げて身辺を警護いたしますぞ!」
「違う! そうじゃない! 頼むから帰ってくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
こうして、ただ静かに隠居したかっただけの青年ロストの、平穏とは程遠い勘違いの英雄伝説が幕を開けてしまったのである。




