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任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第一章 スライムは、下から来ると言った

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9/22

第9話 討伐配信の後始末



 翌朝、私のスマホは鳴りやまなかった。


 通知の大半は、ある切り抜きへのリンクだった。

 題名は「【検証】ブレイズ、出口を柵で塞ぐ→逃げる魔物を背中から斬る→鉄柵を蹴り壊す」。


 撮ったのは、私の配信のカメラだ。

 壁際から大広間全体を映していたので、獅堂さんの動きが最初から最後まで、ほとんど全部入っていた。


 切り抜きは、一晩で三百万回再生されていた。


  "これは擁護できん"

  "出口塞いだの完全にブレイズじゃん"

  "人も詰まって死にかけてたんだぞ"

  "鉄柵蹴り壊すとこで声出た"


 見覚えのある名前も、その中にあった。


  "元自衛官です。あの柵の置き方は、現場なら一発で処分です"


 昼前には、ブレイズの配信のスポンサーだった飲料メーカーが、契約の見直しを発表した。

 夕方には、装備メーカーが続いた。


 探索者協会は、短い声明を出した。

 第三層での事故防止に協力した鳴瀬ことは氏に感謝する。ブレイズが設置した柵については、出口を塞ぐ形での設置が安全規則に反していないか、調査する。


 獅堂さんは、昼過ぎに「スライムのお姉さんの自作自演」という動画を上げた。

 三十分後に、消した。



「ことは、あいつ、まけたのか」



 ちゃぶ台の上で、ズズが体を揺らしている。

 昨日の疲れは、一晩寝たら抜けたらしい。



「勝ち負けではない、と思います」


「まけたな! ざまーみろだぞ!」



 ざまーみろ、という語を、私はズズに教えていない。

 たぶん、コメント欄の流れを、私が読み上げているのを聞いて覚えたのだ。


 辞書の頁に、そっと書き足す。四十二語め。

 意味は、だいたい合っているので、消さないでおく。




◇




 お昼のワイドショーには、また久我先生が出ていた。



『第三層の件ですか。あれはね、偶然ですよ。魔物が上へ移動していたのは事実でしょう。そこに、たまたま、もっともらしい解説を重ねただけです』



 司会者が、困ったように笑う。



『ただ、ゴブリンの奇襲を当てたという件もありますよね』


『三つ数えたら左、でしたか。そういうものは、当たった回だけが記憶に残るんです。学問というのはね、もっと地道なものですよ』



 テレビを消そうとしたとき、スマホが鳴った。

 画面に、研究室の番号が出ている。



「……はい。鳴瀬です」


『ああ、鳴瀬君。テレビを見たかね』



 久我先生の声だった。

 さっき画面の中で話していた人と、同じ声だとは思えないほど、やわらかい。



『君の配信、なかなか評判がいいようですね。そこで、提案があるんだが』


「提案、ですか」


『君が集めた音声のデータを、研究室で整理してあげよう。君一人では、論文の形にするのは難しいでしょう。共同研究という形にすれば、大学の名前で発表できる』



 共同研究。

 九日前、身の程に合ったテーマを持っていけと言った人が。



「論文の筆頭は、どなたになりますか」


『それはもちろん、研究室の代表である私ですよ。君の名前も、ちゃんと載せてあげます』



 載せてあげます。

 島の言葉の論文を書いたとき、先生は一度も目を通さなかった。私の名前を、第二著者にも入れなかった。


 私は、窓際の洗面器を見た。

 ズズが、こちらを見ている。目は無いけれど、見ているのは分かる。



「お断りします」



 電話の向こうで、短い沈黙があった。



『……鳴瀬君。君ねえ、自分の立場を分かっているのかね。大学の後ろ盾も無しに、素人の配信者として』


「はい。分かっています」


『身の程というものが』


「先生」



 声が、自分でも驚くほど静かだった。



「ズズの言葉を訳したのは、私です。先生は、一度も聞いていません。聞いていない言葉を、論文にはできません」



 電話は、向こうから切れた。


 私はしばらく、黒い画面のスマホを握っていた。

 手が、少しだけ震えている。



「ことは。いまの、だれ」


「昔の、先生です」


「いやなやつか」


「……訳さないでおきます」



 ズズが、ぷちゅっと笑うような音を立てた。




◇




 午後、私は協会の調査課で、昨日のことを報告した。


 霧島さんは、私の話を最後まで黙って聞いた。

 それから、無人機の写真を何枚か机に並べた。



「旧坑道を抜けた魔物は、第二層の東の端に出た。使われていない古い区画だ。そこで散って、いまは静かにしている」


「……人を、襲ってはいないんですか」


「一件も無い。第二層の探索者は、魔物が増えたことに気づいてもいない」



 霧島さんは、写真の一枚を指で叩いた。

 壁際にかたまって、じっとしているスライムの群れ。その隣に、ゴブリンが三体、膝を抱えるようにして座っている。


 逃げてきた人たちが、避難所の隅で身を寄せ合っているように見えた。



「旧坑道の鉄柵は、直さないことにした」


「直せない、ではなくて」


「直さない、だ。蝶番の修理には一か月かかる。そのあいだ、あそこは開けたままにする。魔物の通り道として」



 協会がそう決めるのに、どれくらいの会議が要ったのだろう。

 霧島さんは、そのことには触れなかった。



「ブレイズへの処分は、調査が終わってからだ。獅堂は腕を七針縫った。命に別状は無い」


「……そうですか」



 ほっとしている自分に、少し驚いた。

 あの人は、ズズの仲間を三十匹斬った。それでも、死んでほしいとは思わない。



「鳴瀬さん。もう一つ」



 霧島さんは、引き出しから書類を一枚出した。

 探索者協会、魔物言語調査班の設置について(案)。



「正式な話は、明日する。今日は、休め」



 霧島さんが「休め」と言うのを、私は初めて聞いた。




◇




 その夜、私は配信を休んで、昨日の録音を聞き直していた。


 チャンネルの登録者は、二十八万人になっていた。

 協会からは、正式に調査を手伝ってほしいという連絡が来ている。犬飼さんからは、「先生の護衛、正式にやらせてくださいっす!」というメッセージが十一通。最後の一通は「返事なくても、毎日送るっす!」だった。


 でも、いま気になっているのは、一つだけだ。


 録音の最後の三十秒。

 大トカゲが旧坑道へ消えたあと、第四層の階段の、さらに下から聞こえた声。


 声紋を見る。

 ほかのどの魔物の声とも、形が違う。高さがほとんど動かない。低い音が、ゆっくりと二つ。


 スライムの言葉は三音で一語だ。ゴブリンも、たぶんそうだ。

 これは、二音しかない。


 私はヘッドホンを外して、スピーカーから、その声を小さく流した。


 洗面器の中で、ズズが、びくりと跳ねた。

 水面が、細かく、細かく揺れる。



「ズズ?」



 ズズは、洗面器の底へ沈んでいった。

 薄い水色の体が、見たことのない灰色にくすんでいく。



「……ことは。それ、ながすな」


「この声の意味が、分かるんですか」


「わかる。うたで、ならった。でも」



 ズズの声が、今までで一番小さくなった。



「それ、言っちゃいけないことば」



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