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任期切れの言語学者、魔物の鳴き声を翻訳する配信を始めたら ~拾ったスライムが「下から来る」と言っています~  作者: ま
第一章 スライムは、下から来ると言った

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8/20

第8話 道を、空けてください



「はいどーも! ブレイズの獅堂でーす! 今日はついに、第三層で、スライム百匹討伐ーっ!!」



 大広間に、獅堂さんの声が響いた。

 クランの人たちが歓声を上げる。見物に下りてきた探索者も、二十人ほどいた。


 私は大広間の壁際で、自分の配信を開いていた。

 隣には霧島さん。協会の立ち会い、という名目で来てくれている。犬飼さんは盾を構えて、私の前に立っている。


 同時接続は、始めて五分で八千を超えた。

 獅堂さんの配信を見に来た人たちが、こちらにも流れてきているらしい。


  "スライムのお姉さんの方で見る"

  "翻訳付き副音声助かる"

  "なんか下から変な音しない?"


 する。

 ヘッドホンをしていなくても、第四層への階段の底から、低い地鳴りのような声が上がってくる。さっきより、大きい。



「霧島さん。来ます」


「……どのくらいで」


「ズズは、すぐ、と言っています」



 大広間の上の出口、第二層へ抜ける細い通路の前には、ブレイズの人たちが金属の柵を並べていた。

 百匹のスライムを大広間に集めて、出口を塞いで、まとめて倒す。そういう段取りだ。


 魔物が上へ抜けられる場所は、もう、旧坑道の鉄柵しか無い。

 その鉄柵にも、南京錠が二つ、かかったままだ。




◇




 最初に来たのは、スライムだった。

 第四層の階段から、水色のかたまりが、あふれるように流れ込んでくる。十、五十、百。数えきれない。



「来た来た来た! 撮れ高〜!」



 獅堂さんが、剣を抜いて飛び出した。

 クランの人たちが、網と盾でスライムを大広間の真ん中へ追い込んでいく。


 ぷちゅ、ちゅい、ぷ。ちゅい、ちゅ、ちゅい。

 ヘッドホンの中が、スライムの声で埋まる。


 聞こえてくる語は、「にげろ」「上へ」「とおして」ばかりだ。


 誰も、戦おうとしていない。

 柵にぶつかって、跳ね返されて、また柵にぶつかる。上へ行けないことに、パニックを起こしている。



「スライムは、襲っていません」



 私は、マイクに向かって言った。



「上へ通りたいだけです。出口を塞がれて、行き場がなくなっています」



  "マジで柵に体当たりしてるだけだ"

  "獅堂、普通に逃げてるスライム斬ってるの気分悪いな"


 次の瞬間、階段の底から、地鳴りが上がりきった。


 チッ、チチッ。大ネズミの群れ。

 ギッ、ギャッ。ゴブリンの群れ。

 その後ろに、人の背丈ほどもある大トカゲが三体。のし、のし、と石の床を踏みしめて現れる。


 見物の探索者たちが、悲鳴を上げた。



「スタンピードだ!」


「逃げろ、上だ!」



 人も、出口へ走り出す。

 けれど出口の前には、ブレイズの柵がある。人と魔物が、細い通路の前で、同じ一か所に押し寄せようとしていた。


 あそこが詰まったら、誰かが潰れる。人も、魔物も。



「霧島さん、旧坑道の鍵を開けてください!」



 霧島さんは、一秒も迷わなかった。

 ポケットから鍵束を出し、壁際の鉄柵へ走る。



「犬飼さん、人を、壁際へ寄せてください。真ん中を空けて」


「了解っす!!」



 犬飼さんが、息を吸い込んだ。



「みんなーっ!! 壁際に寄るっすーっ!! 真ん中、空けるっすーっ!! 魔物は、襲ってこないっすーっ!!」



 割れた声が、大広間の天井に跳ね返った。

 走っていた人たちが、思わず足を止めて振り返る。


 私は、魔物たちの声を聞き続けた。


 ギィ、ギ、ギッ。ゴブリンの群れの先頭の、ひときわ大きな一体が鳴いている。

 ズズが訳し、私が訳す。



「どけ。どけ。下から、くる。上へ、とおせ」



 私はマイクに、そのまま言った。



「ゴブリンも、上へ通りたいだけです。人を襲うつもりはありません。道を、空けてください」



 がちゃん、と鉄柵の扉が開く音がした。

 霧島さんが、旧坑道の扉を大きく引き開けている。


 でも、魔物たちは、そこに道があることを知らない。

 出口の柵の前に、まだ押し寄せようとしている。



「ズズ」



 私は、ズズの容器の蓋を開けた。



「みんなに、道はこっちだと、言えますか」



 ズズは、容器の縁にのぼった。

 薄い水色の体が、ぐっと縮んで、それから大きくふくらむ。


 ぷちゅ、ちゅい、ちゅい。


 ズズの声が、大広間いっぱいに広がった。

 探知機のスピーカーが、その声を、人の耳にも聞こえる高さで追いかける。

 ぷちゅ、ちゅい、ちゅい。昨日の夜、ズズが教えてくれた新しい語「みち」に、呼びかけの高さを乗せている。



「みち! みち、こっちだぞ! こっち、上に、つながってるぞ!」



 スライムたちの声が、一瞬止まった。

 それから、ゴブリンの声も、大ネズミの声も、ズズと同じ「みち」を繰り返し始めた。


 スライムが、旧坑道へ向かって流れ出す。

 ゴブリンがそれに続く。大ネズミが、大トカゲが、壁際に寄った人たちの目の前を、ただ通り過ぎていく。


 誰の足にも、噛みつかない。

 誰の盾にも、ぶつからない。


  "通ってる……"

  "マジで襲ってこない"

  "鳥肌止まらん"

  "スライムが道案内してるの泣ける"




◇




 ブレイズの柵の前に、獅堂さんが一人で立っていた。



「おい、待てよ。百匹だぞ。まだ三十しか倒してねえんだよ」



 旧坑道へ流れていく群れを見て、獅堂さんは剣を振り上げた。

 横を通るゴブリンの背中に、斬りつける。



「獅堂さん、だめです!」



 ゴブリンが、ギャッと鋭く鳴いた。

 ズズが訳すより先に、まわりのゴブリンが三体、獅堂さんに飛びかかる。


 盾を持っていない腕に、短剣がかすめた。

 獅堂さんは尻もちをつき、その上を、大ネズミの群れが駆け抜けていく。



「くそっ、閉めろ! その柵、閉めろって! 逃がすな!」



 獅堂さんは跳ね起きて、旧坑道の鉄柵に体当たりした。

 扉を閉めて、魔物を大広間に閉じ込めようとしている。


 霧島さんが、低い声で言った。



「下がれ。二度は言わない」



 獅堂さんは、聞かなかった。

 扉を蹴りつけた拍子に、錆びた蝶番が、ばきん、と音を立てて折れる。


 鉄柵の扉は、斜めに傾いたまま、二度と閉まらなくなった。

 魔物たちは、その脇を、変わらずに流れていった。




◇




 最後の大トカゲが旧坑道に消えるまで、二十分かかった。


 大広間に残ったのは、人だけだった。

 怪我をしたのは、自分から魔物に斬りかかったブレイズの人たちだけ。獅堂さんの腕の切り傷が、いちばん深かった。


 死んだ人は、いない。



「……先生」



 犬飼さんが、盾を下ろして振り返った。声が、かすれている。



「通したっすね。全部」


「通したのは、ズズです」



 容器の縁で、ズズがぐったりと平たくなっていた。

 大きな声を出しすぎたのだ。



「つかれたぞ」


「……ありがとうございました、ズズ」



 配信の同時接続は、四万二千になっていた。

 コメント欄は、もう読めないほどの速さで流れている。


 ほっとして、ヘッドホンを外そうとしたときだった。


 第四層への階段の、さらに下。

 ずっと遠いところから、たった一つ、声が聞こえた。


 低くて、長くて、どの魔物の声とも違う響き。

 ズズの体が、きゅっと小さく縮んだ。



「……ことは。いまの」



 ズズは、そこで黙った。

 容器の底に張りついて、震えながら、何を聞いても答えなかった。



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