第9話 討伐配信の後始末
翌朝、私のスマホは鳴りやまなかった。
通知の大半は、ある切り抜きへのリンクだった。
題名は「【検証】ブレイズ、出口を柵で塞ぐ→逃げる魔物を背中から斬る→鉄柵を蹴り壊す」。
撮ったのは、私の配信のカメラだ。
壁際から大広間全体を映していたので、獅堂さんの動きが最初から最後まで、ほとんど全部入っていた。
切り抜きは、一晩で三百万回再生されていた。
"これは擁護できん"
"出口塞いだの完全にブレイズじゃん"
"人も詰まって死にかけてたんだぞ"
"鉄柵蹴り壊すとこで声出た"
見覚えのある名前も、その中にあった。
"元自衛官です。あの柵の置き方は、現場なら一発で処分です"
昼前には、ブレイズの配信のスポンサーだった飲料メーカーが、契約の見直しを発表した。
夕方には、装備メーカーが続いた。
探索者協会は、短い声明を出した。
第三層での事故防止に協力した鳴瀬ことは氏に感謝する。ブレイズが設置した柵については、出口を塞ぐ形での設置が安全規則に反していないか、調査する。
獅堂さんは、昼過ぎに「スライムのお姉さんの自作自演」という動画を上げた。
三十分後に、消した。
「ことは、あいつ、まけたのか」
ちゃぶ台の上で、ズズが体を揺らしている。
昨日の疲れは、一晩寝たら抜けたらしい。
「勝ち負けではない、と思います」
「まけたな! ざまーみろだぞ!」
ざまーみろ、という語を、私はズズに教えていない。
たぶん、コメント欄の流れを、私が読み上げているのを聞いて覚えたのだ。
辞書の頁に、そっと書き足す。四十二語め。
意味は、だいたい合っているので、消さないでおく。
◇
お昼のワイドショーには、また久我先生が出ていた。
『第三層の件ですか。あれはね、偶然ですよ。魔物が上へ移動していたのは事実でしょう。そこに、たまたま、もっともらしい解説を重ねただけです』
司会者が、困ったように笑う。
『ただ、ゴブリンの奇襲を当てたという件もありますよね』
『三つ数えたら左、でしたか。そういうものは、当たった回だけが記憶に残るんです。学問というのはね、もっと地道なものですよ』
テレビを消そうとしたとき、スマホが鳴った。
画面に、研究室の番号が出ている。
「……はい。鳴瀬です」
『ああ、鳴瀬君。テレビを見たかね』
久我先生の声だった。
さっき画面の中で話していた人と、同じ声だとは思えないほど、やわらかい。
『君の配信、なかなか評判がいいようですね。そこで、提案があるんだが』
「提案、ですか」
『君が集めた音声のデータを、研究室で整理してあげよう。君一人では、論文の形にするのは難しいでしょう。共同研究という形にすれば、大学の名前で発表できる』
共同研究。
九日前、身の程に合ったテーマを持っていけと言った人が。
「論文の筆頭は、どなたになりますか」
『それはもちろん、研究室の代表である私ですよ。君の名前も、ちゃんと載せてあげます』
載せてあげます。
島の言葉の論文を書いたとき、先生は一度も目を通さなかった。私の名前を、第二著者にも入れなかった。
私は、窓際の洗面器を見た。
ズズが、こちらを見ている。目は無いけれど、見ているのは分かる。
「お断りします」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
『……鳴瀬君。君ねえ、自分の立場を分かっているのかね。大学の後ろ盾も無しに、素人の配信者として』
「はい。分かっています」
『身の程というものが』
「先生」
声が、自分でも驚くほど静かだった。
「ズズの言葉を訳したのは、私です。先生は、一度も聞いていません。聞いていない言葉を、論文にはできません」
電話は、向こうから切れた。
私はしばらく、黒い画面のスマホを握っていた。
手が、少しだけ震えている。
「ことは。いまの、だれ」
「昔の、先生です」
「いやなやつか」
「……訳さないでおきます」
ズズが、ぷちゅっと笑うような音を立てた。
◇
午後、私は協会の調査課で、昨日のことを報告した。
霧島さんは、私の話を最後まで黙って聞いた。
それから、無人機の写真を何枚か机に並べた。
「旧坑道を抜けた魔物は、第二層の東の端に出た。使われていない古い区画だ。そこで散って、いまは静かにしている」
「……人を、襲ってはいないんですか」
「一件も無い。第二層の探索者は、魔物が増えたことに気づいてもいない」
霧島さんは、写真の一枚を指で叩いた。
壁際にかたまって、じっとしているスライムの群れ。その隣に、ゴブリンが三体、膝を抱えるようにして座っている。
逃げてきた人たちが、避難所の隅で身を寄せ合っているように見えた。
「旧坑道の鉄柵は、直さないことにした」
「直せない、ではなくて」
「直さない、だ。蝶番の修理には一か月かかる。そのあいだ、あそこは開けたままにする。魔物の通り道として」
協会がそう決めるのに、どれくらいの会議が要ったのだろう。
霧島さんは、そのことには触れなかった。
「ブレイズへの処分は、調査が終わってからだ。獅堂は腕を七針縫った。命に別状は無い」
「……そうですか」
ほっとしている自分に、少し驚いた。
あの人は、ズズの仲間を三十匹斬った。それでも、死んでほしいとは思わない。
「鳴瀬さん。もう一つ」
霧島さんは、引き出しから書類を一枚出した。
探索者協会、魔物言語調査班の設置について(案)。
「正式な話は、明日する。今日は、休め」
霧島さんが「休め」と言うのを、私は初めて聞いた。
◇
その夜、私は配信を休んで、昨日の録音を聞き直していた。
チャンネルの登録者は、二十八万人になっていた。
協会からは、正式に調査を手伝ってほしいという連絡が来ている。犬飼さんからは、「先生の護衛、正式にやらせてくださいっす!」というメッセージが十一通。最後の一通は「返事なくても、毎日送るっす!」だった。
でも、いま気になっているのは、一つだけだ。
録音の最後の三十秒。
大トカゲが旧坑道へ消えたあと、第四層の階段の、さらに下から聞こえた声。
声紋を見る。
ほかのどの魔物の声とも、形が違う。高さがほとんど動かない。低い音が、ゆっくりと二つ。
スライムの言葉は三音で一語だ。ゴブリンも、たぶんそうだ。
これは、二音しかない。
私はヘッドホンを外して、スピーカーから、その声を小さく流した。
洗面器の中で、ズズが、びくりと跳ねた。
水面が、細かく、細かく揺れる。
「ズズ?」
ズズは、洗面器の底へ沈んでいった。
薄い水色の体が、見たことのない灰色にくすんでいく。
「……ことは。それ、ながすな」
「この声の意味が、分かるんですか」
「わかる。うたで、ならった。でも」
ズズの声が、今までで一番小さくなった。
「それ、言っちゃいけないことば」




